もう一人自分が欲しいなどと、ワケのわからないことをあえて考えていたら、二重人格になりますか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

「性格」とか「人格」に当たる英語にpersonality(パーソナリティ)というのがあります.これは語源を辿るとラテン語のpersona(ペルソナ)という言葉に行き着くそうです.ペルソナはもともと「仮面」という意味を持っていました.それがキリスト教の用語としても取り上げられ,神の存在様式,すなわち三位一体の位を意味するようになりました.三位一体とは,キリスト教の神が「創造主(父)」としての顔と「贖罪者(キリスト/子)」としての顔と「聖霊」としての顔を持ち,元来,それらはひとつのものであるとする考え方です.つまりですね,神すらも「多重性」を持っているわけです.



さて,もし多重性の仮面を剥いだらどうなるか?という疑問ですが,私は剥げないいんじゃないかな?と思います.たとえ剥いだとして「自分探し」とか「自己啓発セミナー」とか「新新宗教」が言うような「ほんとうの自分」なんてものは,存在しないのだと思います.そこには対象を志向する無名の心の動き(志向作用)だけが在るのではないでしょうか.眠ったときのご自身の志向作用を思い出してみるといいかも知れません.私たちは“わたし”すらない世界を彷徨っています.夢の中でも“わたし”は,はっきり志向されていないのではないでしょうか?

そこで“わたし”とは海原に現れては消えるあの白い波頭のようなものだと考えてください.波は水と空気が絶えず接触することで生成し消滅する現象です.「水です」とも「空気です」とも言い切れない.この言い切れないところに波の本質が在る.つまり波とはその瞬間に生起した現象でしかないんです.そこで“わたし”の方に目を移してみましょう.宮澤賢治がその詩集『春と修羅』の序で面白いことを書いています.

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

“わたし”とは有機的につながった人間や風景の中で明滅する電燈のような現象なんですね.他者との関わりを絶って“わたし”というものは現象しない.だから原理的に仮面を脱いだ“わたし”は存在し得ないのだと私は考えています.ただし,眠っているときや何も考えずにボ~っとしているときなんかは,ときどき誰でもない自分が浮き上がってくるような気がします.もし仮面を脱ぐ瞬間があるとするなら,そういう時でしょう.つまり“わたし”を意識していない瞬間が仮面から解放される唯一のときなのではないでしょうか.

すみません.後者,解離性のことについては,答えられそうにありません(前回の知識が限界です!).でも主人格以外での会話は可能だとか聞いたことがあります.あるいは会話できる人格とそうでない人格があるとか.曖昧です.記憶障害説以外には,河合隼雄が『コンプレックス』(岩波新書)という書物の中で,コンプレックス(感情の複合体)が自我を乗っ取ることだと書いていた記憶があります.これも曖昧.あとは脳の器質的障害とか(海馬の萎縮?).めちゃ曖昧.なもんで,前者「多重性」についての「仮面は脱げるか?」「仮面そのものを脱ぐと顔がなくなるか?」の方を,答えられる範囲でフォローしてみました.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

恐ろしくお礼が送れて申し訳ありません。お礼を読んだそのときにかけなかったもので、すいません。
>風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける

その電燈が消えるのは 一つ つぶてが転がるのとかわらず 
振り向けば手のひらに 知れないどんぐりが一つ ころり

私が消えるのは 石ころいっこころころと一緒です
電燈は失われ 光も保たれない 無数の波頭にも おいつけない
意識も伴わす 想い出も 始まってない 無数の波頭が 明滅してる
今ついた灯りが さっきついた灯りと 今またついた灯りと 朝、起きた僕は
宮沢賢治いわく明滅する青い照明ですが、滅の時は照明ではない事で、波頭のごとく、出たり消えたりですが、毎回、同じ電燈から発せられる青い灯りのみが僕であって、今ある目の前にある電燈と、後ろ向いて振り返った時にある電燈が同じであるという事が言えるのは、私が継続されている事の事実を証明するために必要で、また、私が継続されているのと同じ理由でその電燈も継続されているわけで、言い切れない独我論の「かもしれない」に終止符が打てそうな気がします。
さらに、壊れた電燈を見る人が見れば、コレはあの電燈の取っ手であろう。記憶を読み解く事が可能で、「見られてこそ」
明滅する波頭の話、非常に参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/19 20:43

【ANo.#3お礼への返信】


>この発言!スーパー強力!って思います。いかにしてかえうるのでしょうか?
>ぜひ教えてください。お願いします。

よく人間の特性について、先天的、後天的と言うじゃないですか。この後者の部分について意識的に取得していくことによって、人間って変わるんだと思うんです。癖みたいなものから場合によったら性格まで。

だから「自分のこういうところがイヤだ」とか、「こういう風になりたい」とかいう願望とかをもつことが先決で、そしてその目標に向かって努力する。その努力で得たものが無意識に自分に潜在化したら、これは自分の変化だと思う。結局自分の変化って、願望の、脳への刷り込みだと思うんですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

二重人格者は自我を二つ所有している人体というわけではないのですか?
例えば、一つの私はこと創作的で、日々の精進をめざし、いつの間にか表現力が向上している(できて当然、努力の結果の潜在化?)。かたやもう一つの私は遊人で、恐怖の忍者ごっこから生活的旅路まで、あらゆる体験をたのしみたがる。かたや事象を生み出そうと、かたや事象をとらえようと必死であるが、自我は一つである?。記憶は連動しています、、、。あ~あっ、あ~~ぁ、。皆さんのおかげで少し分かりそうです。自我って、チョッとで直してきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/05 21:02

「解離性同一性障害」というのが今の呼び方です.アメリカの精神医学会が定めているDSM-4という精神疾患の分類と診断の手引きの4版で,そのように定められました.それ以前は「多重人格」という言葉が用いられていたようです.このあたりはまだ流動的で,はっきりした共通見解が導きにくいという状況のようです.



人間は,一個の性格で成り立っているわけじゃなくて,幾つもの“わたし”で構成されているわけですが,それらの記憶の連関が途切れると「同一性」(アイデンティティ)が「解離」状態になるようです.その大きな原因の一つがいわゆる「幼児期のトラウマ(心的外傷)」というやつです.アメリカの場合,解離性同一性障害を引き起こす原因となるほとんどが虐待(精神的・肉体的・性的‥)によるようです.

これは人間に備わった「防衛手段」だと言われています.子どもというのは,親に絶対的に依存しています.そのため親に見捨てられることを極度に恐れます.だから,親に叱られれば,大抵,おとなしくなります.普通の人はそうやって社会的な規範を身に付けていくわけです.つまり躾のメカニズムですね.デパートのおもちゃ売り場で泣きじゃくっている子がお母さんに「置いてくよ!!」って怒られていますが,そうやってみんな大人になっていくんです.虐待というやつも,基本的には躾と同じメカニズムが働いています.但し,躾に比べ,耐えがたい苦痛が子どもを襲います(このあたりは境界が曖昧です).そのとき防衛手段として,怒られているは自分じゃないと信じることによって,怒られている自分と,そうでない自分の記憶の連関を絶つわけです.

従って,自分が幼くて(noname#603さんに言わせると8才以下らしいですが),自分ではいかんともし難い辛い状況におかれていれば同一性が乖離することも起こり得ます.ちなみに解離性同一性障害の場合,いま意識されている自分ともうひとりの自分の間の記憶の連関が絶たれているわけですから,社会生活を営む上で非常な困難を要します.好んでなるようなものではないし,病気に苦しんで居られる方には社会的な支援があってしかるべきだと思うし,周りの人間の病気に対する正確な理解も必要かと思います.

しかし普通の人が記憶の連関を絶つわけですから,ちいさな解離現象はそれこそ日常的に起こっていると言えそうです.自分にとって都合の良くないことを「抑圧」すると言う作業は人間の基本的な防衛機制としてフロイトが既に指摘しています.また「人が変わったように」という表現がありますが,やはり人間は一個の性格でかっちり決められていないように思います(パーソナリティの語源はペルソナつまり仮面だと言われています).わたしもsokuraさんがおっしゃるような“わたし”の複数化(これを心理学的には「多重性」と言います)を楽しむのが,いいのだと思います.

晩年のニーチェが叶わぬ想いを寄せたロシア人女性ルー・ザロメ(後にフロイトとも交流を持った)は,ニーチェを回想して「通常の生活において彼は非常に礼儀正しく,穏やかで,いつも好意のこもった落ち着きを見せていた.――彼は社交のもつ形式を楽しみ,自分でもそうした形式をもっていた.しかしそこには常に,仮装への喜びが潜んでいたのである――つまり,決して暴露したことのない,内面の生活を覆うためのマントと仮面への喜びがである」(三島憲一[1987],『ニーチェ』岩波書店より)と書き残しています.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>“わたし”の複数化(これを心理学的には「多重性」と言います)を楽しむのが,いいのだと思います。
多重性ですか、、、その仮面は脱げるんでしょうか?仮面がざまざまに変容はしますが、仮面そのものを脱いじゃうと顔がなかったりするんですか?(真剣)

その幼少期に剥離してしまった記憶、仮に二つになったとすると、最初からの自分は当然嫌な思い出を持たない方に継続されるんですよね?この場合、仮面をつける本体の顔が二つできたってことなんですか。そして、もう一つの嫌な思い出をもつ記憶(顔)は別個に育っていくわけですよね、すると、認識器官、認識機能は、その二つの記憶に同時に働きかけるんですか?嫌な思い出が始まりの記憶の人をQとして、もともとからの記憶を持つ人をPとすると、Qは、PがもつQが生まれる以前の記憶を所有しておらず、PはQの管轄にある記憶には触れえないのか。これからの体験は、PとQにそれぞれ分別され、割り振られた記憶をPとQがそれぞれが所有するんですか?それとも、一つの事象で二つの体験。つまり、PとQはそれぞれの記憶を持つ事で、それぞれ固有の世界を有しており、肉じゃが一つ食べても、かたや「うまい」とかたや「まずい」ということが起こるのですか?あたかも他人どうしのように。それとも、やはりよく言うように、Qの記憶が変化している間は、Pは眠っている状態なのでしょうか?そこら辺がよく分からないのですが、ぼくとしては、多重人格者は、一人で会議や討論、けんかなどができる人だと思ってます。なぜなら一人ではないからです。一人がおきている間にも、もう一人は活動できるのではないかとおもっています。返信お待ちしています。ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/05 20:46

>がんばってね!?



って、なにをハゲマサレル、、、、

>、、、ってなりたいのかなあ?

そういうわけじゃないんですが、、、、

文脈で、なりたいのやら、わからなかったのですが、
どうかわからないので、”?”ですし、
もちろん、本気で応援してる訳もないのでしたが。
送られてくるレスなんか見ても、
”あこがれ”ていらっしゃるそうで、なりたいのかな、
と思った瞬間、”そういうわけ”じゃなかったんですね。
だったら、”ハゲマサレル”のはおかど違いでしょうので、
さらりとお流しあそばせ。

ご存知のとおり、「多重人格」の治療で、激しい戦いを
していらっしゃる方も沢山いらっしゃいますが、
なりたくてなれるものでもないし、
患者さんが現にいらっしゃるのに、
ほんと”がんばって”なんて、ないですよね。
お読みの方々には、大変失礼いたしました。

いつも、”がんばって”は使わないほうですが、
便宜上使ってしまいました。
これからも、やっぱ、使いません。きっと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>患者さんが現にいらっしゃるのに、
確かに、病的なものとして苦しんでいる方もおられますが、うまく、同居人と共に暮らしておられる方もいると思うので、一概に励ますのが倫理に反するわけではないと思います。
>これからも、やっぱ、使いません。きっと。
いいじゃないですか!使っても。僕の返信も、あなたの回答にも非があったわけでは全然ないですよ!その、なんていうんですか、「?」の表現だとか、些細な事でも共感しているつもりです。
 ですから、此処で私が聞いているのは「二重人格になるか?」ということです。
分かりにくい表記ですみませんでした。できれば、もう一度回答いただけると嬉しいです。 

お礼日時:2001/06/01 22:47

 いつも会っているような気がしていますが。

で、回答は他の方が心理学で答えておられるので、文学にします。
 埴谷雄高(はにやゆたか)という小説家を知っていますか?彼は、戦後文学の傑作「死霊(しれい)」を自己批評する中で、「私」という問題に触れ、無数の「私」が小人のように、「私」から飛び出ていく、というような表現をとっていました。
 「もう一人の自分」は「今の自分」を意識している限り発生しません。「自分は自分」と判断する意識がある限り、小説的な幻想の中で、「もう一人の私」を楽しむのがせいぜいです。二重人格になったら、「自他」が同時存在しますから。
 そこで、問題となるのが「私」という存在なのですが、これは、今の私の「役割」を単純に輪切りにし、割り振ったものにすぎず、「私」という
実体はありません。ですから、誰でもが、本当の「私」とは何なのか?という疑問を発するようになります。
 そこで、「私」に与えられた回答は、「私」とは、その都度社会的関係の中で割り当てられたひとつの「役割=ロール」だ、という一般的な見解が成り立ってきました。しかも、これは、その都度右に左にゆれる「あいまいにして、統一性のない演技者=パフォーマーとしての私」ということになることから、一層現代人は「不安」のただ中にいる、というようなことになっていきます。
 したがって、それを逆手にとり、「私」の複数化、これも「私」、あれも「私」というように、ゆれ自体を楽しむかのような考えも出てきます。
 私は、そうした、さまざまな「自分」を楽しむことは、現代に必要な智恵と考えます。
 小説の中、音楽の中、絵画のなかで存分に「二重人格」を楽しんでください。
良き作品とは、もう一人のあなたが、あたかも「今の世の中で呼吸をしているおまえは俺ではない!俺こそがおまえだ!!」と主張するかも知れません。自己抹殺の恐怖も味わってみてはどうでしょうか?
  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>いつも会っているような気がしていますが。
いつもあってますよ~!もちろん。

>それを逆手にとり、「私」の複数化、これも「私」、あれも「私」というように、ゆれ自体を楽しむかのような考えも出てきます。

その小説家は知りませんがよくよく共感できます。現代では多くの人が実践されてるんではないでしょうか?
こんな歌があります
「ぼくも~好きだよ~♪、 英文法~。」(ホントにあるんですよ!って)
つまり、社会でもまれに見る学習形態、だがもうそんな事はどうでもいい、こんなマニアックで不思議なことをあえてしている自分に酔っちゃってます。「机にカリカリ~♪」ってなにやってんだこの演技派めぇ~。酔ってる場合じゃねぇ!このヤロウッ♪おれはいそがしいねんっ、しっかりせえってっ!オイ!・・っ・・・・。

>「もう一人の自分」は「今の自分」を意識している限り発生しません。二重人格になったら、「自他」が同時存在しますから。

この場合、二つの曲が同時になってても同時に聞けたりするんですか?私はコレ、君はコレってそれは無理ですね、、、。じゃぁこれは?私にはコレが見えているが君には見えていないのか?って状況、考えられるような気がするんですが。
ぬぅ~。二重人格、多重人格、記憶は一つではないのか?言葉が一つではないなら。
>自己抹殺の恐怖も味わってみてはどうでしょうか?
こえぇ~よ~~;_; それだけは~って感じだったはずなんですが、なんかマヒしてる、、、。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/01 15:45

「もう一人の自分が欲しい」と考えなくても、1人の人間の中に複数の自分がいることが、脳生理学で解明されたということを、本で読んだことがあります。

発見者はザリガニという人だったと思います。

では通常なぜ人間は1人の自己としてふるまえるのか?それは、複数の自分を統合する「自我」が存在するからだそうです。これがなにものかの追求が、脳生理学でなされているといいます。

だとすると、もう一人の自分が表面に出てきたらならば、これはいわゆる二重人格です。1人の人間が一つの自分を持つ状態が、自然の姿であるわけです。

一方心理学では自分を「自我」と「客我」にわけて考えます。サラリーマンで言えば、「自主的な自分」と会社から「期待される自分」です。しかしまともな人間は、この2つを同時に演じることが出来ません。2つの間にはつねに葛藤・妥協があります。そしていままでは「期待される自分」にかぎりなく近づいていました。これが会社人間です。そしていまは、「自主的な自分」になることが重要だという反省が出ています。

こうした脳生理学・心理学の先端的研究成果を踏まえると、「もう一人の自分が欲しい」というのは、単なる願望で,もし実現したとしたら、それはもう病的な状態です。

人間は1つの自分しか持てないようにできているのです。
ただしそれを変えることはできますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ただしそれを変えることはできますが。

この発言!スーパー強力!って思います。いかにしてかえうるのでしょうか?
ぜひ教えてください。お願いします。

お礼日時:2001/06/01 15:16

 多重人格とは乖離性人格障害のことですね。


 人はよく、日常会話でも「私って二重人格の気があるの」などといいますが、一人の人間に両極端な面がいくつもあることは多重人格と呼びません。
 心理学では、人の心が自分では耐えられないほどのダメージを受けた時に、「これが自分でなければひとごととしてやりすごせる」ために作り出される人格であると捉えられています。
 多重人格者のほとんどは過去に過酷な性的虐待のあとがあるといわれているそうですが、それは上記の理由からです。
 
 ですから、「あえて」という言葉には他者に強迫された切羽詰った響きは私にはあまり感じません。(むしろ、自己嫌悪からくる現実逃避っぽい?)多重人格者になりはしないと思います。
 もっとも、あなたが暴力にさらされ、逃れられないという閉塞感を感じておいでなら何らかのアクションをとる用意があります。gooを通じご連絡ください。
 深刻な場合は手助けできることは少ないと思いますけれど、この場に発言した者として。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ですから、「あえて」という言葉には他者に強迫された切羽詰った響きは私にはあまり感じません。

そうです、全然切羽詰ってません、、、(;_;)(ご心配してくださってホントに感謝しています。うれしいです。でもあえて言うなら、さらされているといえないこともないですが、、、)

>むしろ、自己嫌悪からくる現実逃避っぽい?

はは、いや、う、全然好きですよ、又、現実から逃避なんておよそ不可能と考えているのが、私の「現実」ですし「幻術」には興味ありますが、逃げたいわけじゃぁあろませんよ。

>これが自分でなければひとごととしてやりすごせる

ということはその場合のもう一人は、常に泥を喰うような状態なんですか?

お礼日時:2001/06/01 15:14

あえて、だと無理かも。


多分、8才以下だったらなれるかも。
がんばってね!?、、、ってなりたいのかなあ?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

その8歳ってどこからきたのかは疑問ですが、劇的じゃない!二重人格!その点で多少あこがれますが、同居人にもよると思います。
>がんばってね!?

って、なにをハゲマサレル、、、、

>、、、ってなりたいのかなあ?

そういうわけじゃないんですが、、、、

お礼日時:2001/06/01 15:03

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「自分へのご褒美」ということば

「自分へのご褒美」とよく女性を中心に言いますが、なぜわざわざ「自分へのご褒美」なんて言うのですか?
「いちいち言わないでだまって好きなもの買ってろ!」って言いたくなります。
自分がガンバっているのを人に認めてもらいたいんでしょうか?
買う理由を確認したいのでしょうか?

「ご褒美」は人からもらうものだし、たいした仕事もしてない人ほど自分にご褒美ばっかりあげている気がします。

なぜ人は「自分へのご褒美」というのですか?

個人的には自分自身に甘い人なんだ、、と思ってしまうのですがどうでしょう?

Aベストアンサー

それは人それぞれだと思います。
人から得る評価もあれば個人的な評価もあるでしょう。
自分で目標を設定した事って無いですか。
「1時間勉強したらテレビを見よう」だって見方を変えたら「自分へのご褒美」じゃないですか。
甘いかどうかは。貯金が必要な時に貯金が減っていっているなら話は別ですが、別に禁欲する事が良い意味での厳しさという事ではないと思います。
解脱を目指しているわけでもないし。

Qあの、信じていただけないかもしれませんが…私の彼氏は二重人格なんです。

あの、信じていただけないかもしれませんが…私の彼氏は二重人格なんです。(多分)


彼が眠たくなってくるといつも『頭ぼーっとする』と言い、しばらくすると少し苦しそうに息をしだして人格が変わります。
最初は演技かと思ったんですが、口調や性格、声のトーン、味覚、記憶力や頭脳の能力まで別人のようになってしまい、主人格は記憶すら覚えていないようなので(副人格?は両方あり)信じずにはいられません。

その副人格によると彼の両親はあまり家庭を省みないタイプの人で、小さなときから寂しさでややその気はあったそうです。
が、3年前元カノに振られたときそのショックから逃れようと完璧に出来上がったみたいです。



で、一昨日に副人格の方と電話していたとき急にぼーっとして息苦しそうにしたと思ったらいきなり主人格にかわったんです。
今までこんなこと無かったから心配で…副人格は消滅したりするのでしょうか??
また、もしするなら食い止める方法は無いのでしょうか??

私は主人格の彼も副人格の彼も心から大好きなんです。
心理カウンセラーなど詳しい方もしいれば是非回答お願いします。

あの、信じていただけないかもしれませんが…私の彼氏は二重人格なんです。(多分)


彼が眠たくなってくるといつも『頭ぼーっとする』と言い、しばらくすると少し苦しそうに息をしだして人格が変わります。
最初は演技かと思ったんですが、口調や性格、声のトーン、味覚、記憶力や頭脳の能力まで別人のようになってしまい、主人格は記憶すら覚えていないようなので(副人格?は両方あり)信じずにはいられません。

その副人格によると彼の両親はあまり家庭を省みないタイプの人で、小さなときから寂しさで...続きを読む

Aベストアンサー

完全に出来上がってしまった副人格は、そう簡単には消えません。
ただ眠っているだけです。疲れたので入れ替わったって感じで、
急に主人格に戻ったりします。

主人格は副人格の行動は見えないんですよね。でも副人格は主人格の行動を監視できる。
ある意味、客観的な考察が出来るのが副人格です。
副人格が行動している時、主人格は寝ていて何をしたのか、話したのか全然覚えてません。
でも主人格が消滅する事はないようです。だた何年も寝ている事はあります。

知り合いで5重人格の方がいて、彼女の高校時代は副人格が代行したので
主人格は高校時代の事を良く覚えていないそうです。
「あいつはだらしないから、代わりに私が高校時代を過ごしたんだよね」と副人格が
言ってましたよ。

まず最初に、副人格に名前を付けて上げて下さい。副人格と話している時、
副人格自身になんて呼べばいいの?って聞いて下さい。きっと戸惑うでしょうから、
じゃあ私が名前を付けて上げるって、好きな名前を付けてあげて下さい。
またもう副人格が自分で名前を付けているかもしれませんが。

それで副人格と仲良くなってから、消える条件を聞き出して下さい。
消えるって事は副人格に取って死を意味しますから、そう簡単に消えないでしょうが、
ずっとこのままではいけないって思いも、判っているのです。
本当は死でなく、主人格と副人格の統合なんですが。

どうも私の経験から、多重人格になる人って生真面目で繊細な性格をしている気がします。
そして頭がいい。考えても見て下さい。一つの脳に違った二つの人格があるのは、
通常の人の2倍の労力を脳に掛けています。別の回路がある感じですかね。
主人格・副人格、二人に付き合っている質問者さんなら、この意味が
肌で感じられると思います。そのどちらとも大好きと言える質問者さんは、
とても大きな器の持ち主なんですね。

でも副人格は、主人格と統合した方がいいんです。
もし将来もその人と一緒にと考えているなら、子供が産まれた時に子供が戸惑ってしまう
気がしてなりません。

私は前記した友人の副人格とも接しましたが、声・目つき・表情・仕草・嗜好等、
全て一瞬で変わったのを目の当たりにして、本当に驚きました。
彼女は父親からの虐待経験がありました。それを避けるために生まれた副人格でした。

また一度副人格を作ってしまった人は、更に人格を増やす傾向があります。
自分の都合の悪いことが起きると、他人格を増やして処世するようになるようです。
ですからまだ現れていない人格がいる可能性も、排除できません。
知人の女性は同級生・32歳程度の男性・7歳の女の子・胎児・主人格の5人でした。

まだ日本ではそれ程患者数は多くないので、専門家と言っても非協力的な部分もあります。
ですがやはり処置するには、専門家の意見を聞きながらにした方がいいですね。

私は専門家ではありませんが、以前似たような質問に答えたことがあるので、
参考までにお読み下さい。また参考URLも貼っておきました。
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa4252133.html

参考URL:http://qanda.rakuten.ne.jp/qa4739761.html

完全に出来上がってしまった副人格は、そう簡単には消えません。
ただ眠っているだけです。疲れたので入れ替わったって感じで、
急に主人格に戻ったりします。

主人格は副人格の行動は見えないんですよね。でも副人格は主人格の行動を監視できる。
ある意味、客観的な考察が出来るのが副人格です。
副人格が行動している時、主人格は寝ていて何をしたのか、話したのか全然覚えてません。
でも主人格が消滅する事はないようです。だた何年も寝ている事はあります。

知り合いで5重人格の方がいて、彼女の高校時代...続きを読む

Q自分にご褒美、してますか?

先日、糖尿病の隔月の受診を済ませ、検査結果は極めて良好でした。
ちょっと、体重は減らし過ぎのようで、主治医からは少し増やしても良いと(?)。
加えて、嬉しい事に、月に1~2度なら、食事制限を緩める日を設けても良いとの事でした。
そこで、頑張った自分に(プチ)ご褒美、という事で、およそ3年ぶりくらい?にコーラを頂く事にしました。
ただ、緩み過ぎはいけませんので、ささやかにミニ缶、160㎖ ですが(苦笑)。

皆様は、自身にご褒美をしていますか?または、どのようなご褒美でしたか?
ちょっとしたご褒美でも、豪勢?なご褒美でも、コッソリと、でも構いません。
お気軽に、回答をお寄せください。(但し、シモ系回答はご遠慮願います。)
それでは、宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

訳あって、貧乏生活中。

節約生活のご褒美として、月末に余った小銭で、チョコレートと鯛焼きを買います。

夫(糖尿病+浪費家)への嫌がらせ効果で、美味しさ倍増です!。

証拠隠滅には、細心の注意を払います(笑)。

Q二重人格はあたりまえ?(長いです)

人は誰しも二重人格で、表と裏があるのでしょうか?
私は裏表が激しく、それが自分でも分かっているのに
統一する事ができません。
例えば、

【仕事中や友人といる時】
・愛想笑いが多い
・虫を怖がる
・誰にでも親切にする
・行儀が良い
・気が弱い

【一人でいるとき】
・煙草を吸う
・男のような言葉遣い
・寄ってきた蚊とかの小さい虫は叩く
・ムカついた事を酷い言葉で愚痴る

等です。煙草は知り合いがいるときは絶対吸いません。親も知りません。
人に親切にしているときも、(あ~今私優しい)等とつねに思います。
意識的に行動しているのです。

自分はどっかおかしいんじゃないかと怖いのですが・・・。
本音と建前じゃないですが、
つねに冷めてる自分がいて良い子の自分を見てるんです。
誰でもこんなものですか?

Aベストアンサー

心理学を学ぶ者で、確かな確信的知識は持ち合わせていませんが、私の知る限り、思いあたる限りでお答えしようと思います。
皆さんがおっしゃるように、多重人格(解離性同一性障害)は他の交代人格のときには記憶がないと言われています。成因としては、児童期の大きなトラウマ的体験などが多くあげられ、統合失調症(分裂病)の幻聴とは違い、自己の内側からの声が聞こえるケースがあるようです。北米で多くみられ、日本でもここ数年増えてきていると学びました。多重人格は人格そのものが解離するので、名前や職業、性別や年齢までも異なる場合など、全くの別人格を持つようです。また診断が難しく、詐病の恐れもあり、裁判などで心身喪失を偽る犯罪者などが存在し、邦画『39』でもとりあげられています(ちょっと余談でした;)。
3456LOVEさんのおっしゃる不安は、多重人格とはいえませんが、心の病はある程度主観に頼らざるをえないことや、正常と異常の定義の難しさから、その区別がつきにくいことがいえます(一応の診断基準はありますが…)。そういう意味では、普通、普通でないという基準はその症状や不安の度合いにも寄りますし、人それぞれ場合によって、その差は紙一重だと言えるでしょう。極論、悩みを持つ以上、全人類は精神病予備軍といえるのかもしれません。
日本の心理カウンセリングは、精神病患者への偏見や、地域との認知度の低さ、資格制度の曖昧さから、まだまだその敷居は高いですが、カウンセリングルームは病院ではなく(病院で行うケースもありますが…)、単に悩みをサポートする相談所として十分可能だと思うので、不安を煽るわけではないですが、一度気軽に相談に行かれるのも良いかもしれません(風邪はひき始めが大事ともいいますし…)。
カウンセラーに相性はありますが、相手は専門家ですし、まともなカウンセラーなら否定的な態度なく、あなたの理解に努めてくれると思いますよ。

心理学を学ぶ者で、確かな確信的知識は持ち合わせていませんが、私の知る限り、思いあたる限りでお答えしようと思います。
皆さんがおっしゃるように、多重人格(解離性同一性障害)は他の交代人格のときには記憶がないと言われています。成因としては、児童期の大きなトラウマ的体験などが多くあげられ、統合失調症(分裂病)の幻聴とは違い、自己の内側からの声が聞こえるケースがあるようです。北米で多くみられ、日本でもここ数年増えてきていると学びました。多重人格は人格そのものが解離するので、名前や...続きを読む

Q自分ががんばった、もしくは落ち込んだときのご褒美、ショックを癒すために

自分ががんばった、もしくは落ち込んだときのご褒美、ショックを癒すために
どういうことをやっていますか?また何を自分にプレゼントしますか?

またよく美味しいものをご褒美にするとよくききますが
ご褒美じゃなくても買おうと思えば買えるのであまりありがたみを
感じることができないのですが、ありがたみを増やすコツ見たいのがあれば
おしえてください

Aベストアンサー

こんにちは。

買おうと思えば買えるけど買わない・・・ということはすぐに必要ないものということですよね?
それを後先考えずに欲しいから買っちゃおう・・・=普段我慢している物欲を解放するということではないでしょうか?

例えば私の場合。

今日は頑張ったから何かご褒美ほしいな。→普段は太るから食べないようにしてる、大好きな豚骨ラーメン食べちゃおうかな?
といった感じでしょうか?

ありがたみってよりはストレス解消に近いですけどね。

自分の中で普段我慢していることをしてみてはいかがですか?

Q自分が何を考えているのかわからない

自分が何を考えているのか分かりません。
上手く表現できないのですが、気づくと自分が何も考えていなくて
心の中(?)がほとんど空っぽのような気がします(常時ではありませんが)。

もちろんここで質問しているという事は、
完全に意思がないというわけではありません。

ただ、以前よりもふと気がつくと心が空っぽに
なっているということが増えているのです。
私はどうなっているのでしょうか。
どうするのでしょうか?

表現がしづらく拙い説明でしたが、私がこの質問をして
どうしてほしいのか自分でもいまいち分かりません。
ただの自己満足かもしれません。何なのでしょうか。

Aベストアンサー

人生が何であるのか、何のために生きているのかという求道心(ぐどうしん)に目覚めていく前がそのような状態ですね。

心というもの人生というものを真摯に見つめ、考えていってください。

できれば宗教の道を歩むことなく心を学ぶのが良いでしょう。宗教は「神」の一言で片付けてしまいますから内容に乏しくあなたの求めている答えがないでしょう。

心の世界は意識だけに留まらず無意識があり、無限の広さがあります。静養心理学ではここまでですが、東洋では無意識をマナ識、アラヤ識、アマラ識と3つに分析し日常語になっています。

南アジアでは雪のことを「ヒマ」と言い、アラヤとは蔵するという意味があり、これらがくっついてヒマラヤです。ヒマラヤ山脈知っているでしょう。阿頼耶識とは蔵識(ぞうしき)ともいいます。

このように心の話は東洋では日常になっているので面白いですよ。心学でした。

Q自分へのご褒美ってどんな物がありますか?

1000円以下なら スイーツなど 食べ物が中心ですが

そこで質問です

(1)自分へのご褒美で 1000円-3000円以下は 食べ物以外で何がありますか?
(2)自分へのご褒美で 3000円-10000円は食べ物以外で何がありますか?

Aベストアンサー

初めまして。

>(1)自分へのご褒美で 1000円-3000円以下は 食べ物以外で何がありますか?


『てもみん』
でしょうか。



>(2)自分へのご褒美で 3000円-10000円は食べ物以外で何がありますか?


『足裏マッサージ』
辺りでしょうかw。


(^.^)

Q自己愛性人格障害と境界性人格障害の違い

自己愛性人格障害と境界性人格障害は近いと思うのですが、違いは何なのでしょうか?

Aベストアンサー

素人の見解ですが
自己愛性人格障害の場合は自尊心の維持であって
自らに賛同したり自らをサポートしてくれる存在に対して仲間を作りそうでない人に対して抵抗を感じる人
の事を言います。
 もし自らを少しでも愚弄するような評価が出たりだのなんだのした場合即座に制裁を加えます。また仲間以外の他人の評価を下げたり下がる事に関して極度に喜ぶという性質をもっています。
 この手のタイプは内部的な評価に対して相対的な負のコンプレックスを無意識に抱えていて一時的に人を貶したりだとか肩書き、見た目、しゃべり方などさまざまなバリエーションを使って負の感情を無くそうとします。確かに消えるのですが一時的な対処法として有効であり長期的な対処に至っていないことに気がつくかと思います。

 境界性人格障害
この場合は自らと他者との関係においてのイメージ感覚感情当に於ける不安定な構造です。社会に対するイメージ他者に対するイメージ感情思考等等が制御崩壊する事になります。思春期や青年期には多く不安定であることは一目瞭然です。この場合補いとして異質な存在に対して敵対心もしくは抵抗感を感じる事によって一貫性を求めようとします。これもまた一時的な解決にしかならず。そういう存在を一々軽蔑する気持の元を解消するという発想にならないのが不思議です。

素人の見解ですが
自己愛性人格障害の場合は自尊心の維持であって
自らに賛同したり自らをサポートしてくれる存在に対して仲間を作りそうでない人に対して抵抗を感じる人
の事を言います。
 もし自らを少しでも愚弄するような評価が出たりだのなんだのした場合即座に制裁を加えます。また仲間以外の他人の評価を下げたり下がる事に関して極度に喜ぶという性質をもっています。
 この手のタイプは内部的な評価に対して相対的な負のコンプレックスを無意識に抱えていて一時的に人を貶したりだとか肩書き、見た目、...続きを読む

Q自分へのご褒美

こんにちは。

今自分へのご褒美を買うとしたら、何を買いますか?

私は、スキンケアやバスグッズか、ちょっとお高めの下着(可愛くて綺麗なブラ)が欲しいなと思っています。

よろしければ教えて下さい。
ただ、『自分へのご褒美』という言葉に嫌悪感を抱く人もいるようですので、そういう人はスルーして下さい。

Aベストアンサー

クルージング旅行!
誰も一緒に行ってくれない旅でしたが、最高に楽しかったです◎
何回でも自分にご褒美してあげたいです(^^)

Q多重人格の場合、鬱の人格を持つとどうなる?

ふとした疑問なのですが鬱になった人格を持つと他の人格も同様に鬱にかかるのでしょうか?それともその人格だけ鬱にかかるのでしょうか?

Aベストアンサー

 
まず、多重人格というのは、「解離性人格障害」と呼びます。

解離性人格障害は、どういう機構で起こるのかということでは、経験的に、幼少期に、耐え難いような経験(例えば、もっとも一般的なのは、反復される性的陵辱等で、ビリー・ミリガンも、少年のとき、義父に性的陵辱を受けています)を受けた場合、その状態から脱出し逃れるため、耐えがたい状況に遭遇している「自己」とは別の「自己」組織を構成して、現実から逃避するのが、その起源だとされます。

記憶や経験が、分離・解離されてあるまとまりとなり、それらの主体としての「準自我」とでも呼ぶ主体統覚が成立します。「覚醒統覚自我」とでも仮に呼ぶ、意識機能が、どの準自我に属するかで、人格が変化したように外からは見え、内部でも、記憶断絶などが起こります。

準自我と仮に呼んだものの上位に、準自我の記憶や経験を総合的に想起できる上位の準自我が成立し、この上位自我が覚醒統覚自我となると、「人格の統合」というようなことになります。

精神分裂症、最近では統合失調症と呼ばれる病気の治療薬は、一般に解離性人格障害を悪化させるとされます。これは何故なのかを考えると、とりあえず個人的な考えでは、対分裂症で使うメイジャー・トランキライザーは、ドーパミン回路の神経伝達物質の過剰放出を抑制する作用を持ちます。

分裂症の場合、過剰な記憶や経験や感情や思考などの意識化が、錯乱をもたらし、正常な自我判断の成立を困難にするのですが、解離性人格障害に強力精神安定剤を使うと、分離された記憶と記憶のあいだがますます距離が置かれ、人格の統合が阻害され、人格解離がより進行するとも考えられます。

鬱病は、何かということは、難し過ぎてよく分かりません。神経伝達物質の供給不足というのは、鬱病の人に観察されることですが、これが「原因」で鬱病が起こるのだとは云えない面があります。結局、広義の人格の障害に鬱病もなります。

鬱病の場合、病前性格というものが考えられ、ある程度、病前性格と症状は関係があることは分かっています。性格というより気質の部分では、遺伝的傾向もあることが分かっています。しかし、そんなに単純な話ではないのです。

鬱病は躁鬱病という両相性を持つことがあり、鬱状態では、神経伝達を促進するような薬を処方し、躁状態では、逆に神経伝達を抑制するような薬を処方するとか、たいへん複雑です。

体質的条件もあるのですが、経験や人格の構成のされ方でも、鬱症状の発現は左右されるともいえます。

従って、解離性人格障害の場合、複数の準人格状態があれば、それぞれの人格で、辿ってきた成育史が違っていることになります。悲観的な準人格や、楽観的な準人格も当然あるというより、解離性人格の起源は、こういうことのはずです。絶望的で悲観的で、救いがない状況に直面した人格が、その経験をしているのは、「自分ではない」という形の頭皮を行うことで、人格解離が起こるのです。

すると、一方は悲観的、他方は楽天的という人格解離になります。ここに躁鬱病的体質や素質があると、鬱状態で悲観的人格が出、躁状態で楽観的人格が出るということにもなります。

従って解離した人格のあいだでの移行が起こると、ある人格は鬱であるが、他はそうでないというような状態も当然起こりえると考えるのが自然です。

実際にはどうか分かりませんが、鬱病は、人格に付随すると考えた方がよい気分障害である以上、解離性人格ごとで、違った状態になると考えるのが妥当です。

鬱病と云っても、個人個人で症状のありようは違い、治療方針も違います。糖尿病の場合、重症か軽症かというのはあっても、この病気の原因ははっきりしています。しかし、鬱病の場合、神経伝達物質の量が多いとか少ないというような単純な話ではないのです。
 
つまり、要約すると、鬱病は人格に関係があるので、多重人格の、或る人格は鬱病だが、別の人格はそうでない、ということがありえるということになります。また、そちらの方が自然だとも云えるのです。鬱状態になると鬱病の人格が出現し、気分が明るくなって来ると、別の人格になるとも極端には云えます。
 

 
まず、多重人格というのは、「解離性人格障害」と呼びます。

解離性人格障害は、どういう機構で起こるのかということでは、経験的に、幼少期に、耐え難いような経験(例えば、もっとも一般的なのは、反復される性的陵辱等で、ビリー・ミリガンも、少年のとき、義父に性的陵辱を受けています)を受けた場合、その状態から脱出し逃れるため、耐えがたい状況に遭遇している「自己」とは別の「自己」組織を構成して、現実から逃避するのが、その起源だとされます。

記憶や経験が、分離・解離されてあるまと...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報