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私はいつも消極的に物事を考えてしまいます。
普段、歩いていても人目が気になります。
典型的なビビリ君です。
これを直すにはどうしたらよいのか、よかったら聞かせてください。
それと、よく日本人は消極的でといいますがみなさんはどうですか?

A 回答 (6件)

あんまり気にしなくていいのではないでしょうか。


・・・と言ってしまうと何にもならないですね。

消極的思考は、良く言えば「慎重な」考え方のことだと私は思っています。
人は失敗を恐れたり、周囲にいいとこ見せようとしたりしたときに慎重に
なってしまうのではないでしょうか。

逆に言えば、失敗を恐れず、周囲を気にしないようにすれば直るのだと
思います。
(それができていれば既に積極思考になっているんでしょうけど・・)
要は意識の問題だと思うので、「失敗したってそれを糧にすればいいや」
などと意識していれば、だんだん良くなっていくのではないでしょうか。

私はどちらかというと積極思考型の人間なので、あんまり参考にはなら
ないかもしれませんけど・・・。
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>これを直すにはどうしたらよいのか、よかったら聞かせてください。



自分で思っているよりも他人はgiririさんをなんとも思っていません。
街を歩いていて他人の目が気になったとしても、それはあくまでもgiririさんの方が他人を気にしているのです。言い方を変えれば他人に注目しているとでも言いましょうか。自分が他人に注目しているあまりに、他人も同じだと思ってしまうんでしょうね。でもそれは違います。中にはそういう人もいるかもしれないですけど、そういう人は単にクセなのではないでしょうか。

私の友人にもいますが、電車の中でもつい周りを見回して人間ウォッチングをしてしまうそうです。でも理由を聞いてもあまりこれといったことは返ってきません。ただ髪型や洋服を見たりして観察しているだけのようです。
でもこういうのはけして悪いことではないと思います。そこから何かの発想が出てきて自分にプラスになればいいんですから。

でもgiririさんがそういうことに振り回され、他人と比較しかえって自分を貶めたり過小評価することはないんですよ。giririさんも負けずに観察し、自分にも取り入れた方がいい良い面を探しちゃいましょう。
いつも「私は私。文句ある?」の気構えです。

>よく日本人は消極的でといいますがみなさんはどうですか?

これはまた別の問題です。
日本人は大勢いる時には協調性を重んじるように教育されているため、自分が率先して発言したり気持ちをオープンにはしないからではないでしょうか。
周りの言葉・表情・雰囲気を読み取り、それにふさわしくないことはしないということですから。
そのため外国に行った時、または外国人のいる場で自己PRが当たり前の国では、そういう文化・慣習が奇異に受け取られ、自らの意思や気持ちをためらいもなく出来ない日本人を「消極的」だと思われているんだと思います。
これは教育やしつけまたは文化に関係していることなので、本人の性格や意思には関係ない事柄だと思います。

この回答への補足

>これはまた別の問題です。
>日本人は大勢いる時には協調性を重んじるように教育されているため、自分が率先して発言したり気持ちをオープンにはしな
>いからではないでしょうか。
確に、私もそう思います。しかしいくらそのような教育を受けているからといって積極的な生き方ができないのは自分自身納得いかない感じです。
周りの人は考えて行動してるように感じません。与えられたことをただやるなら誰だってできるじゃないですか、
そこのところどうお考えですか?

補足日時:2001/05/29 10:40
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日本人は消極的で、といいますが、日本では積極的な発言を求めるなどの教育がされていないため、他国と比べたら消極的ですよね。

発言したら責任をとらされるかも、非難されるかもとか考えて発言を控えてしまいがちになります。
これを直すには、昨今では発言してもそう非難する人はいないこと、を身を持って学ぶこと、かなあ。あと、自分の意見に自信を持つことでしょうねえ。自分が正しいと思っていることを主張したりやってみるのは(迷惑行為でない限り)悪いことではないと思います。自信を持つには、その正しいだろう主張や行為にしっかりした裏付けがあることを学ぶことです。例えば、自分のファッションが地味なものにいつも収まってしまう人は、そうでない、奇抜と思われる人の存在を認知し、またその人に対する他の人の評価を勉強することにより、奇抜なファッションの正当化ができ、その格好をする自信が出る、またはその格好をするためらいが無くなります。消極的な物事の捕らえ方は、自分と似た考えの例を集めて勉強することで、自分が間違っていないと認知できて積極的とまではいかなくても消極的ではなくなるのではないでしょうか。
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なにか一つでも 他の人より自信があることありますか?


一つでもあると連鎖反応のように他にも自信が持てたりします。自信がつくと 積極的に物事が考えられるようになるのではないでしょうか?
私もビビリですよ。(歩いていて人目が気になるし!)でも 周りのみんなには そうは写っていないようです(^-^) 
どれだけ自分がビビッテるかではなく、ビビッテいるけどなにをやるか(どうしたいか)じゃないでしょうか。

生意気な意見で申し訳ない(-_-;) 
でも 『やって後悔するよりやらないで後悔するほうが もっと後悔する!!』って 言うじゃない?実際そうだと思います。私は いつも この言葉を思い出してどうするか決めています。
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人間は未知の人間を怖がります。

これはみーーーーーんな同じです。
よく見ていたらわかりますが、「人に好かれようという人(サギ師を含む)」は「自分はあやしい者じゃないよ、自分は怖くないよ、ありふれた面白い人間だよ」とうるさいほどにアピールしてきます。

そして、それがあたりまえだからこそ、「私はあんたを怪しんでないよ、怖がってないよ」という信号を出して(実は充分怪しんでいる場合もあり)、そのやり取りの中で知り合いになってだんだん怖くなくなっていくだけではないでしょうか。もちろん万一相手が突然キバを向ける可能性も考えて、間をとりながら。あんまり間をあけない人間はかえって怪しまれ、嫌われますし。

ビビっているのがわからないように、だんだん相手を騙すのがうまくなるうちに人を見る目もできてきて、「この程度の人間ならまず大丈夫」とか推測できるようになる、それだけだと思います。もちろん、真の友情や愛情で結ばれる人同士は違いますが、その他の人たちとはそんなもんでいいんじゃないでしょーか。
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No.2の補足に対して回答します。



>いくらそのような教育を受けているからといって積極的な生き方ができないのは自分自身納得いかない感じです。

積極的な生き方って何でしょうね。
私は下で、「『私は私。文句ある?』という気構えです」と言いましたが、これはあくまでも常識範囲内ということです。自分を出していくにしても、その場所でのTPOをわきまえた行動をしなければ、たとえその人が他の場所で明るく積極的で出来た人物という評価だったとしても、また違う場所ではその人は、「私が私が」という自己主張の強すぎる、ただのウルサイ鼻つまみものになってしまうでしょう。私が「観察し、自分にも取り入れた方がいい良い面を探しちゃいましょう」と言ったのはその点です。
「人のふり見て我がふりなおせ」とよく言いますが、言い得て妙だと思いますよ。日本の和の精神を保つ為には「積極的」なだけではダメなんです。

ただしその辺の兼ね合いは難しいですよね。ですから、私は私も含めてgiririさんに、よく観察し経験を積み、上手に世間を渡っていけるコツを取り入れてほしいと思います。
そのためには他人の目を気にしてはいられません。そんな余裕があるのなら自己を見つめ直し、納得のいかない点をいくらでも追求してどのようにでも工夫をしていかなければいけないでしょう。このようなサイト上で考えたり、他人に聞いているのも一つの手だと思いますが、それはやはりただの知識や自己満足の自己完結に終わってしまいます。それだけでは経験は積めません。giririさん自らが行動を起こし、その「納得」を得ていかなければいけないでしょう。
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この回答へのお礼

私のへんな質問に答えていただきありがとうございました。
これから納得いかないことに自らぶつかっていけるよういきます。

お礼日時:2001/05/29 13:09

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