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よくビジネスシーンのステップアップで、能力のある人材になっていく為に多くのキャリアアップ論が叫ばれますが、
仕事に全力で邁進する事は、多くの場合、他を犠牲にする事に繋がるような感じがしてしまいます。

例えば、
・毎日遅くまで仕事→家には帰宅して寝るだけなので自分の時間や家族・子供と触れ合う時間がない
・休みも不定期で休暇らしい休暇がとれない→仕事以外の事をやるには時間もないし疲れきっている
・単身赴任や長期海外出張→家族にほとんど会えないし他にやりたい事ができない

というような場合などです。
一生懸命働いていれば、キャリアや仕事の能力は上がるし他者からも評価され認められたり、収入も増えるかもしれません。
しかし、自分の時間や趣味、仕事以外の人生の計画、また家族との触れ合い、子供の成長を共に見守るなどの事が多くの場合犠牲になってしまうのではないでしょうか?
そうなれば何の為に働いているのかわからなくならないでしょうか?
そういうのを犠牲にしても働くのに価値があるというのなら話は別ですが・・。
是非意見をお聞かせください。

A 回答 (7件)

仕事が生きがいになっている人、自分の仕事によって多くの人命が救われる人はそれだけの価値があるでしょう。

大半の人はそれに当てはまるとは思えません。
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>>一生懸命働いていれば、キャリアや仕事の能力は上がるし他者からも評価され認められたり、収入も増えるかもしれません。


しかし、自分の時間や趣味、仕事以外の人生の計画、また家族との触れ合い、子供の成長を共に見守るなどの事が多くの場合犠牲になってしまうのではないでしょうか?

このテーマは、海外ドラマ(犯罪捜査もの)を見ていると、たまに目にします。昔は、刑事の私生活を描くなんて少なかった気もしますけど、最近は多いですよね。
そして、犯罪は、本人や親族・知人の結婚式など、プライベートな行事にお構いなくやってきます。
場合によっては、機密保持の問題で、何ヶ月間も連絡が取れない状態になることもあるし、ヘマすれば、死んでしまって、妻や子供は父親が居ない家庭になる。
逆に、愛する妻や子供が殺されたりというストーリもあります。

あるドラマでは、自分の生き方・幸せを考えて、その職を辞すことを決めるシーンがありました。
また、別のドラマでは、「私生活がどんなに犠牲になろうとも、自国の国民の生命・財産を守るこの仕事を続ける!」と決断するシーンもありました。

程度問題はあれど、仕事以外の犠牲なしには、キャリアアップをめざす仕事は出来ないかもしれません。

私は、幸福の科学の会員ですけど、海外伝道を考えれば、インフラが整い、安全・安心な日本を離れていく人も必要です。生活が不便になるだけでなく、下手すれば宗教法の違反で逮捕され、死刑になるかもしれません。
海外伝道された方は、訪問先の国で「先日、キリスト教の布教をやっていた方が死刑になりました。注意してくださいね」と言われたそうです。
ですから、一部の方は、身軽に動けるように、(個人の幸福は捨てて)独身のままでいるほうがいいかも?なんて話もあったりします。

結局のところは、その人の価値観、人生観、そして優先順位の考え方でしょう。
折衷案として、「○○歳までは、個人の幸福を捨てて頑張る。それ以降は、仕事をセーブして、個人の幸福を目指す」ってのも有りかもしれませんね。

ちなみに、幸福の科学的に考えれば、「この世は仮の世、あの世が実在界。死のまぎわに後悔しない人生を歩むこと。魂は永遠の生命を持つ。恐れることはない。生まれる前に、あの世で約束したことを成しなさい。」でしょう。
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わての考えは、あんさんとは違いますな!


長時間労働=能力ある人 では無いと思いまっせ!
何を持って「長時間労働」してるかがポイントやと思いますわ!
例えばやのぉ~「定時内で仕事が終わらず、残業で長時間になる」も「能力ある」になるんやろか・・・
能力ある人→人を上手に使う→時間単価の価値が上がる→定時帰宅で給与も上がる
じゃ無いと思いまへんか?
1日24時間は変わりまへん。
この24時間を上手く使える人が「能力ある」でっせ!
>しかし、自分の時間や趣味、仕事以外の人生の計画、また家族との触れ合い、子供の成長を共に見守るなどの事が多くの場合犠牲になってしまうのではないでしょうか?
わてはこの考えは「凡人の考え」と思ってま!
億万長者の方々は「身を粉にして働いてる」んでは無く
時間単価の価値を上げたから「億万長者になった」と思いまへんか?
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労働はどちらにしても自由時間の切り売りですから、その時間にできたかもしれに事はその代償として断念するしかありません。


ただその諦める時間と労働時間とをどういうバランスをとるかは個人の選択の問題です。
完全に自分の好きなことだけをしていける可能性は非常に低いので、どの程度の時間をあきらめるかということです。
一方で現代は全く働かないというのも多くの人には苦痛だと思います。無職に比べればある程度の仕事をしている方が人は幸せに感じるでしょう。
私は40代に本当に働き蜂のような状態でしたが、働きが自分の成果として帰ってくるということで、一種の高揚感がありそれを不幸とは感じませんでした。かえって忙しいことが誇りのようにも思えました。
また成功するのに長時間労働しかないというのも誤解だと思います。単純労働は時間の長さで成果はほとんど決まるのでしょうが、ある程度の知的作業は時間と成果は比例しません。
キャリアアップということが他人よりも上の地位に行くという意味ならば、頭脳で上に行く人もいれば、長時間労働も辞さずでそうなる人もいるでしょう。一方でそういうこては興味はなく、自分の生きたい人生を生きる人もいると思います。でもそれは人それぞれの嗜好であり選択です。
あなたがどう生きるかはあなた自身が決めることです。
ただ安楽だけでよい人生になるとは限らないというのも事実です。
そのあたりのバランスだと思います。
ちなみに私は働き蜂の年代でも自分の趣味は諦めませんでしたし、家族も普通以上に守ったつもりです。厳しい労働でもそれらをすべて諦めることもないと思いますよ。
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全力で仕事をしていても、家族、隣保の付き合いはその昔の方々は必ず遂行していました。


その方々は仕事が好きで、(もちろん家族の次)
この仕事が終わったら子供と遊ぼう、自分自身の好きな事をすると考えていたと思います。
それで一目子供の笑顔を見れば疲れている事なんか忘れている本人が居る。

俗に呼ばれるベビーブーム世代の子供達は珠にしか父親の顔を見てはいませんでしたが
しっかりと育っています。
(親はいなくても子は育つ)
今は却って過保護に成っていると個人的には考えます。

まあ不平不満で仕事をやらされている吾人は休みはごろ寝でしょうけど。
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犠牲にしていると思っていて


何かしらの手をうたない人は犠牲にすることになるが
大抵の人は程度を考え辻褄あわせをしている。
管理職は自分の労働時間に対する裁量権を持っているので
権限と責任の範囲で
自分の時間を作ることはできる。
また、責任に関して言えば
責任者が一人の事業所なら必ずその場にいなければならないかというと
そういうことではない。
権限と責任を他の人に委嘱して休日を作ることができる。
そうでなければ店舗の店長や
工事現場の現場代理人は休めない。
部下を育て、環境を整備し
自分が休む為の段取りもしないで
休めないというのが本人の手抜き。
優先度のバランスの問題であって
働き方は一様ではない。
昇進昇格を望まなければ転勤しなくて済む
支店採用や店限職員という立場もあるし
金を使えば新幹線やグリーン車でゆっくり座って通勤も可能。
金も地位も余暇も同時に全て高いレベルにしようと思えば
雇われて使われている立場では
評価は他人がすることなので
唯一無二の能力でもなければ難しい。
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>仕事に全力で邁進する事は、多くの場合、他を犠牲にする事に繋がるような感じがしてしまいます。



例として挙げている、キャリアアップと「長時間の労働となる」「遠隔地で働くこととなる」といったこと、また、他のことを犠牲にするというのはつながりがないように思います。

「何のために働くのか?」といえば根本部分はは生活していくため、ではないでしょうか?

「子供と触れ合いを」というのなら、仕事しなけりゃ嫌というほどふれあえますが、収入なければ、近いうちに飢え死にじゃないですか?

遠隔地に長期出張、転属というのならば、家族を連れて行けばよいと思います。それだとせっかくその地でできた子供や奥さんの生活基盤が崩れる、、というのなら、単身赴任の方が良いでしょうし、それも嫌だというなら、転職すればよいだけです。そしたら今度は奥さんから「そんな考えが気に食わない」と離婚を突きつけられるかもしれません。

要はさじ加減だと思います。

それぞれに於いて、何事かを全力でやることとは関連がないことだというのがわかっていただけるでしょうか?
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