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日本文化が重層的なのは地理的位置がありますが、それってどういう事ですか?

A 回答 (5件)

>渡海してきた小集団は結局先住者に吸収されていきます。



先住者に吸収とありますが、縄文人と弥生人の急激な骨格や顔貌の変化は、むしろ原日本人が変化した明白な証拠になります。また、弥生以降、先端技術は渡来人が握っていたことは各種資料から明白であり、日本の名族の基となった西文氏、東漢氏、秦氏らは全て渡来人であります。よって、特に国家主義思想がなければ、先住者を吸収したというより、吸収されたというかたちの方が正しいと思われます。
しかし、渡来人によって吸収された原日本人は日本風土の中で融合し新しい人種、そして独特の重層的な文化(国風~鎌倉~元禄・化政)を生み出しました。
日本人・日本文化という特殊性をあまりに強調しすぎる論調は国内では通用しますが、海外に出ると無条件に受け入れられることが多いわけではないので、客観的に様々な史料・史実を参考にすべきです。

>文化的断絶を経験していません。

歴史的にいまだ答えは出ておりませんが、1868年と1945年は文化的断絶に近いものがあります(特に後者であり、日本人は征服されたといってよい)。近いという表現はいまだ歴史的結論が下せないためです。さらに日本文化が持つ抽象性(重層性)が結論を難しくしております。
地理的位置が重層的にしているという意味は、主に北九州、南九州、北海道を経た人の流入であり、縄文以前の時代にはポリネシア方面よりマライ=ポリネシア語族、シベリア方面や朝鮮半島からアルタイ語族、東シナ海からシナ=チベット語族が渡来し原日本人と融合し日本文化を形作っていたことにあります。もちろんその後の歴史においてもアジア大陸の東端という特殊な位置のため魏、宋、隋、唐、明、清、百済、新羅、高麗、李氏朝鮮、ポルトガル王国、オランダ、スペイン王国、イギリス東インド会社、ロシア帝国、フランスと時代時代に日本に接近、その都度各国文化を取捨選択してきたことが重層性を呼んだ原因と思われます。
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 地理的位置とは「大陸と海を隔て接している」ということと、「海を通して東西南北に開放されている」ということでしょう。



 また、重層的であるというのは、「正座」など既に千年以上前に中国で失われた生活様式が日本に生き残っているという年代的な点と、

 ・日本に独特な漆器などの山林文化
 ・稲作などの南方系文化
 ・馬など牧畜を行う北方系文化
 ・日本刀に代表される製鉄文化
 ・千数百年前から海河に張り巡らされた流通文化
 ・中国から来た漢字文化
 ・仏教などの宗教文化
 ・てんぷらや鉄砲などの西洋文化

などなど、いろいろな文化が混在していることを言っているのだと思います。

 文化=生活様式です。これは基本的に人が運んできます。

 ただ、当時の航海術では数万人が一挙に移動してくることは無理でした(唯一の例外の元寇は防げましたしね)。
 その為、人の移動は継続的にせよ、断続的にせよ、小集団で訪れることになります。

 弥生以降の日本の人口は決して少ないものではありませんでしたので、渡海してきた小集団は結局先住者に吸収されていきます。
 その際、それぞれの文化は好みによって取捨選択されて残されていきました。

 その後の日本は幾つかの戦乱はありますが、異文化をもった民族の征服はなく、中国やローマのような文化的断絶を経験していません。

 結局、あらゆる文化が断続的に訪れ、文化の担い手である日本の人々が征服されなかったことで、重層的な独特な日本文化となったと言えるでしょう。
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28歳。

経済学部卒。卒論「石橋湛山の小日本主義」
はじめましてこんばんは。よろしくお願い致します。
不躾な質問で、恐縮ではありますが、
渤海、契丹や刀伊、帝政ロシアなど沿海州の国々との交流(民間レベルも含め)はいかほどだったのでしょうか。
また、その文化の影響は日本文化に現れていたのでしょうか。
沿海州との文化交流はいまだ未開拓の分野であると思われます。ぜひ、最新の学会にあがった学説をご教授ください。
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ご質問の方の年齢や、教育水準がわからないため、小中学校の日本史の知識で理解できる回答をしたいと思います。



わが国は、古くは縄文時代の渡来人、飛鳥・奈良・天平時代の遣隋使、遣唐使の派遣、室町時代の日明貿易、安土桃山時代の南蛮文化の導入、江戸時代鎖国下でのオランダや中国との貿易、明治時代のお雇い外国人の採用と官費留学生の派遣と、つねに外からの知識、技術、文化を取り入れることに努めてきました。

その一方、平安時代、室町時代、江戸時代には、日本固有の文化とも言えるさまざまなものが生まれています。米飯を主食とする日本食、絹織物を加工した着物、能、狂言、歌舞伎、浮世絵、短歌、俳句など。

このように日本文化は、先進的な外国の文化の吸収と、独自文化の発展を繰り返してきたと言えるのではないでしょうか。日本を訪れた外国人(イエズス会、ラフカディオ・ハーンなど)は、日本文化を世界に知らせようとしました。

参考までに、司馬遼太郎、ドナルド・キーンの対談集「日本人と日本文化」(中公文庫)を挙げておきます。この分野は、研究書がたくさんありますので、ぜひ探してみてください。
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そもそも、多少なりと異文化圏と交流している文化で、単層的なやつってありますかね?

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