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イギリスと日本の森林率は今やイギリスが10%程度で日本は67%程度です。どうしてこんなに差が開いたのでしょうか・・?

A 回答 (6件)

#4さんと#5さんの回答への補足です。



紀元前のイギリスは、南部を中心に一面の森林だったことが知られています。というのも、紀元前~2世紀くらいは、イギリスでも暖かかったんです。日本でいう縄文海進の時代です。地球全体が今より数度、暖かくて、海水面が上昇した時代です。その時代に、ローマの植民地経営+北方の異民族の進入を抑制するために、大規模に森林を伐採し、農地に転換したのです。その後も、暖かい時代は15世紀まで続きます。イギリスは、暖かく森林が回復する可能性の高い時代も、農業生産力維持のため、森林の回復を抑制しました。イギリスでは、17世紀になり、小氷河期(日本では飢饉が起こりました)が来たため、農業国から工業国への脱皮を計る必要があったのです。みなさん、今のイギリス(=産業革命を成功した国)に引っ張られた考察をしますが、実際はローマ帝国、暖かい気候、王制の位置づけ、産業革命を時系列的に考えないと、分からない問題なんです。

>歴史的に工業国ですよね?
>火山帯だった為溶岩で地表が覆われ、森林が育たない。。。

スコットランドは火山帯(新期造山帯)ではなく、古期造山帯だったと思います。スコットランドの土壌が薄いのは、氷河による表土剥離の理由が大きいと思います。行ってみると分かるのですが、緩やかなフィヨルドやモレーンがありますし。。。それに加えて、森林を育てなかったため、表土が薄いという感じですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/09/16 11:14

スコットランドは、岩盤の土壌で、木自体生えない土壌ですが


関係あるのでは?

歴史的に工業国ですよね?
牧草地やみ渡す限りの麦畑など、木がありません。

火山帯だった為溶岩で地表が覆われ、森林が育たない。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/09/16 11:14

 差が開いたのではなく、元々イギリスには森林面積が少なかったのではないでしょうか。

前回答者様の挙げられたイギリスの12世紀の森林率が正しければ大昔からイギリスに森林は少なかったと考えるべきです。少なかった、というより質問者さんが質問文で挙げた数値(英国10%程度、日本67%)の森林の定義とされているものは「自然林、植林を含めて林冠面積が20%以上あり、樹高7m以上の連続した立木からなる木材生産の可能な林地」というものだと思いますが、この環境団体などが定めている基準にイギリスの国土は緑多い国土でありながら、その多くは「森林の定義」には当てはまらないということなのでしょう。

 日本の森林率の高さは自然条件、日本人の宗教観、戦後の冷戦と対米関係などが関係してきます。元々森林に覆われていたという自然条件と共にそれを大昔から保全してきた日本各地で見られる木や森に対する宗教観が近代まで日本の森林が減失してこなかった要因で、例えば日本書紀には神様が韓の国(からつのくに=朝鮮半島)へ行ったらハゲ山が多かったので木の国(きの国=紀伊半島)にやっと落ち着くことができた、という記述があります。森が無ければ神々が降って来ないことになっているので今でも日本の神社は樹木で覆われているのです。元禄時代に東大寺を再建しようとしたら用材の巨木がなかったので寄せ木を金輪で結んで代用したらしいのですが、徳川幕府が全国の藩に命じて戦国時代に消失した森を復活させるため造林を行っています。森林減失の危機があってもそれを復活させようとする時代の政策や脈々と受け継がれてきたらしい育樹や植林に秘められた日本人の思想の中に近代まで日本列島が森林に覆われてきた大きな理由があると思われます。
 近代以降はおそらく黙っていれば資本主義経済の前に森は消失する方向に進んでいったはずですが、昭和初期から敗戦までに下降線の一途であった森林率もアメリカの戦後政策によって今日の森林率に至っていると考えられます。
GHQ文書によると、最初は冷戦間もない頃の日本がソ連との距離を縮めないようにするため、自国アラスカの森林を敗戦国である日本に伐採させ日本国内の戦後復興のための消費財として供給させたと暴露しています。
その直後、朝鮮戦争時には第三次森林法なる法が施行されて日本を材木の供給基地として利用するため短期間で好き放題日本全国の森林を伐採し同時に日本の林業を育成したかと思えば、その後は日本の木材が不要になると今度はアメリカ産木材の輸出先として日本を強大な市場として捉え、安保の代償として圧力をかけ日本が1961年に木材輸入の自由化をすると日本では安い外材に依存する消費体制が固まり、国産材は不要になり全国の自然林伐採計画の多くは頓挫し自然林の消失は免れ、その一方で日本の林業は衰退の一途をたどって各地に残った人工造林は放置されたまま「森」になっていきました。

 アメリカの周到な対日戦略と日本の林業における対米追従が皮肉な結果として日本に森林率の高さをもたらした、と考えられそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/09/16 11:14

途中で切れてしまい、すいません。

前の投稿の続きです。

森林被覆率という数値だけでは、実際の森林のおかれた状態は表現できていません。まとめですが、日本では森林被覆率67%といっても、大部分が木材「畑」である人工林が多く占めているのに対して、イギリスでは、掛け値なしの自然度の高い森林が10%も残されているのです。その原因は、イギリスと日本の地形の違いです。それぞれの国の地形によって、人口を維持する生産力をどこに依存するかが異なりました。つまり、両国の森林被覆率の違いは、生産力を牧草地に頼った(イギリス)か、林業に頼った(日本)かによって異なっているのです。

ただし、同じ面積の農耕地と森林が養える人口は異なりますので、注意してください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/09/16 11:14

イギリスでは、12世紀初頭には森林被覆率は15%程度だったことが知られています。



イギリスでは、紀元前~2世紀頃にかけてローマ人の植民地として、森林伐採が大々的に行われ、農耕地(牧草地も含む)に変えられました。当時、フランスやドイツの森林被覆率は90%以上だったことからもわかるとおり、当時希に見る農業大国になっていたのです。そのため、イギリスには、大陸から数多くの民族がやってきました。アングロサクソンの大移動などはこれが理由の一つです。多くの人が移住してくれば、農業生産力を保たねばなりません。そこで、イギリスに住んでいる人たちは、自然による森林への回復を抑止したのです。

日本の地形は急峻なので、牧草地や農耕地として利用できる場所は限られています。農耕地として成立するのは斜面の傾斜が10度以下だと言われています。日本の山地では斜面は30~40度ほどあるところが多く、急峻な場所では林業以外に生産力を増やす方法はありませんでした。日本では、現在、森林被覆率は67%と言われていますが、明治時代以前の森林被覆率はもっと低かったと言われています。滋賀県の田上山(平安京を作るために伐採)や愛知県の瀬戸地方(瀬戸物を作るため伐採)では森林は壊滅状態だったと言われています(現在では大分回復している)し、江戸で大火事が起こったときには大井川源流の南アルプスから大量の木材を運んだという話が残っています。このように、日本の森林も明治時代に治水三法(森林法・砂防法・河川法)が成立する以前は、搾取され続けていました。このため、日本では自然度の高い森林は10%にも満たないでしょう。人手の入っていない森林(白神山地とか)は2%程度です。多くの森林は、木材の「畑」と同じ状態です。

これに対して、イギリスでは、森林は林野法という法律(14世紀頃策定)によって王家や貴族によって保護されてきました。それは、森林内でウサギや鳥の狩りをするためです。そのため、イギリスの森林はリザーブという形で保全されてきたものが多く、自然度の高いものになっています。

森林被覆率という数値だけでは、実際の森林のおかれた状態は表現できていません。まとめですが、日本では森林被覆率67%といっても、大部分が木材「畑」である人工林が多く占めているのに対して、イギリスでは、掛け値なしの自然度の高い森林が10%も残されているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/09/16 11:13

 まず、イギリスの地形は日本の地形と比較してなだらかと言うことです。

また、気候がイギリスは冷帯に近く植物の成長が遅い。日本は温帯モンスーンで植物の成長が速い。これを前提に、あくまで推測ですが。
 イギリスは、産業革命時のエネルギーとして石炭を利用する前に木炭を利用していたのではないでしょうか。そのために森林を伐採することになった。地形がなだらかですので開発が容易です。しかし、樹の再成長は遅い。
 これに追い討ちをかけたのが、牧羊(羊毛業)の隆盛かと。森林を牧草地に変えてしまったわけです。
 どんどん、人間が大地を開拓してしまった訳ですね。
 一方、日本は地形が急峻であったことで開発地が平地のみに留まったことと植物の成長が速いため、多少の伐採にも森林の成長力が勝ったということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
なるほど。そのような気候的要因と社会的要因が合い重なった結果このような差を生む原因になったのですね。
ご回答に感謝します。

お礼日時:2006/11/01 17:40

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