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生きていけない貧しさから畜産していたのですか。人口が少なく土地が広かったのでしょうか。日本と比べると領主階級以下のやる気の差に思えます。畜産付きになってトータルで貧しくなかったのではありませんか。
逆に稲作日本人は余力があるならば徐々に畜産を広めて行こうとなってもいいはずですが。
肉食禁止が主犯で日本に畜産業を出遅れさせたという考察はどうですか。
説明のための説明は無駄です。近代科学的な合理的判断を原理にする説明は後付けの分析です。
ご教授よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

日本でも、2000年前には牛を殺して食べる文化が既に存在していました。

当時の日本人は意外に肉に対して旺盛だったようで、貝塚からは牛のほか、イノシシ、ウサギ、鹿、サル、イルカなどの骨が見つかっています。
ものの本によると「日本は仏教国だったので、人々は牛肉を食べることはなかった」と書かれていますが、それは厳密に言えば間違いで、決して表立った形ではありませんが、牛肉食そのものは、仏教伝来後も連綿と続けられていました。
それが転換したのは7世紀に入ってからで、このころから日本は突如「肉抜き」の文化へとシフトするようになります。西暦675年(天武天皇のころ)には初めての肉食禁止令が出ていますし、同じく741年(聖武天皇のころ)には「牛馬を殺した者は杖で百叩きの刑に処す」という命令が発布されています。
こうした命令が出るようになった背景には、仏教が政治権力と結びつくようになったことが関係しているのかも知れませんが、それ以上に、農業漁業が発達し、あえてたんぱく源を肉に頼らなくても済むようになったことの方が大きいのではないかと思います。
ただ、完全に牛肉食を駆逐することはできなかったようで、さまざまな形で肉食そのものは続けられました。安土桃山時代に日本へ来たポルトガルの宣教師ルイス・フロイスも、
「仏僧は表向きは肉など食っていないと言っているが、裏では結構食っているらしい」
と書き残しています。




最も牛肉忌避の強かった江戸時代にも、牛肉は「滋養強壮の薬」として比較的広く食べられていたようで、江戸市中には「獣肉屋」「ももんじい屋」と呼ばれる獣肉専門店があり、けっこう繁盛したそうです。ただ、あくまでもこれらの店の扱いは「薬屋」であり、食べ物でありながら食べ物としては扱われませんでした。人々も「薬」のひとつとして認識していたきらいがあります。
「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助は、堀部安兵衛の父・弥兵衛に「大変滋養があるので」と牛肉を贈っていますし、近江牛の産地としても名高い彦根藩の井伊家は、毎年将軍家をはじめとする有力大名に「牛肉のみそ漬け」を贈っておりました。幕末の大老・井伊直弼が暗殺されたのも、井伊家が水戸徳川家に対して牛肉の献上を止めたから、という話もささやかれています(実際は止めたから仲が悪くなったのではなく、仲が悪くなったから止めたのでしょうが)。幕末の蘭学者・緒方洪庵の日記にも、「牛を解体して皆で食った」という記述が残っています。明治時代になって、一般庶民がすぐに牛肉食へシフトできたのも、こうした文化があってこそでした。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。最初は食っていたけどやめちゃったという事でしょう。可能なのにやめたのであり稲作一番のイジメ社会で畜産技術を社会的に発展させなかった、なのでは。気候のせいではなく、原因の順番は、日本人の頭の中からでは。素晴らしい稲作が出来る素晴らしい民族だから畜産も出来たという余力の循環があっていいはずです。西洋が土地に恵まれなかったというのは日本人のダメとして説明されなければ公平な科学になりません。私はそういう公平な説明がまさに江戸の畜産のように排斥される民度という整合性を考えざるを得ません。公平な説明が成立しないようにする愚民は昔はもっと多かったでしょう。予定調和の愚民思想から解放された精神で説かれる公平な説明がないのでそれを求めて質問しました。

補足日時:2014/01/10 15:48
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この回答へのお礼

本件は冷静に斬新に議論した方がいいと思うのです。
また質問します。
質問者批判が動機でない皆さん今後とも宜しくお願いします。ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/12 01:54

質問の背景や持っておられる知識などを、質問文から私はうまく読み取れないのですが、


「西洋~中国北部は畜産しないと生きていけない貧しさから畜産していた」というようなことはほとんど考えようがないでしょう。
西洋(ヨーロッパ)と中国北部・草原地帯とでは、随分事情が違います。
草原地帯で肉食が増加したのは、気候風土が農耕に適さない草原、乾燥、冷涼な気候だったこと、騎乗による広域移動で多くの粗放的畜産で、食糧を確保して生きざるを得なかったからです。 海辺で広大な海からの魚や海獣を得られれば、そうしたものを食糧にできます。 しかし、そのような広大な地域から面積あたり収量の少ない食糧を得る方法では、多くの地域で人口を維持し、増加させることはできません。
人類が狩猟採集と粗放農業では食糧が確保出来ない状態になってからは、穀物やイモ類の生産(いわゆる農業)で食糧エネルギーを確保します。どの地域でも基本的に同じです。
単位面積あたりの食糧エネルギー収量が増加すれば、人口も増えます。収量が増えなければ人口は増えません。 肉は、面積あたり収量でみると非常に効率の悪い食糧です。
社会での食糧に余裕がなければ畜産はできません。 
アメリカやオーストラリアのような食肉生産は、広大な土地と肉の運搬に関する解決方法がないとできません。 干し肉、ハムソーセージばかりでは、大きなエネルギー源にはなりません。 塩鮭や魚の干物のような位置づけ程度にならざるを得ません。 経済が豊かになって、食糧事情にゆとりができてから、味の良い、うまみのある肉類の需要も生産も増えるものです。
畜産でも、食糧源としてでなく、軍事力や労働力補助のため、あるいは呪術などの祭儀のためなら畜産をしますが、畜産はそうした必要性がなければ最低限に抑えられます。

近代科学的・合理的に検討したいのであれば、世界各地での過去はどのような食糧生産が行われていたのかの情報を集めることをお薦めします。 
 
食うという視点で、味や好み、あるいは法的、信仰的タブーに目を向けるのは、もっと基本的なところを調べてからになさるのがイイです。
 
「稲作日本人は余力があるならば徐々に畜産を広めて行こうとなってもいいはずですが」
現実には、つい数十年前にようやく食糧面で余裕がでてきたところというのが日本の事情です。 頻繁に飢饉があった他、人口の増加も農業技術などの飛躍的改良がなかったときにはできなかったのが実態です。
東南アジア、東アジア、インド地方などでも穀物生産が盛んですが、穀物生産してそれを売って代わりに生活物資をようやく獲得できている状態で、先進諸国に比較して民衆全体は貧困なのですから、運搬用、農耕用などの畜産は盛んでも、穀物などを食べさせて食肉にするようなことはできません。 ヤギのように痩せ地の草で飼えるなら乳をとったり、毛を利用したり、肉も食べます。 しかし、食用肉用に多数を飼育するなどということはしません。 それではその社会が食糧確保の困窮から破綻してしまいます。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1150.html
日本は他の諸国に比較して鶏卵の生産消費が多いです。現在の事情には特殊な要因がありますが、昔でみれば、穀物イモ類菜類の生産を阻害することなく、卵や肉を狭い面積で収穫できる点が好まれたということもあるでしょう。 それにしても、肉食を禁じられると、かしわと呼ぶような工夫も必要だったのでしょうけど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
収量を減らさない飼い方は出来ないのですか。その技術とやる気の無さではないでしょうか。世界というより日本らしい百姓管理の因習が主犯では。

お礼日時:2014/01/11 18:26

現代の穀物生産は機械に頼っているから人手が要りません。

でもつい50年前までは人手・動物が必要だったんです

ヨーロッパは中世以降、度々人口が大規模に減る事があったんです
黒死病です
これにより人口が半減してしまいました
大規模人口減を受けると穀物生産は難しくなります
放牧型畜産に転換すれば布の原料であるウールは羊から取れ、栄養も肉から得られるのです
小麦の生産量が落ちても肉でカバーする事が出来たのです
放牧って面白いんですが、牛は自分で牧場を作るんですよ
これ、ヨーロッパの常識です

日本は大規模な人口減はほとんど無いんですよ
大飢饉と言っても1割程度の人口減なんです
ヨーロッパの疫病と違って飢餓ですから食糧の分け合いで乗り越えが可能なんです
疫病は村が一個消えてしまいますんでね
現代の畜産でもそうなんですが畜産って割に合わないんですよ
カロリー比率では小麦や米の方が上なんです
人手があるならば米や麦の生産をやった方が楽です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
観点は面白いし斬新だし何より著作権侵害人のように己の思想を宗教化し質問者の異端狩りを始めないので有り難いです。

労働力や地力がなくても畜産はプラスアルファになってくれるなら徐々に拡大されてもいいはずですが最初が無ければ理屈がどうあれ適応や発展しません。
精神的政治的ないわば規制が続いたからでは。稲作奴隷。その奴隷管理の国内完成度は疑問視さえさせない一級品。

裏山で家畜飼ってたら迫害されたからでは。

お礼日時:2014/01/11 18:21

1:>生きていけない貧しさから畜産していたのですか。


2:>人口が少なく土地が広かったのでしょうか。
3:>日本と比べると領主階級以下のやる気の差に思えます。
4:>畜産付きになってトータルで貧しくなかったのではありませんか。
5:>肉食禁止が主犯で日本に畜産業を出遅れさせたという考察はどうですか。

↑ですが、いつの時代の事か不明なので、回答が困難です。
この回答では、とりあえず中世以降としています。

回答1:そうです。(理由は後述)
回答2:そうです。農業に適さない広大な土地ばかりでした。そして人口は食料の生産に制限されます。
回答3:違います。当時は土地の生産性=領主の収入=国力なので、やる気がないというのはありえません。
回答4:違います。畜産付きでも貧しい状態でした。
回答5:逆だと思います。(畜産が難しい環境を宗教の教えに転嫁した)


中世の欧州人がよく肉を食べていたというのは間違いです。(貴族階級は除きます。)
欧州では麦が収穫できるような土地は少なく、草しか生えない痩せた土地も多くありました。
そのような土地では牛を放すしかありませんでした。
その牛もミルク(チーズ)や農耕用で、食肉としてのものではありません。
当時の農民の食事は、パンと野菜のスープ、チーズとソーセージ等が少々です。
牛なのは、農耕用と豚や鶏は雑食なので人間と食料がかぶるからです。
以上の理由から食肉の生産量は多くなく、当時の食用の肉は、狩で取ってきた野鳥や鹿などの野生動物です。
当然量は限られていましたし、平民の狩りは制限されていました。(=貴族の独占)

スイスで牧畜が盛んだったのは、それしかできなかったからです。
そして、それは女性や年寄りや子供でも可能でした。
大人は傭兵として外国に「出稼ぎ」に行っていました。
スイスで金融業が発達したのは、外国からの送金を管理する必要からのものです。

欧州を含む世界で肉食が増えたのは、工業が発達して化学肥料の大量生産が可能になった為です。
それにより穀物の収穫が増え、家畜の飼料にも使えるようになりました。
その結果、家畜をより太らせることができ、「肉の生産効率」が向上したからです。
そして、それらは大昔のことではありません。


A:>逆に稲作日本人は余力があるならば徐々に畜産を広めて行こうとなってもいいはずですが。
B:>肉食禁止が主犯で日本に畜産業を出遅れさせたという考察はどうですか。

Aですが、余力があるなら、そうしたと思います。
余 力 が あ る な ら ですが。

質問者様は、考え違いとしていると思います。
まともに農耕ができる土地なら、そこからの収穫による栄養(カロリー)は、

【農産物(麦、米等)>家畜の肉や乳の加工品】=養える人口の差

となります。
日本の場合、気候が欧州よりは土地が肥えていて、温暖だった為に米が穫れました。
そして、国土=耕作地が狭かった為に、水田という労働力集中→高収穫の方法を選択しました。
日本は欧州と違って土地が豊かで、最低でも雑穀程度は実る土地が多かった為、水田や畑が増えました。
日本はこの米と水田によって、人口を増やすことができました。
これには、日本人の異常とも言える「米」への執着も原因だと思います(既に宗教レベル)

Bですが、
日本の畜産業が発達しなかったのは、前述のように牧畜より人口を養うのに良い方法があったからです。
そして、それにより人口が増えれば、尚更食料の生産高は維持しなければなりません。
結果として、牧畜にリソースは回せなくなります。
しかし、牛や馬などの労働力としての家畜の価値は上がります。
肉食への禁忌は、このような現実的な理由が宗教感に転嫁されたものです。

日本は、まだ増えた人口を養えるだけ良かったと思います。

一方で、欧州は草すら生えないような荒地も多く、ジャガイモを植えるのが関の山でした。
それでも、当時の人達には、ジャガイモは神からの贈り物のような作物でした。
牧畜はそれすら出来ないような土地で、しかたなく痩せた牛を飼っていたに過ぎません。
その為に、欧州では人口を増やすどころではなく、維持するのがやっとでした。
その人口ですら、凶作になればどうなるかわからない状態でした。
そして、人口が増えなければ、仮に耕作地があっても増やせません。

私は前述の理由から、ドイツ全土で米(か麦)がとれるならイモなんか作らず、国中水田か麦畑になっていると思うので、違うと思います。
「西洋~中国北部は畜産しないと」の回答画像3

この回答への補足

どっちなんだよw畜産は難しいのか簡単なのか決めてから宗教にしなよ、インチキ宗教だな。後付けだからチグハグか。

土地がないのか。どのくらいないのか説明してくれ。

空き地で家畜数匹買うと人口が減少するんだな?

コピペ君を賢いと思った事はない。

補足日時:2014/01/10 20:16
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この回答へのお礼

お礼日時:2014/01/10 13:22

日本で畜産が発達しなかった理由は、高温多湿な気候が畜産に向かなかったからだと思います。



高温多湿な地域では、ご存じのとおり一般に畜産があまり発達しません。
これは放っておくとどんどん樹木が生育し、森林化してしまうからです。
これを防ぐには、どんどん木を伐採するか、焼くしかありません。
牧草地の管理に非常に手間がかかるため、畜産では割が合わなかったのでしょう。
せいぜい軍事・農業・輸送用の牛馬を飼う程度がやっとだったと思います。
水田にしてしまえば、雑草程度しか生育しないため農地の管理は非常に楽です。

だいたい畜産が盛んな地域は、大陸の乾燥したやや冷涼な地域です。
樹木が生育し難いため、わざわざ森林を伐採しなくても良いのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
木が生えるからですか。

薪にしたらいいじゃないですか。領主以下が野山を開発する気がないだけでは。

お礼日時:2014/01/11 18:09

 ご指摘のとおりです。

雨量が少ないと乾燥や痩せた土地にで生きて行ける雑草しか育たないのでこれを食べられる家畜を飼うのが尤も適しているのです。ただ、ヨーロッパの比較的降雨に恵まれた地域でも食習慣が肉食主体の食習慣があり、この需要に応じるために畑地が牧場に変えられてしまうという現象蛾起きているのは御覧になるとおりです。

 日本は十分な降雨に恵まれているので最も単位面積当りの収量が多い米を作るのが最適であり、これ故に菜食主体の食事が一般的になりました。綱吉の生類憐れみの令以前も菜食主体の食習慣が一般的でした。牧畜で食料を供給するには広大な平野が必要になりますが、日本の80%は山地であり、牧畜では到底食糧需要に応えることはできません。必要な蛋白源は幸い海からの魚介類があるので栄養失調になる心配がないのも幸いしましたね。米主体で古くから異常なほどの人口密度を達成した日本列島では畜産によって生きるには大幅な人口減を達成しないと到底無理なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私としては気候よりも気候を無視した食文化的要求の方が影響している地域もとおっしゃられるような観点を評価し、日本人にも適用したい問題なのです。日本人は万事有能であるという前提に立った日本史解釈は幕末明治の謙虚な成功者である先人達の知性にも劣る小中華的現代保守日本人の傲慢な悪しき思考習慣に感じ始めているところなのです。

私の日本史への指摘としては、畜産で食って行けではなくて、稲作(畑作)に山を拓いて畜産も加えたらいいでしょうにです。それをしなかった理由の正解は、する必要がないからではなくてですね、する必要がないとかいう説教臭い足の引っ張り合いによる下に合わせる愚民統治の結果ではないかと。つまりは日本が畜産しなかったのは垢抜けない全体主義気質が畜産ドイツとは対照的な稲作日本にもあって気候よりも愚かな民族気質が畜産業を出遅れさせたという否定的な考察が真相ではないかな~と。

お礼日時:2014/01/09 21:33

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