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先日島倉千代子さんがお亡くなりになりました、謹んで御冥福をお祈りしたいと存じます。
このところ昭和を代表する著名人の訃報が相次ぎ、まさに「昭和は遠くなりにけり」との感が強まる昨今。

自らが過ごした幼少期への強烈且つ感傷的な懐古・ノスタルジー、この点は或る意味自然の摂理・人生の必然なのでしょう、私自身昭和を30年弱、一方平成を20数年生きておりますが、風俗・歌・映画に留まらず、印象深い記憶の大半が、昭和に集中しているのもまた事実のようです。

思うに現在とは違い、金も無く何かにつけ不自由満載の時代ではありましたが、それはそれで何故か妙に懐かしい・・、年を取った証拠と言われれば、それまでですが・・。

そこで貴方が感じる昭和とは?、或いは昭和との決別を印象付ける出来事とは?、宜しかったらお聞かせ下さい。

A 回答 (16件中11~16件)

聖子ちゃん  明菜ちゃん



昭和はほとんど海外にいましたが、あいだに2年ほど日本に帰国していた時、この2人が絶頂期でしたね。
渚のバルコニー、セカンド・ラブは印象深いです。女子なら当然、憧れましたよ。
でも、その後聖子ちゃんは、3回もの結婚をしてバリバリ人生を謳歌している一方、明菜ちゃんは、ちょっと。。何とも明暗の分かれた人生に。。明菜ちゃんは、純粋で不器用なんですね、きっと。まるで、セカンド・ラブの歌詞の女の子そのもののように。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>聖子ちゃん 明菜ちゃん

御両人とも、まさに昭和の終末を代表する歌姫でしたね。

未だに芸能界の第一線で活躍する、松田聖子のプロ根性は凄いの一言、生き馬の目を抜く芸能界で彼女が生き残れたのは、必然の為せるところでしょうね。

但し個人的な思い入れは、断然中森明菜が上です。
余りに早く人生のピークを迎えた為か、或いはまた別の理由に依るものなのか、平成に入ってから彼女が辿った足跡は、余りに御気の毒。

結婚ばかりが人生ではありませんが、早く良い方に巡り合い、是非とも幸せになって欲しい、そう願わずにはいられません。

お礼日時:2013/11/10 19:44

>貴方が感じる昭和とは?、



まだ幼稚園児の頃に随分と並んだ
大阪万博ですかね。
子供心になにやらものすごいイベントに
人が大挙押し寄せて怖いくらいでした。

平成の頭にあった花博では、
すでに社会人で働いていましたから
隔世の感があります。

バブル崩壊以降はその手
日本人全体が共有できるような
大きなイベントがありませんでしたから、
余計に平成の印象が浅いのだと思います。

そういう意味では次の東京オリンピックは
平成生まれの人にとっては感慨深いものに
なるかもしれませんね。
新しい年号にかわってなきゃいいけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>まだ幼稚園児の頃に随分と並んだ大阪万博ですかね。

親に連れられ東京から馳せ参じた私が当時10歳、アメリカ館・ソ連館なんてのは、2~3時間待ちでしたが。
真夏の事で、体調を崩された方も少なくなく、救護施設はてんてこ舞いだったようですね。

>バブル崩壊以降はその手日本人全体が共有できるような大きなイベントがありませんでしたから、余計に平成の印象が浅いのだと思います。

仰る通りだと思います、オリンピックの意義も、国威高揚を旨とした50年前とは、随分と違ったものになって参ったようです。

>そういう意味では次の東京オリンピックは平成生まれの人にとっては感慨深いものになるかもしれませんね。

行き過ぎたナショナリズムは御免蒙りたいものですが、さりとて母国に対する思い入れが希薄になったとの印象も否めない昨今、何かのきっかけになればと、個人的には考えます。

お礼日時:2013/11/10 19:32

>そこで貴方が感じる昭和とは?、或いは昭和との決別を印象付ける出来事とは?、宜しかったらお聞かせ下さい。



       ↓
64歳 男性

◇大喪の礼<昭和天皇の崩御と特別放送にて多くの国民が喪に服した>


◇小渕官房長官の新しい年号は「平成」との宣言発表
この時、私自身は初めて年号の変化する瞬間に立ち会ったのだが、昭和への名残と平成への不慣れで画面を見つめながらもポカーンとしていたように思います。
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&tab=ww&ei=p …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>◇大喪の礼<昭和天皇の崩御と特別放送にて多くの国民が喪に服した>

思えば当時はバブル真っ只中、皆が皆(とまでは、申しませんが)我が国の反映は未来永劫続くものと勘違いしていた時代でしたが、その後まさかの長期低迷に陥ろうとは・・。

何しろ本邦の歴史上特筆すべきほど、波乱に満ちた生涯を送られた天皇陛下であられた、大変恐れ多い事ですが、昭和天皇が戦後の繁栄を全て持って行かれたのかも知れない、振り返ってみれば、そう思わせるほどのタイミングではありました。

ところで当時海外に赴任しておりまして、当然客先とも英語でのやり取り、ところが私の付け焼刃の会話力では、卑近の話題であるこの「大喪の礼」と「大嘗祭」の英訳が分からず本当に困った。

ところが新聞で、Imperial Funeral 或いは Emperor’s Funeral と知り(「大嘗祭」に関しては、割愛致しますが)、おおこんな簡単なもので良いのか・・と、安堵するやら拍子抜けするやら、今となっては懐かしい思い出です。

お礼日時:2013/11/10 01:06

自分がクルマの免許を取ったのが平成2年です。


それまで、フェアレディZに乗りたい、サバンナが欲しい、と憧れて育ちました。
免許を取ってみたら、新車はとても買えない値段。中でもちょうど平成になってすぐフルモデルチェンジしたフェアレディZは高嶺の花で、今にして思えばバブル景気を象徴するアイテムでした。
自分が実際に買った昭和のZの方が、思い出も愛着もいまだにあります。
昭和との決別を印象づけたのはそれらの名車のフルモデルチェンジですね。

そんなわけで、ZだったらS130までが昭和、サバンナだったらSA22というように、昭和の年式のクルマに懐かしさを感じます。
コンピューターなんかない、キャブレターのクルマに昭和を感じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それまで、フェアレディZに乗りたい、サバンナが欲しい、と憧れて育ちました。

また随分と好みが渋いですね、因みに私の時代、フェアレディであれば240Z、サバンナは当時無敵であったスカイラインGT-Rのライバル、初代後期型S124系⇒RX-7といったところでしょうか。

当時オーバー・フェンダーを装着し、ベコベコに落とした族車も少なくなかったが、240Zに乗っていた私の知り合いは、乱闘で壊されるのを恐れて、集会にステップ・ワゴンで現れ、皆に大笑いされておりました。

ところで私の憧れは、巨匠ジウジアーロがデザインした、いすゞ・117クーペ(丸目)。
その初恋は、遂に叶わぬものに終わりましたが、時折レストアされた117が走っておりますと、つい目で追ってしまう、未だにカッコいいですよ。

>コンピューターなんかない、キャブレターのクルマに昭和を感じます。

プラグが被ったりしたものですが、それはそれで味があったのは確か、一方個人的に初めてEGI制御のシルビアに乗った時は、故障の多さに泣かされたものです。

お礼日時:2013/11/10 00:25

私は恐らく、質問者様より10歳程度下です。


父が昭和一桁生まれでしたので、戦争の記憶を語っていたのを覚えています。
父は予科練へ飛行兵として志願していましたので、複葉機を使った初歩の訓練を受けていました。たまに、空襲で機銃掃射を受けたりしたようですが、生き延びました。もう少し戦争が長引いていたら特攻に駆り出されていたかもしれません。

数年前に父が他界しましたので、昭和を語る者が1人いなくなり、それ以来特に昭和が遠くなったように感じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>父が昭和一桁生まれでしたので、戦争の記憶を語っていたのを覚えています。

昭和といえば、戦争そして未曾有の敗戦、これは避けて通れない。
因みに、我が家は明治開闢以来の帝国軍人の家系でして、大叔父達(南方戦線で、父の兄5人全員が戦死)まで含めると、都合4代になります。

ところが我が一族で生き残った男子といえば、当時某内地の後備司令官に回されていた祖父と、まだ出征の年齢に達していなかった父親のみ。

まあ私も戦争の話は、父からよく聞かされたものでしたが、我々が想像する絶望的な食糧難は、戦時中よりも、むしろ敗戦直後の方が凄まじかったとか・・。

そして東京大空襲の事もそうですが、戦争に直面した当事者は、恐らく生き延びる事に必死だったのでしょう、当時の事を意外と淡々と語る気がします。

>数年前に父が他界しましたので、昭和を語る者が1人いなくなり、それ以来特に昭和が遠くなったように感じます。

そうですか、それ以外何も申せませんが、凄惨であった昭和を知る語り部が、一人また一人とお亡くなりになる事、寂しい限りです。

お礼日時:2013/11/09 23:44

昭和は私が生まれた年・・


まぁ~その前に人は・・亡くなっている方が多いでしょうが・・

そうですね・・
懐かしいといえばレコードですね。
傷つくのを恐れながらレコードをかけていたものです。
カセットテープ、ラジカセなんて懐かしいです。

私が高校になる頃はCDが出回り始めて・・
アルバイトのお金でコンポを買いました。
全部は払ってないけれど・・あと残りを母が払ってくれましたが
レコード、カセット、CD、ラジオ・・当時としては最新式。
今はCDが当たり前・・いや・・SDカードなどのメディアが
すごい時代になりましたね。
パソコンは・私が高校のころ出てきて(それまでワープロ)
パソコンを初めて触った高校の授業を懐かしくおもいます。

あと携帯かなぁ~。
今はスマホも出てすごい時代が来たと思う・・。
ちなみに私はガラケーなのです^^;
スマホは無理って思ってますし、電話とメールしか使わないので
もったいないですし。
そんなところでしょうか・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>懐かしいといえばレコードですね。
>傷つくのを恐れながらレコードをかけていたものです。

仰る通りですね、レコードの値段は今のCDとほぼ変わりませんでしたから、40年前のあの時代に・・。
当時の私の小遣いでは、レコード1枚買っちゃうと、月末まで殆んどスッカラカン、あの時代レコードが如何に貴重な物であったか、それは慎重に吟味して買ったものです。

>スマホは無理って思ってますし、電話とメールしか使わないのでもったいないですし。

そんな事ないですよ、パソコンがいじれればスマホもOKでしょう。
まあ単なる通信ツールと捉えれば、確かにガラケーで充分(というか、電話・メールはガラケーの方が、使い勝手がいいのは確か)ですし、スマホの操作がパソコン以上に難解というのも、その通りですが・・。

お礼日時:2013/11/09 23:13

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