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この結末は、読者の解釈に委ねられています。
ただ、おそらく縁談は立ち消えになったのではないかと考えるのが自然かなあ、とわたしは思います。
以下はその根拠です。
『私の個人主義』という講演の中で、漱石はこんなことを話しています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_3 …
「たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです」
ここで漱石は、資本主義社会の中で「金力」が「人間の精神」を売買し、「人間の徳義心」と「人の魂」を「堕落させる道具」として機能している、と考えていることがわかります。
これを『手紙』という作品に照らし合わせて見るならば、「自分」が重吉から月々十円を取り立てて、将来の結婚のために積み立てをするのは、単に妻の遠縁の娘と重吉を結婚させるだけでなく、ここでいう「堕落」から遠ざけようという気持ちもあったのではないか、と思うのです。
作品中では具体的な期日は書いてありませんが、「自分」がH市(おそらく広島)を訪れたのがちょうど「招魂祭」の日だったとありますから、四月でしょう。それから重吉は、五月、六月と約束を守って十円を送った。つまりは花街にも足を向けず、艶書を寄越した相手と会うこともなかったのです。
ところがそれが七月には七円になった。その三円は、おそらく「堕落」に費やされたにちがいない。「自分」が「重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。」と言っているのはそのことです。
そもそも重吉としては、もともと道楽を許さない相手と結婚する前の、軽い遊びのつもりだったのでしょう。自分の仕事も、「たいした意味もないが、ただ口を頼んでおいた先輩が、行ったらどうだと勧めるからその気になったのだ」と、気軽に東京を離れ、「また帰ってきます」と「あたかも未来が自分のかってになるようなものの言い方を」するような人物です。ものごとを深く考えず、楽天的で、出たとこまかせでこれまで生きてきた。
ところが、軽い遊びのはずが、相手に会うために下宿を安いところに移し、酒を飲み、玄人の女にふさわしいような粋な格好をしている。軽い遊びで割り切っていたのだろうに、本人も気がつかないうちに深入りしてしまい、重吉自身が気がつかないうちに変わってしまっているのです。
作品そのものは軽妙なものですが、重吉の内面に焦点を当ててみると、『私の個人主義』でいう「人間の徳義心」と「人の魂」が気がつかないうちに「堕落」してしまったことが描かれています。
ところで、この「十円」というのがどのくらいのお金かというと、『三四郎』にはお金が細かく出てきますから、参考になります。野々宮さんは帝国大学で教えながら月五十五円の給与をもらっていますが、妹のよし子との生活が維持できず、非常勤講師のアルバイトまでしています。
重吉の給与は地方ではあるし、だいたい四十円くらいではないか。その四分の一を将来の積み立てとして、「叔父さん」に支払うわけですから、なかなかの負担だったことでしょう。だから「自分」の奥さんも「感心ね」と言っているのです。将来のことを真剣に考えている、と。事実、遊ぶどころではなかったでしょう。
それでも、最初に五円に負けてくれるよう交渉しているところをみると、五円ならなんとか遊べるという胸算用だったのかもしれません。そう考えると、八月は五円になり、そして九月は……という先行きが見えるような気がします。
やがて結婚も、「ことしの暮れには月給が上がって東京へ帰れるはずだから」という思惑も、「病気にはなりません」という断言も外れ、「未来が自分のかってになる」ものではないことを思い知る日が来る…というのは、あまりに重吉に厳しい見方でしょうか。
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