【大喜利】【投稿~11/1】 存在しそうで存在しないモノマネ芸人の名前を教えてください

夏目漱石が鬱から回復した時のきっかけが「もっと自己中心的に生きよう!」と言う考えの気付きだったと言います

私も鬱の気があり、人の目線や評価がとても気になったりします

勿論、傍から見れば「謙虚ぶってるけどお前だって中々のものだぜ」と言う、互恵的利他主義な部分が自分にもあるのは承知ですが

今回は「今の自分がもっと人目を気にしなくて済む方法」をこのカテの方々からお聞きしたいと思っています

嫌味な回答をされる方も多いので、こういう遠まわしな言い方になってしまいすいません

「こういう性格にすれば良いよ」と言うのは、またその性格にするまでの方法が必要となってきますので

「実際にこうすれば気にならなくなるよ」や「こういう考えをしてみたら?」等の実践的な方法を知っている方がおられましたら是非教えて下さい

A 回答 (6件)

私はアスペルガーです。

折り紙付の自己中な人間です。でも一見普通に見えるので、人と近しくなると性格にビックリされるんです。ビックリされると自己中もやりにくいので、分かり易く変な格好で暮らすようにしました。つまり看板に偽り無しです。見た目と中身が一致しているってだけで、受け入れられ易くなるんですね。
あなたも姿から、自己中にしてみては如何でしょうか?
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この回答へのお礼

素晴らしい回答!

そうですね!

まずは格好から入るのも良いかもしれませんね!

好きな格好をしてまずは生きていきます!

お礼日時:2013/05/09 18:00

 根本的な話ですが、ただ自己中を目指しても、他人に疎まれるだけですよ。


 愛されるキャラクターありきの天然や高い能力ありきの自己中心的な小説家と自分を照らし合わせて、「ただ自己中を目指す」ではあまりに早計です。
 能力や一般良識のない自己中はチンピラやヤンキーとなにが違うのでしょうか。それを目指すと言うのなら、利他を廃しすぐさま利己的な行動に移せば良いと思います。今現在学校か会社に迎合しているのならばすぐにやめて、自分の利益になる安穏の地を探すべきです。それがただ自己中になると言うことでしょう。

 自己中になりたいというのはそもそも、うつっ気があるから、それに抗う為ですよね。前提がそもそも変です。うつっ気があるのなら、うつにならないように心がける事がむしろ重要ですよね。
 人に嫌われない、人に好かれる生き方を目指すほうがよっぽど健全です。あいつ自己中だな、空気読めないな、と揶揄されながらうつにならない程自己中になることに意味はあるのでしょうか。

 偽善も善。おためごかしの優しさは他人にとっては多く本物の優しさです。多分あなたは他人から見て優しい人間なのでしょう。ただ、無理する事に疲れているだけではないですか? 報われない好意に嫌気が刺していませんか? 優しくなるほど、他人の身勝手は目に付きます。ただ、自分の優しさを自分の視点以外から見てください。自分が嫌らしいと感じる互恵的利他主義としても「謙虚ぶってるけど云々」と感じる人間なんて殆どいないです。あなたが思考をめぐらすほど、他人は思考を巡らしていない。
 哲学カテに質問を上げ、思考する実体を持ち合わせているのならば、答えを急がず最善の一手を思考すべきです。何も考えずに自己啓発本を読んで感化されるような真似をするのはもったいないと思います。自分で「自己中になる」よりも良い答えを見つけるべきです。

 答えと言うより前提の懐疑になってますが、以上です。参考にしていただければ幸いです。
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誰もが長島茂雄には、なれないかと思うのですが、


あの人にも悩みはあったのだと思います。
あれは、ジコチュウというより天然でしょうね。

漱石は晩年「則天去私」に至りますよね。
あの人の鬱は、明治と言う時代の青春が、近代化が急速に達成されて
その後の国や世間の向かう方向に、かなりの疑義があったからではないでしょうか。

後の荷風のような捻くれを気取っても、漱石はたくさんの門下がおり
孤立した世界観は建てられなかったから、解決法に苦しんだのだと思います。

荷風ははっきり、新しい物(明治)は嫌いだ、薩長は江戸を壊したから
嫌いだのスタンスを貫いた人ですが、漱石は国費留学生と言う優等生出身だけに
かなりのストレスで、胃に穴が開くほどであったのでは、ないでしょうか。

家族、係累を捨てる、捨てられるかが、ひとつのポイントだと思います。
反対に捨てられても、恨まない、愚痴を言わない、拘泥しないの3つが守れますでしょうか。
そうでない「なんちゃって」自己中くらいで、いくのも一つの手かも知れません。
出家というのも、甘くないけど、とりようによれば、究極の自己中かな。
これは「悟り」でしょ。

私のは嫌みな回答でないと思っていますが、攻撃的な挑発は誰しも嫌うでしょう。
それに怯(ひる)まないのも一種の自己中完結かと思います。
無視が良いのか、驕慢が良いのか、対決しないで、流してしまえる境地に達するべきか。
ひとえに自己中と言っても、色々なやり方があるのだと思います。
質問者さんが納得の行く方法を見つけないと、さらなる悩みが深まらないか。
漱石が達したのは、細かなことを気にしないようにするという、高み、境地を
見つけたのだと思います、
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この回答へのお礼

そうですか

そういう自己中もあるのですね

勉強になりました

そしてとても素晴らしい回答で、とても為になりました

ありがとうございます

お礼日時:2013/05/09 15:28

 こんにちは。



 漱石の《自己本位》の四文字は 
 ★ 「もっと自己中心的に生きよう!」と言う考えの気付きだった
 ☆ かどうかは 微妙です。

 言いかえると
 ★ 自己中心的
 ☆ という規定があいまいです。

 自己中心的であることが 一概にわるいと決められるとも思われません。

 《自己の考えと意志をとうとび むろん相手とのかかわりと そのまじわりの情況などを考慮しつつ マチガイのないかぎり 意志と考えをつらぬく》といった姿勢を この《自己を物差しとして情況の中心に置いて ともかく初めは 考えてみる》という行き方が 踏み出しの段階では 共通の内容として持っているかも知れません。
 持っていると思います。

 ということは 自己中心的だという場合にも その《自己という物差し》が かなり妥当な内容を持っていれば あんがい《相手の意向を顧慮しつつものごとを決め 互いにことをはこぼうとする》という踏み出しのあとの段階でも よい思想だと見られることさえある。のではないでしょうか?



 ★ 今回は「今の自分がもっと人目を気にしなくて済む方法」をこのカテの方々からお聞きしたいと思っています
 ☆ たぶん日本人で《世間の目を気にしない》人は きわめて少ないでしょう。
 ただし確かに そのように《気にしたあと》の段階は 人それぞれであるようには思います。

 たぶんわたしのように120%能天気で 放っておくような場合から どうしても頭の中に四六時中思いつづけるという場合まで さまざまなかたちがあるのでしょう。

 では どうするか?

 ひとつは そのものごとについて 徹底して答えの出るまで考え尽くしておくという手があります。
 自分の考えが間違っていないという結論を得たなら ひとまづそれで おしまいです。もう悩むことはしません。

 自分の考えがマチガイであったと気づいたなら 考えをあらためる。だけです。これで おしまいです。悩みは解消します。

 ってのは だめですか?






 もうひとつの側面ですが。
 ★ 人の目線や評価がとても気になったりします
 ☆ 《評価》は 単なるうわさであるものは別として 文章(発言)の責任者がわかっているほどの場合なら その評価の内容もあきらかなかたちで表現されているものと思われます。
 これについて どう考えるのが 妥当な答えなのか? これを考え 答えを出しておけば よいはずです。



 《目線》は 具体的な自分の状態や事情そしてあるいは相手や情況がいかにあるかといった具体的なことがらがからんでいると思われ 一概に答えを見つけがたい。まづ こう思います。

 ひとつ よいと思う解決法として思い浮かぶことは:
 こう思ってみることです。先の《評価》についてそれが《うわさ》である場合がありましたが そのようなウワサを何となく耳にするといった事態に似て 相手や第三者から《目線》を感じこれが気になるという場合には――ひとつの試みとしてですが―― その目線が言おうとしていることがら・つまりウワサの内容ともおぼしきことがら これが じつは自分(=質問者さん)のことではなく その相手のことだったという場合です。
 こういう場合は あんがい多いようなのです。あなたではなく 相手の人が自分自身について気になっていることであったり悩んでいることであったりする。こういうふうに 試みに思ってみるということです。

 つまり 自分(=質問者さん)のことではなかった。という場合があるということです。
 たとえ 相手だけのことではなく ご自身にもかかわっていると分かったとした場合 それでも ことはそのかかわりが五分五分であったり マチマチです。決して自分ひとりだけの問題ではない。こう知ることが出来たら まづは安心だと思います。

 意外と多いはずです。こういう事態は。
 ほんの部分的な場合だとおことわりしなければならないとも思いますが 事態のありさまが分かることに 何の不都合もありません。

 とりあえずここまでをお伝えします。


 あぁ ですから ものごとは何でも 関係において起きている。と知って 相手との関係をしっかりと捉えることが 肝心だと言ってよいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど

詳しい手法までありがとうございます

何度も読ませて頂き血と肉としたいと思います

自己中道もなかなか難しいですね

これから日々訓練に励みたいと思います

回答本当にありがとうございました

お礼日時:2013/05/09 14:50

自己中の言葉そのままだと思いますよ。


例えるなら他人が転んでも自分が転ばなければいい、と言った感じですかね。
他人の不幸は蜜の味。
口は弁護士心は詐欺師。
常に自分を中心に考えれば気にならなくなるでしょう。
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感じたまま行動する事です。


周りについて考えても、それを行動にフィードバックせず、
衝動的・感情的に意志決定すればいい。
深く考えると、人生を通算して最大の精神的充足量を得よう
とするなら、社会を維持し、他人と助け合って生きた方が
良くなり、「自己中心的」の意味する利己的な要素が、
利他的と合一となってくるので、あくまで短絡的に行動して、
短期的に自己満足して自分のクビを絞めるのが「自己中」です。
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