最近(といっても結構たつけど)ら抜き言葉が目立ってきてますよね。そこらへんにいる高校生などがよく使っていますよね。またはテレビに出るタレントやお笑い芸人も良く使っています。まだここまでは許せる。

しか~し!最近ではニュースのアナウンサーや、番組のナレーターまで使っているではないか!私はこれは許せないことだと思う。アナウンサーなど(アナウンサーたる者)が「ら」抜き言葉を使っていいんですか?別の言い方をすると、アナウンサーまでもが使っているのだから、ら抜き言葉はどんどん広まってしまうではないですか。もうら抜き言葉は文法的に認められてしまったんですか?

皆さんはこの事態をどうに考えますか?意見を聞かせてください。

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A 回答 (17件中11~17件)

意見ですか…あまり意識してなかったのですが、そういえば前に「ら抜きの殺意」という演劇がありました。

まぁまぁおもしろかったのですが、ここまで気になるならgessiさんはこの演劇を楽しめますよ。機会があったら見てみて下さいね。
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個人的には、言葉なんて「意思/情報の伝達」という意味で、「ら」抜きだろうがなんだろうが「わかればいいじゃん?」と思ってます。


ついでにいえば、「謙譲語」や「謙遜語」「丁寧語」などの区別も「めんどくさい」と感じているタイプです。

個人レベルでの線引きの問題だと思いますが、たとえば、世の中にはこういうWWW上の投稿でも「口語体」でないと失礼だ!と思ってる方もいるわけで、そのような人にとってみれば、僕の文章はおろかgessiさんの投稿も「許せん!」となるわけじゃないですか。

もうひとつ、文法的に認められる、という感覚がどうも僕は反発心を刺激されてしまうのですが(笑)「認める」のって誰でしょう?
「認められている文法」は、その人の所属する様々なコミュニティで、しかもそれぞれ微妙に違うと思います。
だから「認められたのですか?」というのの前に「どこで」というのを限定する必要があると思いますよ。
社会でとなると、コンセンサスの計りようがないから誰も答えられないんじゃないんでしょうか?

とはいうものの、伝統的な日本語の中には「奥ゆかしい」「美しい」単語や言い回しなどが沢山あるわけですし、そういうのを理解して感じる、TPOに則って自然に使い分けるだけの教養や知識があれば、日常会話や他人がどういう言葉を使っても、意思の疎通に障害がない限りは良いんじゃないでしょうか?
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私も気になっています、ら抜き言葉。


確かに、言葉は変わるものだから、仕方ないのかもしれない。
でも、現在はまだ文法的には正式には認められていない(どこで、という議論はあるでしょうが)以上、
テレビ等をはじめとする各メディア、公的文書などでは使うべきではないと思います。
友達同士でしゃべったりメールを書いたりするところまで規制はできないでしょうが、
せめて「公の場ではら抜きは正しくない」ということをわきまえて使って欲しいと思います。

また、同じ「ら抜き」でも、世間的にどれだけ認知されているかにもよるかと思います。
「見れる」「食べれる」はよく聞くけれど、「信じれる」「生きれる」「離れれる」は違和感ありますよね
(歌で♪素直に生きーれーなーいのー♪ってのがありましたが)

最近では逆に、「噛めれる」など「れ入り言葉」もあると聞きますし、
私には「お荷物のほう、お預かりします」の「~ほう」や、「こうするといったかたちで」の「かたち」も気になります。
あっ、レジでの「ちょうどお預かりします」もいちいち問い質したいですが(笑)、
人に押し付けるのではなくて、自分で良識を持って言葉を使っていけばいいのかな、と思っています。
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これは意見を書けばよいわけですよね。


だとすれば、「ら」は大事であるから残ってほしいという痛切な思いを持って
いる一方、「ら」抜きを時に使ってしまうことが僕にもあるので、複雑な心境
です。
日本の国語教育に問題があると思うんですよね。文法を体系的に教えない。こ
の言葉の用法はこう、これはこう、という風に教えてくれないので、日本語が
話せない日本人が増えてくる。
この傾向は非常に強いので、近い将来には今ある日本語がかなり(このアクセ
ントもなぁ)崩れてしまうことが予想されます。
しかし、ひとりが嘆いたところで仕方ないんだよなあ。
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 確かに聞いてて聞き苦しいな、と思うこともあります。


しかし自分個人としてはなるべく使わないようにしていますが、他の方が使っていても、既に気にならないことも多いです。

いずれにせよここまで広がってしまっていたら、もう修正を求めるレベルではないと思います。世間的に容認されていると考えています。

もともと言葉は楽な方に変化していくものです。「ら」抜き言葉は、確かに発声しやすい表現ですから、広まるのもわからないではないですね。
言語は常に変化していくものですから、そのうち認められるのではないでしょうか。
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私個人的には、言葉というのは時代に応じて変化していくものだと思って


ますので、そんなに目くじらをたてることはないのではないかと思います
が・・・。

たとえば「もしもし」だって「申し上げる申し上げる」が変化したものな
わけですし、「さようなら」だって「左様であれば失礼いたします」が
変化したものでしょう。

「ら抜き言葉」もそんな流れの1つなのではないかと思います。


言葉の乱れといえば、何にでも「超」をつけるものはさすがにどうかと思って
しまいますけどね。
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gessiさんは何を危惧しているんでしょうか。


ら抜き言葉が広まると何か困ることがありますか?
よく言われることですが、古典の世界の話し方と、今の話し方は全然違います。
gessiさんはそのことを、日本語が乱れたからだと思いますか?
ら抜き言葉も日本語になりつつあります。
300年ぐらいたったら文法の教科書にら抜き言葉が普通に使われるかもしれません。
古典の文法のところに、ら有り言葉(?)が載せられるようになったりするかもしれません。
言葉は時代とともにコロコロ変わります。
これは、日本語だけでなく英語でも言われることです。
そのことはとってもあたりまえのことなのです。
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Q「ら」抜き言葉

『ら』抜き言葉について説明できる方いらっしゃいませんか?

前に私が書いた文章の「ら」を抜かれた事があって、
その人に『ら』抜き言葉の説明をしようと思ったら、
うまく説明できませんでした。
例を挙げようと思って、
「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、
「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、
何も言えなくなってしまいました。
うまく説明できないと、私の日本語がおかしいように思えてきます。

誰か、良い説明方法を!

Aベストアンサー

>>「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、
>>「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、
この例を使って説明しましょう。
「捨てる」は現代語では下一段活用(古語では下二段活用)をする動詞で、次のように活用します。

捨て-ない 捨て-ます 捨て-る 捨て-るとき 捨て-れば 捨て-ろ

「捨てられる」は、「捨てる」に可能をあらわす助動詞「られる」がついたものです。
そして、「られる」は、上一段・下一段・カ行変格活用(以下カ変)の動詞の未然形(「捨てる」なら「捨て-」)につく、という決まりがあります。
上一段・下一段・カ変などというとむずかしいですが、たとえば次のような言葉が該当します。

上一段 … 見る、着る、起きる、下りる など
下一段 … 捨てる、受ける、出る、逃げる など
カ変 …… 来る

上に挙げた例のような動詞に「-れる」を付けるのは、だから本来おかしいのです。
でも、どの動詞に「-られる」を付けなければいけないのか、一つ一つ覚えるのは大変ですよね。
そこで簡単な見分け方を紹介しましょう。「~ない」を付けてみるのです。「捨てない」とか「来ない」とか「見ない」とか。このとき、「ない」の直前の文字が「ア」段でなかったら、その語には「-られる」を付けなければいけません。

しかし、nanazouさんの「ら」を抜いてしまった人にはこんな意識があったんでしょうね。「それじゃ、可能と受け身の区別がつかないじゃないか!」と。

私の大切にしていた花を人に捨てられる。(受け身)
私は何でも思い切りよく捨てられる。(可能)

どちらも「捨てられる」じゃ、どっちがどっちかわからん。だから可能の方は「ら」を抜いて「捨てれる」にしよう。…ということで生まれたのが「ら抜き言葉」なわけです。国語学ではこういうのを「同音衝突の回避」などと呼んでいます。つまり、違う意味なのに同じ発音な言葉があると、自然にそれを避けようとして言葉が変化する、という現象です。こういう例は歴史上にいっぱいありました。
今は「ら抜き」は正しい国語ではないとされています。でも、そういう法則があることを考えると…何十年か後にはどうなっているかわかりませんね。

>>「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、
>>「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、
この例を使って説明しましょう。
「捨てる」は現代語では下一段活用(古語では下二段活用)をする動詞で、次のように活用します。

捨て-ない 捨て-ます 捨て-る 捨て-るとき 捨て-れば 捨て-ろ

「捨てられる」は、「捨てる」に可能をあらわす助動詞「られる」がついたものです。
そして、「られる」は、上一段・下一段・カ行変格活用(以下カ変)の動詞の未然形(「捨てる」なら「捨て-」)につく、という決まり...続きを読む

Q「ら」抜き言葉を直す

私自身「ら」ぬき言葉で話しているかどうか分からないのですが
「食べれない」とかいつも言っているような気がします。

確かに他人の「ら」抜き言葉には気が付きます。
しかしながら自分自身が使っている言葉には後で思い返せばそういっていたかもしれないとは思いますが
その場で気づく事が出来ないのです。

一体どうすれば「ら」抜き言葉を直せると思いますか?

Aベストアンサー

>一体どうすれば「ら」抜き言葉を直せると思いますか?

これは大變難しいことです。
なぜかと言うと、現在
「くる」の可能としては、「こられる」よりも「これる」、
「食べる」の可能としては、「食べられる」よりも「食べれる」
と言うほうが普通だからです。

(ただ、私は「考えれる」「おぼえれる」という言葉づかいは聞き慣れないですね。
どうやら、「見れる」など割と短い言葉は「ら拔き」(「ら入れ」にならない。)の傾向があるようです。)

あえて普通と違うことをするのですから、努力が必要だということになりますが、ちょっと方法は思いつきません。

>過去の質問などを読んで
>「ら」抜き言葉が気になるというのを目にしたのですが
>どうやらそんな事も無いような気がしてしまうのですが
>なぜそういった意見があるのでしょうか?

「ら拔き言葉を氣にする必要はないはずなのに、なぜ氣になるなどという意見があるのか」
という意味ですね?

それは、そういうことを言う人は、自分の育った環境では「ら入れ」をする(「ら拔き」をしない。)人々ばかりだったためでしょう。
文法の教科書ではそういう言い方(「こられる」)が正しいものとして載っています。

私はあまり使いませんが、
五段活用動詞「行く(いく)」の可能(行くことができる・行ける)の意味で「いかれる」、
「取る」の可能(取ることができる・取れる)の意味で「取られる」
と言うのは、標凖語の文法として誤りではありません。
このような、可能の意味で 「あ段」+「れる」 を聞き慣れている人は、
五段活用以外の動詞の場合も、「られる」という 「あ段」+「れる」の形でなければ、おさまりが惡いだろう、
と考えることができます。
(「こられる」はおさまりがよいが、「これる」はおさまりが惡い。)

(既にご指摘のある通り)「られる」というのは、わざわざ長く言ってしかも意味が紛らわしくなるわけです。それに「ら」行音が續くのはあまり發音しやすくありません。
ですから、言葉をゆっくりと叮嚀にたくさん(餘計なことまでうだうだと・長ったらしく)しゃべる環境にいたんではないか、と想像されます。

>一体どうすれば「ら」抜き言葉を直せると思いますか?

これは大變難しいことです。
なぜかと言うと、現在
「くる」の可能としては、「こられる」よりも「これる」、
「食べる」の可能としては、「食べられる」よりも「食べれる」
と言うほうが普通だからです。

(ただ、私は「考えれる」「おぼえれる」という言葉づかいは聞き慣れないですね。
どうやら、「見れる」など割と短い言葉は「ら拔き」(「ら入れ」にならない。)の傾向があるようです。)

あえて普通と違うことをするのですから、努力...続きを読む

Q中高生が使う「うちら」と言う言葉

中高生はよく自分たちのことを「うちら」と言います。
男の子も使うかもしれませんが、「俺ら」もあるので、どちらかと言うと女の子の方が多用するように思えます。

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出所はどこでしょうか?

Aベストアンサー

うち・ら=わたし・たち

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関東地方へは、2004年くらいに流行したようです。

Q”なんか”という言葉 最近日常会話で、”なんか”という言葉をよく使います。何度も使うと、相手に伝えた

”なんか”という言葉
最近日常会話で、”なんか”という言葉をよく使います。何度も使うと、相手に伝えたいことが、曖昧になります。
そういった、口癖を改善するにはどうすれば良いでしょうか?教えてください!

Aベストアンサー

この場合の「なんか」は「なにか」の音変化形で、【1 はっきりした訳もなく、ある感情が起こるさま。どことなく。なんだか。】という意味になると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/164507/meaning/m0u/
辞書にあるような
・どことなく
・なんだか
・よくわからないけど
・なんとなく
・特に理由はないけど
といった表現を使えば曖昧な印象は薄れるでしょう。

Qくわばらくわばらの由来

怖い時によく「くわばらくわばら」と言います。
この言葉の由来は、私の記憶では、雷のときに、遠くの桑畑(桑原)に落ち、近くに落ちるなよという願いでつぶやいた、なのですが、友人の説では、桑畑は雷が落ちにくいといわれており、ゆえにくわばらと唱えると言います。
 激しい議論の末、決着がつきませんでした。どちらが正しいのでしょうか?または違う説があるのでしょうか?教えてください。
 よく他人に不幸が訪れそうなときに、わが身に降りかかりませんようにとの意味で「くわばらくわばら」というのもまさに私の「遠くの桑原」説が正しいと思うのですが、いかがでしょうか?ちなみに私は桑畑のたくさんある地方の生まれです。

Aベストアンサー

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。」と言ったので、和
尚さんは雷の子を助けてあげました。
 雷の子は帰って親に、一部始終を話しました。
 雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し、他の雷たちにも「これから欣勝寺や桑原には絶対に落と
してはならないぞ。」と戒めました。
 それからというもの、欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないといいます。
 以来、「くわばらくわばら」と唱えると雷は落ちないと、言い伝えられています。     

この中に出てくる桑原というのはそのお寺のある地名ですが

 当地の地名である“桑原”から由来
しているのではなく、「仏教用語」の
「クワンバラン」(インド、サンスク
リット語で、いやな事や、恐ろしい事
を避けるときに唱えるおまじない)が
いつの日か「くわばらくわばら‥」と
なり、「くわばらの欣勝寺」と呼ばれ
るようになったとのことです。   

と、補足されています。
一般的には先ほど回答した「菅原公」の説ですが。

参考URL:http://www.hyogokenshin.co.jp/discover/Sanda/Sanda2/

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。...続きを読む


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