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撞着語法というものがあるのを知りました。そこに賢明な愚者というのがありましたが、全く理解できませんでした。小さな巨人とかは解説があったので理解できました。賢明な愚者とは、どんな人のことを言うのですか?

A 回答 (3件)

下の「真摯と不真面目」というご質問もそうですが、「真摯に不真面目を貫いている」とか、「彼の行動はまさに賢明な愚か者とでもいうものだった」というように、相反する言葉を結合する表現は、「撞着語法」とか「対義結合」「オクシモロン」と呼ばれています。


ほかにも「僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている」(芥川龍之介 『或阿呆の一生』)というのもあります。

質問者氏がこのような表現を「?」と思われるのは、おそらく
「彼はAである」と
「彼は非Aである」という表現が、ひとつの文章の中に同居していることに違和感を覚えたからだろうと思います。

〈Aでありかつ非Aである〉という形で命題化してみると、これはまったくの矛盾律にほかならないのですが、文章で「賢明な愚か者」と言われると、なんとなく意味が通じる気がする。それは、たいていの言葉が事実と結びついているのではなく、事実に対する人間の関心領域を表現しているからです。「賢明」という言葉も、「愚か者」の言葉も、その人の関心や経験に応じて微妙にニュアンスを変えながらひろがっています。わたしたちはそれを文脈の中で確定しようとするのです。

確定の一番簡単なやり方が、対義語を使うことです。
「右って何?」「左と反対の側」
「男って何?」「女ではない方」
「嘘って何?」「ほんとじゃないこと」といった具合に。

ところが仮に「本心からうそをつく」という文章を見たとき、「本心-嘘」という対義語が結びついた表現に困惑します。困惑しながら、どういうことだろうと考える。そうして、これまでの経験に引きつけて考えます。質問者氏がこうして質問を立てたのも、対義結合をナンセンスと考えたのではなく、なんとか理解しようとしたのに、どうもそれがわからないから、ですね?

これに論理的な回答があるわけではありません。
「本心からうそをつく」人は嘘つきなんだろうか、それとも正直者なんだろうか。
自分がバカだということを知っている人は賢明な愚か者なんだろうか。
いや、高学歴で、自分のことを天才と思っているやつほど、愚かなものなのではないのか。
阿佐田哲也の小説に出て来るようなばくち打ちたちは、真摯に不真面目を貫いているといえるのではないか。
いや、むしろそれは与えられたものごとを考えることもなく一心不乱にやっている人のことを指すのではないのか。
「不幸な幸福」と「幸福な不幸」は同じものなのか、それともちがうのか。

それぞれの人のボキャブラリやこれまでの経験、出会った人や読んだ本のバラエティにしたがって、さまざまな答え方ができるでしょうが、この問いに唯一無二の「正解」があるわけではありません。

このように、対義結合の表現は、全面的に読み手に委ねられている表現です。けれども、この表現をきっかけに、わたしたちは人間の嘘と本心や、幸福や、賢さや、真摯さについて、考えることになる。決して一面的にとらえることのできない、複雑な人間のありようを考えることになります。

まあ、言ってみれば「文学の効用」というものが、こんなところにもあらわれているのではないでしょうか。

直接の答えではありませんが、何らかの参考になれば幸いです。
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mikaze007 さん、こんばんわ。



イワンのばかに出てくる主人公イワンのような人の事をいうのでしょうか?


イワンのばか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF% …
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「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」と論語にありますが、無知の知のように自分が愚者と知るものは自分が賢明だと思うものよりも賢明だという意味じゃないでしょうか。

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