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(カテゴリーがわからず、違っていたらすみません)

タイトル通りですが、キリスト教はなぜ歌うのでしょうか?
賛美歌はまだしも、最近ではフォークソングの様に、
アコースティックギターとピアノなどで歌謡曲の様に
オリジナル曲で神様のことを歌われています

わたしは信仰心が無いので、誘われるまま仏教でもキリスト教でも、
お話を聴きに行くのですが、お話は大変有難いと思って聞くのですが、
歌がどうにも違和感があります

あとは大声で「ハレルヤ!」と叫びまくるものもあり、怖かったです
全員が信者ではないので、また始めて参列する者にとっては、
悪い洗脳の様に思えることもありました

親しめる様に、またお話に飽きない工夫なのでしょうか?

A 回答 (5件)

 キリスト教も色んな宗教と混ざってきている事も有ります。


 神様に捧げる歌などもありますから、そこから派生していることもあります。ゴスペルは黒人達の元々の文化も有ったかな?

 仏教でも同じように、音楽を使う事も多いです。他に神楽なども。


 識字率が低い場合、歌等を使って伝えたりもしますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

おっしゃるようにキリスト教自体にも宗派がありますし、
その中には他のものの影響があるものも存在していますね
ゴスペルなどは文化としての色合いもリズムなどに感じました

仏教、式典などには舞いや歌などの催し物には、そういった意味合いが
ありましたね

識字率、そういえば聖書などが読めないとか、仏教もそうですが、
そういう場合はご神体やマンダラなど、意味がわからなくても、
これを唱えるとご利益がるというものもありますね
経典を書いた回転式のものなどは、回すと唱えたことになるとかも
色々ご意見を頂き、それらの1つに歌がある、というような解釈になってきました

お礼日時:2013/08/03 17:46

統一性が主の目的だと思います。



念仏だろうが賛歌だろうがそれを歌うもしくは全員で言う瞬間に信仰性を高める訳です。
無論そんな事を考えて作った訳ではないと思いますがそうすることによって統一感を高めそれが良い事の様に思えてくるという事です。
ライブでも同じでしょう、なぜか皆立ってわーわー言いますよね?あれで統一感を出す訳です。
同じ言葉同じ歌を皆が一斉に合わせる事で気持を統一させようとしている訳です。
スポーツなんかでも円陣組んで「オー」とかなんとか言ってますでしょ?あれと同じです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

なるほど、確かに一体感が出ますよね
わたしも合唱団に所属していましたが、皆で声を合わせて歌うことで、
会員さんと達とは、個別に付き合わなくても本当に和やかに心が寄り添う感じでした

学生さんなら校歌がありますね
夏の甲子園などで、勝って歌う校歌は格別です
ライブでファンが皆で大合唱すると、ファン同士でも仲良くなったりですね

同じ宗派ですし、そんなで統一感を持ってもらうには、歌はおっしゃる通り、
格好の手段ですね
気持ちも上がりますし、良い事づくしの様に感じました
歌って力があるのですね

お礼日時:2013/08/04 11:36

特に決定的な理由は無いです。

理由を述べている人も、結局は後付の想像でしかないでしょう。
どこかに「~のために歌わねばならぬ」と書かれていれば別ですけどね。

中世カトリックでは芸術との結びつきが強く、さらに楽しみも何も無い修道士の世界で歌だけが楽しみだったのかもしれませんね。
当然それらはその時代の流行のリズムだったでしょうから、今の世の中になってフォークやロックになっても不思議ではありません。
いまでは厳かな雰囲気の雅楽も、実は当時の流行歌だったり、神様に「今唐ではこんな歌が流行っているんですよ」って歌ったんだそうです。

ゴズペルなどは貧しい黒人や移民の中から生まれたものですので、どこかソウルに似た雰囲気があります。

信仰は自由なものなので、当然違和感もあるでしょうけど、決してそれだから敬虔ではないというわけじゃないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

そうですね、感覚的に古典だと厳粛な印象で現代的だとカジュアルに感じていました
そういう意味では時間軸を当時にすれば、流行歌だったというのも頷けます

ゴスペルなどは、漁師さんの底引き網を引く時の歌や、皆で力を合わせる時に
自然発生的に生れた魂の響きのようです(わたし個人の感想)

教会で歌われていたフォークソングのような賛美の歌も、繰り返し歌われているのか、
覚えている方は一緒に口ずさんでいらっしゃいました
教会に来て、楽しく過ごせ、賛美の歌を歌うのは信者さんにとっては喜びのようでした

ご神体や、呪文のように繰り返し唱えるものがあると、最初は理論で受け入れていたものが、
いつの間にかそれらに影響され、見慣れたり聞き慣れたりしていく内に感覚に浸透し、
梅干を食べた人が、見るだけで唾液が出てくるように、考えて判断する左脳から
右脳のイメージ野に移行することで、洗脳が始まるというのがあり、
歌がその意味のツールに感じられ、とても違和感がありました

古典的な賛美歌やお経は自分の中では完全に別枠に捉えているので、
それによって信心が出来ることは自分にはないのですが、
言葉をよく聞いてしまうフォークソング調の曲を披露するパフォーマンスは、
普段から歌詞の良い歌によく共鳴するのでとても違和感がありました

一緒に楽しまれている信者さん達は既に信者ですから、問題が無いことでしょう
フォークソング調の賛美歌を聴いた時に、オウム真理教の人達が道場で修業している様子が
TVで放送されたのを見た時のような違和感があったので、
これらの伝達方法には何か意図したものがあるのかなと疑問に思いました

回答者様はハンドルネームやプロフィール画像からもミッション系に関心のある方なのですね
質問の仕方がアバウトでしたが、ご意見を聞けて良かったです

お礼日時:2013/08/03 13:22

お経もメロディがあるよ。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

ああ、言われてみればそうですね!
太鼓や鐘を鳴らしながら唱えますね
節回しがあり、檀家さんなどは一緒に同じように唱えているのを見ました
なるほど、なるほど・・・・・

一定のリズムやマントラなども、メロディーですね
やはり唱え易いですし、耳慣れてくると心地良いのかも知れません
とても納得しました

お礼日時:2013/08/03 09:23

そうですね。



信者にとっては教会に通うことが娯楽の一つですから。
また教会側も信者の心をつかもうとしていろいろな工夫をします。それが歌や音楽になるのでしょう。

でもそういうところから黒人のゴスペルとか、J.S.バッハの音楽のようなものが生まれてきたので、悪いことばかりではないと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます

なるほど、娯楽の1つですか
楽しむという発想が無かったです
そう言われるとそうでしょうね

黒人のゴスペルは宗教に関心が無くても素晴らしいと思いました
日本でも教会でゴスペル教室のようなものをやっているところがあり、
一般の方々で仏教徒の方も、合唱団感覚で気軽に通われていたりします

宗教というと、真面目に経典を学ぶようなイメージでしたが、
歌や音楽なら親しみ易いですね
それらがきっかけでも、結果的に学べるのならという解釈で良いでしょうか

お礼日時:2013/08/03 09:19

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