性格悪い人が優勝

人の幸せを妬む人や、不幸な人は、
なぜ幸せな人、幸せに見える人の周りに群がるのでしょうか。
気分が良くなるんでしょうか。

そして群がるだけでなく、貶める人もいます。
無意識に誰かを不幸にしている人もいます。
相手を貶めて自分は幸せであると感じられるのでしょうか。
自分が本当に幸せになるわけではないのに。

それとも幸せな人が、不幸な人たちを呼んでしまうのでしょうか。
寄られてしまった場合は、気にしないほかないのでしょうか。

A 回答 (3件)

そういうケースが多くて、常に憤りを感じます。



ただし、わたしには妬むという感覚がわかりません。

羨ましいと思うことはあります。

なので的外れであるかもしれません。

以下は、自分の経験。ストーカーみたいな人に付きまとわれた女性の相談に

のったときの経験からお答えします。



そうした粘着質にみえるひとは、

一見しておとなしく、付き合いが良かったりします。

総じて内弁慶であり、二重人格です。


普通にいい奴だと思えるのに、理解できないところで豹変します。

あまりにも不思議に思い、長い年月をかけて、調べたことがあります。

以下は、

私の知っている(そんな人)に、聞いてわかったことです。

彼が言うには、

自分がちっぽけに見える瞬間がとても苦しいそうです。

そのときの落ち込みが相当強いようです。

そのとき、相手の手足が光って見えるそうです。

輝く黄金の手。眩しい存在です。

その上で、そんな眩しく見える人も、自分と同じ人間であると感じたい。

つまりは、いつか泣きっ面をみてやりたい。

そう思うそうです。

これが大変ワクワクするのだそうです。

その執念だけで、自分を偽って人に近づくそうです。



10年くらい一緒にいましたが、

相手も私も最後は見も心もボロボロに成りました。

これは二度とやりたくないですね。

相手もそうらしいです。


色んな話をしました。

幼少の頃に、自分は他人と違うと。どこか違うと直感したそうです。

ですので、

舞い上がっているときは、自分には隠れた才能がり、

「とうとうキター」と感じる。

恐ろしいのは、このキターという表現ですが、

何年もたって、インターネットのガサツな掲示板などで良く使われるように

なりました。彼が流布したわけではありません。

表現までが同じなのです。

わたしには全く何が来るのかわかりません。

彼らは、何かを待っているのです。


ところがこれは錯覚ですから、現実の自分に立ち返るとき、

例えようもない喪失感を感じ、

これを気付かせた人を否定するか、抹殺する事で、

幻想が消えず、待っていれば、いつかは来る(何がわかりませんが)と

信じられるそうです。

これに対しては、敢えて否定せず、

弥勒菩薩が56億7000万年後に現上するという事を教えてあげました。

これで大分人が変わりましたね。

願掛けの様なものがあるらしいですよ。何かが来ると言う。

つまり、

こんなルールを自分で作っているようですよ。

質問者さんは、幸せな人を妬むと言っておりますが、

より正確に言うと、

「自分がちっぽけであり、どこも良いところが無く、
 
 自分が自分に期待するほど、実は自分に全く可能性が無いと言うこと」

これを気付かせた人に八つ当たりをしているだけです。


また、

その人に聞いたのですが、

TVでジョンレノンの報道があっただけで、

心の中でコンチキショウと言っている自分がいたそうです。

さすがにこれに驚いて、

真剣に自分が病気ではないかと思い、今は気をつけて治しているそうです。


中途半端に付き合えば、さすがに互いに言い負かしあうだけの喧嘩です。

しかし、概念として定着すると、認知がしやすくなる。

ここで、自分の中の乖離にきがついたという次第でしょう。


また、

男性の場合は、(大変俗ぽいはなしですが)

矮小な性格になっているひとは、女性体験が無い場合も多いようですよ。


ここも気付いてあげれば、突然人が変わることもあるとおもいます。


次に、

幸せな人が不幸な人を呼び寄せることはありません。

本当に幸せな人は、障害を楽しんで克服します。

ですので、別の誰かが妬み、意地悪をしても、気付かずに解決してしまいます。


悪意を持つ人は、存在すら認知されないことがいちばん怖がっています。

これで、深く傷つくことを知っていますから、近寄ってきません。


ただし、

執念深く、弱るのをまっています。

ですので実際は、幸せそうな人が、調子悪そうに見えたときによってきます。

これまで接点が無かったのに突然変な人に付きまとわれた。

この場合は、

ずっと観察されてきたと考えましょう。

そして、

このストーカーの評価基準で、充分に弱った

(仕返しする力が無くなった)と判断されたんです。

これに対してまともに対応しますと、

「お、俺なんかと対等に接してる。怒ってる。やったー」

と言う具合に手ごたえを感じてしまいます。

「いけね、実は嬉しいことを黙ってないと、無視される」

と言う具合に思っていますから、

苦情などを言えば、逃がしてくれません。



一般の人は、もう少し大きなものを成功として捉えていますから、

そのあたりがわかりませんよね。

こうした人に諦めてもらうためには、

相手が萎縮するような立派な人と付き合うことです。


比較されていると思って、萎縮して逃げ出します。

けっして一対一の関係ではなさないことです。

常に、第三者との会議として場をもうけたり、

オンラインの場合は、電話で友達と話しながら、対応します。

また、それを伝えたうえで、コミュニケーションをとりましょう。


誰か他人と喧嘩をする事ですら、彼らにとっては、人生で滅多にない幸せ。

それくらい気の毒な人生を歩んでいます。


こうした人をけっして救おうとしてはいけません。

その穴は深く暗く、自分が持つ光では照らせませんよ。

また、そういった人は、長くも持ちません。

ストレスが尋常じゃないからです。

まともにも働けませんから、経済的に逼迫しています。


終わりを予感しています。

ですのでせつな的になっています。

そのうえで大変寂しいと感じています。

誰かを道連れにしたいのです。


古来より悪霊といって例えられてきたものの性質がありますよね?

これは本当にあるのではなく、

そうした心に変化している人を例えたものだとおもいます。



以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

すごいですね。こんな人がいるんですか。
『手足が光って見える』というあたりが
とても不気味でした。その女性も気の毒でしたね。

私の言う『不幸な人』は、まだ、まともかもしれませんが、
やはり自分の人生に肯定感を持てないのだと思います。


常に自分と誰かを比較しています。
周囲に自分を認めさせようと必死で、
仕事では自分に知識があるところをアピールしています。

1つか2つくらいしか共通点のない、
面識のない著名人とも比較する有様です。
自分のほうが上だと言っています。

人の成功や幸福を喜べません。
端々で周囲の人間を否定します。
自信がないのか、毎日毎日、自慢話が止みません。

でも、『普段は少し変わっているけど、
ベテランで面白い人』と位置づけられていて、
私が困っていると相談しても、信じてもらえませんでした。

こんな人に目を付けられて、
自分の人生を邪魔されて、昨年から本当に悲しいです。
私も、もっと早く気付ければよかったのですが。


>次に、
幸せな人が不幸な人を呼び寄せることはありません。
本当に幸せな人は、障害を楽しんで克服します。
ですので、別の誰かが妬み、
意地悪をしても、気付かずに解決してしまいます。
悪意を持つ人は、存在すら認知されないことがいちばん怖がっています。
これで、深く傷つくことを知っていますから、近寄ってきません。


私は人並で、これまで辛いこともありましたが、
今は幸せだと感じています。
自分で呼び寄せていなくて、よかったです。
楽しんで克服できるよう頑張ってみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/07 20:58

人は心に何か「疑問」があれば、それを解消しないではいられないものです。



心に不満や、悲しみや、苦しみや、憎しみなど「負の感情」を抱えていれば、心の何処かで「なぜ?」という声が聞こえてくるはずです。
なぜ苦しまなきゃいけないんだ、何でこんなにも憎らしいのだ、と。

それを解消したいから、それが「無さそうな」人間に寄ろうと思うのではないでしょうか。
「どうして君には悩みがないのか、どうして疑問を持たぬままに生きられるのか」と。

もちろんそれは「大きな勘違い」でしかありません。
みな、何らかの悩みを抱えていますし、そもそも「悩みの解消能力」というものには「個人差」があるものです。
それは、その人が持っている「性格」に大きく依拠します。

体格が違うように、解消能力も人それぞれ違います。
そのことを「理解するかしないか」で、悩みが永続するか、途中で解消できるかの結果が異なります。

「幸せな人、不幸な人」と、たった二つに分けてしまうのは得策じゃないのですよ?。
いろいろな人がいるんです。
いろいろな感情があって、能力も違っている…個性があるのです。
その個性というものを、尊重できるか、出来ないか、ということで、他者に対してのアプローチも変わってくる。
尊重できなければ、常識はひたすら薄いものしか出来ません。
それ故に、他者からも遠ざけられてしまうし、新たな発見や、チャンスを見逃す結果にもつながっていきます。

もっと「根っこ」から考えなおさないと。
そうでないと、答えが出ませんよ?。
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どちらが上で、どちらが下か



人は順位を付けたがる生き物です

自分より下に居る人を見る事で、安心できるのです

努力が嫌いな癖に、そういう考えを持って居る人は
人を貶める傾向があることでしょう

幸せな人に群がるのは、おこぼれが欲しいんじゃないですか?
自分で努力するより、楽に手に入る物が欲しいのですよ
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この回答へのお礼

>自分より下に居る人を見る事で、安心できるのです

まさに、これだと思います。
自分より下だと思わせたいようなんですよね。
そして必死に不幸な人間を作ろうとしています。

でも、『おこぼれ』すら貰えないんですけどね。
本当に不思議でなりません。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/07 21:03

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