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純文学というものがあると思うのですが、例えば宮本輝氏の「蛍川」などを読みました。
途中いろいろあって、ラストの場面などは美しく有名だそうで、芥川賞受賞作品だそうですが、正直この作品がどういいのかよくわからないのです。特に良かったとは感じられません。
この作品はさほどの長編ではないとはいえ、純文学全般に言えますが、長々と活字を最後まで読んできて、読むだけの価値があった、感動したという作品はあまりないのですが。

純文学というは「次どうなるんだろう」という、「話のおもしろさ」というより、心情・情感や人生の真実が描写されているというところに価値があるということでしょか。読む人に感性がないとダメなのでしょうか。
純文学と大衆(エンターテイメント)小説の違いを知りたいです。
百田尚樹氏の小説などは、娯楽小説の部類なのでしょうか。

また、純文学というのは日本の文学作品に固有の言い方なのでしょうか。
トルストイや、ドストエフスキーなどの海外の世界文学では、あまりこうした言い方はなされていないように思えますが、「戦争と平和」や「罪と罰」なども純文学なのでしょうか。

それから、「文学」という言い方と、「小説」という言い方はどうは違うのか教えて頂きたいです。
前者のほうが、後者に比べると高尚というか、そういうことなのでしょうか。

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A 回答 (4件)

お気持ちものすごくよく分かります。

私も純文学は苦手でした。ただ、かといって娯楽小説も好きではありませんでした。

中学の頃から純文学を読んできました。最近の娯楽小説よりも、三島由紀夫や川端康成や漱石を読むべきだと思ってたからです。が、15年くらい幾ら読んでも純文学のよさが分からずに最近になって急に開眼しました。
私が初めて純文学の良さを知るきっかけになった作品は、宮本輝の「星々の悲しみ」です。派手な作品ではありませんがものすごく良いです。その後、宮本輝の川三部作を全部読みましたがどれも傑作だと思いました。しかし「星々の悲しみ」の前に読んでいたら、どのような感想になったかは分かりません。

多分、純文学は分からない、と思いながらも読み進めていればその様な作品に出会えるんじゃないかな、と思いますよ。貴方にとってそれがどんな作品かは分かりません。貴方が「星々の悲しみ」を読んで私のような感想を持つかも全く分かりません。(でもおススメです)

「純文学」と「エンタメ小説」の違いは、表現に重きを置くか、ストーリーに重きを置くかの違いだと思います。私も今でも定義はあやふやですが、たくさん読むを分かってくると思います。それが日本固有の言い回しかどうかは分かりませんが、考え方としては同じ分け方ができそうです。

「文学」はジャンルそのものを言い、「小説」はもっと具体的なものです。
「僕は日本文学が好きだ、とりわけ谷崎の『痴人の愛』という小説が好きだ」という言い方ができます。
「『痴人の愛』という文学が好きだ」という言い方にはなりません。
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難しい問題ですね。

文学(純文学)と娯楽小説の違いを明確に切り分ける基準はありません。例えば尾崎紅葉の「金色夜叉」とか泉鏡花の「婦系図」など、今では日本文学全集に収められていますが、発表当時は新聞の娯楽小説です。中身もありきたりの風俗小説です。でも100年後の今も読み継がれ、文学全集に収められている。百田尚樹氏の娯楽小説も、100年後に残っていたら文学として扱われるでしょう。でもその可能性は限りなく小さいです。

大胆に文学(純文学)の基準を作るとすれば、

・テーマがストーリーではなく、感性、美意識、人間性、人間の業、文章表現の美しさ、などに置かれ、それを読者に伝えることを目的に書かれていること。
・内容が時代の変容に耐えられるもの。

と言うのは如何でしょうか。源氏物語などは典型です。この条件にすべて当てはまります。

純文学が直木賞作品のような娯楽小説のように読んで面白くないのは当たり前でしょう。そもそも読者を面白がらせる目的で書かれていないのですから。しかし、純文学の見本のように言われている芥川賞はやや疑問を感じますね。ストーリーを過小評価しすぎて、せせこましい四畳半文学に脱している。無理やり「感性、美意識、人間性、人間の業」に傾いている。文章も下手。だから夏目漱石や志賀直哉のような日本語のお手本のような文学、「戦争と平和」や、{罪と罰」の様な骨太の文学が生まれない。この種の軽々しい純文学も後世に残らないでしょう。つまり時代の変容には耐えられず、消滅するでしょう。
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こんにちは。



私も純文学は苦手ですよ(^^ゞ

「良さが解るふりをしていることが、良さ」なのではないかと考えています。

更には、所謂”文壇”の数々の「賞」は、
広告業界最大手の会社と出版業界の自作自演です。

お歴々も含め、「文学賞」に物申すということは、
集団心理から考えても、ほぼ不可能な行為ですので、【良い文】ということに確定します。

私は外国語は苦手ですので、世界的名作と言われている本も、翻訳版しか読んだことがありません。
翻訳者の方々がざっくばらんなのかもしれませんが、
日本の本は、言葉使いばかりに重きを置き、「主旨」は薄っぺらに感じることが多いです。
自分の言葉に酔っている印象です。

私は、「純文学」の本来の意味は、世相や風俗にとらわれず、
人間や社会の本質を描いた作品のことだと考えています。

ですから、ジャンルや形式にとらわれている事自体が、おかしなことだと思いますよ。
絵本でも、エッセイでも、SFでも、人の心と向き合っていれば、それは文学だと思います。

ではでは(^_^)
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 純文学というのは、枯れた文学と言えば、わかりやすいかもしれません。

詳しくは以下のリンクを参照してください。

 純文学:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87% …

 純文学論争:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87% …

 何が純文学かという具体的な定義は無いようですが、娯楽一辺倒の小説ではなく、当時の時代世相を詳細に描いた歴史的価値を持っていたり、当時、生きていた人達の考え方が理解出来るように描かれている小説などを差すようです。娯楽性よりも歴史的事実を描いた歴史小説も純文学だと思います。

 それと言うのも、小説の多くがフィクションばかりの娯楽作品で、純文学は少数派だからでしょう。売り上げも同じく、娯楽小説が多く、純文学はあまり売れない小説です。赤字採算の書籍も多いだろうと思います。

 漫画や娯楽小説しか読んだ事が無い人には、どこが面白いのかわからない小説ですが、当時の世相を知っている人から見ると、懐かしいお話や既知の知識を確認出来る小説です。昭和回顧録とか、平成回顧録などを読めば、当時の世相がわかるように、当時、生きていた人から見れば、価値を持つ文学と言えるでしょう。

 たとえば、8ビットパソコン時代のお話は、あまり面白い小説ではなくても、実話ばかりを集めて書くと年配者で読む人は多いでしょう。同じく、ビデオデッキの変遷やゲーム機の変遷を描いた小説を読みたい人は多いと思います。技術系の純文学はあまり読んだ事が無いですが、懐古本として出版されています。

 米国ではニューヨーク同時多発テロを描いた純文学も出版されているはずです。日本でも爆弾テロやハイジャックを描いた純文学があると思います。テロリズムの世界を描くのは取材が難しいでしょうが、そういう小説ほど読む人が多いのは事実です。

 純文学は面白くない小説ばかりではありません。戦争の時代を描いたり、テロの時代を描いたり、技術革新に押し流されている現在を描いたり、面白い小説は数多くあるはずです。

 もっとも、情報社会になり、インターネットが普及したせいか、昔話を書くのに出版費用をかける必要が無くなり、インターネットのホームページやブログに書いて公開出来る時代になりました。

 それに比べると、出版界は斜陽で、出版不況が続いているようです。純文学も情報化の波には逆らえないようです。
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Q純文学の定義って何ですか?

小説を大衆小説とか純文学とかってカテゴライズしますよね。
大衆小説=エンターテイメントと捕らえると、小説の娯楽としての性質上すっきり理解できるのですが、純文学というのが何なのか良くわかりません。
江戸時代の娯楽としての歌舞伎が現代では古典芸能になったように、明治時代の大衆小説としての文芸が現代の純文学になった。
つまり、明治大正昭和的雰囲気の小説のことを指すと考えていいのかなとも思ったのですが、なにか分類の定義か指針があれば、教えてください。

Aベストアンサー

大衆文学ってのは近代の枠の中でやってるもの。
純文学ってのは常に形式を壊していくもの。

とすれば一応の定義はできるかも。
この場合の近代というのは脱構築と対応する意味での近代ということで。

でも純文学の定義って難しいんじゃないすかね。
第一に純文学って誰にでも書けるものというわけじゃないから、そうした客観的なものさしをつくれないし。

あ、あと念のため言っておくと、芥川賞は純文学を担保するものじゃないですよ。
芥川賞がそういうベクトルに機能したのは戦後のごく一時期だけです。
だって最近の、石原が審査員をやるような芥川賞なんて
獲りたいやついるか?って感じだろうし。
ほとんど意義を失ってるみたいです。

Qすっごく純粋に「小説ってつまらないような」と思っている(思うようになった)方

物書き卵です。
でも小説が面白いと思えなくなってしまいました。
だからといってあきらめたわけでも方向性を見失ったわけでもない(と思う)のですが、ヒントにもなるしむしろ助けになると思いますので、率直な意見を頂けたらと願います。

正直、小説って面白い?
テレビ見てた方が面白くない?
漫画の方が工夫されてない?
アニメや映画の方が見応えない?
ゲームしてた方が共感しない?
音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
ネットしてた方が新しい発見がない?

エッセイや実録などのリアリティにかなわないと思わない?
教養本の方が為にならない?
結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?
「ああ、ページ数あとこんなけしかないなんて」でなく「まだこんなにあるのか」なんて思ってない?
読んだ後、思い返してドキドキ、なんて最近しなくない?
登場人物が紙の上の存在であることに絶望的なもどかしさ、なんて最近しなくない?
ページをめくるのがもどかしくて、とか手がわずかに震えて、とかつい表情だけでなく声がでちゃって、とか最近なくない?
説明文、機械的に流し読んでない?
想像力、かえって失ってない?

やばい、あらためて書いたら、ちょっとモチベーションが自傷状態。
ちなみに物語の意味は問うておりませぬ。あくまで「小説」です。

どかんと「小説ってなんであるのかね、だらだら妄想と専門分野の知ったかぶりじゃん」とけなして頂いて結構です。
「昔は好きだったけど、今はこういう所が嫌い」「こういう作品はいいけど、こういうのはどうかな」とかでもいいですが、できるだけ総合的な感想ください。
「そんなことないよ、小説大好きだよ、こんな風に感じていつも楽しんで感動してるよ!」という意見ももちろん頂きます。見習いたいです。

物書き卵です。
でも小説が面白いと思えなくなってしまいました。
だからといってあきらめたわけでも方向性を見失ったわけでもない(と思う)のですが、ヒントにもなるしむしろ助けになると思いますので、率直な意見を頂けたらと願います。

正直、小説って面白い?
テレビ見てた方が面白くない?
漫画の方が工夫されてない?
アニメや映画の方が見応えない?
ゲームしてた方が共感しない?
音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
ネットしてた方が新しい発見がない?

エ...続きを読む

Aベストアンサー

小説は娯楽のために読むには回りくどいし、教養のために読むというほどには書き手に教養がない(特に最近は)。特に忙しい人には、読む理由も必要も無いと思います。

テレビや漫画やゲームが小説と比べて本当に面白いか、というのはまた別の話ですよね。個人的には、疲れたときにちょっと気分をほぐすには小説よりテレビが向いているだろうし、多少暇なときの娯楽としても漫画やゲームの方が優れているのではないかと思います。

一方で書籍と比べるなら、歴史小説を読むよりは学者が書いた歴史書の方が面白いということは実にしばしばあります。思弁的な小説よりも哲学書などを読む方が、考え抜かれた思索に触れることができて充実感を味わえるでしょう。美しいフレーズを探したいなら詩集に当たる方がよほど気が利いています。

問題は「単に小説がつまらない」というよりは、小説の立ち位置はどこにあるのかとか、どういう読者を想定しているのか、というのが現在は特に曖昧になっているということかもしれません。テレビや映画にアレルギーがあって漫画やゲームが苦手で活字好きで暇のある人向けの娯楽にすぎない?とすれば切ない存在ですね。

忙しい人にでも手にとってもらえて、読んだときに「良いことがあった」と思ってもらえるような小説が今後ありうるのかどうか。村上春樹の「1Q84」みたいなのは例外的にネームバリューで売れただけなので全然参考にはならないでしょうし。まあ、控えめに言って小説は隘路に入り込んでいると思います。

もっとも、こんな私も保坂和志と舞城王太郎だけは新刊を楽しみにしていたり。この二人は思考を言葉として表現する方法が卓抜だと思います。表現を鍛える、というのは小説が生き残るための一法かもしれません。いわゆるジャーナリストの書くものとか表現ゆるゆるですから。現代の生きた文章として、表現において的確で揺るぎないものを読みたいという欲望をかなえてくれるのは、やはり小説でなくては──というのが小説に寄せる期待ですが、どうでしょうか。

小説は娯楽のために読むには回りくどいし、教養のために読むというほどには書き手に教養がない(特に最近は)。特に忙しい人には、読む理由も必要も無いと思います。

テレビや漫画やゲームが小説と比べて本当に面白いか、というのはまた別の話ですよね。個人的には、疲れたときにちょっと気分をほぐすには小説よりテレビが向いているだろうし、多少暇なときの娯楽としても漫画やゲームの方が優れているのではないかと思います。

一方で書籍と比べるなら、歴史小説を読むよりは学者が書いた歴史書の方が面白...続きを読む

Q純文学(昔の小説・詩)が大嫌いです・・・

上にも書いたとおり、いわゆる純文学がきらいです・・ 言っていることが全く掴めず(特に詩)、好きになれません。 文学好きの方には申し訳ないですが・・・  
理由としてはこのほかに、    (1)実用的でない  (2)読んでも利益(得られる知識)がない (3)実際にはありえないことをかく (4)言い方が間接的すぎる   (5)難しすぎる  (6)実生活にはまったく役立たない 
などです。   ただ、まったくの本嫌いでもなく、最近の小説(おもに恋愛系、ゴシップガールとか)エッセイ・新聞・アカデミック系の雑誌(タイムとか)・自叙伝はむしろ好んでよく読みます。   こんな私って、ロボット的なのでしょうか?

Aベストアンサー

ロボット的ってのはつまり、感情がない、とかそういう事なのかな?

そうは思わないよ。

僕は純文学好きだけど、まあ純文学面白くない人だっているわな、とは思う。
古めかしいし、時には退屈な作品もあるし。
それは人それぞれの好みだよね。
だいたい、純文学って言っても所詮は薄っぺらい娯楽でしかないんだしさ。(そういう意味では、貴方の言ってる事は的を得ている。とにかく、実生活においてなんら役に立たないどうでもいい話なんだよな。)
そういう数ある娯楽の中で何を選択するかなんて、やっぱりどうでもいい些細な事なんだよね。
ここでは、貴方の挙げた例の中では、純文学は”最近の小説”に相当するだろう。これも、娯楽、読み物だよね。
じゃあ、別に貴方は純文学じゃなくて最近の小説を選択してるだけの話で、それなら貴方が心配してるロボット的な要素ってのは、純文学読んでる人と比べて特に違いのあるものではないって言えるのでは?

純文学ってそんな高尚なものじゃないと思うよ。
そもそも、やっぱり読み易く感情移入しやすいように、言文一致しようなんて大衆に迎合するような事もしてるわけだし。まあ、芸術にしてからがそもそもは実益など何もない虚しいものであって。
お話を聞かせる。ただそれだけの事なんだ。
その”お話”に良い悪いもないと、僕は思うんだよね。面白ければそれが全て。
それに、やっぱり芸術なら進化していくべきだとも思う。
より読み易く、より面白く、より技術的に。

そうは言っても、僕は昔のお話がやっぱり好き。古臭い文体でも、死語ばっかり使ってても。稚拙なトリック、間違った科学解釈。それでもね。あと、気合の入った長編なんかはこの頃はあんまり見られないから、そういうの読みたい時はやっぱり昔の小説になっちゃう、って側面もある。最後は、純文学ならではのなんとなく”大人っぽい雰囲気”ってやつ?まあ、これは文体のせいだろう。内容を冷静に見ると、決してそうではないのは数多くある。そういう”リッチな”文体が好きなんだよな。うん。完全にイメージだけの問題です。

そして貴方はそうじゃないのが好み。それだけの話なんだよね。
どのお話が好きでも、大した違いはないじゃない?

ロボット的ってのはつまり、感情がない、とかそういう事なのかな?

そうは思わないよ。

僕は純文学好きだけど、まあ純文学面白くない人だっているわな、とは思う。
古めかしいし、時には退屈な作品もあるし。
それは人それぞれの好みだよね。
だいたい、純文学って言っても所詮は薄っぺらい娯楽でしかないんだしさ。(そういう意味では、貴方の言ってる事は的を得ている。とにかく、実生活においてなんら役に立たないどうでもいい話なんだよな。)
そういう数ある娯楽の中で何を選択するかなんて、やっぱりどう...続きを読む

Q太宰治の作品が賞賛される理由

太宰治の作品が賞賛される理由

よろしくお願いします。

太宰治の作品をいくつか読みましたが私は太宰作品がなぜ賞賛されるのか理解できませんでした。

読んでいて何か心に触れるものはありますが、それ以上に何だか疲れると言うか、つまらないと言うか…

私の読解力が足りないと言えばそれまでの話なのですが、太宰作品の魅力や真髄は何なのでしょうか。

「こんなところに注目すると理解が広がる」等々あれば是非とも教えて下さい。

Aベストアンサー

太宰が賞賛される理由は大きく分けて二つです。
ひとつは、自殺前後に『人間失格』を発表したから。今でもその風潮は残っていますが、自身の暗黒面を告白した小説は文壇の受けがいいのです。
もうひとつは、当時にしては技巧派だったからです。『斜陽』や『人間失格』のように破滅していく人間を巧みに描くこともできましたが、『女生徒』、『駆け込み訴へ』、『お伽草紙』など、全く違ったタイプの作品もそれぞれ高い水準で書いています。

特徴的なのは、読者の読みに対する寛容さです。どう読んでも作品が否定しない。どんな作品でも多様な読み方はできますが、太宰の作品はその幅が尋常でなく広くて、高度な読解力を駆使せずとも多様な解釈ができます。人生訓として読む人もいれば馬鹿話として読む人もおり、現実問題を考える上でも役に立ち、どう解釈しても正解だから研究対象としてももってこいで、非常に使い勝手がいい。

たとえば『人間失格』は、先に書いたように私小説的な告白小説とも読めますし、学校なんかではこの作品から人生についての何かを学ばせようとしますが、ギャグ小説ともマゾ小説とも、ゲイ小説とすら読むことも出来ますし、破滅の美学を描いた耽美的な作品とも読めます。聞いた話ですが、海外では幼児期に性的虐待を受けた子供の精神病の症例として研究されている例もあるらしい。
何ならミステリー的に読むことも出来ます。「いままでずっと仮面を被ってきた」と告白する葉蔵の手記は、そもそも信用に足るものなのでしょうか? 親にまで素顔を隠し続けてきた葉蔵が、今になって突然、見ず知らずの読者に向かって「隠してきた素顔を披露します」と言い出すこと自体、ものすごく不自然な行為です。それなのに多くの読者は、その前提を何の疑問もなく受け入れてしまう。
この手記自体が葉蔵の巧みな「お道化」だとすれば、読者は「読者」という、作品に巻き込まれることのない絶対安全な立場にいながら、たかだか作中人物に過ぎない葉蔵に騙されるという体験をしたことになります。『人間失格』を読んで共感を覚えた読者全てが葉蔵の詐術に騙された被害者だとすれば、アガサ・クリスティの大仕掛けにも劣らぬスケールの大きい話になると思いませんか(笑)

そういうわけで、太宰の作品の印象は、読者が「どう読むか」で大きく変わります。
「太宰は自分の好きなように読める」ということを念頭に置いておけば、楽しく読めるかもしれませんし、やっぱりつまらないかもしれません。
今読んで「つまらない」と思うなら、それはそれで正解なので、無理に読むことはないでしょう。

太宰が賞賛される理由は大きく分けて二つです。
ひとつは、自殺前後に『人間失格』を発表したから。今でもその風潮は残っていますが、自身の暗黒面を告白した小説は文壇の受けがいいのです。
もうひとつは、当時にしては技巧派だったからです。『斜陽』や『人間失格』のように破滅していく人間を巧みに描くこともできましたが、『女生徒』、『駆け込み訴へ』、『お伽草紙』など、全く違ったタイプの作品もそれぞれ高い水準で書いています。

特徴的なのは、読者の読みに対する寛容さです。どう読んでも作品が否定...続きを読む

Q一冊の本を読む時間について、

通常、約300ページくらいの本を何時間くらいで読んでおられるでしょうか。私は、約12時間くらい、かかっているのですが、遅いでしょうか。ある本に、約3時間と書いてありました。そんなに早く読んで、内容を理解できるものなのでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっと気になる場面だけ読んで,改めて最初からじっくり読んだりもしますね。やはり,皆様が仰るように,本の内容と本への取り組み方で時間のかかり具合は違うようです。また,1つの本を読んでいるとき,以前に読んだ関連性のある本の内容を即座に思い出せるかどうかでも,理解力や読書時間はかなり変わってくるのではないでしょうか。
ちなみに,私が最近はまっているジャンルの本はドラマCDが出ており,読むときには頭の中で好きな声優さんをキャスティングして声を再生(?)しているので,結構,時間がかかるときもあります。これも一種の楽しみ方かしら(笑)

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっ...続きを読む

Q本の読み方が分からない・・・場面を想像できない・・・

最近、今まで本をあまり読んでなかったのですが、家にいる時間が増えたので小説でも読んでみようと思うようになりました。
ネットであらすじを調べてみて面白そうだなって思ったのもの、amazonのレビューなどを参考に多数買ってみて読んでいるのですが、確かに内容は面白いのだけど頭に入らない、理解できない、特にうまく想像ができない、と自分の本の読み方が悪いのではないかと考えたりします。
本を読むときって普通ははっきりと細かく場面を想像したり人物を自分の頭の中で想像したりするものなんでしょうか?

私は場面を想像しようとするときはまずおでこの裏側あたりに意識を集中します。そして黒い背景(頭の中)の中で本の文章の描写を再現しようとします。しかし、なんかぼやけているというか全然はっきりしない感じなのです。なんか黒みがかっているし人を再現しようとすると人形のようで体が真っ黒でしか再現できないし顔や手や指も想像できません。人という輪郭しか描けないのです。そして奥行きの表現が難しくどうしても二次元的になってしまいます。(紙芝居のよう)
大きさもミニチュアサイズのようにしか想像できません。大きくしようとしたり、より細部を細かくしようとすると頭が痛くなってきて大変疲れます。頭の中をコントロールするのがうまく出来ない感じです。自分の思い通りに想像する事ができないで必ず不完全になります。
さらに自分が主人公になりきったように想像する事がまるで出来ません。
一人称視点で想像ができません。どうしても三人称視点つまり傍観者のように想像する事しか出来ないのです。試しに一人称視点で想像してみましたが、二次元と三次元が入り交じっておかしな感じになりました。

他にも何故その人がその台詞を言ったのか考えたり、何故そこで怒ったのかが分からなくなってその訳を考えたりするのに時間がかかります。さらにそうやって考えていって至って出た結論は正しいのかがはっきりとせず、悩んでしまいます。
普通の人はそういうのもすらすら読み取っていくのでしょうか?

うまく想像が出来ない、理解できない部分が多いので文字だけを追っているだけになってしまいます。そしてなんとか大変疲れながら読み終わっても翌日になると内容をすっかり忘れてしまいます。
だから読んでいる時も読み終わっても自分にとても腹が立ってきます。
同時に他の人はどんな風に想像したり読んでいっているのかが気になります。
一字一句想像しながら読むって相当疲れますし今目を開いて自分が見ている現実のようにリアルに再現するのって難しすぎます・・・。
ふと、自分の本の読み方が正しいものなのか、正しい読み方なんていうものはそもそもなんなのかなどと考えるようになってしまいました。
これは自分が脳に欠陥があったりするからなんですかね。
それともこういったことは普通なんでしょうか?

先にも述べましたが今まで本はあまり読んできませんでした。
年齢は17です。今まで生きてきた中で小説体型の物を読んだ覚えがあるもので数えると本数は6冊くらいです。
そのせいもあるのでしょうか。でも想像が思い通りにできないってて普通じゃないですよね・・・。
学校は普通のところに通ってきました。(学力も含め)
真剣に悩んでます。
どなたかご回答よろしくお願いします。

最近、今まで本をあまり読んでなかったのですが、家にいる時間が増えたので小説でも読んでみようと思うようになりました。
ネットであらすじを調べてみて面白そうだなって思ったのもの、amazonのレビューなどを参考に多数買ってみて読んでいるのですが、確かに内容は面白いのだけど頭に入らない、理解できない、特にうまく想像ができない、と自分の本の読み方が悪いのではないかと考えたりします。
本を読むときって普通ははっきりと細かく場面を想像したり人物を自分の頭の中で想像したりするものなんでしょう...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

随分、真剣に悩んでいらっしゃいますね。
私は小学1年の頃から本ばかり読んでた文化系人間ですが、本を読んでる最中の頭の中の想像風景は、あなたとほとんど変わらないと思います。
人物だってシルエットに名前がついてるくらいの状態で読み進めることがほとんどで、時々文中に「口ひげをなでた」とあればシルエットに口ひげをつけ、「ひげを剃った」とあれば先ほど生やしてやったひげを剃らせてます(苦笑

想像しつつ本を読むというのは、目で文字を認識し、文字を単語としてとらえ、単語の意味を理解し、単語を文章につなげ、それから映像化したり音声化したり、おまけに登場人物の心境まで思いはせる。
これを同時進行するのって中々大変ですよね?
おまけにその思い浮かべた情景を葉っぱの一枚、髪の毛の一本まで精密に・・・となれば、本の内容がおろそかになるのは仕方の無いことだと思います。
テレビでドラマを見ている時、ストーリーを理解し、登場人物の心境を考えながら、同時に背景の細かいところまで記憶していられますか?
かなり難しいと思います。

だからそんなに難しく考えないで、「楽しい」と思うままに本を読めばいいと思いますよ。
所々、気になるところで情景を想像しながら読めばいいと思います。
登場人物がシルエットのままでもいいと思います。
やたら細かいところまでリアルに想像しなくてもいいのです。
だって、細かいところまで想像できていないと感じておられる今でも、読み進めている本そのものは面白いと思えるのでしょう?
それなら、今の自分にできる範囲で適度に想像されれば良いと思いますよ。

せっかくステキな本と出会えたのだから、その出会いを大切にして欲しいなと思います。

こんにちは。

随分、真剣に悩んでいらっしゃいますね。
私は小学1年の頃から本ばかり読んでた文化系人間ですが、本を読んでる最中の頭の中の想像風景は、あなたとほとんど変わらないと思います。
人物だってシルエットに名前がついてるくらいの状態で読み進めることがほとんどで、時々文中に「口ひげをなでた」とあればシルエットに口ひげをつけ、「ひげを剃った」とあれば先ほど生やしてやったひげを剃らせてます(苦笑

想像しつつ本を読むというのは、目で文字を認識し、文字を単語としてとらえ、単語...続きを読む

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q純文学の面白さがわかりません

純文学の面白さが理解できません、
「どこが面白いのですか?」などと野暮な事を聞くつもりはありません、
ただ、多くの人々に知られている
「夏目漱石」「川端康成」「芥川龍之介」etc...

そういった物を理解できないのはつまらないのです、
昔と今ではセンスが違うのかもしれませんが、
できることなら面白く読んでみたいものです。

同じような経験のある方、もしくはこういった文学作品を読みなれている方、アドバイスをいただけたら幸いです。

Aベストアンサー

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は分からん、とか

『こころ』は、大学生の青年が、たまたま夏休みの浜辺で知り合った
「なんかカッコイイ大人だな」と思った“先生”。
その先生の謎、みたいな感じで読んでみるとか。
実際、そういう話だと思うのですが(^^;
もちろん、時代背景まで読み込んで深く読む読み方もあるわけですが、
一般読者は評論家ではないですから。

太宰さんの『人間失格』なんかは、自分の中にも「わざと演じている」
ところが多少あると、アイタタタ、という感じかもしれません。
誰でも少しはあるのではないか。

純文学だろうがエンタテイメント小説だろうが、
「登場人物の誰かに感情移入できるかどうか」が鍵なんじゃないでしょうか。
それが主人公でなくてもいいので。
自分と重ね合わせてみる、自分の身近な環境や出来事を考えてみる。
それとか、「わっ、この人、この先どうなるんだろう」という視点で読んでみるとか、、、
教養的でなくて、普通の小説の読み方ですよね(^^;
大切なのは「共感」。

ドストエフスキーなんかは何冊か読みましたが、
基本的に、「人生における青年の悩みおよび色恋沙汰(美女あり)」って感じがします。
カーチャよりグルーシェニカのほうが私は気になるかな。
http://blog.livedoor.jp/benica/archives/24179011.html

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は...続きを読む

Q純文学と大衆小説の違いについて教えてください! 純文学 →読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思う

純文学と大衆小説の違いについて教えてください!
純文学
→読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思うことを作者のセンスで書いたもの。
大衆小説
→読者を意識し、読者が読みやすく親しみやすいよう書かれたもの。

自分なりに説明してみるとこんな感じなんですけど、こういう認識でいいんでしょうか…。よくわからないのでお願いします。

Aベストアンサー

大衆小説は、おもに筋や展開の面白さで読ませるもので、読者は基本的に、主人公や周囲の人物に感情移入して、ハラハラドキドキできればそれでいい、というものです。

純文学は、ストーリーはそこまで重要ではなく、言葉や表現そのものの奇抜さや面白さを味わわせたり、普通なら思いもしないような感覚や感情を描いたりするものですね。


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