これからの季節に親子でハイキング! >>

「~し、」と「~して、」の違いを教えて下さい。

外国の友達から次のような内容のメールをもらいました。

「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。」
そこで、「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。」と訂正してあげました。
(この文章も何だか変なのですが・・・)

するとその友達から『「勉強して、・・・。」と「勉強し、・・・。」の違いを教えて欲しい」』と言われました。

私なりに考えてみた結果、
「~て、~て」では、同じような表現の繰り返しになってしまい、幼稚な
感じになってしまうので避けたほうが良い。
むしろ、「~て、~て」と繰り返すよりも「雇って、」の句点を取ったほうがスッキリする。

「勉強して、」と「勉強し、」を文法的に説明すると、
「勉強して、」; 動詞「勉強する」の連用形+「て」。
「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。
で、良いのでしょうか?

意味にはほとんど違いは無く、中止形の方が書きことば的だと思うのですが、どうなのでしょうか?

一生懸命日本語を勉強している人に(私よりも目上の方です)対して、
「幼稚な文です。」と言ったら気分を害されてしまうでしょうか?

長文になってしまい申し訳ありません。

ぜひ、ご意見をお聞かせください。宜しくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

たしかに、ひとつの文に「て」が複数あると、見苦しく感じる場合はあります。



ただし、その前に、
「雇って」は「勉強して」を修飾しています。
このような修飾する/されるの関係がある場合は、修飾する側の動詞に「て」を付けないといけません。
よって、
「雇って勉強し」か「雇って勉強して」のどちらかに絞られます。
ここで、「て」が2箇所あると不自然だという考え方を適用して、
「雇って勉強し」
のほうが望ましい、ということになります。
ただし、口で言う場合は、「雇って勉強して」のほうが普通ですね。


本題とは離れるかもしれませんが、
複数の動詞を羅列する場合は、

(話し言葉)
「新宿までバスで行って、山手線で渋谷まで行って、田園都市線でニコタマまで行って、駅から5分歩いて」

(書き言葉)
「新宿までバスで行き、山手線で渋谷まで行き、田園都市線でニコタマまで行き、駅から5分歩き」

ですね。


>>>
「勉強して、」と「勉強し、」を文法的に説明すると、
「勉強して、」; 動詞「勉強する」の連用形+「て」。
「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。
で、良いのでしょうか?

よいです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

早速のご返事ありがとうございます。

>「雇って」は「勉強して」を修飾しています。

修飾語だとは気が付きませんでした。ご指摘ありがとうございます。
やっぱり「~て」が続くと不自然ですよね。
友達にそう、説明してみます。

文法手的な説明も全然自信なかったのですが、安心しました。

いつも丁寧な回答をして頂き、感謝しています!

お礼日時:2008/02/09 18:50

続きです。


「日本語文法の本に「連用中止形」が載っていた」
その書物の、書名と著者名を示してください。
連用中止形というものはありません。
現代語の文法は義務教育の国語であり、
活用形も教科書に載っているものがすべてです。
「~し、~した」という構造に於いて
前半は後半の用言にかかる連用形であり、
途中に補語がたくさん入ってもこの構造は変わりません。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

『日本語文法の本に「連用中止形」が載っていた』と書きましたが、
私の勘違いでした。
本の他にインターネットでもかなりの数検索したので、ごちゃごちゃになってしまいました。
誤解を招くようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。

お礼日時:2008/02/10 23:32

「し」なら、前後の言葉は並列関係です。


ただし時系列は示されます。
前後の言葉の意味により文脈としては
因果関係や手段・目的関係が示されることも多いのですが、
「し」自体には時系列に並べるという意味しかありません。
文脈としても時系列だけの例
「庭を掃除し、軽く体操した。」

「して」は、「~することによって~となった」という文脈を生みます。
「消毒して清潔にした」

また、
「服を洗濯機に入れて、部屋を掃除した」
(問題は「て」の有無でありその前は動詞の連用形なら
「し」でなくても同じ)
では順序に特に意味があることを示します。
この場合行動の順が逆だと賢くありません。
--------------------------------
問題の文
「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。」
については、「して」はそのままで正しい。
手段と行動の関係があるからです。妙な感じがするのは
「家庭教師を雇う」と「毎週日本語を勉強」の間に
空白ありの可能性が生まれてしまうことと、
今年に入っても教師から教わり続けているか
あいまいなことです。もし続いているなら
「毎週家庭教師に日本語を教わることを去年から続けています。
今年からあなたとメールのやり取りをしています。」
となります。全体の構造をわかりやすくするため
語順などを工夫しましょう。
-------------------------
「連用中止形」というものはありません。
単に連用形であり、それを受ける用言は文末の「始め」です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

suunanさん、お返事ありがとうございます。
suunanさんのおっしゃる様に、語順を工夫してみます。
>「連用中止形」というものはありません。
日本語文法の本に「連用中止形」が載っていたので、あるものと思っていました。

お礼日時:2008/02/10 14:55

感覚の問題であるならば、


「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語の勉強をして、今年からあなたとメールのやり取りをしています。」
とするのが、一番、言いたいことの意図も分かりやすいし、耳で聞いても自然なのではないでしょうか。
「~て」「~て」が重なることに違和感があるのではなく、「雇って」の後ろに「勉強して」という音的に尻つぼみの文節が来ることが違和感の原因ではないでしょうか。「勉強をして」と「を」にアクセントが移動することで、言葉のリズムとしては快くなります。
日本語では、英語のように「ストレス(語勢)」は余り問題にされませんが、ことばの抑揚という語感もあるのではないでしょうか。
あくまで、私の感覚ですが、いかがでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

dulatourさん、お返事ありがとうございます。
何度も「勉強をして」と「を」にアクセントを置いて発音してみました。違和感はありませんでした。
となると、「~して」でも間違いではないんですね・・・(^^;)

お礼日時:2008/02/10 14:26

> 意味にはほとんど違いは無く、中止形の方が書きことば的だと思う


> のですが、どうなのでしょうか?

う~ん、そう言われてみればそんな気も‥

・ 3時間飲んで食べて唄って、たったの2,000円♪
・ よい野菜選びのコツは、見て触って確かめることです。

上記の例は連用中止で言い換えることも可能ですが、書き言葉であったとしても、あまり語感がよくない気がします。ケースバイケースでしょう。


「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。」

確かに、この方が聞こえはスマートですね。ただ、文はなるべく短く切った方が意味が伝わり易いものです。日本語の勉強をしていることと、メール交換を始めたことの間に連続性や関連性がある場合はこれでいいのですが、そうでなければ、文を2つに分けた方が望ましいと思います。このことは、「~て」を使う場合にも連用中止を使う場合にも共通して言えることです。

「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強しています。また、今年からはあなたとメールのやり取りを始めました。」

連用中止の多用が文が冗長にする点を問題視する意見も多く見られます。


> 「幼稚な文です。」と言ったら気分を害されてしまうでしょうか?

実験の結果が知りたいです ( ^^;
ただ、「~て」の連続は好ましくないというようなことは主に耳への響きの問題だと思いますが、それは会話経験から得られる感覚でしょう。机上の勉強が中心で、日本語会話の経験が少ない人には理解し難いかもしれませんね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

tareteruさん、お返事ありがとうございます。

>文を2つに分けた方が望ましいと思います。
確かに、だらだらと文書をつなげて書くよりも短く切った文の方が簡潔で解り易いですね。

友達も日本語の勉強を始めてまだ日が浅いため、解り易く説明してあげようと思うのですが、会話をしているのと違って文字を使っての説明は難しいいですね。(^^;

お礼日時:2008/02/09 22:33

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか。教えてください。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き
     ますか。
     見てから読むか、読んでから見るか。
     ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。

 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。

     切符を買ってから中に入る。
     ちょっと口をすすいでから歯を磨く。
     準備運動をよくしてから、泳いでください。

 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。
これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす
るのでは無意味な場合です。 

 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。

     夜が明けてから人家を探そう。(?あとで)
     秋が来てから、急に人通りが多くなった。(×あとで)
     日本に来てから、3か月になります。
     占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。
     最初の文明が生まれてから1万年。

 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。「~のN」の形にもなります。

     乾杯は会長が来てからだ。
     起こすのは医者が来てからでいい。
     そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。

 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。

     まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。
     入会金を払ってからでないと、アクセスできません。

 それから、「Aのあと今まで(に)」「A以来ずっと」の場合も「~てから」
が使われます。

     勉強を始めてから、多くのことを学びました。
     生れてから、ずっとこの町に住んでいます。
     パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。

 「AてからBまで」の形にもなります。

     小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。
小学校に入ってから大学を出るまでの16年間

 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。

     来てからは/も  来てからさえ(も)  来てからより(も)  
ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝...続きを読む

Q「~になる」と「~となる」の使い分け

複数の人で手分けして報告書を作成しており、現在校正中です。
今悩んでいるのは、ある人は「~になりました。」と書き、別の人は「~となりました。」と書いているところがあり、報告書全体としては「に」と「が」が混在している状態なので、この表記の揺れをなくすために、どちらかに統一すべきかどうか、ということです。
「に」でも「と」でも全体の文意は同じのような気がするのですが、ニュアンスや文法的な違い、あるいは使い分け方法があれば教えていただきたいと思います。
よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

格助詞「に」と「と」の違いですね。この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。
「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q連用中止法と連体止め

連用中止法とはどのようなものをいうのか、また、連体止めとは、体言止とは違うのでしょうか。(動詞の連体形で止めるのを連体止めと理解していいのでしょうか)

Aベストアンサー

連用中止法について
読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法です。例としては、

天高く、馬肥ゆる秋。
(「高く」の部分が連用中止法。「高く」は形容詞ク活用の連用形です。)

連体止めとは、文を連体形で終止し余韻を残す用法です。平安時代ごろの文学や詩歌に登場し、鎌倉時代以降には一般的な文章にも用いられるようになったそうです。

体言止めは、名詞止めとも言われるように、和歌・俳諧などで、句の最後を体言(名詞)で終えること。言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる用法です。

なので、連体止めと体言止めは違うものだと思いますが…

Q「~やら~やら」と「~とか~とか」の違い

物事を複数並列する時に「~やら~やら」と使っていますが、
最近の若者がよく使っている語で、同じようなものに「~とか~とか」があります。
「~やら~やら」と「~とか~とか」は、どう違うのでしょう?
なんとなく用法が違うとは思うのですが、正確にはわかりません。
以前から気になっています。どうぞ御教示ください。

Aベストアンサー

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?

ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、
私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。
「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。

これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。
1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。」
2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。」
1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。
2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。

1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。」
2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。」
これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。
2は素直な人が話しているなら単なる並列。
ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。

とまあ、こんなところです。
前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。
色々な回答がつくといいですね。

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?
...続きを読む

Q「たら」「れば」「なら」の使い方

わかりづらいタイトルですいません。
実は日本語を勉強中の中国人から「たら」「れば」「なら」の使い方がわからないとの質問を受けたのですが、私自身明確な回答がだせません。
〔例〕
・雨が降れば、洗濯物が干せません。
・雨が降ったら、洗濯物が干せません。
・雨が降るなら、洗濯物が干せません。
このようにニュアンスが多少違う程度で、どれも同じような内容になると思います。
外国人に対してこのような場合の「たら」「れば」「なら」の使い方を説明すればよろしいでしょうか?

Aベストアンサー

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮定です。すなわち、現実には起こらなかったことに対する仮定です。
(例)もし、彼が事故に合わなかったら...(実際には事故に合った)

もう一つの用法は、現在、または、未来に対する仮定です。この仮定は本来は、実際には起こる可能性が非常に低いこと(あるいは、感情として絶対起こって欲しくないこと)を仮定する場合に用います。
(例)もし、彼が死んだら、生きていけない。
(例)もし、空を飛べたらどんなに楽しいだろう。

(3)「なら」は、「動詞等終止形+(の)+なら」あるいは「名詞or名詞句」+「なら」として使います。意味的には、仮定というより、「~~の場合は」的な意味になります。
(例)赤なら止まれ、青なら渡れ。
(例)飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。
(例)歩くなら良いが、走るならごめんだ。

以上の3つの違いを中国の方に説明する場合は、以下のような関係になると思います。

(1)「れば」=如果(ruguo)
(2)「たら」=万一(wanyi)
(3)「なら」=的時候(deshihou)

以上です。

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮...続きを読む

Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む

Q「~上で」と「~あとで」の文法的説明は?

外国人に日本語を教えるバイトをしているのですが、説明に困ってしまい、どなたか教えていただけませんでしょうか?

「~上で、上の、上では、上でも、上での」という「上」と「~あとで」「~のちに」の違いを文法的にどのように説明すればいいのでしょうか?
例文としては、

・文法を勉強した上で、初めて新聞が読めるようになる。
・よく考えた上でのことです。

とテキストに書いてあります。
確かに「よく考えたあとで」とはいわないのですが、それを外国人にどう説明すればいいのかわかりません。

Aベストアンサー

「~上で」の意味は
…したのち(あとで)
だけではなく

…の結果として
という意味だったり、
そのニュアンスを含んでいます。

Q日本語の「おり」と「いる」について

特に新聞や論文などの文章で、
例えば、
「10年続いており、毎回100人が参加している」
といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。
「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。
新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。

辞書によると「おる」は
『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』
とあります。

「10年続いていて、毎回100人が参加している」
「10年続いており、毎回100人が参加しておる」
両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。
新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、
新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。
(「~しております。」のような、単独での使用は違和感を覚えませんが)

長くなりましたが
●両者を併用している理由は何なのでしょうか

ご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

 No.9でふれた菊地康人氏の『敬語』の記述について。

 詳しくは下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318~のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
(5)[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321~322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231.html

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
================引用開始
 本動詞の「おる」のほかに補助動詞の「~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。
 辞書の引用は末尾に。
『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。


【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
 この点について『大辞林』には下記のようにある。
================引用開始
自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
================引用終了
〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。
 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。
 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。
 ところが、〈1〉で見た6)によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。問題の根が深いorz。


【2】「おります」で丁寧な言い方?
『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。
『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。
 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。
〈1〉の1)で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。
 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。
 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。
「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。
「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。
 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。
 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。
 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。
 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。↑の「5分類」法と併せてウノミにすると相当混乱する。

 で、辞書の記述に戻る。それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。
(略)
================引用終了

 No.9でふれた菊地康人氏の『敬語』の記述について。

 詳しくは下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318~のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとて...続きを読む

Q「おいて」と「ついて」の使い方

文章を書くときの
「~について」と「~において」の使い分けがよくわかりません。
同じと考えていいのでしょうか?
厳密に言えばちがうような気がするんですが。
どうなんでしょ?

Aベストアンサー

再度お答えします。

「結局、「において」と「について」はどっちを使っても同じ場合があるということでいいのでしょうか」というご質問への回答は、「同じ」をどう解釈するかによるでしょう。

例えば、「ウサギは耳が長い」と「ウサギの耳が長い」は、大体同じことを言っています。普通の人に、それぞれの文が表していることを絵に描かせたら同じになるでしょう。しかし、後者では助詞「の」が、「ウサギ」と「鼻」の間に「ウサギが鼻を所有する」という関係があることを示しているのに対し、前者にはそれがなく、「ウサギ」と「耳」の関係は明示されていません。それと同じような違いは「について」と「において」の間にもあります。

「東京においては地価が高い」という場合、「地価」が「東京」という場所のものであることが示されているのに対し、「東京については地価が高い」では、「地価」が「東京」に関係するものであることは漠然と分かりますが、それ以上のことは不明です。

「彼が彼女にプレゼントをあげた」という文において、助詞「も」は、この文の「が」、「に」(「彼は彼女に<も>プレゼントをあげた」)、「を」の位置に置換または挿入できます。助詞「は」も、「が」「に」「を」の位置に置換または挿入できます。「について」という表現も、色々な助詞の位置に置換または挿入できるという点で、「も」や「は」に似ています。そして、「も」を置換または挿入した場合、英語のalsoのような意味が付加されます。

要するに、「において」が「について」に替えて意味が通る場合があるとしても、それによって表される意味には若干の違いがあるということです。

再度お答えします。

「結局、「において」と「について」はどっちを使っても同じ場合があるということでいいのでしょうか」というご質問への回答は、「同じ」をどう解釈するかによるでしょう。

例えば、「ウサギは耳が長い」と「ウサギの耳が長い」は、大体同じことを言っています。普通の人に、それぞれの文が表していることを絵に描かせたら同じになるでしょう。しかし、後者では助詞「の」が、「ウサギ」と「鼻」の間に「ウサギが鼻を所有する」という関係があることを示しているのに対し、前者にはそれ...続きを読む

Q「じゃない」と「んじゃない」の違いについて

こんにちは。 日本語に関する質問です。日本語の学習者に

Q「じゃない」と「んじゃない」の違いは?

と聞かれたら、どのように説明しますか。 ご回答・ご意見、お待ちしております。

Aベストアンサー

「じゃない」は助詞「では」の転化で、「ではない」そうじゃない=そうではない
いいじゃない=いいではない

「んじゃない」の 「ん」は「の」の転化

いいんじゃない=いいのではない するんじゃない≒するのではない

となります。

動詞には「んじゃない」で接続する方が多いとおもいますが

Aあのみちをまっすぐ行くじゃない。
Bあの道をまっすぐ行くんじゃない

では意味がちがいます。
Aはあのみちをまっすぐいくと
意志 推定の要素が強い

Bはあの道をまっすぐ行くのではないかしら
仮定 推量の要素がつよい。

兎に角例文を沢山作って類推する様にされたらいかがでしょうか。




例えば 笑うじゃない 笑うんじゃない

どちらも推量の意味のだとおもいますっが、んじゃないの方が柔らかい言い回しだと思います。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング