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純文学というものがあると思うのですが、例えば宮本輝氏の「蛍川」などを読みました。
途中いろいろあって、ラストの場面などは美しく有名だそうで、芥川賞受賞作品だそうですが、正直この作品がどういいのかよくわからないのです。特に良かったとは感じられません。
この作品はさほどの長編ではないとはいえ、純文学全般に言えますが、長々と活字を最後まで読んできて、読むだけの価値があった、感動したという作品はあまりないのですが。

純文学というは「次どうなるんだろう」という、「話のおもしろさ」というより、心情・情感や人生の真実が描写されているというところに価値があるということでしょか。読む人に感性がないとダメなのでしょうか。
純文学と大衆(エンターテイメント)小説の違いを知りたいです。
百田尚樹氏の小説などは、娯楽小説の部類なのでしょうか。

また、純文学というのは日本の文学作品に固有の言い方なのでしょうか。
トルストイや、ドストエフスキーなどの海外の世界文学では、あまりこうした言い方はなされていないように思えますが、「戦争と平和」や「罪と罰」なども純文学なのでしょうか。

それから、「文学」という言い方と、「小説」という言い方はどうは違うのか教えて頂きたいです。
前者のほうが、後者に比べると高尚というか、そういうことなのでしょうか。

A 回答 (4件)

お気持ちものすごくよく分かります。

私も純文学は苦手でした。ただ、かといって娯楽小説も好きではありませんでした。

中学の頃から純文学を読んできました。最近の娯楽小説よりも、三島由紀夫や川端康成や漱石を読むべきだと思ってたからです。が、15年くらい幾ら読んでも純文学のよさが分からずに最近になって急に開眼しました。
私が初めて純文学の良さを知るきっかけになった作品は、宮本輝の「星々の悲しみ」です。派手な作品ではありませんがものすごく良いです。その後、宮本輝の川三部作を全部読みましたがどれも傑作だと思いました。しかし「星々の悲しみ」の前に読んでいたら、どのような感想になったかは分かりません。

多分、純文学は分からない、と思いながらも読み進めていればその様な作品に出会えるんじゃないかな、と思いますよ。貴方にとってそれがどんな作品かは分かりません。貴方が「星々の悲しみ」を読んで私のような感想を持つかも全く分かりません。(でもおススメです)

「純文学」と「エンタメ小説」の違いは、表現に重きを置くか、ストーリーに重きを置くかの違いだと思います。私も今でも定義はあやふやですが、たくさん読むを分かってくると思います。それが日本固有の言い回しかどうかは分かりませんが、考え方としては同じ分け方ができそうです。

「文学」はジャンルそのものを言い、「小説」はもっと具体的なものです。
「僕は日本文学が好きだ、とりわけ谷崎の『痴人の愛』という小説が好きだ」という言い方ができます。
「『痴人の愛』という文学が好きだ」という言い方にはなりません。
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難しい問題ですね。

文学(純文学)と娯楽小説の違いを明確に切り分ける基準はありません。例えば尾崎紅葉の「金色夜叉」とか泉鏡花の「婦系図」など、今では日本文学全集に収められていますが、発表当時は新聞の娯楽小説です。中身もありきたりの風俗小説です。でも100年後の今も読み継がれ、文学全集に収められている。百田尚樹氏の娯楽小説も、100年後に残っていたら文学として扱われるでしょう。でもその可能性は限りなく小さいです。

大胆に文学(純文学)の基準を作るとすれば、

・テーマがストーリーではなく、感性、美意識、人間性、人間の業、文章表現の美しさ、などに置かれ、それを読者に伝えることを目的に書かれていること。
・内容が時代の変容に耐えられるもの。

と言うのは如何でしょうか。源氏物語などは典型です。この条件にすべて当てはまります。

純文学が直木賞作品のような娯楽小説のように読んで面白くないのは当たり前でしょう。そもそも読者を面白がらせる目的で書かれていないのですから。しかし、純文学の見本のように言われている芥川賞はやや疑問を感じますね。ストーリーを過小評価しすぎて、せせこましい四畳半文学に脱している。無理やり「感性、美意識、人間性、人間の業」に傾いている。文章も下手。だから夏目漱石や志賀直哉のような日本語のお手本のような文学、「戦争と平和」や、{罪と罰」の様な骨太の文学が生まれない。この種の軽々しい純文学も後世に残らないでしょう。つまり時代の変容には耐えられず、消滅するでしょう。
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こんにちは。



私も純文学は苦手ですよ(^^ゞ

「良さが解るふりをしていることが、良さ」なのではないかと考えています。

更には、所謂”文壇”の数々の「賞」は、
広告業界最大手の会社と出版業界の自作自演です。

お歴々も含め、「文学賞」に物申すということは、
集団心理から考えても、ほぼ不可能な行為ですので、【良い文】ということに確定します。

私は外国語は苦手ですので、世界的名作と言われている本も、翻訳版しか読んだことがありません。
翻訳者の方々がざっくばらんなのかもしれませんが、
日本の本は、言葉使いばかりに重きを置き、「主旨」は薄っぺらに感じることが多いです。
自分の言葉に酔っている印象です。

私は、「純文学」の本来の意味は、世相や風俗にとらわれず、
人間や社会の本質を描いた作品のことだと考えています。

ですから、ジャンルや形式にとらわれている事自体が、おかしなことだと思いますよ。
絵本でも、エッセイでも、SFでも、人の心と向き合っていれば、それは文学だと思います。

ではでは(^_^)
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 純文学というのは、枯れた文学と言えば、わかりやすいかもしれません。

詳しくは以下のリンクを参照してください。

 純文学:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87% …

 純文学論争:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87% …

 何が純文学かという具体的な定義は無いようですが、娯楽一辺倒の小説ではなく、当時の時代世相を詳細に描いた歴史的価値を持っていたり、当時、生きていた人達の考え方が理解出来るように描かれている小説などを差すようです。娯楽性よりも歴史的事実を描いた歴史小説も純文学だと思います。

 それと言うのも、小説の多くがフィクションばかりの娯楽作品で、純文学は少数派だからでしょう。売り上げも同じく、娯楽小説が多く、純文学はあまり売れない小説です。赤字採算の書籍も多いだろうと思います。

 漫画や娯楽小説しか読んだ事が無い人には、どこが面白いのかわからない小説ですが、当時の世相を知っている人から見ると、懐かしいお話や既知の知識を確認出来る小説です。昭和回顧録とか、平成回顧録などを読めば、当時の世相がわかるように、当時、生きていた人から見れば、価値を持つ文学と言えるでしょう。

 たとえば、8ビットパソコン時代のお話は、あまり面白い小説ではなくても、実話ばかりを集めて書くと年配者で読む人は多いでしょう。同じく、ビデオデッキの変遷やゲーム機の変遷を描いた小説を読みたい人は多いと思います。技術系の純文学はあまり読んだ事が無いですが、懐古本として出版されています。

 米国ではニューヨーク同時多発テロを描いた純文学も出版されているはずです。日本でも爆弾テロやハイジャックを描いた純文学があると思います。テロリズムの世界を描くのは取材が難しいでしょうが、そういう小説ほど読む人が多いのは事実です。

 純文学は面白くない小説ばかりではありません。戦争の時代を描いたり、テロの時代を描いたり、技術革新に押し流されている現在を描いたり、面白い小説は数多くあるはずです。

 もっとも、情報社会になり、インターネットが普及したせいか、昔話を書くのに出版費用をかける必要が無くなり、インターネットのホームページやブログに書いて公開出来る時代になりました。

 それに比べると、出版界は斜陽で、出版不況が続いているようです。純文学も情報化の波には逆らえないようです。
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