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沼田藩の家老(1800年代)の名前が知りたいのですがわかる方いらっしゃいますでしょうか?

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A 回答 (5件)

諸事情によりまして分割投稿御容赦下さいm(_"_)m



---------以下 出雲寺版(一部須原屋版含む)---------

〇『天保武鑑/出雲寺幸次郎/天保7』(※1836)[4/6]<8/104>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571297/8
加藤勘右衛門 月岡修理 井上九左衛門 三浦外記

〇『大成武鑑/出雲寺幸次郎/天保8』(※1837)[4/6]<8/104>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547182/8
●月岡修理 井上九左衛門 ●三浦外記   ※●=定府家中
・『大成武鑑/出雲寺幸次郎/天保9』(※1838)[4/6]<8/104>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547188/8
・『大成武鑑/天保10?』(※1839?)[巻二(1)]<117/125>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547193/117
・『大成武鑑/出雲寺金吾/天保11』(※1840)[巻之二(2)]<8/104>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547198/8
・『大成武鑑/出雲寺万次郎/弘化2』(※1845)[4/6]<23/119>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547203/23

〇『弘化武鑑/千鐘房-須原屋茂兵衛/弘化3』(※1846)[4/6]<32/107>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547209/32
▲三浦外記 月岡左太夫 ▲脇屋右門 加藤勘右衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/弘化4』(※1847)[4/6]<8/109>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571303/8
三浦外記 月岡左太夫 脇屋右門 加藤勘右衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永元』(※1848)[4/6]<22/119>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571266/22
●三浦外記 月岡左太夫 ●脇屋右門 二階堂□右衛門
・『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永2』(※1849)[4/8]<23/118>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547117/23

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永3』(※1850)[4/7]<8/107>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571272/8
(城代)三浦外記 月岡左太夫 ●脇屋右門 二階堂□右衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永4』(※1851)[4/7]<16/112>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547125/16
(城代)三浦外記 ●脇屋右門 二階堂□右衛門 ●井上頼左衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永5』(※1852)[4/7]<22/119>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547132/22
(城代)三浦外記 ●脇屋右門 二階堂□右衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永6』(※1853)[4/8]<13/113>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547147/13
(城代)三浦外記 ●脇屋右門 ●井上頼左衛門

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/嘉永7』(※1854)[4/8]<24/124>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547139/24
(城代)三浦外記 ●井上九左衛門 中村官兵衛

〇『安政武鑑/千鐘房-須原屋茂兵衛/安政3』(※1856)[4/8]<11/92>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547073/11
▲三浦外記 月岡左太夫 ▲脇屋右門 加藤勘右衛門 二階堂□右衛門 (加藤勘右衛門)重複?

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/安政5』(※1858)[4/8]<13/116>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547081/13
(城代)三浦外記 井上九左衛門 中村官兵衛 ●片岡弥□左衛門 ●今泉嶋之丞

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/安政6』(※1859)[4/8]<24/126>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547089/24
(城代)三浦外記 ●井上九左衛門 ●中村官兵衛

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/万延2』(※1861)[巻之二/分冊ノ二]<16/117>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547104/16
(城代)三浦外記 井上九左衛門 中村官兵衛 ●片岡弥□左衛門 ●今泉嶋之丞

〇『大成武鑑/出雲寺万次郎/文久2』(※1862)[4/7]<16/116>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547097/16
(城代)三浦外記 井上九左衛門 中村官兵衛 今泉嶋之丞
・『大成武鑑/出雲寺万次郎/慶應3』(※1867)[4/7]<13/117>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547110/13

以上
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既に長期間経過していますので、自己解決済かも知れませんが、


念のため叩き台を提示させていただきます^^

叩き台と申しますのは、WEB検索の限界と私ド素人の読解力の無さによるもので、
寛政12年(1800)~慶應3年(1867)の68年間のうち、
15年分[1802・1815・1832・1834・1841~1844・1855・1857・1860・1863~1866]約2割欠落、
但し「文化12年(1815)」に関しましては既回答者様の方で確認出来ますから、14年分不明。
なお、延べ211名のうち延べ8名(実質2名)「二階堂□右衛門」「片岡弥□左衛門」の
名前の一部□(私ド素人には)判読不明、
また他にも「左」「右」などのほか読み間違いも有るかも知れませんので
御注意下さいm(_"_)m

あと、欠落年分・判読不明部分等は活字本で御確認いただくか、
あるいは賢者の方の登場・再登場による追加・修正情報に期待しましょう!!

以下 疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

〇『寛政武鑑/千鐘房-須原屋茂兵衛/寛政12』(※1800年)[4/6]<17/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546974/17
▲加藤勘右衛門 月岡修理 ▲寺田庄太夫 井上九左衛門 渡辺左門

※▲=定府家中/※以下「千鐘房-須原屋茂兵衛」省略

〇『享和武鑑/享和元』(※1801)[2/6]<17/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546938/17
▲加藤勘右衛門 月岡守令 ▲寺田庄太夫 井上九左衛門 渡辺左門
・『享和武鑑/享和3』(※1803)[4/5]<14/80>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546946/14

※〇=内容変化年/※・=直前〇と同内容

〇『文化武鑑/文化元』(※1804)[2/4]<94/161>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571221/94
▲月岡守令 ▲寺田庄太夫 井上九左衛門 渡辺左門 正木又兵衛
・『文化武鑑/文化2』(※1805)[2/4]<96/163>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546916/96
・『文化武鑑/文化3』(※1806)[2/3]<94/161>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546920/94

〇『文化武鑑/文化4』(※1807)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546891/93
▲月岡守令 渡辺左門 正木又兵衛

〇『文化武鑑/文化5』(※1808)[2/4]<94/161>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546895/94
渡辺左門 正木又兵衛
・『文化武鑑/文化6』(※1809)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546899/93
・『文化武鑑/文化7』(※1810)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546923/93
・『文化武鑑/文化8』(※1811)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546927/93

〇『文化武鑑/文化9』(※1812)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571225/93
渡辺兵太夫 正木又兵衛 加藤杢之助 ▲中村實司

〇『文化武鑑/文化10』(※1813)[2/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571213/93
渡辺兵太夫 正木又兵衛 加藤杢之助 ▲中村實司 月岡造酒之丞
・『文化武鑑/文化11』(※1814)[3/4]<93/160>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571218/93

〇『文化武鑑/文化13』(※1816)[2/4]<95/163>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546903/95
渡辺左門 ▲三浦勘ヶ由 ▲脇屋徳左衛門 ▲片岡翁助 井上九左衛門
・『文化武鑑/文化14』(※1817)[2/4]<95/164>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546908/95

〇『文化武鑑/文化15』(※1818)[2/4]<95/164>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546912/95
渡辺左門 加藤杢之助 ▲月岡造酒之丞 片岡翁助 井上九左衛門
・『文政武鑑/文政元』(※1818)[4/6]<17/86>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547007/17
・『文政武鑑/文政2』(※1819)[4/6]<17/85>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547013/17
・『文政武鑑/文政3』(※1820)[4/6]<17/86>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547019/17

〇『文政武鑑/文政4』(※1821)[4/6]<17/86>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547025/17
渡辺左門 加藤杢之助 ▲月岡造酒之丞 片岡翁助 井上九左衛門 ▲桜井伝右衛門
・『文政武鑑/文政5』(※1822)[4/6]<17/86>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571252/17
・『文政武鑑/文政6』(※1823)[4/6]<17/90>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547031/17
・『文政武鑑/文政7』(※1824)[4/6]<17/90>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547037/17

〇『文政武鑑/文政8』(※1825)[4/6]<17/90>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547043/17
加藤勘右衛門 ▲月岡造酒之丞 片岡翁助 井上九左衛門 ▲三浦勘左衛門
・『文政武鑑/文政9』(※1826)[4/6]<17/90>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547049/17

〇『文政武鑑/文政10』(※1827)[4/6]<17/90>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571258/17
加藤勘右衛門 ▲月岡修理 井上九左衛門 ▲三浦外記
・『文政武鑑/文政11』(※1828)[4/6]<7/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547055/7
・『文政武鑑/文政12』(※1829)[4/6]<7/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547061/7
・『文政武鑑/文政13』(※1830)[4/6]<7/83>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547067/7

〇『天保武鑑/天保2』(※1831)[4/5]<7/83>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547177/7
▲月岡修理 井上九左衛門 三浦外記

〇『天保武鑑/天保4』(※1833)[4/6]<7/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571285/7
加藤勘右衛門 ▲月岡修理 井上九左衛門 ▲三浦外記

〇『天保武鑑/天保6』(※1835)[4/6]<7/82>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571291/7
▲月岡修理 井上九左衛門 三浦外記

---------以上 須原屋版---------

以降 諸事情によりまして分割投稿御容赦下さいm(_"_)m
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こんにちは。

NO2で回答したものです。訂正と追加を。
まず、前回、文化元年~四年と記入しましたが、文政元年~四年(1818~1821)の誤りです。お詫びして訂正いたします。
文化元年から文化14年について追加します。

文化元年(1804)藩主=土岐山城守頼布
家老=月岡守令・寺田庄太夫・井上九左衛門・渡辺左門・正木又兵衛
用人=広瀬左内・鈴木三郎右衛門・村川太右衛門・梶原太一左衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司  添役=中村貫十郎

文化二年(1805)
家老=月岡守令・寺田庄太夫・井上九左衛門・渡辺左門・正木又兵衛
用人=広瀬左内・鈴木三郎右衛門・村川太右衛門・梶原太一左衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司  添役=中村貫十郎

文化三年(1806)
家老=月岡守令・寺田庄太夫・井上九左衛門・渡辺左門・正木又兵衛
用人=広瀬左内・鈴木三郎右衛門・村川太右衛門・梶原太一左衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司  添役=中村貫十郎

文化四年(1807)
家老=月岡守令・渡辺左門・正木又兵衛
用人=村川太右衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司  添役=中村貫十郎

文化五年(1808)
家老=渡辺左門・正木又兵衛
用人=村川太右衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司・中村貫十郎  添役=広瀬左近右衛門

文化六年(1809)
家老=渡辺左門・正木又兵衛
用人=村川太右衛門・中村貫司・脇屋徳左衛門・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬左弥太・月岡左太夫
御城使=中村貫司・中村貫十郎  添役=広瀬左近右衛門

文化七年(1810)
家老=渡辺左門・正木又兵衛
用人=村川太右衛門・中村貫司・加藤杢之助・三浦勘ケ由・広瀬新五左衛門・月岡左太夫・桜井伝衛・片岡翁助
御城使=中村貫司・中村貫十郎  添役=広瀬左近右衛門

文化八年(1811)
家老=渡辺左門・正木又兵衛
用人=加藤杢之助・村川太右衛門・中村貫司・三浦勘ケ由・月岡左太夫・桜井伝右衛門・片岡翁助・寺田三左衛門
御城使=中村貫司  添役=広瀬左近右衛門

文化九年(1812)
家老=渡辺左門・正木又兵衛・加藤杢之助・中村貫司
用人=村川太右衛門・三浦勘ケ由・月岡造酒之丞・片岡翁助・有賀十八・井上良助・三浦勘左衛門・犬塚又右衛門
御城使=広瀬弥一右衛門  添役=笠井雄也

文化十年(1813)*七月土岐山城守頼潤家督
家老=渡辺左門・正木又兵衛・加藤杢之助・中村貫司・月岡造酒之丞
用人=村川太右衛門・三浦勘ケ由・片岡翁助・井上良助・三浦勘左衛門・犬塚又右衛門・有賀十八
御城使=広瀬弥一右衛門  添役=笠井雄也

文化十一年(1814)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助
用人=井上良助・村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門・二階堂貢・清水半九郎
側用人=峯(?岸か)良右衛門
御城使=伊藤又左衛門  

文化十二年(1815)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助
用人=井上良助・村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門・二階堂貢・清水半九郎
側用人=岸良右衛門
御城使=伊藤又左衛門 

文化十三年(1816)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助・井上九左衛門
用人=村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門・広瀬新五左衛門・清水半九郎
側用人=岸良右衛門
御城使=伊藤又左衛門  添役=村川求馬

文化十四年(1817)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助・井上九左衛門
用人=村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門・広瀬新五左衛門・清水半九郎
側用人=岸良右衛門
御城使=伊藤又左衛門  添役=村川求馬

以上は、『編年江戸武鑑』の『文化武鑑』と『文化武鑑』の「大名編」によって記述してあります。この武鑑は、須原屋版を活字化したものですが、前回もそうですが、簡単な誤記と思われる個所がありますが、申し訳ないのですが、元の須原屋版がないので、原本と対比していません。
さて、時代が若干古いので、関係ないとは思いますが、土岐氏沼田藩の家老で有名な人物がいますので、取り上げておきます。月岡修理勝澄。藩主土岐定経により天明元年(1781)七月に三一歳で国家老(史料によっては見習い)となる。同年冬、年貢の重税策である見取=実際の測量を行わず、目分量で検地し、年貢高を決め、年貢の増徴をはかる政策=を実施しようとして、見取騒動という大百姓一揆が勃発、城に押し掛けた一揆勢に一人で対峙し、見取法の撤回を宣言して一揆を収束させたとされます。その後、城代家老となり、文化四年十一月に死亡。57歳とされます。関係のURLを下記にコピーしましたが、私の資料と違いがある部分もあります。参考まで。
http://www.denbunmori.jp/usertop.php?M=7000&nut_ …
http://ameblo.jp/hajino-kakimalu/entry-113766054 …

以下は重複しますが、訂正部分です。

文政元年(1818)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助・井上九左衛門
用人=村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門
側用人=岸良右衛門・
御城使=伊藤又左衛門  添役=村川求馬

文政二年(1819)
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・野(片か?)岡翁助・井上九左衛門
用人=桜井伝右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺嘉東次・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  

文政三年(1820)
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・片岡翁助・井上九左衛門・桜井伝右衛門
用人=有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺兵太夫・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  添役=源吾左衛門

文政四年(1821)*前年に同じ
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・片岡翁助・井上九左衛門・桜井伝右衛門
用人=有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺兵太夫・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  添役=源吾左衛門


私の資料では以上です。参考まで。
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こんにちは


文化元年~四年の土岐山城守頼潤の沼田藩の藩重職は以下のようです。
文化元年(1818)
家老=渡辺左門・三浦勘ケ由・脇屋徳左衛門・片岡翁助・井上九左衛門
用人=村川太右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・桜井伝右衛門・三浦勘左衛門
側用人=岸良右衛門・
御城使=伊藤又左衛門  添役=村川求馬

文化二年(1819)
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・野(片か?)岡翁助・井上九左衛門
用人=桜井伝右衛門・有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺嘉東次・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  

文化三年(1820)
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・片岡翁助・井上九左衛門・桜井伝右衛門
用人=有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺兵太夫・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  添役=源吾左衛門

文化四年(1821)*前年に同じ
家老=渡辺左門・加藤杢之助・月岡造酒之丞・片岡翁助・井上九左衛門・桜井伝右衛門
用人=有賀十八・犬塚又右衛門・三浦勘左衛門・正木熊八郎・寺田十之丞・渡辺兵太夫・月岡左太夫
側用人=岸良右衛門・
御城使=加川助九郎  添役=源吾左衛門


家老と言うことですが、武鑑に用人・側用人・御城使・添役の記載があったので、記載しました。以上、参考まで。
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gunma2014 さん、こんばんわ。





図書館で吉川弘文館の「文化武鑑」(大名編)の文化元年当りを見てください。沼田藩土岐家の家老クラスの名簿があります。家老実名は不明かもしれませんが、苗字と通称が判明すると思います。
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江戸時代に廃藩置県が起こるまで、藩によって金持ちの財がある藩と同じ石高の藩でも貧富の差があった。

要するに藩主は国を欺き脱税していた藩には財力があった。

10万石の領地を持つ藩で金持ちの藩主がいたが、国に所有地で取れる米の量は10万石とお上の国に申告し、江戸幕府の視察団が来ても田んぼは確かに10万石しか取れない土地であったので視察団はそのまま帰っていった。

では、10万石の大名はどのように国の目を欺き脱税していたかと言うと、山の表面に米田畑を作り、裏面に売れる木を植えていたのである。

要するに副業で林業をやって木を国を通さずに直接売買して副収入を得ていたのである。

という話を聞いて、昔の藩主も脱税してたのか。

それで金持ちの藩が存在していた理由が分かった気がした。

高い銃を大量に買える財力がなぜか領土が小さい藩に存在していた。

大きい広い土地を持つ藩主は土地も広いが国に納める税金も高かったので不作のときに大きく蓄えを減らし、領土の大きさが逆に財政を悪化させていたのだ。

で、江戸幕府も小さい藩主なのに羽振りが良いので、直接藩主になぜお前の藩は不作が続いているのに人々は餓死もせずにピンピンしているのだと聞いた。

実は米が不作でも林業で現金収入があったので米を買って村人に配っていたので栄養失調にならないのでピンピンしていたのだが、さすがに脱税してるお金があって財力に余力があるからとは言えないので、江戸幕府は結局、どういうカラクリでその藩だけ疫病に掛からないのか知りたくても真実は聞けなかったというお話。

これ以外の脱税話を知ってたら教えてください。

多分、他の藩も脱税していたと思う。

江戸時代に廃藩置県が起こるまで、藩によって金持ちの財がある藩と同じ石高の藩でも貧富の差があった。

要するに藩主は国を欺き脱税していた藩には財力があった。

10万石の領地を持つ藩で金持ちの藩主がいたが、国に所有地で取れる米の量は10万石とお上の国に申告し、江戸幕府の視察団が来ても田んぼは確かに10万石しか取れない土地であったので視察団はそのまま帰っていった。

では、10万石の大名はどのように国の目を欺き脱税していたかと言うと、山の表面に米田畑を作り、裏面に売れる木を植えていたのであ...続きを読む

Aベストアンサー

密貿易 島津などは当たり前のようにやっていた 隠密が入れないように放言も難しくしたわざと

Qレトリィバァってゆりやんですか?ゆりあんですか?

レトリィバァってゆりやんですか?ゆりあんですか?

Aベストアンサー

ゆりやんです。
吉本興業のプロフィールページを見ると確実です。
https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=5100
https://twitter.com/notinu?lang=ja

Q国家老、江戸家老

江戸時代に国家老と江戸家老は対立することがよくあったのですか?そしてそれぞれが自国藩内で隠密を出し合うなどやってたのですか。隠密って家老くらいになると銘々持ち使ってたのでしょうか。

Aベストアンサー

国家老と江戸家老が対立したというより、個々の家老の対立はあり、それがお家騒動の原因になったこともありました。
自分で隠密まで抱えていたというのは大藩の大身の家老以外ではめったにないでしょう。

Q上代・下代について

上代下代について。
初心者でよくわからないので計算方法などおしえてください。

上代¥8190の商品の、掛け率50%ってなんですか?

Aベストアンサー

上代・・希望小売価格
下代・・販売価格(仕入れ価格)

上代¥8190の商品の、掛け率50% は上代価格の50%で売りますって意味です

したがって販売価格(下代)は 8190×0.5=4090円 と成ります  
 

Q1800年代の朝鮮半島について

1800年代の朝鮮半島について質問します。

二宮書店発行の現代地図帳 三訂版 を見ていると
西暦1800年頃の朝鮮半島は清王朝の領土になっています。
しかし、1800年代の朝鮮半島は李氏朝鮮王朝により統治されていましたよね。

ということは、歴史的に見て
朝鮮李朝は独立国ではなく、清王朝の属国 ( 現在の自治区のようなもの ) とされているのでしょうか?

現在の見識ではどうなっています?

Aベストアンサー

李氏朝鮮は中国の属国ではなかったという説が歴史学者の中では一般的だと考える歴史学者さんもいます。

水野直樹という京都大学の教授の方の講演会が記録されたらしきページがあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/mizunoa.html
というところなのですが。

ここの中ほどに
>それから李朝を日本の見解では「李氏朝鮮王朝は中国の属国だった」。こんなことを言っている人は日本の研究者でほとんどいません。「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちはそう言っているかもしれませんが、歴史研究者でそんなことを言っている人はいない。

という文章があります。
勝岡寛治さんという方の『韓国と歴史は共有できない・日韓歴史共同研究の幻』で、「日本側の意見は「李氏朝鮮は清の属国だった」」と整理しているのを、水野さんは「日本の歴史研究者でそういうことを行っている人はいないのではないか? また、近代的な国際関係と当時の国際関係とは異なるから、近代的な意味での属国といっても、実際の歴史に会わないのではないか」とおっしゃっているのだと思います。

水野さんが何を根拠に、日本の歴史研究者の中で「李氏朝鮮は清の属国だった」ということを行っている人はほとんどいない…といっているのかがわからないのですが。

ただ、水野さんの話から離れて、李氏朝鮮が現在の自治区のような扱いであったかどうかは、やっぱり違うのかなあと思います。

王の交代でさえ清朝の許可が必要な「完全な属国だった」ということですが、たとえば、英連邦内の国家、カナダなどにおいては、イギリスでは女王が国家元首です。ですが、カナダでは女王には実質的な権限はありませんし、女王の代理を務める総督も実質的にはカナダの首長が決めることになっているらしいです。
カナダをイギリスの属国と考える人は極めてまれでしょう。もちろん、現代の国際関係を当時の国際関係とごっちゃにしてはいけませんが。国家元首を決める権限が名目上他国にある場合でも、独立国とみなされるケースは存在する…ということで。

ですから、王の交代に清朝の許可が必要であったとしても、実際に完全な属国であったかはまた別問題でしょう。
王が交代する際に実際に清朝がそれを拒否することがあったのかどうか、できたのかどうか? それは実際的な権利であったのか、名目的な権利であったのかも考えなければならないとおもいます。

また、李氏朝鮮内の内政や外政に対して、朝鮮の王朝がどの程度権限を持っていたのか、清がどの程度介入できたのかも考えなければならないとおもいます。
朝鮮王朝には現在の中国の自治区程度の権限しかもっていなかったのか、それとも、もっと権限があったのかなかったのかについても考えなければならないと思います。
本当でしたら、そこのところについて現代の学者はどういっているのかを書かないとちゃんとしたお答えにはならないのかもしれませんが…。
悪文乱文をどうかお許しください。

李氏朝鮮は中国の属国ではなかったという説が歴史学者の中では一般的だと考える歴史学者さんもいます。

水野直樹という京都大学の教授の方の講演会が記録されたらしきページがあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/mizunoa.html
というところなのですが。

ここの中ほどに
>それから李朝を日本の見解では「李氏朝鮮王朝は中国の属国だった」。こんなことを言っている人は日本の研究者でほとんどいません。「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちはそう言っているかもしれませんが、歴史研究...続きを読む

Qexcelピボットテーブルの「行」に通貨書式を設定したい

ピボットテーブルで、行「品番」「上代」があり、列に「店」、データに「売上数」があります。
「上代」を通貨表示したいのですが、【フィールドの設定】→【表示設定】がなく、【フィールドの設定】→【詳細】となり表示設定ができません。

セルの書式設定で通貨にしても、データの更新をしてしまうと元にもどるし、いちいち設定しなくてはならないので面倒なのですが、行項目に通貨設定をする方法はないのでしょうか?

excel2003です。
お手数ですがどうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
その「上代」のデータ範囲に、空白セルや文字列データが含まれているのではないでしょうか。
全てを数値データに整えたあと、データの更新をしてみてください。
(例えば空白セルは 0 に置き換えるとか)

文字列データも必要な場合、一度表示形式を設定した後で文字列データに戻す事で対応できます。

Q京都の歴史について(1800年代の火災等)

質問をごらんくださいまして、ありがとうございます。

表題の通り、皆様のお知恵をいただきたく、質問をアップいたしました。

【質問】
○1800年頃、下鴨神社および鴨川の辺りはどのような町だったのでしょうか?
○1800年頃、京都で起こった大火はありますでしょうか?
○1800年頃の下鴨神社周辺の地図を閲覧or入手することは可能なのでしょうか?

【背景】
興味本位で、私(家)のルーツについて調べていたところ、
1800年代下鴨神社の近くの住まい、火事に遭った・・等がわかりました。
しかしながら、家の家系図等は(昭和になってから)預けていたお寺さんの火事によってなくなってしまいました。そのため、私自身のルーツについて、よくわからないままです。

私自身は東北の生まれで、京都の歴史や地理についての知識が無く、自分で調べるにも限界となってしまいました。
・・・本来であれば、下鴨神社等へ行ってお話を聞きたいところですが、そのような余裕もなく(涙)
皆様に質問させていただいております。

ここからは補足ですが、実家の親族は(東北に移った後であっても)東北弁ではなく、京都の言葉を使っていました。(小さい頃は、周りには通じない単語等もあり、とても不思議な思いをしたことを覚えています。)
そのため、ウチ(実家)はどのような経緯で東北へ来たのだろうか?と思い、調べているところです。


どうか、皆様のお知恵を貸していただきたく、お願いいたします。

質問をごらんくださいまして、ありがとうございます。

表題の通り、皆様のお知恵をいただきたく、質問をアップいたしました。

【質問】
○1800年頃、下鴨神社および鴨川の辺りはどのような町だったのでしょうか?
○1800年頃、京都で起こった大火はありますでしょうか?
○1800年頃の下鴨神社周辺の地図を閲覧or入手することは可能なのでしょうか?

【背景】
興味本位で、私(家)のルーツについて調べていたところ、
1800年代下鴨神社の近くの住まい、火事に遭った・・等がわかりました。
しかしなが...続きを読む

Aベストアンサー

1780年の天明の大火ではないでしょうか
北が鞍馬口まで罹災したとあるので
下鴨神社近辺はそのエリアに入ります
ここの下の方に消失した範囲を書いたかわら版が載ってます
(かなり小さいのでPCのディスプレーでないと見にくいかも)
https://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi24.html

もうひとつ
元治元年(1864年)の蛤御門の変でも火災が起こったのですが
どうも下鴨神社辺りは罹災してないみたいです

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/3620/1/dmuch6_2.pdf

古地図は国土地理院や国会図書館、大学等で一部ですが
ネットで見ることが出来ます

ご希望とは違いますが京都府立総合資料館の京の記憶ライブラリーに
1650年くらいの古地図がありました

http://kyoto-shiryokan.jp/kyoto-memory/

また書籍もあります
(ただ、ご希望の物があるかは不明ですが)
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E5%8F%A4%E5%9C%B0%E5%9B%B3+%E4%BA%AC%E9%83%BD&tag=googhydr-22&index=stripbooks&jp-ad-ap=0&hvadid=32551103137&hvpos=1s2&hvexid=&hvnetw=g&hvrand=16885387952065435066&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=e&hvdev=c&ref=pd_sl_78r5bvd5jm_e

1780年の天明の大火ではないでしょうか
北が鞍馬口まで罹災したとあるので
下鴨神社近辺はそのエリアに入ります
ここの下の方に消失した範囲を書いたかわら版が載ってます
(かなり小さいのでPCのディスプレーでないと見にくいかも)
https://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi24.html

もうひとつ
元治元年(1864年)の蛤御門の変でも火災が起こったのですが
どうも下鴨神社辺りは罹災してないみたいです

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/3620/1/dmuch6_2.pdf

古地図は国土...続きを読む