つい集めてしまうものはなんですか?

一度だけ魔法が使えるとしたら何をしたいか。小学生同士で話していたら、ある子が言った。「魔法使いにさせて下さいといって魔法使いになる」▼それがかなえば魔法は使い放題、なんでもできる。一同、「すごい」と盛り上がった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130604-00000 …
以上は、6月4日付け朝日新聞 天声人語からの抜粋です。
これを見たわたしの友人が、『この表現は間違いだ。「魔法使いにしてください」と言うべきだ」と言うのです。
わたしとしては、「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」では意味が微妙に異なり、それぞれどちらも正しい表現だと思うのですが、間違っているでしょうか。

ご参考までに、その根拠を以下に述べてみます。
「魔法使いにしてください」は、文面どおり「わたしを魔法使いという身分にしてください」という意味で、純粋に願い事をしているニュアンスでしょう。
「魔法使いにさせてください」は、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる、そういうことができる状態にしてください」というニュアンスではないかと思います。
「今のわたし」と「魔法使いになったわたし」のふたつが想定されているわけで、「今のわたし」をして、「魔法使いという身分のわたし」に(変身)できるようにしてください、という意味でしょう。
要点は、一発で魔法使いにして欲しいわけではなく、あくまで(呪文などの)自力を使って魔法使いになりたい、というニュアンスが含まれている、ということです。
自分で自分を変えさせてください、といったことになるでしょう。
しかも、「わたしにはそうした願望を実現するために自ら何かしたいという意志があるのです」という含みもあります。

どうも表現が未熟で明快な説明になっていないかもしれませんので、ちょっと他の例を挙げてみます。
「わたしをお金持ちにしてください」と言う場合、相手の力を一方的に借りてお金持ちになりたいというニュアンスになると思います。たとえば、お金をください、という意味だったりする場合に使うわけでしょう。
「わたしをお金持ちにさせてください」は、「わたしは自分でお金持ちになりたいと思っています。わたしが努力すれば、自分自身をお金持ちという身分に変身させることができる、そういうことができる状態にしてください」というニュアンスではないかと思います。
「今のわたし」と「お金持ちになったわたし」のふたつが想定されているわけで、「今のわたし」をして、「お金持ちにする」ことができるようにしてください、という意味になるでしょう。
「お金持ちになるために、色々な努力をする覚悟はあります。しかし、そちらの認可がおりないと、わたしの計画は前に進みません。どうか、わたしをお金持ちにさせてください」という具合に使います。
つまり、わたしをお金持ちにするのは、あくまで「今のわたし」です。
頼みごとをしている相手に直接的に(お金をもらうなどして)お金持ちにしてもらおう、という意図ではありません。
この点で、「わたしをお金持ちにしてください」とは意味が異なるわけです。

いずれにしても、「魔法使いにさせてください」という表現は可能だと思うのですが、みなさんはどう思われますか。

A 回答 (27件中21~27件)

先日も同様の質問がありましたが、私はこの「させてください」は誤用と感じています。


「私に魔法使いをさせてください」なら、役の割り当て希望の場合などで言いますね。「する」の使役+謙譲表現ですね。


ちょっと探してみると、参考URLのベストアンサー回答が見つかりました。
それによると、「ならせる」から変化した間違い表現のようですね。
「誰かを〇〇にならせる」は旧来の日本語表現ですが、「ならせる」が時代の変化で「する」という変化に置き換わり、つまり「誰かを〇〇にする」と変わってきた。
さらにそこで、自発的「する」の丁寧表現としての「させる」と混同が起きたため、「誰かを〇〇にさせる」といった似非丁寧語という誤用が生じた、という流れのようです。

参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「誰かを〇〇にならせる」は旧来の日本語表現ですが、「ならせる」が時代の変化で「する」という変化に置き換わり、つまり「誰かを〇〇にする」と変わってきた。

そうでしたか。大変参考になります。

>さらにそこで、自発的「する」の丁寧表現としての「させる」と混同が起きたため、「誰かを〇〇にさせる」といった似非丁寧語という誤用が生じた

ここはちょっと合点がいきませんね。
たとえば、「なぜか踊りたくさせる阿波踊り」という文の場合、踊りたくさせるのは、歌のリズム、あるいは囃子や鉦の音、果ては熱気、といった目に見えないものであり、それらによる使役表現だと思います。
目に見えないものが使役するのはおかしいと決め付けてしまうと、「なぜか踊りたくなる阿波踊り」という表現にすべきだということになってしまうわけです。
そうしたものや雰囲気に重点を置きつつ、それらよって自らの気持ちが高揚していく様を表わすには、「踊りたくさせる」と表現せざるを得ないと思うのですが。

「目に見えない」ということに関連して申し上げれば、「魔法使いにさせてください」は目に見えないもう一人の自分を想定していることになると思います。
「自分を励ましつつ山道を登った」「そんなことをしてはいけないと自分自身に言い聞かせる」などと同様、行為者としての自分と行為の影響を受ける自分が、そこにはいます。
「わたしを大統領にしてください」は、「みなさんがたくさん投票してくれれば、その結果として自動的にわたしは大統領になれます。みなさんの投票によって、わたしを大統領にしてください」といったニュアンスでしょう。
「わたしを大統領にさせてください」は、「わたしは、どうしても大統領になりたいし、その努力もします。しかし、みなさんが一生懸命応援してくれないと、その努力も無駄になりますので、どうかわたしを応援して、わたしが大統領になるための環境を整えてください」というニュアンスになると思います。
前者は、「相手の力に一方的に頼る」というイメージで、後者は、「わたしは自分の願望を叶えるためですから、むろん、必死で努力しますが、そのためにはみなさんに環境を整えてもらうことがぜひ必要です」といったイメージ。
「させる」には、「自ら望むがゆえに自ら努力する」という要素が前提として含まれていると思います。
ですから、たとえば、自分が石になることを希望して、しかもそのために自ら努力する、というシチュエーションは考えにくいため、「わたしを石にさせてください」という表現は不自然になります。
自分が石になることで誰かが助かるなどの条件で、やむなくそうせざるを得ないような場合に、「わたしを石にしてください」のように表現することになるでしょう。

「魔法使いにさせてください」の場合、自分が「魔法使いになりたい」と願えば自分を魔法使いにすることができる、そのような状況にしてください、といったニュアンスになると思います。
最初から「魔法使いにしてください」と言うほうが手っ取り早いだろう、という考え方もあるわけですが、「自分が願う」という行為に着目するほうが自然なシチュエーションではないでしょうか。
なぜかというと、もし叶ったとすれば、「魔法使いになりたい」と願った行為自体がすでに魔法使いの行為そのものである、ということになるからです。
魔法使いになりたい、と自分で願って、自分自身を魔法使いにする。
願えばそのようになるように環境を整えて欲しい、という願い事が「魔法使いにさせてください」というわけです。
いずれしても、「(人などを)~にする」という用法が辞書にある以上、その使役形が成立するのはむしろ自然ではないかと思うのですが・・・。
「自分で自分を奮い立たせる」は慣用句ですので二人の自分が素直に受け入れられると思いますが、「自分で自分を~にする」という構図が見落とされがちなだけなのでしょう。
「自分で自分を~にするための環境を整えてほしい」が「させてください」ということになると思います。

お礼日時:2013/06/07 16:31

使役や(今回は関係ありませんが)受け身は間違えやすいものです。

子どもだけでなく大人でもうっかり間違ってしまうことがあり、それでも前後の流れから内容は伝わり誤解に至らないことが多くあります。

この場合、子どもの発言をそのまま載せた可能性が高いと考えます。文法的な誤りは訂正されることも多いのですがそれに気づかなかったのか、それとも「原文」として尊重したのか(「原文ママ」と入れるようなケース)は分かりません。


>「魔法使いにしてください」は、文面どおり「わたしを魔法使いという身分にしてください」という意味で・・・(1)

>「魔法使いにさせてください」は、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる、そういうことができる状態にしてください」というニュアンスで・・・(2)

便宜上番号を打たせていただきます。


(1)の「してください」は「しろ/せよ」を丁寧に言ったもので、もとは「する」。AをBにする(変える)ということなので「あなた(=願いを叶えてくれる存在)が僕を魔法使いに変える」を丁寧な命令文にしたものであり、おっしゃる通りのことと思います。

(2)確かに話の流れの中では通じるし、“指摘したくなるような誤り” とは言えないようです。ではこれはどうしてかを考えていくと説明のしにくいことが現れます。

「させてください」は「させろ」を丁寧に言ったものでもとは「させる」です。「させる」は使役で「人にさせる」であり、「人に」は文脈から明らかであれば、他者でも自分でも省略可能。願い事という以上、「魔法使いに」が他者であるはずがなく「僕に」が省略されているとか考えられない。

そこで、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる」を一言で言うにはどうするかと考えると、それが思いつきません。「魔法使いになる」は単純過ぎ、また自分の能力というニュアンスが強く出るように感じます(この場合「ならせてください」となるでしょう)。セオリー通りに考えると「(僕が)魔法使いにする」がそういう意味を持ってしまうことになりますがそんなことはありません。「僕が僕(自身)を魔法使いにする」の目的語「僕(自身)を」を省略したもの「(僕に僕自身を)魔法使いにさせてください」と考えるのもこじつけのようです。

また、この願いから丁寧さを取り除いたらどうなるか。「魔法使いにしろ」は通じますが、「魔法使いにさせろ」が果たして意図した意味に通じるかは非常に疑問です。自分以外の他者である魔法使いにさせる Let/Make the wizard do it! の意味にしかならないと思います。

つまり、(この手のお願いは多少なりとも他力本願であるものですが)「魔法使いにしてください」はあまりに他力本願な響きがあり、「ならせてください」は何となく使いにくい(考えてみればあまり聞いたこと、見たことがありません)、「なりたいのですが、どうかお願いします/許可してください」を簡潔に言おうとして発生した表現ではないかと思われます。「(になるためにすべきことを)させてください」とも、また「させていただく」の丁寧なニュアンスが影響を与えたとも考えられます。丁寧さが要求されるので「させろ」はなじみません。

結局のところ、適当な簡潔な言い方がないためそこを埋めるべく発生したもので、分析すると誤りとしか言いようがないが、しかし現実には通用するものと言えるでしょう。

初めに戻りますが、件の小学生がこういうニュアンスの差を考えてこの表現を選んだとは考えにくく、単なる間違いか、あるとしても何となく丁寧にしようとして「させて」が入ってしまったくらいに考えます。

新聞の記事としてはやはり何らかの訂正を施すか、原文を尊重した旨を付け加えるべきであったと思います。メディアというものはそれがどんなに批判すべきところがあっても文字や音声になって広まるとそれが「お手本」になってしまう可能性があります(主張や内容に対する批判は起きてもそこで使われた言葉自体は受け入れるつもりはなくても広まってしまうものです)。現に違和感を覚える人がいるということはそういう表現を広めるべきではない、紙面に載せていいのか検証する必要があると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そこで、「わたしは自分で魔法使いになりたいと思っています。わたしが何か呪文でも唱えると、自分自身を魔法使いという身分に変身させることができる」を一言で言うにはどうするかと考えると、それが思いつきません。

率直なご意見をありがとうございます。
「自分で自分を~にさせてください」という思考法が不自然だとお感じになっているのだと思います。
しかし、たとえば、「山で遭難したが、自分で自分を励ましつつ1週間を乗り切った」という表現は自然にお感じになるはずです。
若干異なりますが、「励ます自分」と「励まされる自分」、二人の自分がここでは想定されていることになります。
他では、「自分に言い聞かせる」は「自分が自分に言い聞かせる」という意味でしょう。「誰が自分に言い聞かせたのか?」などという突っ込みを入れる人は居ないはずです。
「魔法使いにさせてください」も、これと似ています。
「あなた(=神様など)の力で、わたしがわたしを魔法使いにすることができるようにさせてください」
といったニュアンス。
この小学生は、「わたしは魔法使いになりたい」と自ら願っている場面を想像しながら願い事を(実際にどうかは別にして)した、と考えると理解しやすくなるように思います。

>丁寧さが要求されるので「させろ」はなじみません。

他にも、同じようなご指摘がありましたが、丁寧語とは無関係ですし、それと混同しているわけではありません。

>現に違和感を覚える人がいるということはそういう表現を広めるべきではない、紙面に載せていいのか検証する必要があると思います。

わたしは新聞をとってませんし、朝日の肩をもつわけじゃないんですが、違和感を覚えるというのは、おそらく、理屈で考えてしまうからではないか、と思います。
理屈で考えると、たとえば、「なぜか踊りたくさせる阿波踊り」という表現はおかしいと言う人が出てきたりします。
自分が踊りたくなっただけで、誰か他の人に踊りたくさせられたわけじゃないだろう、という理屈です。
ただ、阿波踊りの音楽や、笛や太鼓の音などによって、踊りたいような気持ちにさせられる、というだけのことなのですが、それが目に見えないために、「なぜか踊りたくなる阿波踊り」という表現じゃないとイカン、ということになってしまうわけです。
ちょっと脱線してしまいましたが、要するに、「魔法使いになりたいと唱える自分」をこの小学生は夢見たのでしょう。
結果的に、その(自分自身の)願いごとによって「魔法使いにさせられる(現時点ではまだ目に見えていない、もう一人の)自分」も同時に想定されているわけです。
そうした一連の流れを思い浮かべつつした表現が「魔法使いにさせてください」だと思います。
子供の想像力という点で、こちらのほうがむしろ自然な表現になるように思います。
  

お礼日時:2013/06/07 17:42

『天声人語』の例で言えば確かに「魔法使いにして下さい」の表現が簡潔だとは思いますが、「魔法使いにさせてください」も実際にもよく使われる表現であり、どちらも正しい、と私も考えます。



質問者さんが挙げられた「魔法使いにさせてください」と「魔法使いにしてください」のニュアンスの違いについても、全く同感です。

質問者さんが挙げた「お金持ちにさせて下さい」と同じような例を私も考えて見ました。

例えば……医学部を受験したい息子が、反対している父親をさんざ説得したあげく、
・「父さん、頼むから僕を医者にさせて下さい」
……これなどは全く違和感がないと思います。これが
・「父さん、頼むから僕を医者にして下さい」
では、ドラ息子が親に泣きついているようで、意味合いがかなり違ってしまいます。

「魔法使いにさせてください」の表現に違和感を覚える方は、「~する」「~させる」の使い方として「仕事をする」「仕事をさせる」などの用法だけにこだわっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

医者の例はわかりやすいです。
「父さん、頼むから僕を医者にして下さい」の場合、「裏口入学の金を払ってよ」といったニュアンスでしょうね。
#4さんへのお礼欄でも述べたのですが、「してください」が一方的に相手に頼るというニュアンスになるのに対して、「させてください」は、自分の願望を叶えるための努力はあくまで自分でするが、そのための環境を整えてほしい、という願いごとだというニュアンスになるということを、改めて検証していただいたと思います。

お礼日時:2013/06/07 15:13

魔法使い。

。。。 と お金持ちに。。。 のご説明で微妙な意味の違いが よく分かりました。

正確には 願い事であれば 「して下さい。」 が直接的で正しいようですが、 現在はかなり混同がすすんでいる様ですね。
「説明します」 も 「説明させて頂きます」 が普通に聞こえてしまうし、「説明いたします」 でいいのではと思ったりもします。

社会での使用が混同している状態でも学校では可能な限り、原則となる言葉を教えていった方が良いと思います。

現実的にはどちらも通じますね。

蛇足ですが
魔法使いにしてください(させて下さい) のくだりから  テーブルタップの差し込みを自分のコンセントに入れてエネルギーを得ようという試みを想像します。
以上、蛇足でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>正確には 願い事であれば 「して下さい。」 が直接的で正しいようですが、

そうですかね・・・。
「お金持ちになるために、色々な努力をする覚悟はあります。しかし、そちらの認可がおりないと、わたしの計画は前に進みません。どうか、わたしをお金持ちにさせてください」というシチュエーションは結構あると思いますし、やはり、ここは「お金持ちにさせてください」でなくてはならないと思うのですが、この場合でも、「お金持ちにしてください」のほうが適切だと思われますか。
「~になる」ということに関する願い事なわけですが、相手の力に一方的に頼って叶えようとしているのか、自分の力で叶えるつもりだが、そのための環境を整えてくださいという願いごとなのか、という違いは現実的な局面として普通に生じているように思います。
わたしたちは無意識的にそれを使い分けているはずなのですが、何しろ無意識のことなのでなかなか気づきにくい面がある、ということではないでしょうか。

>テーブルタップの差し込みを自分のコンセントに入れてエネルギーを得ようという試み

回りくどいことをしている、という意味だと思うのですが、実際問題としてわたしたちの心理は、そのように動くことがあると思います。
たとえば、「自分自身を勇気付ける」「自分自身に言い聞かせる」などという表現があるでしょう。
このように、行為者としての自分と行為を受ける側の自分という二人の自分を想定した考え方は、むしろ自然だと思いますがいかがでしょうか。
  
  

お礼日時:2013/06/07 15:02

 こんばんはhakobulu様。

たびたびお世話になっております。
少しばかり、ご質問の趣旨とは異なるかと存じますが、それをお含み置きのうえで、お気に召さねば削除を依頼してください。
 さて、結論からいえば「魔法使いにさせてください」との表現を僕は自然だと解釈しております。この言葉が「物語の文章」中にあったとするなら、そこにはこの話し手の叶わぬ願い(英語ならば仮定法の表現)とも受け止めることも可能だからです。
 普通の人間が、自らの能力とはかけ離れた望みを願う時、私たちはどうするでしょう。たとえ少しでも1パーセントでも可能性が残されていると信じたい、その一方で冷静に考えてみるならば、それはどうにも不合理である。そして自分自身もそれに気付いていながら、でもその理不尽な願いを叶えてはもらえないだろうか、誰かに聞き届けてもらえないだろうかとのそれこそ一縷の望みを託す。そのためのチャンスを一度だけ与えてはもらえぬだろうか、とのまことに切ない言葉ではなかろうか、と感じています。
 見果てぬ夢を叶えるなら、他の全てを失っても構わない、それほどの覚悟がなければこうした言葉が輝きを放つことはないでしょう。
 冷静なロジックも必要ですが、言葉に魂を吹き込むのはやはり読み手と話し手、あるいは聴き手の感性に最後は頼らざるを得ない。もしロジックだけで読み解くなら、それは言葉をパターン分類するだけの記号論的な処理になってしまいかねないとの危惧を持っています。そしてその感性を支えるには文法というより論理といった歩法が適切かもしれませんが、何らかの形で担保することにより、それを揺らぎないものとするだけの根拠にもなる。
 仏造って魂入れず、との言葉もあります。仏の姿を燃した木像や金銅性の塊を持仏道堂安置しても、果たしてそれが仏といえるだろうかとの疑問もあります。たとえそれが柊の枝や鰯の頭であっても、何かしらの願い事を一心不乱に願う人にとっては有り難い存在ともいえましょう。仏像の本質が仏の慈悲を求め、仏の徳を讃えるためのものであるなら、僕はそうした手近なものを仏の姿に擬えるとの考え方も強ち間違いであるとはいえないと理解して居ます。
 文脈の中で言葉を読まねば、その言葉も生命を失ってしまう。それでは言葉に対し非礼を働いているのではなかろうかとも考えます。
 取り留めのない話になって申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

興味深く拝見いたしました。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/06/07 14:43

こんばんは。

まだこだわっていらっしゃいますね。
私には、させてくださいが、不自然には聞こえません。、
魔法使いが単なる名称ではなく、魔法が使えるという中身があるからだと思います。
そうすると、私が魔法を使えるようにさせてください。という
ヘリくだっって願う云い方だとおもえるからです。
でも人の感じ方ってさまざまですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そうすると、私が魔法を使えるようにさせてください。という
ヘリくだっって願う云い方だとおもえるからです。

それほど思い入れの深い場合に使う、ということですね。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/06/06 21:20

「~~にさせてください」と言う表現は、誰かに何らかの行為を行わせたい時に使用する表現です。



例:
「この魔法は、西の森の魔法使いなら解けるので、魔法を解くのは、西の森の魔法使いにさせてください」

この文例では「誰かが西の森の魔法使いになってしまう」なんて事は起きません。西の森の魔法使いは「すでに居る」のです。

なので、新聞の表現、貴方の表現は、使い方が間違っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「~~にさせてください」と言う表現は、誰かに何らかの行為を行わせたい時に使用する表現です。

その用法もありますね。
この場合は「させる(する)」は、「何らかの行為をさせる(する)」という用法になると思います。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
の2-(1)、または2-(2)に該当するでしょう。
今回の場合、同辞書の2-(3)にある『(多く「…を…にする」「…を…とする」の形で)人や物事を今とはちがった状態のものにならせる。』
という用法になります。
「息子を先生にする」「彼を会長にする」などという例が挙がっているようです。
ご投稿の例文になぞらえれば、
「この難問は、森の魔法使いになれば解けるので、わたしを森の魔法使いにさせてください」といったところでしょうか。
「すでに居る」人が何かを「する」というのではなく、「人を何かにする」という用法の「する」についてお伺いできれば幸いです。
  

お礼日時:2013/06/06 21:05

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