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 夕鶴つうは どうして夫の与ひょうを去ったか


 ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4

 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。

 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。

 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。

 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。

 ▼ (木下順二:『夕鶴』の大団円) ~~~~~~~~~~~

    しんとした間――

 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。
 惣ど: や 鶴・・・
 運ず: おお・・・

 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。
   (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る)

 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・
 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・

      間――

 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは
   ありがたいこってねえけ。
    (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の
    うちに離さない)

 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ
    ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・

 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら
    ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす)

      惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。

      微かに流れてくるわらべ唄――

      ――幕――
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 答えとして:
  A. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

  B. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。

  C. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。

  D. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。

  E. いやいや じつはこうだ。・・・
   E-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。

   E-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・


 * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。
 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。

 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。

 すでに問うたことがあり いくつかの答えをいただきました。中でそのときは質問者としては《一たん勉強しに帰る》というのをよい答えとしました。上の《おとなげない》という見方と両立するようなかたちでです。

 ふと いま--コミュニケーションを扱っていて--これを問うてみると あらたな回答を得て発見があるかも知れないと思いました。分かりませんが 問うてみます。
 前身の質問でのやり取りを参照されてもされなくてもかまいませんから ご見解をお寄せください。

A 回答 (40件中11~20件)

人の目つきから その人の主観内容を確かに推測できたと思うことも妄想

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この回答へのお礼

 つづいてです。


 ★ 妄想
 ☆ もひとつの主観であり もしその見解で 物語の大筋がきちんと説明できれば それがひとつの解である。こういう見方に立っています。

 邪道ですか?

 ★ 人の目つきから その人の主観内容を・・・推測
 ☆ することも けっきょくその成果としての最終の結論いかんに成否はかかっています。結論内容がいかに説得力があるか これで勝負になります。

 変な判定基準ですか?

お礼日時:2013/06/26 16:29

Dの


(相手はこちらを)とにかく嫌いになったのだ
のところは
相手の主観内容をこちらが憶断しているから妄想
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ ・・・相手の主観内容をこちらが憶断しているから妄想
 ☆ ええ。おっしゃるとおりです。

 しかもです しかも この《妄想》としてでも ストーリの初めからおしまいまでの筋についてひととおり説明することができれば その主観は ひとつの解説であり批評として成り立つ。こういう見方をしていますが どうでしょう?

 つまり つう本人の心や意向がどうであれ 整合性のある見解は それとして成り立つ。こういう捉え方で 考えて来ております。


 

お礼日時:2013/06/26 16:25

回答 わからない



本人に聞くとわかる可能性がでてくる

他者の主観を正確に推測できると思うのは妄想
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この回答へのお礼

 17かれさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 諾と否と 両方の反応を持ちます。

 ★ 他者の主観を正確に推測できると思うのは妄想
 ☆ そのとおり。諾です。

 けれども では逆に
 ★ 本人に聞くとわかる可能性がでてくる
 ☆ これについては 然り および 否 なのでしょうね。
 分かる場合もあれば 依然として分からない場合もある。

 なぜなら 本人でも自分の本心が分からない場合だってあり得ましょう。むしろ他人から見て その本心の探究がかなえられる場合も出て来ます。


 それで 要するにですが 《本人の本心》を問い求めるという作業を主体としているのなら おそらく
 ★ 回答 わからない
 ☆ と成るのも 理解できますが じつは 微妙に違っています。

 ここで問い求めることは 夕鶴の作品を基礎として 民話やその他の民俗学や民族学(世界の神話など)をも交え踏まえて 哲学としてどういう批評を与えうるか? これなのですが そこでは じつは 基本は《つうの思いや動機》を尋ねつつも 問題は 《つうをめぐって われわれはどうこれを受け留め理解し そもそもむしろおのれの世界観をどのように描いているか?》 言うなればここにあります。

 言いかえると 邪道ではないかと言われかねませんが 問題は われわれそれぞれの考えがいかにあるか? なのです。これについての互いの情報交換です。

 つう本人がどうであろうと 作品をめぐって むしろ読み手であるわれわれがどう現代において受け留めて行くものなのか? これです。


 言いかえると
 ★ 正確に推測できる
 ☆ かどうかは問うていません。ただし 見解を示したときにその内容が 整合性を持って現代の思想の中にあって決して遅れてはいないこと これが条件となっていると言えば言えると思います。

 そんなにむつかしいことではありません。

 D. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。

 これでよいわけです。理屈に合います。現代思想に遅れを取りません。あとは 矢で射られていたつうを与ひょうが助けたときから 空へ去って行くときまでの筋に沿っても きちんとした説明ができればもう文句なしです。

 といった問い求めをやっています。どうでしょう。

お礼日時:2013/06/26 16:07

相変わらず、回答に間違いが多いな~。


本当、参ってしまいます。

どこから、《デールケ》という名前が出てきたんだろう?(笑)。
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この回答へのお礼

 詩を拝借しておきましょう。


 Verklaerte Nacht   Richard Dehmel (1863-1920)

 Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain;
der Mond laeuft mit, sie schaun hinein.
Der Mond laeuft ueber hohe Eichen,
kein Woelkchen truebt das Himmelslicht,
in das die schwarzen Zacken reichen.
Die Stimme eines Weibes spricht:

 Ich trag ein Kind, und nicht von Dir,
ich geh in Suende neben Dir.
Ich hab mich schwer an mir vergangen.
Ich glaubte nicht mehr an ein Glueck
und hatte doch ein schwer Verlangen
nach Lebensinhalt, nach Mutterglueck
und Pflicht; da hab ich mich erfrecht,
da liess ich schaudernd mein Geschlecht
von einem fremden Mann umfangen,
und hab mich noch dafuer gesegnet,
und hat das Leben sich geraecht:
nun bin ich Dir, o Dir begegnet.

 Sie geht mit ungelenkem Schritt.
Sie schaut empor; der Mond laeuft mit.
Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht.
Die Stimme eines Mannes spricht:

 Das Kind, das Du empfangen hast,
sei Deiner Seele keine Last,
o sieh, wie klar das Weltall schimmert!
Es ist ein Glanz um Alles her,
Du treibst mit mir auf kaltem Meer,
doch eine eigne Waerme flimmert
von Dir in mich, von mir in Dich.
Die wird das fremde Kind verklaeren,
Du wirst es mir, von mir gebaeren;
Du hast den Glanz in mich gebracht,
Du hast mich selbst zum Kind gemacht.

 Er fasst sie um die starken Hueften.
Ihr Atem kuesst sich in den Lueften.
Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

お礼日時:2013/06/26 15:10

>つまり 実験台としてモルモットを使ったわけではなく じっさいの人間を用いたことです。

人間は 道具ではないというテーゼです。

 しかし私は同じように人間を道具と看做した経験が多くあります。例えば、ヌード写真集とかを眺めたり、ポルノに関心を持つのも、同様に女を道具と看做すことでしょう。問題は程度だと思います。ブラック企業は人の人生を崩壊にまで追い込むのです。前に猫様の質問で書きましたが、ポルノを出版するメーカーにも人の人生を壊滅させるようなものがあります。私はこれは許されないと思いますし、そのように書いて、猫様も認めてくれたように思います。しかしそうではない程度の軽いものもあります。それまで禁じる気にはなりません。

 まあつまり、こういうことです。下着で男性の前をふらふらしたくらいはいいのではないか。私はそのように思います。実際、襲われて彼女が悲しい思いをすることはあったでしょう。それにそもそも実験だったかどうか、わからないではないのでしたか。彼女の口から聞いていないのでしょう。単に性の目覚めが遅かっただけなのかもしれない。あるいは、事実無根であったかもしれない。つまり下着に見えても、それが下着でなくて白い服だっただけかもしれない。あれこれ言ってもしょうがないことじゃないのか、と私は思うのです。

 哲学か文学かは、うーん。また別で問いを上げてください。もう夕鶴からは逸脱して久しいのですから。私にも話がどこまでどうなっているのか、全容は分かりません。一回の投稿者なもので、ぶらじゅろんぬさんとはおよそ、目線の持ち方が違うのです。後本音を言うと、ちょっと疲れました。ここら辺で小休止させてください。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ しかし私は同じように人間を道具と看做した経験が多くあります。例えば、ヌード写真集とかを眺めたり、ポルノに関心を持つのも、同様に女を道具と看做すことでしょう。
 ☆ じつは これには ずるい理屈ですが いちおうの理論があります。

  ○ すべて市場で売られているものは 良心の呵責なく 買って食べればよい。

 これです。おかしな理屈です。じっさい女を道具とし 男をもそうしているでしょうし その制作にたずさわるみんなはそれぞれ自分自身を 道具として金儲けのために使っています。けれども 買う側は 心が苛まれるまでのことはないのだという理論です。

 ★ 問題は程度だと思います。
 ☆ もあるでしょうし あるいは問題は 市場の売り買いでなくプライベートで 人間の道具扱いをする場合です。そうしていると そしてそれがクセになると 市場の中での経済行動においても 道具扱いが 程度問題の先端を行ったり 程度問題で済まなくなる暴走を生みやすい。こういうことではないかと考えます。

 こういった私的なクセの問題を踏まえた上で お書きの視点は おそらくその通りだと受け留めましたが どうでしょう。



 ★ それにそもそも実験だったかどうか、わからないではないのでしたか。彼女の口から聞いていないのでしょう。
 ☆ いえいえ。話は 逆戻りです。つまりわたしの推測によるポーラ観は 推測するにあたって好意的に見て《実験》説を採ったわけです。

 つまり
 ★ 下着で男性の前をふらふらしたくらいはいいのではないか。
 ☆ という見方は その男性が身内の者だった場合だとかのことでしょう。そうではなく わざわざ男の同級生を自宅に呼んで そういう事態を平気で演じるということは ないと思うのです。すくおうと思えば 実験説くらいでしょう。 男がいるのを知らずに通り過ぎたということは考えられないでしょうから。

 ★ あるいは、事実無根であったかもしれない。つまり下着に見えても、それが下着でなくて白い服だっただけかもしれない。
 ☆ ちょっと待ってください。わたしの知る限りでの事実は こうです。つまり 或る日わたしに使いの者がやって来た。それは ポーラのだと言う。そして伝えた話の内容が スリップ一枚でうんぬんということだった。

 あぁ 事実無根説というのは その《使いの者》が 何かの陰謀によるものであって そこで伝えた内容も 作り話だったという場合ですね。

 その場合は ぢゃあ こういうふうに受け取ってください。つまり かつてわたしは ポーラの人となりをうたがうようなウワサを聞き 信用しなくなっていた。ところ それをくつがえす《目のかがやき》事件が起きた。――これだけのストーリとして受け取ってもらえればよいのだと思います。
 スリップ事件は 忘れますし 忘れましょう。




 ★ 哲学か文学かは、うーん。・・・ここら辺で小休止させてください。
 ☆ 分かりました。

お礼日時:2013/06/26 14:36

 お礼、拝読しました。

恋については三つ巴ですね。それぞれが自分のシェーマを譲らないようです。実際、特にあれこれ議論して統合して行く必要もないのかもしれません。なぜというに、それぞれが違う恋の体験をしており、その体験を第一の例に置いているからです。
 ・B/成就しなかった恋→コミュニケーションの問題として無返答を考える。
 ・D/結婚こそしなかったが、愛はあった恋→ビター&スイートを抒情として懐かしむ。
 ・猫/?(これをご自分で埋めてくれるとありがたいです)
 まあ、それぞれの体験を受け入れようとした結果がこれですので、いいのじゃないですか。本当に文学談義になってしまいましたね。

>言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。【それをくつがえしたのは】 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。
>少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が 【なぜか解消されて】 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。

 上の括弧でくくったところは、何かしら類縁性がありそうに思います。となると、トリスタンとイゾルテの方が、ぶらじゅろんぬさんのアクチュアルな疑問に切り込めるテーマとなるのでしょうか。ただ私はここはどんぶり勘定でいいと思っているので、何とも言えません。女性が自分の腕の中にいた時、そんなこと、あまり構わないと思うのですよ。実際私なら、

>言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。

などとも思いません。しょーがないなー、彼女も性に好奇心があったんだろうな。大胆だなあ。青春だなあ。そういう軽いノリです。そもそも処女でなくても構いません。むしろ処女は全てについて手間がかかり、面倒です。あるいはやっかみで嘘のデマが飛んでいるなあ、と鼻で笑うだけです。どちらに転んでも、大した問題ではないということになります。

 いや、これは私ならというだけであって、ぶらじゅろんぬさんにとっては大問題だったのでしょう。うーん、そうかあ。そういうことを気にしちゃうのかあ。まあ瓦礫のように崩壊したと言いましたが、ぶらじゅろんぬさんという方が、前よりも少し分かったことは事実ですので、そのことにお礼申し上げます。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 二点あります。

 ★ ~~~~~
  >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。【それをくつがえしたのは】 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。
  >少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が 【なぜか解消されて】 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。

 上の括弧でくくったところは、何かしら類縁性がありそうに思います。
 ~~~~~~
 ☆ このご指摘は そのまま受け取れそうだと思いました。



 ★ ~~~~~
  >言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。

 などとも思いません。しょーがないなー、彼女も性に好奇心があったんだろうな。大胆だなあ。青春だなあ。そういう軽いノリです。
 ~~~~~~~
 ☆ これはですね。ブラック企業を批難するでぃくべくさんとしては 見落としなのではないでしょうか。

 つまり 好奇心があっていろんなことを想像しちょっと実験をしてみようかと考えてみるまではよいのですが 実行に移す場合には 問題が出ます。

 つまり 実験台としてモルモットを使ったわけではなく じっさいの人間を用いたことです。人間は 道具ではないというテーゼです。





 おまけとして:
 《無くした信用を取り戻すような事件》や《不倫情況までをも好転させるようなやはり事件》 これらは言ってみれば人間のこころの真実(つまり相対的なものではあってもの真実)が 謂わば弁証法的な過程として生起し実現することがある――こう解釈するのなら 総じて異性間の愛も 人間としての愛に準じており それは 哲学の分野である。
 こうも考えますけれど。・・・

お礼日時:2013/06/26 12:56

ぶらじゅろんぬさん、



 そうか、やはり創作でしたか。こうなると完全に分かりません。事実関係が分からないと、何にも分析しようがないよー。それこそ、私の方が振り回されてしまう。いや、事実関係は変えていないそうですが、あの書き方では汲み取るのが容易ではありません。下着で男の子の前にいたなど、事実なのですか。この調子で、全部瓦礫のように崩れ落ちてしまい、私には分からないの一言のみです。
 結局、ご自分の内奥は明かしたくない。そのようなことに思いました。まあ私は人のあれこれを覗き見て遊んでいるわけですが、そう善意がないわけでもないのです。これなら恋愛カテあたりで、遊んでいた方が良いというものです。私は当分休ませてもらいましょう。夕鶴の方は、猫様がいるので、私は安心です。私の中では、前の回答で既に意見はお伝えできたと考えていますので。

で、猫様、

 うーん。トリスタンとイゾルテね。私もその程度のことは知っていますが、ご指摘が大きな問題とは思えません。
 ・不倫である。→世間の目を憚る。
 ・媚薬を使用している。→自発性がない。
 ということなんでしょう。しかし、こうした設定は、最後に提出されるテーマ「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しないこと」(ウィキ)に比べてみれば、極めて些細な問題だと思うのです。

 不倫は大して重要な問題とは思いませんし、あまり論じてもしょうがないでしょう。むしろ問題は後者の方というべきです。実のところ、私は自発性は特に重要な問題とは思わないのです。事実、前の投稿でも特にそれには触れていません。愛は結果が全てと思うからです。私は愛を検証するという態度が、そもそもいかがなものかと思うのです。論文を査読するなら、結論はさておいても、過程を逐一検証することでしょう。しかし愛はそもそも論証なのでしょうか。前提条件とその後の展開が間違っていても、摩訶不思議なことに成就する可能性はあります。だから愛は、結果から見て全体像を捉えるべきものであって、検証するという発想と相容れないような気がするんですよ。どうでしょうか。

 そして猫様のやっているのは、あれでしょう。前にぶらじゅろんぬさんのところでも書きましたが、理想的な恋愛というものを想定して、個々の恋愛の卑俗な点を冷笑する態度。これは夢を見過ぎだなあというのが私の感想で、 猫様、失敬な言い方かもしれませんが、恋したことないんじゃないかという疑惑を私は持っています(笑)。

 最後に「惚れ薬=エロスの矢」の強制性に注目したというのは分かりますが、裏を返せば、夕鶴とは何の関係もないことが明らかになったと言えるでしょう。夕鶴には強制性がどこにもないのですから。それとも「惚れ薬=エロスの矢=恩義」とやるおつもりでしょうか。まあ、ここまで来ると、風が吹いたら桶屋がナントカ、と思ってしまいますねえ。
 冗談はさておき、私の見解は次の通りです。あらゆる愛の前提条件には、何らかの強い動機があるはずで、それを自発的か否かで分類ても意味がないのじゃないかなと思います。なぜって、恋愛は理性的に考えて始まるものじゃないんでしょうから、無自覚というべきなのでしょう。この無自覚が、惚れ薬とか、エロスの矢に象徴される宿命の罠である可能性もある。そうやって話を大袈裟にすると話を面白く演出できる。ただそれだけのことでは。
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この回答へのお礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。

 ★ 下着で男の子の前にいたなど、事実なのですか。
 ☆ かのじょが言伝てを託した男がわたしに伝えたこととして 事実です。

 そのような内容としてわたしが話を聞いたという事実です。

 それ以外には確かめてもいません。その使いの者にも 家に呼ばれて実験台に成った男――つまりその男の名前までも聞いていますし いまでも覚えていますが――にも そして本人にも確認したことはありません。


 言いかえると そのようなことを平気でおこなう女を信用し得なかった。それをくつがえしたのは 一度だけあった・その一瞬だけ起こった目の輝きです。
 ですから 実験の事件は 好奇心の為すわざであろうと解して 大目に見たというかたちです。

 この事実が 話だけではなく実際に起こった事実であるのかどうか これを質さなければ 互いの心が通じ合うようになるのは望み薄だとは思わなかったです。







 恋は つねに自発性があると思います。相手から言い寄られた場合にもです。
 不倫の恋も  同じくでしょう。

 問題は 《成就》型であるかどうか。――少なくとも一度は 不倫=つまり連れ合いらへの裏切りといった情況が なぜか解消されて 一度は愛としての関係に成るかどうかだと思います。

 さもなければ 共倒れを覚悟しての前進しかないであろうと。

お礼日時:2013/06/26 11:06

bragelonneさん、おはようございます。


Diekbecさん、おはようございます。


☆☆☆☆☆☆
Diekbecさん、
《トリスタンとイゾルデ》はちょっとマズいでしょう♪
二人の愛は《不倫》ですよ、《ふ・り・ん》!!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA% …

二人の道ならぬ恋が始まったのは、
二人が《惚れ薬》を誤飲したこと。
その後、イゾルデは、マルケ王と結婚します。
そして、不倫が始まります。トリスタンとイゾルデは、不倫を重ねます。それがばれて、トリスタンは大怪我を負ってしまいます。そして、トリスタンはその傷がもとで絶命。
その場に、イゾルデが駆けつけ、その亡骸を抱えながら、
《イゾルデ愛の死》といわれる有名なアリアを歌います。

Mild und leise wie er laechelt
 おだやかに、静かに笑ってる
wie das Auge hold er oeffnet
 目が開いた
seht ihr's Freunde? Seht ihr's nicht?
 みなさん、見てる? うっそ~、見えてないの?

と、イゾルデが妙なことを口にしだします。
そして、
さ・ら・に・
その《神がかり》の度合いに拍車がかかっていきます。

All entrinken, versinken, unbewusst
 すべての中に溺れ、沈んでゆく。我を忘れて。。。
hochste Lust!
 ああ、幸せ!

と言って、何故か、イゾルデもこと切れてしまいます。

イゾルデは魔女の血を母親から引き継いでいますので、
おそらく、常人には見えない《何か》が見えたのでしょう、きっと。
そして、神がかり状態のうち死んでしまう。



☆☆☆☆☆☆
なお、
実は、メデイアとイゾルデには、共通点があります。
メデイアとイゾルデのお母さんは、ともに薬草術に長けた《魔女》!!
───たぶん、イゾルデのお母さんはドルイド。だから、設定の上では異教徒───
しかも、両者ともに王女様。
メデイアはエロースの矢に心臓を射抜かれ、イゾルデは惚れ薬と、
本人の意志とは無関係に、有無を言わせない強い力によって、強制的に異国の男と恋愛させられてしまいます。
そして、その《愛》によってその《男を破滅させてしまう》♪♪

自然な恋愛じゃないんですよ、二人とも。
運命という不可知の、不可抗力の力に操られていた、ということになるのですかね。
いや、まぁ~、
悲劇というヤツは、そういうところを持っているから、
悲劇になるんですが♪♪♪
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。



 ◇ ~~~~
 《トリスタンとイゾルデ》はちょっとマズいでしょう♪
 二人の愛は《不倫》ですよ、《ふ・り・ん》!!
 ~~~~~~
 ☆ そうなのでしょうね。条件の違った愛の問題になるかと。


 ◇ メデイアとイゾルデのお母さんは、ともに薬草術に長けた《魔女》!!
 ☆ この科学につうじた魔性と言いますか これは現代人にもありうるかも分かりません。


 ◇ ~~~~~
 自然な恋愛じゃないんですよ、二人とも。
 運命という不可知の、不可抗力の力に操られていた、ということになるのですかね。
 いや、まぁ~、
 悲劇というヤツは、そういうところを持っているから、
 悲劇になるんですが♪♪♪
 ~~~~~~~~
 ☆ この種の――つまりは《魔性》のからんでいる場合の――恋愛悲劇 これについても哲学が解明し得たならばとは思います。

お礼日時:2013/06/26 09:19

 リンクを拝見しました。

思いがけずと言ったら失礼かもしれませんが、面白かった。いやー、良い恋ではないですか。そして、ぶらじゅろんぬさんのことが、少し分かった気がします。むしろポーラ物語を自己紹介の欄に掲げていてほしいくらいです。

 一つの恋に何十年がかりかあ。私には信じられないところがあります。失ったものも大きいでしょうね。若い頃ならば、女性経験がないということが恥にも思えましょう。中年になれば、家族がないということが引け目にも思えましょう。それに反比例して、俺がやっていることが本当なんだ、という矜持は膨らんで行くだろうなあとお察しします。

 ぶらじゅろんぬさんが、少々風変わりである理由が何となく分かった気がしましたよ。世間一般の規格外の恋愛をしていたというのが、一つの要因だったのかもしれないなあ、と思いました。また哲学とおっしゃっている質問の多くは、この恋の謎を解き明かそうという動機があるような気がします(もちろん、他の動機の問いもあることでしょうから一概には言えませんが、コミュニケーションに関する問いは該当する気がします)。 ぶらじゅろんぬ氏の謎、ついに解けた。万歳、というのが、私の今の率直な感想です。

 しかしポーラの手記は、ちょっと盛っていませんか。「狭き門」の影響を感じます。とは言え、ここまで直接的に相手が言ってくれたのだとしたら、私は満足しますが。私の管見の限りで判断すれば、相手はぶらじゅろんぬさんが思うほどに、清廉潔白でも、聡明ではないのでしょう。格好つけたがりではあるようです。例えば、以下の一節。

>たとえば まず ほんとうに男が 女に興味があるのか。

 冷静に人間観察をしているように装っているけれども、言わんとすることは、彼女は男が欲しかったということでしょう。それは性欲というわけでもないのかもしれません。おそらく寂しがりやで、自己評価が低いのかなあ。どうせ自分のことを受け止めてくれる人なんていないだろう。しかし同性と違って、男ならば女への関心から自分を求めてくれるかもしれない。それが彼女に救いに思えたんでしょう。
 強く愛されることを感じたいあまり、狼を求めていたのかもしれません。だから彼女の願望は、(もちろんぶらじゅろんぬさんのディスクールがそう誘導しているのかもしれませんが)、有無も言わさず、体を求められることだったのでしょうね。とはいえ、その気持ちを直接言うほどのプライドはなかった。そんなことを言ったら、男に嘲笑されてしまうかもしれない。だから遠回しに言っていたんだろうし、恋の駆け引きについても一通り、思案を巡らしてみた。これらが、下着だけの格好でいるとか、車で来るように言うとか、くすくす笑っているとか、だったのだなあと私は思います。
 また英語で会話するようにしたのも、言葉よりもまた別の何かを求めるためだったのかなという気がします。母国語だったら、あの手この手で議論も出来ましょう。しかし外国語なら、必要最低限以上のことは伝えられないし、また受け取れないでしょう。言葉より、何か別のものを求めてるが故だったのだなあと思います。

 ただそうなると、相手の人生も悲しいものだったのかもなあ。ボタンの掛け違いが何十年越しか。私からすると、小説でも読んでいるような気になり、呆然とするような話です。しかしロマンチックではありますね。素晴らしいの一言です。
 質問文をより恋愛のことに引き寄せて、是非ともリメイク版をやってほしいところですが、まあ、いろんな方が熱心に回答した問題であるようなので、今新しいメンツでそれをやっても意味がないのかもしれません。それに、どうやら昔に比べて今は、カテの住人が減ってしまったようですね。昔はもっと傑物がいたらしいのですから、比べたら貧相なことになるかもしれません。

 一言だけ。

>>少なくとも貴方との関係の継続を、貴方が望むようには!貴方が望むほどには!彼女は求めなかった、という事実。

 これは間違いでしょう。ポーラには、ポールしかいなかったんですよ。ポールはそれが分かっているから、離れられなかったのだろうと、私には思えます。

 手記がぶらじゅろんぬさんの創作ではなくて、本当だとしたら、もう愛はなっていると思いますよ。信頼できる相手に以外、言えないでしょうから。清水の舞台から飛び降りるような気持ちで見せたのでしょう。私なら、そういう手紙なりをもらっただけで、もう十分です。問題はポールが抜け作でありすぎることか・・・ぼーっとしているにも程がある!(笑)。
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この回答へのお礼

 でぃくべくさん お早うございます。お手数をおかけしました。ご回答をありがとうございます。


 二点つけ添えます。 

 ★ 手記がぶらじゅろんぬさんの創作ではなくて、本当だとしたら
 ☆ 残念ながら わたしの創作です。事実は変えていませんが あとはみな推測によります。




 もう一点:次の記述にある事件のとき わたしは 相手の目に光り輝くものを見ました。
 《輝くもの必ずしも金ならず》とか《でも驚くにあたいしません。アクマも光の天使をよそおうのです》とか言いますが そのときの輝きはあせなかった。――いまは それほど感覚としての記憶は残っていませんが あぁ ウソだったかというふうにはまだヒラメキが現われません。

 ○ (【Q:男と女】No.26お礼欄) ~~~~~
 (ポーラの手記)

 §6 高校性のとき
 
 同じ高校へ進んでから 進展があった。朝 登校のとき ポールのいる教室の窓から 生徒たちの登校の様子が見えている。その行列のなかにいたわたしにも その窓から人が見ていることがわかる。ポールだと認識できたとき わたしは 信号を送った。中学の同窓生で いっしょにスピーチ・コンテストに出た仲ですよねといったかんたんな内容を 気持ちとして送った。
 ~~~~~~~~~~~~~~



 こういったところでしょうか。

 つうと与ひょうのほうは どうしますかね。

お礼日時:2013/06/26 09:13

>わざとではないんです。



 ぶらじゅろんぬさん、 もう随分前から、文学談義になっていますが、承知致しました。そういわれると、弱いところです。二つの問題がこんがらがってしまいましたね。一つは抒情の問題。もう一つは、ぶらじゅろんぬさんの恋の話。私はぶらじゅろんぬさんのお話は、断片でしか知らないので、ようわかりません。それにそれが抒情だと決めつける必要性もないのです。違いますと言われると、ああそうでしたか、すみません、と言って終わりなんです。でも少し書いておきましょう。

 まず抒情について。

>つまり《ゆとり》をもって 失敗に終わったものをも含めて いろんな愛の軌跡をたたえている。と言えますか?

 それは「ゆとり」の捉え方、次第でしょう。私には、「さくらんぼの実る頃」の語り手は、もう老人で、若い頃の失恋を噛み締めながら、孫あたりに言って聞かせているようなイメージがあるんですがね。「美女は避けろ」と説教臭い一節があるのですから。それでも恋をするのなら、覚悟おしよ、とニヤッと笑いながら言っているように思いますね。何しろフランスの歌です。フランス人は、やるなと言われたことほどやりたがる傾向があると聞きますので・・・あとは言わないでもいいでしょう(笑)。
 しかしこれは老人というよりもまだ壮年期の男性で、心に傷を負っていながらも、勇気凛々、新しい恋を探そうマゾヒスティックな決意を表明している可能性だってあるでしょうねえ。何ともそこら辺は、想像力のめぐらせ次第でしょう。いろいろ解釈できる歌ほど、面白いものもない。まあ、抒情の話は一先ず置いておきませんか。

 ぶらじゅろんぬさんの体験は、もうちょっと説明してもらわないと分かんないよー。というところですが、分かる範囲でだけ。

>《 I don't know. 》と言い続けたひとは わたしが《 No ! 》を期待していても それをも言わなかった。Yes とも No とも答えなかったのです。意志も心も脱ぎ捨てた状態で相い接していたのです。ですから Yes か No かの意志疎通だけでも完成させて欲しい。こういう総括なのです。

 なるほど。意思の表明がぶらじゅろんぬさんにとっては大切なのですね。「愛の喜び」でも、そういう一節に注目していましたね。私なら、返事がないのはもう振られたものと思って、そう理解致しますが、そうではないと。わからないなあ。
 まあ白状すると、私はこの点でとてもひどい男だそうです。返事を待たないで、さっさと先に行ってしまうので、私を殺したいくらいに思っている女性はいるでしょう。むかーし、ある女性に会うたびに睨まれ続けて、本当に刺されるのじゃないかと思っていましたが、それが理由だったんだな、と後で分かりました。「それ」というのは、付き合うのを待ってほしいと言われた後、すぐに私が新しい恋人を作ったことです。しかし待ったところで、答えは否だっただろうなと私は思うのですよ。付き合いたくはないが、心だけは欲しいって、女は何考えているんだろうと思ったものです。

 さて、話は脱線しました。ぶらじゅろんぬさんは、無言が否を意味すると納得し難いということですよね。ここが肝だと思うのですが。なぜなんですか。そしてこの話は、私とだけやり取りするより、新しい問いを上げた方が、猫様など、いろいろな方が参入してきてよいように思いますが、どうでしょうか。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 私なら、返事がないのはもう振られたものと思って、そう理解致しますが、そうではないと。わからないなあ。
 ☆ 断片語りをつづけることになりますが イエスともノーとも返事が無いので 話し合いが出来ないのなら ノーだと思って あとは確かめのために電話をするわけです。

 遠距離でしたので 連絡をするのは 年に何回というふうに限られていましたが 電話するとなると デートの誘いなわけです。誘うと じつに イエスなのです。一度だけ ノーがあったので・ただしていねいな断わりだったので もう一度だけ確かめることをした。そのときにも デートの約束にはイエスだったのです。

 つかず離れず。しかも 話し合いは じつは成り立っておらず。
 これが永久につづいたというお話です。

 ★ なるほど。意思の表明がぶらじゅろんぬさんにとっては大切なのですね。
 ☆ ええ。そうなります。

 でも
 ★ ぶらじゅろんぬさんは、無言が否を意味すると納得し難いということですよね。
 ☆ ではないんです。そうではないんです。
 出会いの場は イエスで成立するのです。あとは イエスでもノーでもなく 《 I don't know. 》なのです。ほんとうに英語で言ったのです。


 ★ そしてこの話は、私とだけやり取りするより、新しい問いを上げた方が、・・・ 
 ☆ どうしましょう。
 次のようにだいぶ詳しく説明したのは あるんですが。

 【Q:男と女】( noname#80116 は わたし=ぶらじゅろんぬです)
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3689191.html

 ここに途中から 個人的なことも書き込むようになって 残っています。

 そうですね。少し読んでいただいて 取るに足りぬと判断できたところで そう伝えてくださるようにお願いしましょうか。

お礼日時:2013/06/26 00:42

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