プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

質問お願いします。
最近会った大学の後輩で、自分に似ているなと思う部分がありました。というのは、常に良い自分を見せなければいけないという強迫観念にとらわれている様子を感じたのです。彼との会話の節々で、ん?と思うことがあり、「僕はこのくらいの問題解けなくちゃだめなんですよ」「おしゃれじゃないとだめなんです」「お金にがめつい人だと思われてしまうところでした」など、自分はこうでないとダメ、と追い込んでいるのです。
そういう部分がすごく自分に似ているなと思いました。仮面をかぶっているとでもいうんでしょうか。
原因は大体わかっています。両親や先生に認められるために、小さいころから他人から認められる人間にならないといけないと思ってきたのでしょう。
ただ、この生き方は苦しくて、自分がだめだと思う部分が露呈すると、自分を責めてしまいます。その度に自分は生きていてはいけないのかも、と苦しくなります。
これは、自分のダメだと思っている部分を受け入れてやることで治まると思うのですが、具体的にどうしたらいいのかわかりません。
今の自分を認めつつ、なりたい自分になっていけるようになりたいです。
今の自分を認めてやるにはどうしたらいいのでしょう。

A 回答 (5件)

私が認めてあげますよ。



合格です。

この回答への補足

補足日時:2014/01/20 18:31
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼日時:2014/01/20 18:32

無理でしょう。



そんな態度じゃ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あらら、非常に残念です。

お礼日時:2014/01/20 19:11

?????????


いや・・・あの、たしかに、まぁ、何と言うんですか・・
ある何かに「こうした方がいい」という気持ちは
誰にでも有るのだと思います。
ですが。

「僕はこのくらいの問題解けなくちゃだめなんですよ」

・・へ?
誰が決めたかというと・・自分のようです。


「おしゃれじゃないとだめなんです」
・・へ?
『おしゃれ』の「だめ」絶対的基準・・あるんですか?
誰が決めたんですか?・・・


「お金にがめつい人だと思われてしまうところでした」
・・へ?
稼ぎも無いのにおごりたがる
稼ぎも無いのに割高なモノを買う
稼ぎも無いのに金持ちのふりをする


たしかに、そうでなければ「がめつい人」と言う人々も居ます。
でも・・・一般には・・

そういうのは「見栄」とも言います。


つまり・・・
へ??? 全部、どうでもいいことばかりに感じてしまいました。

「こうした方がいい」というこだわるべき基準は、
公共の
公序良俗に貢献する素養・教養・ふるまいとして身につけるべきものであって・・
質問内容は自我の煩悩のように・・自分は、思います。

なので
【自分のダメだと思っている部分を受け入れてやることで治まる】

いやいや・・人は、煩悩の「懊悩を克服する」がために、努力するのです。

「僕はこのくらいの問題解けなくちゃだめなんですよ」
⇒ だから、その失敗を繰り返さないように、日々精進努力しよう、と思う。

「おしゃれじゃないとだめなんです」
⇒ だから、TPOに即した自分らしい身だしなみとは何なのか、研究しようと思う。

「お金にがめつい人だと思われてしまうところでした」
⇒ だから、金の使い道、使い方について、自分の稼ぎと見合ったスマートさを身につけようと思う。

こうやって、自分自身が努力しよう、と思う事と、直結していくのではないですか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

質問がうまくかけてなかったです。自分で複雑にしてしまってました。すみません。
おっしゃるように自分で「こうあるべき」「こうなりたい」と目標設定をするのですが、そこに至らない自分を責めてしまうのです。現状の自分の悪いとことばかりにめがついて、目標の自分と比較して至らなくて自分を責めて…という感じです。
責めているときは自分に価値がないと言われているような辛い気持ちになり、それが障害となって他人に気後れしてしまうんです。今の自分でもいいけど、もっとよくなれるように努力しようと思えたらいいのです。とりあえず「今の自分でも」生きててもいい思うにはどうしたらいいでしょう、というのが質問でした。

お礼日時:2014/01/20 19:58

自己評価のしきいを下げる。


具体的には「50点で良しとしよう!」と決意を固めることです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すごく不安なんですがうまくいくのでしょうか・・・。
とんでもない怠け者になりそうです。

お礼日時:2014/01/20 23:58

No3のものです。


コメントいただきありがとうございます。

コメント:【自分で「こうあるべき」「こうなりたい」と目標設定をするのですが、そこに至らない自分を責めてしまう】

言われている「こうあるべき」は、真に『自分自身』のみに問うた目標設定ですか?
自分自身の能力・関心・好悪・指向・志向としっかり対話したものですか?

自分の目標の有るべき姿との比較、といいながら、
実は、
「他人の思惑・期待」を、「自分自身の有るべき姿」とすり替えてしまっている、ということはないのでしょうか。

「自己のこうありたい姿」の目標が、「他人期待」とすり替わってしまえば
達成評価の評価軸も当然、他人視線・他人軸にしかなりません。

そういうことになっているのはないですか、と NO3のところでも書いていたわけです。

「他人の思惑・期待を目標にした姿」と、「今の自分」を比較するなど・・・

乱暴な言い方になりますが・・

牛が豚を見て、自分は豚になれない・・とか、
犬が猫を見て、自分は猫になれない・・とか
魚が鳥を見て、自分は鳥になれない・・とか
みにくいあひるの子(本当は白鳥の子)が、あひるの子との違いを嘆いている、とか

そんな無意味な「姿」比較のように思います。

自分にしか歩けない人生があります。
他人には目指せない到達点があります。
もしも「他人期待」を目標にして「他人評価」を満たせないからと「自分に価値がない」と責める事が多いのであれば・・

たまに・・「みにくいあひるの子」を
読み返してみてはどうでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こちらこそ、回答いただき感激です。
>言われている「こうあるべき」は、真に『自分自身』のみに問うた目標設定ですか?
自分自身の能力・関心・好悪・指向・志向としっかり対話したものですか?

>自分の目標の有るべき姿との比較、といいながら、
実は、
「他人の思惑・期待」を、「自分自身の有るべき姿」とすり替えてしまっている、ということはないのでしょうか。

これが見栄ということですよね。このことには気づいていて、最初の質問に組み込んだつもりだったのですが伝わってなかったみたいです。あまり思っていることを伝えるのが得意でないので読むのに苦労をかけておられることと思います・・・。
僕は小さいころから他人の期待に応えるように生きてきましたので、自分の心から生まれる純粋な願望をよく知りませんでしたが、それに気づいてからは、言葉をかりますが、「自分自身の能力・関心・好悪・指向・志向」について考えるようになりました。特に好悪、関心、願望についてはよく考えており、自分がどんな人が好きか、なにに興味があるのか、少しずつみえてきました。
そこで、その願望に向けて行動をおこそうとするのですが、自己評価が低いため、行動をおこせません。具体的に一例をあげると、気になる女性がいるのですが、話しかけると嫌われる気がして踏みとどまってしまいます。そうすると行動しなかった自分や、今の自分を責めてしまい、自己嫌悪に陥ってしまいます。
女性に限らず、対人する場面でこれが多いです。それは、自分の嫌いな部分が認められなくて、他人にも絶対嫌われる、価値がないと思ってしまうからだと判断しています。
そこで、自分に自信をもたせるため、過剰に自分を責めるのをやめ、どんな自分でも「まぁしょうがないか」と思えるようになりたいんです。
そのために、「自分のダメだと思っている部分を受け入れてやることで治まる」と思いました。

みにみにくいあひるの子は小さいころの愛読書で、僕は「不幸にあうと同情をひいてもらえる」と学んだようで、かぜをひいたりすると大事にしてもらえてうれしいです。今風邪をひいているのですが、風邪をひいているとアピールして、他人に同情させようとしてしまいます。これは悪い癖だと思うのですが・・・

お礼日時:2014/01/21 00:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!