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皆さんにも、そんな経験があるかと思いますが、
私の場合は、例えばある言葉を別の意味と勘違いしていたとか、
大勢の前ですっ転んだというような種類のものではなくて、
もっと自意識的なものが多いのです。
例えば、数人の知人達との会話で、あまり詳しく知らないことをさも得意げに話してしまったとか(詳しくないのは周囲にはバレバレだったはずです)、
いろいろな場面で虚勢をはってしまったなぁ、とか。。。
当時も、「あ、今のマズかったかな」と思ってはいたのですが、
それをずーっと3年、4年も引きずって、
今でもたびたび思い出しては、なんてバカだったのだろうとか、
皆はきっと「痛々しいヤツだなぁ」と思っていただろうな、と想像しては、恥ずかしくなってしまいます。
これが苦しいのです。
その知人たちとは最近まではあまり会う機会がないのですが
これから会うことがありそうな気配です。
恥ずかしいなぁ。
きっと知人たちは、私を「痛々しいヤツ」と思ってしまっているでしょうし。
自意識が強いのですね。
もっと大人になったら、そんな自分のことも受け入れられるのでしょうか?「ばかだったけど、可愛いもんだ」って、いとおしく思えたりするようになるのでしょうか?
皆さんの「恥ずかしい過去」(自意識的な)ってありますか?
また、そういったことを克服したことはありますか?

A 回答 (6件)

 ええっと、私もあります。


 寝る時とか、静かにしているときに思い出すこととか多くて、ふとんにくるまってごろごろ転げ回りたくなります。
 電車の中でぼーっとしているときにふと思い出し、照れ隠しが思わず口についてでてしまい・・ということもありました。。。尚更恥ずかしい記憶が増えるうぅぅう(T▽T)。
 
 でも・・茨木のり子さんの本を読んだとき、はっとしました。けっこう有名なこの詩人さんが、自分の好きな国内の詩について語った本だったんですが、その問題の詩は、戦時中の人の詩です。
 戦時中、朝鮮人が差別されていた事実があって(それがもう過去形なのかどうか私は断言はできませんが、このサイトでもたびたび、「韓国人だから悪い」みたいな感情むき出しで屁理屈こねてる人もいて、人種差別の対象になる国だと思われていることは確かみたいですね)、子供は残酷で、みんなでよってたかってチョウセンジン臭い、といっていじめたんだそうです。鼻をつまむ仕種をして・・。
 作者はそんないじめのなかでも素直さを失わない、ほんとうに大事な朝鮮人の友人を一人持っていました。が、ある日、日本人の友達がその朝鮮人の友人をはやしたてる場面に遭遇してしまいます。
 それまで友人と思い、仲よくしていたのにも関わらず、彼は、日本人の友人たちがしているのと同じように、遠くから鼻をつまむしぐさをしてみせてしまった、と書いています。その時のことを思い出すたび、がむしゃらに食堂にかけこんでラーメン屋ら餃子やら、何杯でも口に押し込まずにはいられない、そういう告白でした。
 そのどっちにとっても酷い身を切られるような切ない話を思い返すと、私は、自分が虚勢をはるのに失敗した程度、なんだろう、と思うようになりました。
 結局、虚勢をはって失敗したことで何がそんなに「ふとんにくるまってごろごろ転げ回りたい」ほど恥ずかしいか、というと、自分かわいさ以外の何者でもない(ごめんなさい、tuliさんを責めてるわけじゃありません)、もし虚勢を張ることに成功していたら、そんなに恥ずかしかったのか?というと、違うと思いました。得意満面で、自分のちっぽけなプライドが満ちて安心していたんじゃないでしょうか。そっちのほうが恥ずかしいのに。
 仮に自分が本当に思い描いたとおりの立派な人物だったとしても、そんなに得意気にしてもいいってわけじゃない・・。謙虚になるべきだ、そう思うようになったんです。
 つまり、思うようにならなかったそのこと自体が恥ずかしく思っているように思うんです。「風とともに去りぬ」の中で、二番目の夫を間接的に死に追いやった罪に怯えるヒロイン・スカーレットに、バトラーが慰めの言葉をかけます。「君は、本当に後悔しているわけじゃない。ただ、地獄に行くのが恐ろしいだけだ。言うなれば、泥棒がつかまって、その盗み自体を反省しているわけじゃないが、罪が露顕して刑務所に行くことになったので残念がっているのと同じだ」と言うんです。
 そんな感じです、わたしの場合。
 ないからない、それは確かに恥ずかしいことで、みじめだけれども、失敗した自分も痛々しく、その痛さは大人げなくて可愛くないが、愛すべき余地がないわけじゃない。
 友人を、もっともひどい方法で傷つけた自責とやりきれなさ、その弱さを自覚しながら一生背負うよりは、まだましだ、みたいな。
 上手くいえませんね・・。
 結局、少しは、「なんてばかだったんだろう、しかも今もあまり変わっていない」と思って焦りますが、ある意味、自分も可愛いな、と思うようになったってことなんだと思います。
 でも同時に、そういう、恥ずかしい、身の程しらずな自分が恥ずかしいという感覚を忘れないほうがいい面もあると思います。分相応を忘れるると、日本の年齢序列制の社会では、厚かましい無恥なおばさん、おじさんに成り果てるような(;^_^A。

 「自分が可愛い」という言葉一つでも、二通りの意味がありますね。両方で読んでください。も、ほんとしょうがないな(笑)、お前って・・な、だめだから愛しい可愛いさと、自分だけが大事だろ!っていう、保身の意味と。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。
茨木のりこさんの例では、私も気付くところがありました。Yusuraさんと同様に。
私のあさはかな恥ずかしさとはレベルがちがいます(苦笑)(嫌味じゃないですよー)。

> 「自分が可愛い」という言葉一つでも、二通りの意味がありますね。両方で読んでください。も、ほんとしょうがないな(笑)、お前って・・な、だめだから愛しい可愛いさと、自分だけが大事だろ!っていう、保身の意味と。

↑理解できていると思います。
多分、自分の事にこだわっているうちは保身ですね。
そして、私はまだ保身にとどまっているのでしょう。
「カッコ悪いトコみられちゃったなぁ。どうしよ、どうしよ」っていう。

要は、
自分の身の丈を認める、ということなのですよね。
ちかごろ、少しずつですが、それが出来るようになったかもしれません。(もう30も近い)
でも、自分を愛することのもう一つの意味の、ダメだからこそ可愛いと思える、そのオトナの視点を獲得するには
もうすこし時間がかかりそうです。
気持の余裕がキーになっていそうですね。

いやぁ、いいですね、こういうページ。
友達と話していても、こういう話題について、巧く核心に触れながら話し合うことは難しいですから。
脱線、しますからね。

重ねて、ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/28 19:49

こどものころを含め そのような経験は、1度や2度皆さんお持ちなのではないでしょうか?私も一人だけ勘違いし大恥をかいたことがあります。

こんな経験を、どのように克服するか? これは、あなた自身がこれからどうしたいか?だけかなと考えています。もし、自意識過剰だと自分で思われているなら改善の方法を考えればいいことですし、これはこれでキャラクターとしておもしろいと思われれば、そのままでよいことだと思います。
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何処かの心理学のサイトに、そのメカニズムが詳しく紹介されていました。

それだけありふれた心理だということですが。

夜中にアパートの隣の部屋から、「ああ~ぁ!!」という叫び声がしました。
しかし争う音もなく、なんら変わったことは見られません。
さて、この雄叫びの犯人は誰でしょうか?という問題で、
正解はプライドでした。

やっぱり「出来る奴だと思われたい」というような見栄や、虚栄心があるから、恥ずかしくなったり、叫びたくなったりするんです。

この逆で「自分は間違いも犯すし、失敗もするよ」と割り切れてる人は、恥ずかしいとも思わないのだそうです。子供はまさにこうですよね。無邪気、無心、無垢な気持ちですから、出来ないことを恥だとも思わないんです。

「自分は出来るよ」というヘンなプライドを持ってしまうと、雄叫びが始まるんです。

で、やっかいなのは、出来ないことを恥だと思う人は、他人が出来なかったことに対しても、「痛々しいヤツ」と思ってしまうんです。

普段、自分に向けて発せられている無言の言葉は、自分の価値観になり、「眼」になりますから、当然、そのまま他人にも向けられてしまいます。

自分に厳しく、他人に甘いという人もいますが、そういう人の腹の底は「これは奴には出来ないことだろう」と、人を低く評価しているからだとも言えると思います。

つまり批判的な姿勢であることには変わり無いということで、自分に向けられている批判は、どうしても他人にも向けられてしまうんです。

この逆に割り切って、自分を受け入れている人は人のミスも許せるんです。

ですから、大切なのは、失敗する・しないではなくて、自分を許して、受け入れることなんです。
「ああ、あの時の俺はかわいかったなぁ」と。
「あの失敗のお陰で、かなり成長できた」と。
肯定的に考えると、全てが好転すると思います。

こちらの#8に、似たようなお話を書いてますので、参考にしてください。
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=815422
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この回答へのお礼

「自分を責めないほうが上手くいく」というのは
とてもいい考え方ですねー。
そして、「責める」のではなく「反省する」のですよね。おとなの、理性的な行動だと思います。
必要以上に責めたり後悔したりすることの原因は、
見栄や虚栄心の崩壊なのも自覚しているのですが、
そのむやみなプライドの高さって、何が原因なのでしょう。
単なる生まれつきの性格なのか、あるいは周辺環境につくられたものなのか。
(そういえば、親はおそろしくへそ曲がりで強情)
原因を知っておくと、自分を受け入れる作業も
スムーズに進むのではないかと思います。
ただ、これも、単純に「これ」といった原因などでは
なさそうな気もしています。

あと、自分に向けられる批判は、そのまま他者への批判にもなるというのも、よく分かりますねー。
虫の好かない人って、結局自分に似ています(苦笑)。
返答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/31 10:36

こんにちは。


私は、23歳 女 学生です。

ありますよ~。
思い出なんて「思い出したら顔が真っ赤になることばかり」です。 笑
でも、後悔してもしょうがないし、思い出は変えられないし、今が良ければそれでいいじゃないですかー。
恥ずかしいと思ったことは繰り返さないように気をつけてます。
悩んでもどうにもならないので、あまり悩まない方がいいと思いますが、いかがでしょう?
それに、この前、そんなようなことを友達と話してて、みんなそういうことってあるんだーって思いましたよ。
あの頃の私はバカだったなぁって思えるなんて成長した証拠だと思います。
私はそう思っています。
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この回答へのお礼

やはり、よくあることだというのはある意味救いです。
考え方を上手く切り替えられそうです。
返答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/30 13:39

若い時、自意識過剰でしたね。



当時はそんなこともありましたが、
今は「一度口から出た言葉は戻らないし、人からどう
思われてもいいや。私は私。」「過ぎた事は忘れて今度なにかあったらがんばろ」ぐらいしか思いません。

一人モンモンとしてたってそれこそ誰にも
理解されないし、。
私の発言で誰かにすっごい影響を与えるとも思えないし。

たぶん私が強く?ずうずうしくなったのは
”年”のほかに思いつかないです。
最近そんなこと考えたこともないですね・・・。
人として成長が止まったのかもしれないです。

まだ、それを感じるのは向上している
証なのではないでしょうか?

そんなふうに思いました。
アドバイスにもなってませんが・・・。
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この回答へのお礼

向上しているといいんですけど、ほんとに(苦笑)。

「私は私」と割り切ることは、
自律していないとできないことですよね。
つまりオトナになることです。

まぁ、少しずつ、向かってゆくのでしょうか、悩みながら。
皆様からのアドバイスで、
いらぬ力が肩から抜けていくようです。

ありがとうございました!

お礼日時:2004/03/30 13:35

こんにちわ。

私も同じです。

多分誰ももう覚えてもいないこと、自分だけが「あ。失敗した」と思っていることで、いつまでも恥ずかしく自己嫌悪に陥ったりします。いつまでも忘れられなくて、ふと思い出すととても苦しくて身悶えするような気分になります。のたうちまわってます…。

私は15年前のちょっとしたこと、ご質問のような出来事が忘れられなくて、思い出して思わず頭を振って振り払う、とかもありました。1つだけでなくいくつもです。
また最近でもあります。

自分でも克服法はわかっていないです。でも自分に自信がない、自分への理想が高いからそうなるのかな、と思ってます。最近心がけて楽になったことを下記します。

1.相手はそんなに自分のことを注目していない
2.誰もそんなこと覚えていない
3.自分に対して理想を持たない
4.自分を許し、受け入れてあげる
5.やっちゃった、と思っても2と4を思い出し「まぁしょうがない、誰も気にしてないだろうし」と思って笑い飛ばす。誰かに話してみる。自分のした行動はした行動として認めて、まぁいいか、次は気をつけよう、と思う。

ポイントは4だと思います。
そんなに自分を責めないこと。
自分は自分のやりたいこと、しゃべりたいことをしゃべればいい、それに対しての反応をきちんと受け止める、まずかったな、と思えば気をつける、そして失敗したと思ったことは反省して受け入れる、そうすると苦しく無くなりますよ。

自分を許して受け入れて初めて、反省することができると思います。自分やしてしまったことを恥じ入って「拒絶」しないで、普通に認めて受け入れれば苦しく無くなりますよ。(^^)

みんな、どんな人でもで良いところも悪いところはあります。その人独特の雰囲気とかクセがあります。みんな一緒です。自分を否定するのを止めれば、苦しくなくなると思います。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。

自分の身の丈を見誤っていた時期がありました、実際。
(今でもたまに?)
近頃、ようやく身の程を知ることも出来るようになり、
ちょっと呼吸が楽になって来たところです。
あとは、当時やってしまったことを拒絶しないように、いわばすこし鈍感にならなければならないでしょう。
「誰もそんなに注目していない」し「誰も覚えていない」のですよね、本当に。
もちろん、No.1にお答いただいたYusuraさんの仰るとおり、ある種の恥じらいまで捨ててしまってはなりません。

こうやって、「自分も同じだ」という声を聞くと、
自責の念も薄らぐというものですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2004/03/28 20:08

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