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神社に以前お願いしたことについてのお礼に行くとき、
御祭神が同じならば違う神社にお礼に行っても大丈夫なのでしょうか?
それともそれぞれ神社ごとに御祭神とは違う別の
神社ごとの神様などがいらっしゃったりするのでしょうか?

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A 回答 (5件)

おれいにいくなら、別人のところにいかないでしょう。



お参りした神社に行くのが筋です。
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この回答へのお礼

>>別人のところにいかないでしょう。

祭神が同じというのなら同一の神ですよね?
できればその別人という理論について知りたいです。

お礼日時:2013/06/27 23:26

遠くまで行けない人は、近くの同じ祭神の神社へ行っても一向にかまいません。


でなければ、分霊(みたまわけ)なんてことをするわけがない。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E9%9C%8A
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この回答へのお礼

分霊はそういう事情なのですね。
参考になりました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/16 15:31

>御祭神が同じならば違う神社にお礼に行っても大丈夫なのでしょうか?


ええ?何でお願いしたところと違う神社に行こうと思ってんの?
そもそもその理由は何よ?

遠方過ぎてどうしても行けない場合以外はお願いした神社の神様に
お礼すべきでしょ。

同じ名前の神仏でも祀られている場所毎に活動されているわけだから
どうしてもやむをえない事情がない限り基本的にはお願いした神社に行くべきです。
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この回答へのお礼

>>遠方過ぎてどうしても行けない場合以外は

お察しの通り理由はそれです。
出来ればどうして御祭神が同じでも違う神社だといけないのか、
具体的な理由が知りたかったです。
でも、常識的にはいけなかったのですね。
お答えありがとうございます。

お礼日時:2013/06/13 19:56

本来はお願いした神社にお礼に行くのが礼儀です。


お願いするときだけ遠方でも行くのに、イザお礼の段になって近くで済ませる・・それなら何故わざわざ遠くまで行くのかってことです。人の道であればこそ、その態度を神に示すべきではないでしょうか?礼節という物を弁えていれば当然わかると思います。

特に関東では多くが分祀されている神社。旅というものが大変だった時代に講を設けて代表が本宮に赴き、御霊を分けて頂いて持ち帰り祀ったのが地域の神社、或いは新興地でどうしてもその神様の御威徳で護ってもらいたいと招いたのがその地域の神社です。浅間神社もそうですし、八幡宮や諏訪神社などがそうですね。
例えば東京大神宮にお参りすると言うことは伊勢の神宮に参拝したのと同じことなんです。
逆に言えば、祈願をするのにわざわざ伊勢の神宮まで行かなくても東京大神宮で充分という事でもあります。
そして地元の分宮を通り越して本宮に行くならお礼も本宮に行くのは当たり前だということなんです。

しかし、例えば子宝祈願等では子供が出来れば遠方まではきつい。希望を叶える為にどうしても遠方に行かなければならなかった・・、例えば九州沖縄の人が福島復興の手伝いをしたい。その願いが叶うのは福島。そんなやむをえない場合には同じ系統の神社でも構わないと思います。
例えば、八幡宮であれば同じ八幡宮、伊勢の神宮であれば神明社という具合ですね。

近くにどうしても見つからない場合、たとえば神奈川に集中している杉山神社など・・このような場合は他地方に行けばなかなか見つかりません。だからどうしても杉山神社を探さねばならないということではないでしょう。

要するに「怠惰」を考えるなという事です。最初から「どこでもいいんだ」と考えるのなら遠くに神社に祈願する必要も無いわけですから、ハナからそういう考えならご利益ではなく、成り行きでしかないと思います。
そしてとりあえず近くに神社の御礼をしたら、機会を見つけて祈願したところにも参拝させていただくことです。
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この回答へのお礼

当然わかるとか当たり前とかそういう常識的な考えからではなく、
出来れば学問としての神道的な見方で、どのような理論で
御祭神が同じでも神社が違ってはいけないのか知りたかったです。
「怠惰」が問題ならばお礼を述べる時に「あえて」遠くの違う神社に行けば
「怠惰」ではないですよね?
その辺の疑問をといてもらいたかったです。決して怠け心からの質問ではないです。
お答えありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 20:02

日本の神道は結構適当なので、その辺はご自由に。


祈りを捧げる対象が同じでも上げるお経が異なると、全く違う宗教になるんですがねw
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この回答へのお礼

いえ、学問の神道として正確な知識を知りたいです。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2013/06/13 20:04

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Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

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私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

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浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

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真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

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Q複数の神社にそれぞれ別の願いをする

同じ願いを複数の神社にするのはダメだと聞きましたが、
それぞれ別の神社に、別の願いをするのは大丈夫でしょうか?

どうしても願いたいことが2つあります、一つは体のこと、もう一つは人生のことです。
ご利益のある神社何箇所かにお願いしようと思っています。

どなたか教えて下さい!

Aベストアンサー

>同じ願いを複数の神社にするのはダメだと聞きましたが、
>それぞれ別の神社に、別の願いをするのは大丈夫でしょうか?
どっちも問題ないと思いますよ。

問題があるとしたら願いが叶ったら「お礼参り」に
残念ながら叶わなかったら「願解き」のお参りに行かない事です。
結果の是非によらず必ず2回目のお参りに行って下さい。

私の家族の実例ですが妹が生まれた時に、ある頃から母乳を飲まなくなり
日に日に弱ってきて困った母親が神仏と会話できる天台宗の方に
(私の過去の書込みに何度も登場してもらってますが高齢で既に故人です)
神仏に訪ねてもらったところ、私の父親が安産祈願のお礼参りをしないので
神様に怒られていたんです。今では笑い話ですが当時、父親は
この天台宗の方を通して神様にめちゃくちゃきつく怒られたそうです。

日本の神様は喜怒哀楽があって結構人間チックな面がありますよ。
荒い(キツイ)神仏だとはっきり現象面で目に見えて影響が出ます。
(逆に辛坊強くて当の本人には影響なくて子孫の代に影響出るのも困りますが・・・。)

Q神社のお参りのはしご

今度友人と、ある神社へお参りに行くのですが
友人が、その後近くにある別の神社へも行きたいと言います。
それは紅葉が有名らしいので挙がったのですが。

これは双方の神様に失礼にあたりますか?
もっとも、神様はそんな事で怒ったりしないと思いますが、
何となく気になったので相談しました。

それと同じ内容で、例えば、
縁結びの神社やお寺を複数まわるのもどうなのでしょうか?

詳しい方、お願いします。

Aベストアンサー

あちこちに祈願をかける訳でもないし、もみじ見学に訪れるのであれば、「いつも御見守りありがとうございます。本日はお庭を拝見させて下さい」と挨拶すれば、構いません。人の庭が綺麗だからといって、勝手に入り込むのは失礼でしょう。
 本来、神社詣では日頃の見護りに感謝するために行くので、お願いが主ではありませんから、いくつお参りに行っても神様が喧嘩などするはずもありませんし、「あそこの神が護っているから、俺は護らない」なんて神様が居るはずもありません。また、もし喧嘩するのなら年に一度出雲に神様達が集まる筈もありません。
 でも、もし、貴方が有力者で、誰かが何か目的を達成する為にあちこちに願い出たら「私だけじゃ信用できないのか」と思うのではないでしょうか?「いくつもお参りしてはいけない」という俗説はそんな人間の感情から生まれたものです。
 同じ感情で言えば、仏教の方が開祖の思いは強いはずです。事実今の世の中でも背を向け合っている宗派があるくらいですから。そう考えれば御寺参りの重複のほうが慎重にしなければならないのではないでしょうか。

 私は神社の写真を撮るのが趣味なので、少ない休日にはいくつもの神社を回ります。そのつど100円の賽銭(自分で決めている)で上記の挨拶をしてから撮影をしています。帰りには「ありがとうございました。お邪魔しました」と挨拶をして帰ります。

あちこちに祈願をかける訳でもないし、もみじ見学に訪れるのであれば、「いつも御見守りありがとうございます。本日はお庭を拝見させて下さい」と挨拶すれば、構いません。人の庭が綺麗だからといって、勝手に入り込むのは失礼でしょう。
 本来、神社詣では日頃の見護りに感謝するために行くので、お願いが主ではありませんから、いくつお参りに行っても神様が喧嘩などするはずもありませんし、「あそこの神が護っているから、俺は護らない」なんて神様が居るはずもありません。また、もし喧嘩するのなら年に一...続きを読む

Q神社の参拝は最寄が良い?

神社の参拝を毎日の習慣にしようと思っています

参拝は最寄の神社が良いでしょうか?

住んでいるアパートから20秒の位置に小さな神社があります

神主さんもいないような小さな稲荷神社です

一応管理されている神社です

それとは別に自転車で10分位の所にその地域の氏神様を祭る大きな神社があります

氏神様に参拝すると良いと神主さんに聞いたことがあります

今まで何度か近場の神社に参拝しておりますので

途中から別の神社に変えるのはマナーに反するでしょうか?

ひとつ気になるのは近場の小さな神社には

左衛門の首洗い場 という立て札が立っております

一応、神社検索にもひっかかる管理された稲荷神社ですが

参拝するようなところなのでしょうか?

Aベストアンサー

稲荷神社の稲荷とは低級な自然霊であり、礼を尽くすのは構いませんが、最悪なのはお祈り、願い事をすることです。もし叶えられたら、それに見合う対価を要求されます。家族の命や自分の五体のどこかを失う可能性もあります。ただ感謝の念をのみ祈念することです。

氏神様に参拝するのは大変良いことですが、やはり願い事をしても無意味です。ただ、いつも見守っていただいている、生かしていただいていることに感謝の念を祈念することです。

それから、御先祖供養をすることです。御先祖供養をしない氏神信仰は無意味です。御先祖→産土神社→氏神様→各地域一宮神社→伊勢神宮→天照大神→天之御中主神という気線が張られています。まずは御先祖と御自分の気線をきちんと通しておくことが大事です。御先祖様に「生かしていただいてありがとうございます」と供養することが大事です。そうすると氏神信仰も生きたものとなります。

Q同じ名前の神社はつながりがあるの?

変なタイトルですが例えば稲荷神社とかありますよね。
稲荷神社は全国にありますけど同じ稲荷神社でもそれぞれつながりがあるのでしょうか。
それとも独立しているのでしょうか。
稲荷神社じゃなくてもいいですけど香取神社とか諏訪神社とかその他。
それぞれの神社はつながりがあるのでしょうか。
どなたかわかる方教えて下さい。

Aベストアンサー

つながりはありますが、厳密に言うと独立しています。

神社の場合、元の神社があり、総本社とか総本宮といいますが、
そこからわけて祭ることを本社側からみて分祇(ぶんし)といいます。
分祇されたほうは、本社から勧請(かんじょう)するのです。

例えば、一番多いといわれる八幡(宮)神社の場合、
総本社は、大分県の宇佐八幡で、そこから京都の石清水八幡が分けられ、
さらに、石清水から鎌倉の鶴岡八幡が分けられました。
つまり、分家の分家です。

同じように、稲荷社の総本社は京都の伏見稲荷であるし、
諏訪社の総本社は長野の諏訪大社です。

つまり、同じ名前の神社があったとすれば、
総本社とつながりがあるとみてよいと思います。
ただ、直接分けられたのか、分家の分家なのかはその神社の成り立ちを
調べないと分かりません。

また、住吉神社などは、総本社格が、大阪・山口・福岡と分かれてあり、
どこから勧請されたかをよく確かめないと分からない場合もあります。

さらに、熊野神社は和歌山県と島根県に総本社があるのですが、
双方の関係がよく分かっていないようです。

出雲大社は、出雲教・出雲大社教という神社本庁とはなれた宗教を、形成していて、
また、違った形態を持っています。

ただ、仏教の場合は、(総)本山があり、系列寺院があって、人(人事)・金が
本山の影響を受けるのと違い、神社は独立していますので、
総本社と交流はあったとしても、影響は全くと言ってありません。

伏見稲荷大社のHPをURLに入れておきました。
勧請についても解説しています。

参考URL:http://inari.jp/

つながりはありますが、厳密に言うと独立しています。

神社の場合、元の神社があり、総本社とか総本宮といいますが、
そこからわけて祭ることを本社側からみて分祇(ぶんし)といいます。
分祇されたほうは、本社から勧請(かんじょう)するのです。

例えば、一番多いといわれる八幡(宮)神社の場合、
総本社は、大分県の宇佐八幡で、そこから京都の石清水八幡が分けられ、
さらに、石清水から鎌倉の鶴岡八幡が分けられました。
つまり、分家の分家です。

同じように、稲荷社の総本社は京都の伏見稲荷で...続きを読む

Q複数の神社にいくのは良くない?

お願い事があって、どうしてもかなえて欲しいのですが
複数の神社にお参りにいくのはよくないことなのでしょうか?
お守りもいくつも持つと神様が喧嘩するから・・・という話をきいたことがありますし。
でも、某神社にいったときに「神様はそんなに心の狭い人ではありませんから
どうぞ、あちこちの神社をお参りしてください」と言われたこともあります。
実際はどうなのでしょうか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

多くの神に願いをかけると神様同士が喧嘩するというのはただの俗説であって神道書に書かれてはいません。
日本では『八百万(やおろず)の神』と言って数多くの神を集合的に信仰する伝統がありますし、皇室も徳川幕府も古くから数多くの神社を建立したり寄進を続けました。
日本武尊は『古事記』の中で転戦する土地々の地神に願をかけ、また那須与一も『平家物語』の中で複数の神(南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権 現、宇都宮、那須の湯泉大明神)を祈願して見事扇の的を射落としました。
悪いことではありません。

Q神社に行くと、ふらつきや意識が軽く飛びそうに

たまに神社やお寺にお参りに行きます。神頼みですね。

僕の住む近くにある神社は日本でとても有名な大きな神社もあるし、護国神社や、大きな寺もあります。


以前僕は、神社の作法も全く知らずに、神社の参道の真ん中は神様の通り道だと知らずに、堂々と歩いていました。

その時、脈動が少々荒くなったり、意識が上に押しては引いてというような、何か頭に引っかかってる意識を何かが取ろうとして、ぐいぐいと引っ張られるような感覚が多々あります。

後に参道の真ん中は歩いちゃいけないと知った後も、端を歩いていても、その症状は起きてます。軽かったり、少し強かったりと。


今年も厄除けの為に護国神社にお参りしたのですが、そこでも起きました。印象深いのは、手水場にて、コピー用紙にコピーしてきた手の洗い方を見ながら洗った時です。心臓が裏返るというか、ドックンと強く一回脈打ち、意識持ってかれるじゃねえかってドキドキするくらいな鼓動と意識の揺らぎが起きました。


話が少し変わりますが、今日、霊視が出来るとされている方に守護霊様を見てもらったら、僕は30人か50人に1人と、稀有なのかどうかわかりませんが、兎角珍しい守護霊様が側にいらっしゃって、女性の観音様か神様か、よくわからないが、良い霊様がいるよと教えていただきました。あと、まだ死んでないのに祖母が守ってくれてるとか。父方か母方の祖母どちらかは聞きそびれてしまいましたが。


そしてもう一つ、僕が小さいときに友達と大きな神社で行われた祭りに参加したとき、友達がデジカメを持ってきたので、写真をバシバシ撮ってたのですが、巫女さんが舞をしてる姿を写した写真にはオーブが沢山あって、それならまだ分かるのですが、しかし僕が映る写真にはオーブが沢山あったことを覚えてます。他の友達が映る写真にはオーブはないに等しいのに、僕には沢山写ってたそうです。


と、質問に関係ありそうな話を記述したところで。


心霊や精神世界に詳しい方がいらっしゃったら、お答えください。神社に行ったら上記の症状が起こるのは、一体僕に何が起きているのでしょう。

なんというか、その症状があるから怖いとかは分かりません。恐怖というよりは、なんだこれはと、非日常な世界に少し馬鹿みたいに楽しんでる部分もあります。

しかし、実は神社の神様達から「お前礼儀知らずだな」とか怒られてるのではと考えたら、申し訳ないです。作法とか中々覚えられなくて、毎度参ったら失敗してる感がありまして。

ご回答お願いします。

たまに神社やお寺にお参りに行きます。神頼みですね。

僕の住む近くにある神社は日本でとても有名な大きな神社もあるし、護国神社や、大きな寺もあります。


以前僕は、神社の作法も全く知らずに、神社の参道の真ん中は神様の通り道だと知らずに、堂々と歩いていました。

その時、脈動が少々荒くなったり、意識が上に押しては引いてというような、何か頭に引っかかってる意識を何かが取ろうとして、ぐいぐいと引っ張られるような感覚が多々あります。

後に参道の真ん中は歩いちゃいけないと知った後も、端を歩...続きを読む

Aベストアンサー

残念ながら心臓や脳に問題がある場合は、家を出たときから異常がおきます。なぜなら家の中では運動と行っても運動と呼べないレベルなのです。ところが外を歩くとなると運動になります。それだけ脳や心臓に負担がかかるので、脳の場合は頭痛やふらつきや一時的な健忘、虚血性貧血を起こします。心臓疾患なら多くは息苦しさ、肩の痛み、肩甲骨や背骨の痛みとなります。それらがない場合は急ぎで病院に行かねばならないほどではないでしょう。でも症状が明確でない場合もあるので定期健診はしましょう。

病気でないのに寺社に行って体調が悪くなる。コレには3つの場合があります。あくまでもスピリチュアル的な見解です。
一つは強い神気に触れて体が対応できない場合です。もう一つは寺社の空気か貴方自身が穢れている場合です。3つ目は貴方自身が形式に捉われ過ぎて心が伴って居ないという事です。

どんな特効薬でも体力のない人に使うと逆効果だったり副作用が大きく出てしまうということがあります。コレと同じように、強すぎる神気に体が付いていけないと気分が悪くなったりします。このような場合は感謝だけを述べて帰りましょう。神社の外で暫くすれば元に戻ると思います。
何度か詣でれば次第にこのようなことはなくなります。

法相宗の知人(僧侶)に聞いた話ですが、私は浮遊霊を連れて行く役を負っているんだそうです。そのような人はたまにいるようです。するとその人のが寺社に詣でる際には浮遊霊が寄ってくるんだそうです。私の場合は詣でるときに体が重くなります。そういう役を負っている人は参拝の際に感謝すると共に「迷っている人たちが成仏(昇天)出来ますように」と願ってください。これは繰り返し起こるので、それが自分を浄化する課題だと考えてください。そうすれば次第に楽になって行くと思います。
また最近ではご利益信仰の流行で慾の塊で参拝する人が多くなっています。やってきて願いばかりを上げ連ねてかえってしまうような連中です。欲の塊が境内に入れば次第に境内は穢れますから、具合が悪くなります。
人気の神社は午前中に行くようにしましょう。

3番目は一番大事なことです。まず、神社での作法ですが全部嘘です。デタラメです。そんなものに捉われ形式ばかりを気にしていると心が疎かになります。やがて作法が違うから罰が当ったなどという疑心暗鬼になります。神社神道には神職の作法は定まっていますが参拝者の作法などありません。インチキ神社通のデタラメを信じないこと。

神は境内を歩きません。神社・神道の成り立ちを学べば理解できますが、貴方の行く神社には注連縄がはっていますよね。注連縄って何ですか?天岩戸に「天照大神が再び入れないように」と張ったのです。つまり神は注連縄を通れないんですよ。だから祭礼では必ず依り代に神を乗せ、それを厨子に入れるか神輿に乗せて注連縄を通過するんです。神が自分で境内を散歩することなどありません。
参道の正中は宮司や神職、僧侶、勅旨などが通るのです。神宮遷宮のテレビ見ませんでしたか?参道の真ん中は斎宮さんが歩いていますよね。それどころか衛視が歩いています。
それに町の寺社でも初詣の際は参道一杯に歩きますよね。神の通り道に例外などありません。歩いていけないなら誰も歩かないのが当たり前のはずです。

手水というのは本来昇殿参拝の際に巫女がやってくれるんですよ。桶に入った水で清めるのが本来の姿。私たちがやっている参拝はすべてが略式のセルフサービスなんです。神宮では五十鈴川で手を清めました。だから手洗い場があるんです。
そしてそれが略される際に、神仏習合で寺の習慣が神社に入った。私はそう考えています。だから手水の作法と茶道の作法が同じなんですよ。

ことほど左様に歴史を紐解けば如何に今の風潮がデタラメかわかります。そもそも今の参拝法も戦後神社本庁設立後に『一参考例』として示されたものであり、「作法」ではありません。これは私が当時を知る神職からかなり前に聞いたものであり、また某神職のブログにも別人の証言として載っていました。
皇學館では「神職は古典を学ぶ」ことを義務としていますが、近年では神社本庁さえ不勉強が多く、このような俗説に惑わされているので、実際には矛盾したり不合理な事をやっているわけです。

作法というのは一つの流れです。自分流の流れがあれば人に迷惑がかからない限り間違いだとかバチだとか関係ありません。メモを見ながらやるなんて、まるで心がこもっていないと思いませんか?禊ぎ祓えのための手水なのに、清めるための手水なのに清まっていないでしょ。清めるということは心から迷いをなくすことです。作法が合ってるかどうかなど考えている事自体が迷いです。
まずは迷いを祓って参拝してください。細かい順番など考えなくていいんです。

残念ながら心臓や脳に問題がある場合は、家を出たときから異常がおきます。なぜなら家の中では運動と行っても運動と呼べないレベルなのです。ところが外を歩くとなると運動になります。それだけ脳や心臓に負担がかかるので、脳の場合は頭痛やふらつきや一時的な健忘、虚血性貧血を起こします。心臓疾患なら多くは息苦しさ、肩の痛み、肩甲骨や背骨の痛みとなります。それらがない場合は急ぎで病院に行かねばならないほどではないでしょう。でも症状が明確でない場合もあるので定期健診はしましょう。

病気でない...続きを読む

Q神社で鳩が2匹 、気学で言うと教えてください。

気になっていることがあります。


2012/6/11 同じ神社で鳥居をくぐった道で鳩が2匹
2012/12/17 日 朝起きたら、すずめがベランダの手すりに2匹

そして、今日2013/2/24も
神社で鳥居をくぐると鳩が2匹

目の前に鳥やハトが2匹いるというのは

気学や、易占いでは、どういった意味があるのですか??
教えてください。

鳥は四緑なので、”扉”とか”始まり”かなにかですか??
2匹の意味はなんですか??

Aベストアンサー

>鳩とすずめですが、死がいなんかではありませんよ!!

失礼しました^^;

最近、ほぼ同じ相談を受けて、
それが、二羽の鳥の死骸を連続で見るというものだったので、
イメージが重なってしましました。
申し訳ないですm(__)m

生きていれば天ですね。
水天需。
何らかの大きなアクションを起こそうとしているのであれば、
その事柄に対しての、焦ってはいけない、機を待ちなさい。
という意味にも解釈できます。

易的には、どこにでもある光景や現象の中で、
自分で気になったものを卦に見立てます。
だから、普段から二羽の鳥がそこに居たとしても、
その時だけは気になったのであれば、
その時だけは意味を持ちます。

Q失敗した御朱印の上に書き置きの御朱印を貼る事とトラブルについて

近所の方々が交代で社務所で留守番をしている神社に参拝に行き、御朱印をお願いしたら七福神スタンプラリーのスタンプを押されてしまいました
間違いを説明したら御朱印を押してくれたのですが、七福神スタンプの上からで神社の名前のはんこは上下逆で半分以上かすれて神社の名前が読めません。
社務所に飾ってある見本は神社の名前は黒インクなのに全て赤インクでした
「奉拝」のはんこが見当たらないからと鉛筆で書いて、平成27年なのに25年と書いたり、正直とてもショックでした
「もう一度やり直します?」と聞いてくれたので、お願いしたら御朱印のはんこを全て渡されて自分で押してと言われました
「日付だけでも書いて頂けませんか?」とお願いしたら「留守番だから出来ない」と1度は御朱印を書いて頂けたのに断られてしまいました
見本を見ながら同じように御朱印を押して完成させてたら「御朱印2回で1000円です」と言われました
失敗したのは私ではないので・・・と言ったら「でもやり直すって言ったのはそちらですよね?」と言われてしまい、それでも納得出来なかったため500円だけ支払って帰宅しました
帰宅途中に冷静になり、せっかく参拝に行ったのに金銭で揉めるなんて私は何をしてるんだと落ち込みました
皆さんなら納得出来なくても言われた通り1000円を支払いますか?

同じ日に参拝に行った神社は書き置きの御朱印だったのですが、失敗した御朱印の上に貼るのは止めた方がいいでしょうか?
素晴らしい御朱印ばかりなのに1ページだけ失敗した御朱印があるのがとても気になっています。
宜しくお願いします

近所の方々が交代で社務所で留守番をしている神社に参拝に行き、御朱印をお願いしたら七福神スタンプラリーのスタンプを押されてしまいました
間違いを説明したら御朱印を押してくれたのですが、七福神スタンプの上からで神社の名前のはんこは上下逆で半分以上かすれて神社の名前が読めません。
社務所に飾ってある見本は神社の名前は黒インクなのに全て赤インクでした
「奉拝」のはんこが見当たらないからと鉛筆で書いて、平成27年なのに25年と書いたり、正直とてもショックでした
「もう一度やり直します?...続きを読む

Aベストアンサー

うん、払う。てかはじめの失敗のでいい。唯一無二で楽しい。
新たに入手したのはまた別にコレクション!

へたくそなの、達筆なの、スタンプなの、朱印じゃなくてステッカーなの、、、いろいろありますよ。
なんでもいいじゃないですか。
そこでモヤモヤしてるなんて、かみさまに失礼ですww

Q神社にお参りしています。旅先で、お稲荷さんにお参りしても良いでしょうか

初詣や、生活の節目など、普段は、地元の神社にお参りしています。

今度、愛知県に旅行を考えているので、その際、
豊川稲荷にも行ってみたいと思っております。
でも、普段は、通常の神社(←という言葉が適しているのか分からないですが、
お稲荷様でない神社、という意味です)へお参りしているのに、
今回だけ、お稲荷様にお参りしても良いものなのでしょうか?

迷っている理由としては、
「お稲荷様は通常の神社とは少し違う」というような記述が、
検索していたらちらほら出てきたことと、
「豊川稲荷は、豊川閣妙厳寺というお寺である」ことです。

前者については、
お稲荷様は特に真剣な気持ちでお参りしないといけない、とか
怖いような存在として書かれているサイトもあったため
普段は通常の神社に行っているのに、罰当たりなのではと
不安になったのと(これからも地元の神社に行くと思います)、
後者については、
いつも神社の神様にお参りしているのに
たまたま来たからといって一度だけ「お寺」に
お参りするというのもおかしいのかな…と
気になっております。

神社が好きで、過去、伊勢神宮など遠方に行った際、
滅多に来られないので…と、祈祷をお願いしたことがあります。
今回もせっかくだからお願いしようかと考えていたのですが
はたしてお願いしてもいいものか?と、分からなくなってきました。

普段は、地元の神社にお参りしているのに、
お稲荷様にお参りし、祈祷をお願いしたりしても良いものでしょうか?
地元の神社では、「複数の神社を訪れても、神様は寛容だから、
よく言われるように、神様同士が喧嘩することはない」と
聞いたことがあるのですが、
系列が異なる?お稲荷様の場合も同様に考えて良いのでしょうか。

また、お稲荷様に仮にお参りした際、気をつけることなどがあれば、
教えていただければと思います。
よろしくお願いいたします。

※当方、「お稲荷様=キツネ?」しか頭に浮かんでこないほどの知識です。不適切な言葉があったら申し訳ありません。よろしくお願いします。

初詣や、生活の節目など、普段は、地元の神社にお参りしています。

今度、愛知県に旅行を考えているので、その際、
豊川稲荷にも行ってみたいと思っております。
でも、普段は、通常の神社(←という言葉が適しているのか分からないですが、
お稲荷様でない神社、という意味です)へお参りしているのに、
今回だけ、お稲荷様にお参りしても良いものなのでしょうか?

迷っている理由としては、
「お稲荷様は通常の神社とは少し違う」というような記述が、
検索していたらちらほら出てきたことと、
「豊...続きを読む

Aベストアンサー

神社庁の見解では、「神様同士が喧嘩することはない」とのことです。
以下のページのQ&A(30番)を参照してください。
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/knowledge.php4

稲荷神社は全国に3500社あり、これらも神社庁の管轄ですから、お稲荷さんについても例外ではありません。

神社本庁ホームページ
http://www.jinjahoncho.or.jp/


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