あなたの映画力を試せる!POPLETA映画検定(無料) >>

こんにちは。
なぜ昭和天皇は戦犯として処刑されなかったのか?
これはヤフー知恵袋でも昭和天皇関連で一番多い質問なんですが
その理由は以下の2つに分けられるのですが、どれが正解なんでしょうか?

・そもそも天皇は戦犯ではない
・戦犯だけど、処刑なんかしたら日本が混乱して大変なことになるので、むしろ天皇制を利用した方が良いと考えた

分かりやすく教えて下さい。
よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

「利用した」んだろうね。



ただ、戦犯かどうかはどっちでも良かった。
というより、戦犯だと困った。

どちらか白黒つけようとすれば東京裁判に訴追されたはずなのに訴追されていない。
昭和天皇を被告人にして陳述させれば、昭和天皇は自分を「戦犯だ」と主張しただろうし。
戦犯になれば、例え死刑が免れても、最低限「退位」になる。次の継承権者では「求心力」が見えない。
天皇が「戦犯」になれば、天皇陛下のために戦ってきた国民や兵士の心はズタズタになる。

日本国内に在留し日本国民を知ったマッカーサーは、本国で「天皇制廃止論」があったのを反対し、「存続させるべき」と主張した。
そこには、対中国ソ連に対抗するためには、日本が地理的理由で最も重要な国であり、一刻も早い復興が必要だった。
天皇制を廃止して、日本国民の心をバラバラにしてしまうより、「まとめる力(求心力)」として利用する方が得策と判断した。
    • good
    • 4

理由はいくつかあります。



1、天皇を裁かない条件として、東京裁判で
 戦犯として裁かれる被告人たちは、強く抗弁
 しない、との申し出をしました。
 米国も、東京裁判をスムーズに終わらせるため
 にこの条件をのみました。

2、日本統治のためには、天皇が必要、便利だ
 ということを知りました。
 米国は、天皇は17個師団の力がある、と分析
 していました。

3、社会主義への防波堤として、天皇の利用を
 考えました。
 社会主義は、平等を理念としますので、天皇のような
 特権階級が存在するだけで、防波堤になるのです。
    • good
    • 7

玉音放送を阻止しようとしたり


厚木の小園大佐の様に終戦後も戦ったりするわけですから
天皇を殺したら面倒になることは火を見るより明らか

幕末諸外国が海戦で勝利しても
陸戦では死を恐れぬ日本の侍の反撃による
被害を考えると全面戦争に持っていけなかった理由で
それは80年後の硫黄島や沖縄戦で実証されます

米軍は沖縄侵攻軍総司令官であるバックナー中将も戦死してますし。
このランクの将軍(ヨーロッパ戦線ならパットン将軍に匹敵)が対外戦争で戦死したのは、独立戦争は別として、後にも先にもこの戦闘だけのはずです。
しかも米軍の「戦死者」数は、確か24時間以内の死亡者数です。公式の戦死者数は12,520人となっておりますが、実際は戦傷者 72,012人の内の相当数が死者のはずです。
日本軍の死傷者94,136人と比べると、トータルでは大して変わりません。
しかも米軍の侵攻兵力55万8千人に対し、日本軍はたったの11万6千人ですから、日本軍の5倍近くの死傷率という事になります。
当時の米国の人口は日本の2倍程度で、しかも黒人等で戦争に参加しない人口も含んでおります。そのような中、相手より5倍も高い確率で兵士が斃れていったら、いくら工業力が20倍有っても戦争継続は不可能だと思います。

以上の理由から 天皇の処刑は下策の下策という結論は当然と思います
    • good
    • 3

基本的には後者が正解ですが、少し補足します。



東京裁判が終わった時、ニューヨークタイムズは「裁判中一度も出席しなかった被告がいる・・・」と論評しました。
敗戦国の元首に責任が無い、などということはありえませんが、東京裁判は天皇を裁くことをしませんでした。

処刑しても日本が混乱して大変になる、は旧日本陸軍の妄想です。
主権者米国の意図はソ連の南下を防ぐ砦の一つとして日本を利用したい。
そのためには、天皇を温存する方が良い、と考えた。
朝鮮戦争では、その思惑通り、日本は米軍の補給基地としての役割を十二分に果たしました。
    • good
    • 6

強いていえば



>・戦犯だけど、処刑なんかしたら日本が混乱して大変なことになるので、むしろ天皇制を利用した方が良いと考えた

かな?

てゆか、戦後、あのタイミングで天皇を処刑してたら、日本に居た外国人の安全が確保出来なかったと思う。

当時の日本人なら、天皇が殺されたと知ったら、進駐軍が自動小銃を撃ちまくっていたとしても、包丁や竹槍を手に、進駐軍に突っ込んで行ったと思う。

国民全員でかかれば、例え素手同然でも、武装した進駐軍でも、ある程度の人数は殺せます。

1人殺す間に100人殺されたとしても、こっちが200倍居れば、最終的に皆殺しに出来ます。

たぶん、当時の日本人は、天皇が殺されたって知ったら「たとえ何人殺されようとも、日本から外人が居なくなるか、国民が全員死ぬか、どっちかの結果が出るまで抵抗し続けた」と思いますよ。

当時の天皇は「そういう存在」だったのです。
    • good
    • 6

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qもし昭和天皇が戦犯として処刑されていたら。

もし、昭和天皇が戦犯として処刑され皇族も追放されていたら、その後の日本はどのような状態になったでしょうか。
イラクのような内戦状態でしょうか。或いはGHQの占領政策を従容と受け入れていたでしょうか。

Aベストアンサー

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はありませんでした。米軍に立ち向かう武器も民間には皆無でした。また、近代武器を持っていた日本軍をごく少ない損害で殲滅した米軍に、仮に天皇処刑に憤った民間人が竹槍を作って立ち向かったとしても「日本側全員射殺、米軍損害ゼロ」以外の結果はありえないと当時の日本人は骨身に染みて分かっていました。

昭和20年当時の米軍は、都市絨毯爆撃で非戦闘員を焼き殺し、非戦闘員を機銃掃射し、民間人を満載した商船を無警告撃沈する、今よりずっと「怖い」軍隊です。今のように「誤爆で民間人が3人死んだ」などということを問題にする欧米マスコミもありません。占領軍に竹槍で歯向かった日本人が全員射殺されるのは、当時の常識では当たり前です。
(現在、イラクやアフガンの内戦が容易に収束しないのは「21世紀の常識では、占領軍や政府軍に歯向かう民間人をみだりに射殺できない」からです)

昭和天皇は処刑に際し「敗戦の全責任は朕にある。国民は、朕の死を聞いて軽挙妄動せず、新日本の建設に尽くして欲しい」といったことをいい、占領軍はそれを宣伝したでしょう。これも、日本人を抑止する大きな力となったはずです。

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はあり...続きを読む

Q昭和天皇が終戦後アメリカに処刑されていたら

昭和天皇が終戦後アメリカに処刑されていたらどうなっていましたか?

今の日本は大きく変わりましたか?

Aベストアンサー

#2同様「共産化」ですが、私の考えるストーリーは違います。
簡単に言えば、朝鮮戦争は起きず日本は共産化、または日本が分断国家になったでしょう。

まず共産化そのものを見たときに、最近ではネパールが共産主義毛沢東派が支持者を集め王政を廃止しています。その後、ネパールの内政は乱れに乱れ、ようやく最近連邦制の政府として再出発できるぐらいまで落ち着いてきたといえます。

いずれの国でも今までの制度が崩壊すると、それを新たに構築するのに時間がかかるわけです。

今の共産主義派は以前のようにバイタリティーもなくなり、ソ連の崩壊や中国の問題などもあるので支持者も昔のような夢を見ることはなくなりましたが、1945年当時はソ連が新興国として覇権を握ろうとしている時期であり、シベリアから南下した共産勢力が中国・朝鮮と侵食している時期でした。当然日本にも共産シンパは沢山おり、敗戦の年には共産党が復活し正当な党として認められています。

ですので、以下ストーリーとしては

日本はポツダム宣言受諾後敗戦を迎え、東京裁判に至った1946年の基礎は天皇も含まれ、3年の審理を尽くした上で、天皇も処刑された。

GHQとしてはその後皇太子を新天皇として即位させ、新憲法発布後に再独立させるつもりであったが、新憲法作りの手続きにおいて共産党および社会党の左派勢力によって遅延する事態が続くことになった。

同時に日本への関与を認められなかったソ連は空白地帯となった朝鮮に侵攻し、アメリカをはじめとする資本主義勢力と対決姿勢を強めはじめる。一旦アメリカと38度線で合意し停止したソ連は、日本の政治的不安に乗じて南下の意思を明確にし始め、また日本国内の左派も「天皇制がなくなった今、新日本の平時選択に共産主義がないのは不公平だ!」と反米反資本主義運動を開始する。
アメリカが日本の政治運動を強制的に排除しようとしている隙に、ソ連は38度線を越えて侵攻を始め、アメリカ軍との戦闘が起きる。

しかし、日本の左派の運動はますます大きくなり、アメリカは日本を大陸に対する橋頭堡どころかGHQの立場まであやしくなり始め、中国などの支援を受ける共産勢力側がついに日本海に到達し、同時に北海道に向かってソ連が包囲網を敷き始める。

アメリカはこのまま戦況が拡大するのを恐れソ連に「日本の復興への参加」を呼びかけ、ソ連はそれに応じつつ北海道に侵攻する。

ソ連や中国共産軍に朝鮮半島を、ソ連に北海道を抑えられてしまったアメリカ側は、38度線に変わる新しい停戦ラインをドイツに倣って北海道と本州の宗谷海峡で引くことを提案するが、ソ連側から北海道と九州の割譲を要求され、呑むことができなくなった。
そのため新たに軍事行動を起こしたソ連は北海道から本州に渡り、また朝鮮半島からは対馬を経て山陰側に兵力を輸送する目論見が明らかになってきた。

これを脅威に考えたアメリカは、東京をベルリン同様アメリカとソ連の共同統治とし、ほぼ東京を通過する36度線を停戦ラインとし、36度の南側である、埼玉県・千葉県・山梨県・岐阜県・福井県をアメリカ側それより以北をソ連側に渡し、日本海においては対馬を通る中間線を停戦ラインとして合意した。

これによりソ連は当初の目論見どおり日本海側から太平洋への通行権を確保し、アメリカと本格的な冷戦状態にはいっていくのである。

ついでに、いえば北日本には「新天皇」を称するファミリーが台頭し、36度線は21世紀になっても「冷戦の遺物」として残ることになるのである。この冷戦の遺構ツアーは36度線ツアー(DMZツアー)として人気があり、停戦合意後の話し合いの場所として旧皇居=旧江戸城の停戦合意ツアーが人気になる。

南日本は西ドイツ同様精密な工業製品を産出する国家になり、その目覚しい高度成長は新首都になった大坂の川になぞらえて「道頓堀の奇跡」とよばれるようになった。

#2同様「共産化」ですが、私の考えるストーリーは違います。
簡単に言えば、朝鮮戦争は起きず日本は共産化、または日本が分断国家になったでしょう。

まず共産化そのものを見たときに、最近ではネパールが共産主義毛沢東派が支持者を集め王政を廃止しています。その後、ネパールの内政は乱れに乱れ、ようやく最近連邦制の政府として再出発できるぐらいまで落ち着いてきたといえます。

いずれの国でも今までの制度が崩壊すると、それを新たに構築するのに時間がかかるわけです。

今の共産主義派は以前のように...続きを読む

Q昭和天皇がA級戦犯にならなかった理由

昭和天皇がA級戦犯にならなかった理由は何だったのでしょう?
どなたかご存知のかた教えて下さい。

Aベストアンサー

A級戦犯になられるのにふさわしいお方だと思いますが、日本人の画一性、同一性を知っていた米国にとっては、日本を統治するのに必要だったために、「日本のエンペラーを処刑せよ」というソ連、中国、イギリス、オーストラリア、米国議員の声を退けて、戦犯除外としました。

米国の展望
「日本の無条件降伏、あるいは完全敗北と同時に、天皇の憲法上の権限は停止されるべきである。政治的に可能で、実際に実行できれば、天皇とその近親者たちは身柄を拘束し、東京から離れた御用邸に移すべきである」。「天皇を日本から連れ出さなくてもよい」。「もし天皇が日本から逃亡したり、あるいはその所在が不明の場合には、天皇のとるいかなる行動も法的有効性を持たないことを日本国民に伝えるべきである」。「中国およびアメリカの世論も次第に天皇制の廃止に傾きつつある」。

米国の分析は的中し、マッカーサーの言葉が、そのことを証明しています。
「史上、戦時平時を通じ、これほど敏速かつ円滑に復員が行われた例を、私は知らない。約700万の兵士の投降という史上に類のない困難かつ危険な仕事が、一発の銃声も響かせず一人の連合軍兵士の血も流さずに、ここに完了した。」

1946年1月25日にマッカーサーは米国本国に提言しています。
「天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされるだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫に続くであろう。復讐の為の復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある。政府の諸機構は崩壊し、文化活動は停止し、混沌無秩序はさらに悪化し、山岳地域や地方でゲリラ戦が発生する。私の考えるところ、近代的な民主主義を導入するという希望は悉く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう。そのような事態が勃発した場合、最低百万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数十万人にのぼることだろう。天皇が戦犯として裁かれるかどうかは、極めて高度の政策決定に属し、私が勧告することは適切ではないと思う」 

米国ロサンゼルス・タイムズが非公開になっている昭和天皇に関する言動録を公開するよう日米政府に求める社説を記しました。これは天皇が軍部に操られていたというのは、日本統治のための国際向けの米政府のまやかしであり、天皇は戦争遂行において重要な責任立場にいたと言っています。日本政府は正式な資料を公開していません。

真偽不明ですが、原爆投下前に鈴木貫太郎が降伏の提案を天皇に対して行いましたが、天皇は「もう少し様子をみなければ、みなは納得しない」と退けたという話もあります。

[バーンズ回答]
1945年8月10日に日本政府はポツダム宣言受諾の代わりに「国体護持」を保証するのか、またはポツダム宣言は天皇制廃止が含まれているのか、連合軍に対してスイス経由で尋ねました。米国国務長官バーンズによる回答が、8月12日にもたらされ、「天皇の権限は連合国総司令部の制限の下に置かれる」としたうえで「最終的な日本の政治形態は、日本国民の自由に表明する意思により決定されるべきものとす」というものでした。日本政府はこの解釈に紛糾しましたが、真偽不明ですが、天皇の裁断でポツダム宣言受諾となったようです。米国はどう転んでも矛盾しないように、備えていたと見るべきでしょう。

A級戦犯になられるのにふさわしいお方だと思いますが、日本人の画一性、同一性を知っていた米国にとっては、日本を統治するのに必要だったために、「日本のエンペラーを処刑せよ」というソ連、中国、イギリス、オーストラリア、米国議員の声を退けて、戦犯除外としました。

米国の展望
「日本の無条件降伏、あるいは完全敗北と同時に、天皇の憲法上の権限は停止されるべきである。政治的に可能で、実際に実行できれば、天皇とその近親者たちは身柄を拘束し、東京から離れた御用邸に移すべきである」。「天皇を...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Qマッカーサが昭和天皇を守ろうとした理由を教えてください

友達が歴史好きの人が多くて話についていけず困っています。マッカサーはアメリカ軍のどんな地位にいた人だったのですか?またマッカーサはなぜ天皇を守ろうとしたのですか?どなたか物知りで親切な方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

マッカーサーは日米開戦時はフィリピンの米軍司令官ですが米軍はマニラを非武装宣言をしてバターン半島に逃げ込み日本軍の攻撃を受けて降伏しますがその前にマッカーサーは有名なアイシャルリターンとゆう言葉を残してオーストラリヤ逃れて行きましたが二年後に反抗してきて日本が降伏した時には日本の占領軍の最高司令官として日本に乗り込んで来ましたが、アメリカ軍は日本の国民性とか歴史とか研究して占領政策
を進めてきますが当時ソ連の代表などは天皇を戦争犯罪人として逮捕すべきだと主張していたようです。もし天皇を逮捕していたら恐らく日本は今のイラクのように収拾がつかないような国になっていた可能性があります。戦後生まれの人々には想像出来ないほど天皇陛下は全国民に尊敬されていて陛下のためなら命は惜しくないと考えていた国民は多く居ました。マッカーサーは天皇を守ろうなどは考えていません、ただ利用しようと考えただけでしょう。天皇陛下を守ろうとしたのは日本国民で
あったとゆうことです。戦後皇室についての教育は全くされていないので女系天皇論まで飛び出して現在東宮は多くの問題を抱えて大変なことになっています。

マッカーサーは日米開戦時はフィリピンの米軍司令官ですが米軍はマニラを非武装宣言をしてバターン半島に逃げ込み日本軍の攻撃を受けて降伏しますがその前にマッカーサーは有名なアイシャルリターンとゆう言葉を残してオーストラリヤ逃れて行きましたが二年後に反抗してきて日本が降伏した時には日本の占領軍の最高司令官として日本に乗り込んで来ましたが、アメリカ軍は日本の国民性とか歴史とか研究して占領政策
を進めてきますが当時ソ連の代表などは天皇を戦争犯罪人として逮捕すべきだと主張していたようで...続きを読む

Q昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

軍幹部や閣僚、枢密院の事実上の強制である「助言」に逆らえなかったのはなぜなのでしょうか?
天皇は、軍部を最終的に指揮・統括する統帥権を持っていたのですよね。
様々な事由で軍や政治家の意見を聞き入れなければならない状況もあったと思います。しかしミッドウェー以後の戦況を正確に知っていたなら、最早戦況は絶望的で、このまま戦いを続けたなら軍人のみならず、多くの国民の命が失われることは火を見るより明らかであったことは知っていたはずです。
軍・政治家の「助言」は飽くまで助言であり、例えそれに反したものであっても、最終の決断を下す権限を当時の天皇は持っていたのですよね。そしてそれは、何人たりとも妨げることはできなかったのですよね?
にもかわらず「本当の」統帥権を発動できなかったのは一体なぜなのでしょうか?

Aベストアンサー

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答されていらっしゃるように、昭和天皇が自身を「立憲君主」として律していた根拠でもあります。
つまり、統帥権を含め国務は輔弼の臣の輔弼行為に依拠し、天皇は積極的な国政への関与を控えていたと言うことです。皆さんがおっしゃているように田中首相への叱責、二二六事件、終戦の決断以外には判断を下していません。終戦についても最高戦争指導会議構成員会議および閣議が意見の一致をみないために、最高戦争指導会議に枢密院議長を入れ、御前会議の形式をとり、天皇の判断を仰いだために天皇が決断したのであって、昭和天皇も決断を求められるのは本来の形でないと思っていらしたようです。
ですから、戦争がいかに不利になろうとも、国務・統帥の輔弼がない限り停戦・休戦・終戦にならなかったのではないでしょうか。また、統帥部の輔弼がない限り、終戦への統帥権の発動もなかったと思います。
このように輔弼を受けることにより、責任は輔弼の臣が取るべきもので、天皇自身には及ばない体制が成立しています。西園寺が天皇に田中首相叱責で注意したのはこの点であり、長い伝統を持つ公家社会(天皇を含め)の伝統的方策(生き残るための知恵)にも合致していたからです。

以上、参考まで。

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答さ...続きを読む

Q徳川家はなぜ天皇家をつぶさなかったのか

徳川家はなぜ天皇家をつぶし、最高の権威を手に入れなかった

のでしょうか?

自分は徳川家が早い段階で天皇家を滅びさせていれば

明治維新は起きなかったのではないかと思っています。

徳川家は惜しいことをしたと思うのですが、やはり天皇家は

日本人にとって切っても切れない存在だったのでしょうか?

Aベストアンサー

ヨーロッパの王権神授説は有名ですが、中国でも漢民族の王朝の交代
に際しては、武力による旧王朝の打倒であれ家臣や姻族による簒奪で
あれ、タテマエだけでも禅譲という形式を取ったります。徳を失った
皇帝が徳のあるものに権力を譲るという「形式」ですね。イスラムは
宗教と王権が合体?していますね。前の方々も述べられているように、
要は、武力や経済力による実効支配だけではダメなんですね。

日本の場合、天皇からの権力の委任という形を取っているのが特徴で
すね。ですから、天皇家をつぶす為には、天皇に代わる権威(支配の
正統性)が必要なのです。徳川に限らず、結局のところ、力では圧倒
しても、天皇に代わる権威を見出せず、実行できなかったのだと思い
ます。

平家は都落ちに際し安徳天皇を拉致?しますが、京都には天皇家の家
長である後白河院が健在であったため、焼け石に水。
承久の乱では、北条義時が天皇家の家長である後鳥羽院の島流しを敢
行しますが、北条得宗専制ですらまだ始まってはおらず、あまりにも
時期尚早。天皇を頂点とする公家勢力・寺社勢力の息の根を止める以
前に、まだそれ以下の鎌倉「将軍」の権威で武士の統合が必要な時代。
元弘の乱の後醍醐天皇の配流と、建武新政崩壊後の南朝への攻略は、
持明院・北朝の存在を前提としたもので、天皇家抹殺の意図なし。
足利義満による皇位簒奪計画という学説もありますが、事実だとして
も未遂。
織田信長が将軍や関白などの官職を受ける意志がなかったとすれば、
どのように権威(支配の正統性)を樹立するつもりだったか、興味深い
ところ。信長自身の神格化?がそれという説も。
豊臣秀吉は天皇を中国に移し、自分はインド方面まで手を伸ばすつも
りだったとか。天皇を一国王としての地位に留め、その地位を保証す
る世界皇帝になることで、天皇を超えようとしたという説も。
で、本題の徳川家ですが‥
徳川家康の場合は、京都や大坂を掌中に置くのに時間がかかり過ぎ、
短期決戦できなかったのがネックでしょう。家光の代までに幕府も安
定し、禁中並公家諸法度などで従来の権門(公家・寺社)を幕府の法制
下に置き、武家官位と公家官位を分離するなど、色々と手は打ってい
るようですが‥
でも綱吉になると、生母桂昌院に従一位を貰って喜んでみたり‥
そうこうしているうちに将軍の継承問題、そして改革と挫折の連鎖の
時代となり、天皇家に構っている余力はない‥ 要は支配の正統性の
問題は、権力を握ったらすぐに手を打たないと、手遅れになるという
ことですね。

あと、蛇足ではありますが、源・平・藤原・豊臣などの「氏」が、
日本の場合天皇から与えられるという性格を持つという点も、天皇制
存続に関して何らかの意味を持つのかもしれません。平清盛・源頼朝
・平(北条)義時・源(足利)義満が姓を自分で決めて自称せず、織田信
長・徳川家康が源・平姓を名乗り、羽柴秀吉が豊臣姓を貰って喜んで
いるうちは、天皇の風下に甘んじるという一面を持ちます。もっとも、
姓を自分で決めて自称するとか、姓を捨てて天皇家と同じ無姓となる
という発想自体が、思考力の枠を超えるものでしょうけど。でも、信
長あたりは長生きしていたらやっていたかもしれないし‥

ヨーロッパの王権神授説は有名ですが、中国でも漢民族の王朝の交代
に際しては、武力による旧王朝の打倒であれ家臣や姻族による簒奪で
あれ、タテマエだけでも禅譲という形式を取ったります。徳を失った
皇帝が徳のあるものに権力を譲るという「形式」ですね。イスラムは
宗教と王権が合体?していますね。前の方々も述べられているように、
要は、武力や経済力による実効支配だけではダメなんですね。

日本の場合、天皇からの権力の委任という形を取っているのが特徴で
すね。ですから、天皇家をつぶす...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q天皇って本当に必要ですか?←税金の無駄遣いで不快

天皇って本当に必要なのでしょうか?税金の無駄使いで不愉快です。
彼らは、海外の似たような身分の人と会食をしたり、挨拶をするだけで、何も私達の生活には影響がありません。
 彼ら、天皇家は国民の前では手を振っていますが、おかしいです。
彼らは我々の税金で、ご飯が食べられるのです。国民の前では、常に礼をすべきです。
そして、隠し事が多すぎます。何かあると、マスコミの前では何も言わず、貴族の城へ隠れます。
私達の税金で食べてる以上、情報開示をもっとすべきでしょう。
そして、東京の真ん中に、莫大な土地を所有しているにも関わらず、何も役に立っていません。
国民の為に売却し、もっと有効利用すべきではないでしょうか?
天皇家は、土地の安い場所へ引っ越すべきだと思います。

さらに、子供に「様」まで付けて呼ばせています。なぜですか?
本当に何様なのでしょうか?
死んだときは、「崩御」と言う言葉を使うように、神様扱いしている理由が分かりません。
そんなに、すごい事を私達にしてくれますか?

また、日本国の象徴と言われているのが不思議です。
日本国憲法で職業選択の自由が保障されているにもかかわらず、私を含めほとんどの人は、天皇になる権利がありません。
これは差別です。
日本国の象徴は、国民投票で選ばれるべきだと思います。
可能性は低いですが、どんな日本国民でも努力次第で総理大臣になれます。
でも、天皇になるのは、なりたい人もいらっしゃるでしょうから、チャンスを与えてあげるべきだと思います。
まぁ国の象徴も、日本国憲法も、アメリカが作ったものなので、不条理なのは、仕方がないのかもしれませんがね。
とにかく、天皇を税金でまかなう必要があるのでしょうか?
私は必要だと思う人たちが、毎年、天皇家へ寄付をすればいいだけの話で、日本から切り離してもいいと思います。
本当に天皇は必要ですか?皆さんの意見をお聞かせください。

誤解される方が多いと思うので書きますが、私はサヨクでも、在日でも、宗教団体の人間でもありませんので。

天皇って本当に必要なのでしょうか?税金の無駄使いで不愉快です。
彼らは、海外の似たような身分の人と会食をしたり、挨拶をするだけで、何も私達の生活には影響がありません。
 彼ら、天皇家は国民の前では手を振っていますが、おかしいです。
彼らは我々の税金で、ご飯が食べられるのです。国民の前では、常に礼をすべきです。
そして、隠し事が多すぎます。何かあると、マスコミの前では何も言わず、貴族の城へ隠れます。
私達の税金で食べてる以上、情報開示をもっとすべきでしょう。
そして、東京の真ん中に...続きを読む

Aベストアンサー

 天皇は職業ではありません。地位です。

 誰でもなれるようにすると、余計な権力争いがおき、世の中が乱れたり、無駄なお金がかかったりするだけです。

 誰でもなれないから絶対的権威となるのです。宗教的バックボーンの薄い日本人から、天皇制をとってしまえば、国家が乱れて、安定させるのに莫大なお金がかかります。

 そのためだとは言いませんが、無駄なお金を使わないためにも税金で制度を維持する必要があるのは当たり前のことです。

 あなたは警察や消防、自衛隊を必要とだけする人だけがお金を出して雇えばいいと言っているのと同じです。
 
 外交上も皇室があればきわめて円滑な国家間の交際が可能となります。王室のない国はそのためにものすごいお金と努力を使っています。

 もう少し歴史や外交、国際関係、政治を勉強してください。その上で建設的質問をお願いします。

Q昭和天皇は、敗戦の際に、なぜ、退位しなかったのでし

70年前に日本は敗戦を迎えました。その際、日本の最高指導者である(実質上、最高指導者であったどうにかについては、今回考慮しませんが、少なくとも名目上は、最高指導者として考えてもよい、と思います)昭和天皇は、退位しなかったですね。

通常の会社が倒産した場合、会長や社長は、(表向きは)引責辞任します。
なぜ、昭和天皇は、敗戦にもかかわらず、退位しなかったのでしょうか?

なお、ここでは、退位の是非を、問うているのではなく、天皇は、どのような考えで、退位をしなかったのか、を聞いています。
私は、次のことにようなことを考えていますが、考えがまとまりません。

1.彼は、自分には敗戦の責任はない、と思っていた。
2.彼は、自分の退位により、社会の混乱(革命なども)が発生することを防ぐため、退位できない、と考えていた。
3.退位するより、在位のままで継続することにより、今後、天皇の責任を果たしてゆきたい、と考えていた。
4.日本や外国から、退位の要求(圧力)がないし、日本は、自分の継続を望んいる、と考えていた。
5.超越している天皇には、本来、退位がない、と考えていた。

皆様は、どのようにお考えでしょう

70年前に日本は敗戦を迎えました。その際、日本の最高指導者である(実質上、最高指導者であったどうにかについては、今回考慮しませんが、少なくとも名目上は、最高指導者として考えてもよい、と思います)昭和天皇は、退位しなかったですね。

通常の会社が倒産した場合、会長や社長は、(表向きは)引責辞任します。
なぜ、昭和天皇は、敗戦にもかかわらず、退位しなかったのでしょうか?

なお、ここでは、退位の是非を、問うているのではなく、天皇は、どのような考えで、退位をしなかったのか、を聞いていま...続きを読む

Aベストアンサー

 終戦前後に天皇退位論が唱えられたのは有名です。その中心は近衛文麿で、このままでは革命が起こるとして「近衛上奏文」を書きました。天皇は退位して、京都の仁和寺に隠棲するという提案です。

 しかし、昭和天皇は戦争責任を自分に押し付ける考えだとして拒否したようです。もっとも、かなり真剣に迷われたらしく、内大臣木戸幸一の日記(昭和20年8月29日)に、「自分一人が退位でもして納める訳には行かないだろうか」と下問したことが記されています。

 また翌21年春、天皇が側近に戦時中の記憶を語っ『「昭和天皇独白録』では、「もし自分が自然の勢いに逆らって主戦論を抑えたら、国内の世論が沸騰してクーダタが起こる可能性があった」と発言しています。直接退位について語ったわけではありませんが、原武史教授は自分が退位したら若い皇太子の摂政として高松宮が実権を握る危険に配慮してと指摘しています。226事件における秩父宮の役割を、天皇は忘れていなかったということです。

 病気療養中の秩父宮に代って、神がかりの貞明皇太后お気に入りの高松宮が登場するのを警戒したのでしょうか。

 したがって、2+3 あたりが真相に近いでしょう。

 終戦前後に天皇退位論が唱えられたのは有名です。その中心は近衛文麿で、このままでは革命が起こるとして「近衛上奏文」を書きました。天皇は退位して、京都の仁和寺に隠棲するという提案です。

 しかし、昭和天皇は戦争責任を自分に押し付ける考えだとして拒否したようです。もっとも、かなり真剣に迷われたらしく、内大臣木戸幸一の日記(昭和20年8月29日)に、「自分一人が退位でもして納める訳には行かないだろうか」と下問したことが記されています。

 また翌21年春、天皇が側近に戦時中の記憶を語っ『...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング