プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は天理教の教会の後継者です。本部勤務が終わり、修養科、教人資格検定、大教会青年、そして来年から布教の家、それが終われば大教会青年と、大教会長さんや教会長さんと話し合ったり、言われたりで、進路が決まっています。個人的に海外に興味があり、海外での青年勤めをしたいと相談したところ、それも今後の勤め方次第で前向きに考えてくれるとのことです。父親の気持ちとしては、10年後には教会を継いでもらいたいと思っているようです。

後継者としては、自分で言うのもなんですが、全うな進路を歩むんだなと思っています。また海外に行かせてもらえるかもしれないということは、まだ決まってないですが、本当にありがたいことだと思っています。

こうした前提で相談に乗っていただきたいのですが、私は4ヶ月ほどお付き合いしていた女性がいました。彼女は大学生になったばかりの若い人です。教習で知り合い、連絡を毎日取り合うようになり、恋愛関係に発展し、自分の進路を話した上で、自分の年齢は25歳でありましたが、そんなことは関係なく、お互いに魅力を感じているんだから、あまり先のことは考えず、付き合ってみよう、あとは神様に任せようということになり、お付き合いをスタートさせました。彼女は未信者でしたが、妹がおさづけでたすけてもらったことがあったり、天理教の友達がいたり、友達の詰所に遊びに行ったことが何回もあり、天理教と関係がないというわけではありませんでした。神殿に参拝もしてくれました。

彼女は私から見て、美人で、性格的にも明るく、若いということもあるのか、純粋な部分もありました。また高校時代からバイトをしお金を貯めて短期留学をし、関西の有名な外国語の大学でも一番上のクラスに入り、語学を習得したりしている彼女の姿は尊敬に値すると思っていました。付き合っている当時は、自分にはもったいない人だと思うこともありました。

彼女と付き合い、自分には明るく、前向きな人が向いているんだという新しい発見もありました。また学生時代を適当に過ごし後悔していた私にとって、彼女の姿は時に眩しく写り、胸が締め付けられ、私も今からでも間に合う、頑張ろうという気持ちにさせてくれました。私にとって彼女は、必要な人でした。

しかし、順調に交際していましたが、親に反対をくらいました。「お前が今付き合っている人は、教会の奥さんとしてやっていけるのか。お前もいい年齢なんだから、先のことを考えて付き合え」と。
※教会の奥さんは未信者の方でも、かなり大変ですが努力次第で充分つとまると思っています。

この言葉を聞き、何でそんなこと言われやなあかんねん!と正直思いました。私もそんなこと言ってられる立場でもないと分かっていたので、その時は、無言でやり過ごしました。

そして、そのことが一つのきっかけとなり、連絡する頻度が少しずつ落ち始めました。また私は一緒にいてれば、ある程度満足してしまうのに対して、彼女は楽しい関係でずっと居てたいと思う(彼女談)など、恋愛観の違いも少しずつ見えだしていたことももしかしたら原因としてあったかもしれません。

一般の方の意見も聞きたいので書きますが、大教会や布教の家に行けば、前者はお与えという給料みたいなものが月1万5千円か2万で、休みは自教会の祭典日のみ。また後者は布教に専念しなければいけないので、基本的に会うことはできません。※両者とも食事、住む場所に関しては、保証されています。

ですので、大教会青年以降の進路では、お互い会うことは難しくなってくるし、収入もほとんどないので、一般的なデートは難しい。それもそのような期間が4~5年ほど続く。彼女だって留学に行けば、1~2年は会えない時期があるでしょう。

冷静になり、お互い気持ちはあるが、年齢や環境などが全くついてきていないことがリアルに分かり(付き合う前も薄々分かっていましたが)、今は別れた方がお互いのためになるということになり、話し合い別れました。彼女は犠牲になった気分と帰り際に言いました。お互い別れるときは涙を流しながらでした。

そして、別れて一週間ほど経ちました。お互い嫌いになって別れたわけではないので、やはりまだ心残りがあります。環境的にしょうがないと納得しているので、間違った結論は出していないと思っていますが、毎日未練を感じて、しんどいです。Twitterなどで彼女が他の男性と食事に行ったと分かれば、やはり激しく嫉妬してしまいます。

二人の間では、友達に戻ろうと言って別れ、今は距離をおいて置こうとなっています。すぐには
無理ですが、友達になることはできると先日ラインで言ってくれました。

運命の人だったらまたどこかで偶然出会う、またお互いに必要なら巡り会うこともあるかもしれないと話たりし、内心そんなことないはない、一回別れたらもう元には戻れないと感じているくせに、そんなことを信じたくなる気持ちにもなります。

自分の決断は正しかったのでしょうか。年をとったら、後悔することになるんでしょうか。こんなこと言ってもしょうがないですが、そもそも付き合うこと自体駄目だったんでしょうか。
友達になることはできるんでしょうか。(友達期間はほとんどないです。)

長文の上、意味の通じにくいところもあるかもしれませんが、皆さんの意見を聞かせてください。よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

継ぐのが大きな教会になればなるほど


親の決めた信者と結婚するのが当たり前です

仮に未信者と結婚したとして
信者が「当たり前に教えられ」「当たり前にやる」ことも
未信者にとって「割に合わない」「おかしい」と感じ
あなたには想像できない苦労をするでしょう

信者と未信者は社会では同じ常識でいられますが
家の中、天理教の中では常識が異なります

私は未信者ですが知り合いに天理教信者が多くて、よく聞く話です
その度に天理教から出て普通の会社員になり
好きな人と結婚したら良いと助言するのですが
信者の常識では難しいようです

最初から付き合うのを禁止している家もあります

いずれ、あなたは教会を継ぎ子供に同じことを味あわせます
その時はあなたの親の本心が解るといいですね
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この回答へのお礼

未信者の人と結婚するのが難しいというのは、天理教の中では一般的な意見だと思います。ただ、未信者の奥さんの方や有名な某学会出身の教会長の方が知り合いにいます。後者は奥さんが天理教の教会の娘でした。

親の気持ちを本当に分かるには、僕はまだまだですが、親が自分のことを悪いようにしようと思って言ったのではない。それだけは今でも分かります。回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/16 21:16

質問者の立場、将来の道については正直、ほとんどわからないのですが、


彼女との未来で交わる点はないと思います。
あなたと結婚することは彼女のキャリアを捨てること、あなたと宗教に
人生のすべてをささげることになると思います。
彼女がそれでもあなたと一緒の人生を歩みたいと思うならいいのですが、
そうではないのですから、友達に戻るとか中途半端なことはしないで
完全に別れたほうがいいです。
また、あなたが将来それでは後悔すると思っているなら、現在思っているようだし
それなら親には彼女と結婚して家を出る、教会は継がないと決断するしかないです。
どちらにしてもあなたの本心、どちらを取るかにかかっています。
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この回答へのお礼

彼女は優秀な人(人間的に)ですし、語学力だってある。教会の奥さんにするのは勿体ないと思ったこともあります。何しろ若いですから、僕のせいで彼女の進路が狭まるのはいけないと思うし、他の回答者様の意見にもあったように、10代で教会の奥さんの話をしても、何にも分かっていない、重い、そんなことより今目の前のこと。そういう感覚だったんだろうなと思います。

彼女ときっぱり縁を切った方が良いとおっしゃっていただきましたが、今の僕にその決断は結構酷です。どうしたらいいか、もう少し時間を置いて考えさせてください。
結局自分の環境を捨てることができなかった。これが原因だと思います。

お礼日時:2013/06/16 21:40

私は天理教というものは全く分かりませんが、お相手は大学1年生なんですよね。


しかも付き合って4ヶ月。そんなときに、後継者の嫁として~なんて言われても、分かりません。
ただただ、重い。重すぎる。
10代の若者は、そんなこと考えて付き合いませんよ。

質問者様たちは、付き合う時期が悪かったのでしょうね。
これが、彼女が大学卒業して社会人になったときに付き合ってれば、また違ったでしょう。
質問者様が親の言うことなんて無視して、結婚とかほのめかさなければ、付き合っていられたかもしれません。
「天理教なんて知らない、親と絶縁して俺は普通に働くから、また付き合ってくれ!」とか言えば、彼女は戻ってきてくれるかもしれません。でも質問者様の文章を見る限り、そこまでの情熱もなさそうですね。

4ヶ月という一番ラブラブな時期に別れたのだから、未練は当然だと思います。
けれどそれも時が解決してくれますよ。
質問者様に合う人もいずれ現れます。

ちなみに、宗教の違いって、壁が大きいと思います。
私の実家は無宗教(たぶん先祖はなにかには入ってるのかもしれませんが、今はまったくこだわりがない)ですが、ある特定の宗教(大きな声では言えませんが、有名人もたくさん入っている、かの有名な宗教ですね)の信者となんて結婚したら絶縁する、とまで言われてますし、偏見を持つ人も多いと思います。
すみません、天理教がどんな宗教かも分からないのでうかつなことは言えませんし、気分を害されたら申し訳ないのですが、日本人は宗教に興味がないといっても、やっぱり特定のものに精通してる人は、ちょっと考えてしまいます。
無宗教ゆえの偏見ですよね。
彼女の両親も、あなたがそういったことをしてる人だと知ったら、なんて言うか。「こちらこそお断りだ!」なんて言われるかもしれません。

>運命の人だったらまたどこかで偶然出会う、またお互いに必要なら巡り会うこともあるかもしれない
これは、宗教がどうということ抜きにして、ありえると思いますよ。
単に今回は、お付き合いのレベルが、質問者様と彼女様とでは違いがありすぎた。それだけだと思います。

質問者様にとっての運命の人が現れるよう、願っています。
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この回答へのお礼

回答者様のおっしゃる通りだと思います。10代の彼女に僕が求めるものが大きすぎたというのはあったと思います。周りの人が結婚していくのを目の当たりにし、私自身焦っていたのかもしれません。父に言われたことを黙っておくという選択肢は、この回答を見るまで浮かびもしませんでした。好きなまま付き合っておけば良かった。後悔しても遅すぎますが、少しそう思ってしまいました。

向こうの両親は私が天理教であることは知っていますし、向こうの家に行ったこともあります。大学も天理出身だそうです。天大は未信者の方でも入学できるので、信者ではないと思いますが、天理教の教会長の知り合いもいるみたいです。

宗教に対しての偏見はあると思います。それは布教活動をしたりする時にも感じますし、自分自身大学生の頃までは天理教ということにコンプレックスを持っていました。天理教の機関で働くようになって、上司や同僚を通して、そういったものも徐徐になくなりましたが。

今は目の前にあるやらないといけないことを片付け、やっていきたいと思います。できれば今よりも成人できるように。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/16 22:03

仮に彼女と交際を続けていても


質問者様が天理教に関わっている限り
彼女の親御さんから反対されると思います。


同じ宗教を信じる女性と結ばれる方が
いいのではありませんかね?

この回答への補足

先日未信者の人との付き合いに関して、母に相談したところ、天理教の人の方が楽だと話してくれました。これは、うわべの話を全て言わず、真実を伝えてくれたんだと思っています。

補足日時:2013/06/17 01:19
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いろいろあるけど相手を幸せにできないなら


別れてやるのもひとつの方法。

不幸になるために恋愛してるわけじゃないので。

一緒に幸せになれる相手を探すのが真面目な恋愛。

誰とも幸せになれないなら、人生何か間違えてるということ。
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おばさんです。



私は無宗教ですが、信仰を持っている友達も多く、<信仰を持っている>ことに、向上心を感じ、尊敬を持ちながら友達関係を続けています。

私は<愛>があれば、全てを解決できると信じているあまちゃんです。

都会で生まれ育った私は、主人と知り合い、全く縁のなかった田舎の農家に来ています。
結婚の条件としては<下の下>に当たる主人に、全く何の不安も抱かずに、<一緒にいたい!>という想いから飛び込みました。

私は<愛>が1番大事だという考えですので、あとのことは言い訳に感じます。

貴方には大変申し訳なく、きつい言い方になりますが、貴方が親から反対されて、彼女を守れなかっただけのことです。
結婚は2人の気持ちを大事にして、2人で<幸せ>になりたいからするものです。
そこには収入も、家も、環境も・・・私は甘いですが、二の次だと思います。

貴方が貴方の理由で彼女を振った。

現実はこれ以下でもこれ以上でもありません。
自分から振っておきながら、嫉妬したり、悩んだりしたところで、何の解決にもなりません。
ご自分で出した答えをご自身が受け入れて、貴方の<幸せ>に向かって、新しい恋に進まれてください。

私が彼女の立場だったとしたら、私を振っておいてグチグチ思われたくなんかありません!
私の想いを振ったのだから、それ以上に大事な自分が信じた道を、男らしく進まれてください。

それが唯一彼女に対する<罪滅ぼし(?)>かなと思います。

何も天理教の知識もなく、天理教の教会の仕組み(?)も知らず、言いたいことを言わせていただきましたが、結婚はシンプルな2人の<愛情>があれば上等!!だと、今も信じています。

文中、失礼をお詫びいたします。
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最初に、先ず、私は無信論者を自負しております。



天理さんは数多の新興宗さんの中に在られて、至極尊敬申し上げられる教えと解しますとを前提で。

貴方御自身の出自、お育ちの縁は、おやさまの有り難いおさずけの賜物と弁えるべきではと。
そして今現在抱かれているお気持ちは、人としては自然で当然な正道でも在りましょう、が。
ですが、今在らせるお立場を今一度再考なさられた上で、是可否でもこの恋、御成就されるべきと
強く思います。
そして、その想いを数多の信者様への慈愛へと転化為される、高い志へと昇華せられれば。

御尊父様もいずれ、お認め下される筈です。
今貴方が進むべきは、先ず、世代相応の思いに殉ずることです。

別れてはいけません !! 手放しては駄目です !!

質問頂き、有難う御座います。
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無信者です。


私も彼女と同じような思いをした一人です。
好きなのに、宗教の問題で別れました。
たくさん話をして、お互い歩み寄ろうと話をしましたが、結果歩み寄ることは出来ませんでした。
その時から、その宗教をキライになりました。
宗教で好きな人と付き合えない…どうして?なんで?が、頭をグルグルと巡りました。
そんなに宗教が大切?生身の人間より宗教の方が大切?と思いました。

質問者様の生活環境は詳しく分かりませんが、無信者の者からすると、宗教って⁇だらけです。
宗教で戦争が起こる程宗教とは大切なものなのでしょうが、幸せになるはずの宗教で、不幸な人がうまれているいまの宗教に、私個人は疑問を感じます。
何も分かってない個人がいらない事を言ってしまい、すいません。
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神様に成り行きを任せたんでしょ。

だったら不安に感じるほうがおかしい。それは貴方の信仰不足です。

彼女が未入会だかどうだか、そんな事は関係ありません。そもそも会員と非会員の差ってなんでしょうか?
キリスト教のように原罪の有無とか言うわけじゃないですよね
会員であっても神の意に反して生きるものもいれば、会員でなくても自然と神の意に則って生きている者もいる。どちらが善い生き方なんでしょうね。

私は天理教の教義を知りません。しかし明治時代政府の身勝手な方針転換により国の組織から外れてまで自らの姿勢を維持しようとしたのですからしっかりした教義があると思います。それに照らして生きればいいのではないですか?

もちろん、「天は自ら助けるものを救う」といいますから、事を成そうと努力しなければ得ることは出来ません。
いくら天に任せたからと言っても何も努力しないなら手に入れることは出来ません。
しかし天に任せたのに不安に駆られているということは神を信じきっていないということです。
神を信じるのに50%も90%もありません。0か100しかないんです。不安になるということは0なんですよ。
100%を信じて努力する。それで得られたのは大御稜威なんだから素直に受け入れる。
これが信仰というものではないですかね。
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私は、自身を含めて身内にも友人にも宗教に


入信している人は一人もいません。

恐らく、日本人の大半は同様です。

あなたは協会の中でもそれなりの地位に
或る方の息子さんですね。

だから、余計に世間の考えから価値観が
乖離していることを偏りなく見つめることが
出来ないのです。

天理教に限らないと思いますが、強い団結性を
持つ宗教組織は、特殊な結界に囲われている
行者の群れのようなものです。

一般の人、ではないのです。

自分の息子や娘が、天理教をはじめとする
宗教に一家で入信している相手と結婚したいと
言えば、普通の家庭なら大変な問題になります。
大げんかになり、親子の縁を切る、とまで
言われる場合もあります。
家庭によっても、その拒絶反応の度合いは
様々でしょうが、ある一定の中流家庭から
上の層は、拒絶反応と言っても過言ではない
場合も少なくないはずです。

異質なのです。なにもかもが。

そう言われても、生まれた時から、或いは
幼い時から家族ぐるみで信者だった人々には
理解の端緒さえつかめないはずなのです。

お互いに、全く知らない部分があり過ぎる、と
言えばいいか。

宗教に入信している人々を、はっきり言えば
蔑視し、異端視する気持ちは物凄く広い範囲で
日本に根深く存在しているものですが、当の
入信者達は、周囲も信者だらけなので殆ど
自覚が無かったりもするようです。

お互いに「何だ、この人?!」という強い不信感が
あります。

あなたがそのことを余り考えたこともなく暮らして
来たのであれば、結婚すれば次々に出くわすことに
なるでしょう。

愛という欲求が、この相互不信の前にはいかに
容易く崩壊するのかを、あなたはまだ想像さえ
出来ないのでしょう。

根本的な世界観・宇宙観・人生観・死生観が異なると
言うことは、互いにあまりにも異質な人格だ、という
ことです。

恋愛は盲目になりますから、あなたはすべからく
彼女は入信していないが愛があれば大丈夫、という
妄想を信じてしまうし、都合の悪いことには容易く
目をつぶってしまいます。

でも、人間は、未知のものを前にすれば敬虔な
姿勢も保てますし、恋愛と言う欲求、体も含めて、
その目くるめく快楽への渇望は、理性など100円
傘のように吹き飛ばしてしまうでしょう。

でも、それが未知のものではなくなった時。
互いに、その余りの相容れなさから目を背けることが
出来なくなるのです。

あなたの親御さんは、彼女は人間として欠けている、と
強く憤ったのではないかと思います。
例えば私が彼女の父親なら、あなたの父親を侮辱しに
出かけることもあり得ます。
自分の娘の人間性を宗教観などで否定されれば
誰だって怒る。

でも、あなたの親御さんは宗教が全ての価値観の
基礎になっているから、彼らから見れば、こちらが
異質な価値観を持つ破壊者のように見えるでしょう。

西欧で無数の血を流した宗教戦争が(弾圧ではなくてね)
何故日本では起きなかったのか。

それは、差別という自然発生的なシステムで水と油のように
同じ町で互いに関わらずに生きてきたからです。

私やあなたが小さな1600cc程度の脳みそを絞って
善悪を考えたところで、何一つ変わることはありません。

凄まじい数の人間たちの、気が遠くなるような時間を
何百年、時には千何百年の長きに渡って重ねられてきた
無数の情念や欲望、憤怒や呪い、支配や階級・・・
その途方もなく巨大な、二つの別々な「社会」そのものに
関する話なのですから。

信者同士でないと不幸になると思います。

極論すれば、あなたの親御さんが連れてきた女性でも
あなたは幸せな結婚生活が出来るはずなのです。

神様が召し合わせた女性、それで思考停止です。

あなたがそちらの世界の住人を止めてこちらに来ることが
ありえないように(考えれば考えるほど、何も得は無いです。
迫害は、あるかも知れませんが。)彼女があなたの世界に
来ることも、ないでしょう。 

もし、どちらかが相手の世界の住人になろうとすれば、
それは元々生まれ育った自分の世界から捨てられることを
意味するからです。

そんな大げさなことだと思いますか?

自分が住んでいた世界から切り離されて捨てられた人間は、
辛い茨の道を歩くのです。
愛だの人間性だのという個人レベルの話ではないんです。

さて、そろそろ私の拙文は終わりです。

物凄く偏った考えの人だなあ、と思われるかも知れないことを
承知でストレートに書きました。

日本人は強い意見を控えることで他人との摩擦を避ける文化を
築いて来ました。

だから、ここまでストレートに言葉にする人は左程多くはないかも
知れません。
でも、それは社交辞令で穏便な言い方に終始しているだけです。

自分の身内が当事者になった時、私が書いたような本心が
突然沸き起こります。

あなたは信者以外の意見も是非聞きたいと仰いました。
そのように、伝わるように書いたつもりです。

彼女に色ボケ(言葉は悪くて済みませんが)するのを一旦棚上げして、
あなたという宗教家の置かれている世界とあなたのこれから
死ぬまでの航路について、天理教という世界観のあなたの
解釈を確固たるものにすべく、宗教的に成人の通過儀礼を
通り抜けているのだ、という視野拡張になされて修業されれば
良いかと思います。

最後に一つ。

私は自分の身内が宗教に入信することを忌避します。

それでも、穏やかな教義で祈りをささげるだけなら目をつぶります。
でも、一度でも組織の人間として入信を勧める活動に参加して
いると知ったら、猛烈な結婚反対の立場、友人なら絶縁の
警告を突き付けます。

あなた方が自分たちの宗教観、神様ですね。
それを否定することを決して肯んじ得ないように、我々非信者は
信仰がないのではなく、純粋な神、或いは超越的な心理とは、
無宗教、無神論さえ含むものであって、決して人間が自分たちの
方法論で造った組織的なものであってはならない、という「宗教観」を
持っているからです。

特定の神を持ち出し、それを人間の言葉で語るものに、命を骨抜きに
してしまう支配性を感じざるにはいられないからです。

それでも社会に否定され続けて身の置き所もなくなれば、自分を
受け入れて慰めてくれる教団に入信してしまう人の悲しさや辛さもも
理解できます。

でも、同情はしても、彼らを救済しようとするような力は大多数の人には
ないので、見て見ぬふりをして足早に通り過ぎていくだけです。
・・・それも信者とそうでない者とを隔てる川です。
先ほど差別というシステム、と書きましたが、差別は許せない悪だ、
などと簡単に言えない深くてどうにもならない・・・川です。

更に言えば、遊学までさせてもらえるあなたは、言わば世の中の
穢れを知ることのない天理教内での上流階級に属するのだと
思えます。

そのレベルが現実にどのあたりかなどか、ということとは別に、
あなたのご両親は教団内でのご自分たちの地位に、一つの
守るべき家格、ステイタスを持っていらっしゃるでしょう。
名家だ、という自負もおありだろう、ということです。

そのありようは、部外者の窺い知る余地もありませんが、少なくとも
こちら側からそちらに行く人々が、言わば生きるべき場所を求めて
訪れる、流浪の民のような苦難を抱えた人が多いであろうことを
併せて考えると、同じ教団内なのに、彼我に大きな格差が・・・
川が横たわっているのです。

あなたが天理教の宇宙観を越えても越えられなくても、
ただ茫漠と生きている若者よりはずっと、これらの川について
考える機会が多いでしょう。

これをその機会にされれば、と思う次第です。
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