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よく、ら抜けとか言いますけど、られるの使い方がよくわからないので教えてください。

られるって、可能と受動がありますけど、同じられるをどうやって区別したらいいんですか?

例えば、「かにを食べられる」と言ったとき、食べる事が出来るのか、誰かに食べられてしまったのか?

文脈を見ればわかる事もありますが、単に「かにを食べられる」とだけ書いてあってどうやって判断するんですか?

可能の時だけ、れるにした方がわかりやすいような気がするんですが、どうなんでしょう。

A 回答 (4件)

日本語教師をしていますが、今のところ標準日本語では、ら抜きの可能形を認めていないので、可能か受身か尊敬かは、文脈次第であるという教えかたをしますが、実際、どれか判断できない学習者はめったにいないようです。

外国人でもそうですから、まして日本人同士の会話では大抵、判断がつくのではないでしょうか。もちろん、ケースとしては少ないにせよ、紛らわしい場合もありますから、上一段・下一段動詞も、五段活用動詞が既にそうであるように、可能だけが他と異なる形式になっていくのが大きな趨勢だろうと思います。
なお、3番の方は「受身の解釈はありえない」とお考えのようですけれども、質問者のおっしゃるように「(大事な)かにを(誰かに)食べられる」という解釈もありえますね。
余談ですが、ジャーナリストの本多勝一氏が「(本多氏の出身地の)伊那地方方言では、もともと可能の意味では『かにを食べれる』としか言わない」とし、ら抜き論争そのものへの違和感を述べています。
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この回答へのお礼

みなさまありがとうございました

お礼日時:2004/05/16 04:00

『可能の時だけ、れるにした方がわかりやすいような気がするんですが、どうなんでしょう。



については、個人的には賛成ですが、設問の

『単に「かにを食べられる」とだけ書いてあってどうやって判断するんですか?』

ということの答えは

『「かにを」ときたら、「可能」以外にはありえない』ということになります。

「かにが食べられる」ということになると

a.烏賊はだめだが、蟹なら食べることができる(可能)

b.人間が蟹を食べてしまったという事実を蟹の側から表現した(受身)

というどちらなのかは、文脈なしでは判断できない、ということができますが。
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この回答へのお礼

文脈が無いと無理なんですね。
無かったときはどうしましょ・・・。

お礼日時:2004/05/16 03:58

「れる・られる」には、受け身・自発・可能・尊敬の四種類があります。


弟にカニを食べられてしまった。→受け身
カニがなくなるのではないかと案じられる。→自発
北海道に行ってカニがようやく食べられた。→可能
先生は北海道に行ってカニを食べられた。→尊敬

少し無理のある例文かもしれませんが、見分けるのは文脈で判断するしかありません。
おっしゃるように、可能のときだけ「ら抜き」にしたほうが合理的かもしれませんが、NO1の方が言われているように、まだまだ時間がかかるでしょうね。
わたしは、「ら抜き」を読んだり聞いたりすると鳥肌が立ってしまうほうですが…。
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この回答へのお礼

鳥肌ものですか。
自分の地元に来たら鳥肌が立ちまくっていますね(笑)

20年位前に可能の場合でもらを入れるのだと知りました。
その時おやじもそう言えばそうなのかな?という程度で、爺さんばあさんもら抜けなんですよね。

お礼日時:2004/05/16 03:56

「かにを食べられる」



だけ書かれている場合、尊敬語なのか可能の表現なのか判断し兼ねますね。
それはやむを得ないことと思います。そういう意味では、日本語にある
「られる」表現には合理性がないと言えるかもしれません。おっしゃる
とおり、

可能の表現のときだけ「ら」を抜く

のが合理的なのかもしれません。

長い長い年月が経てば、そのように日本語も変わっていくかもしれませんが、
今の世の中では、そのうやむやさを否定するよりも、「ら」を抜くのは
正規表現ではない、とする考え方が多いようですね。否定側もあるよう
です。私は前者ですが、どちらも否定はしません。
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この回答へのお礼

正規ではない。何が正規なのかというのもありますけどね。正規で無いものがまかり通る時代ですからね。

ちなみに、地元の方言ではら抜きが通常で、らを入れる人が存在していないんですよね。

お礼日時:2004/05/16 03:52

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