
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
旧友との再会の場面は、「残月」つまり明け方近く、月が日の光に見えなくなってしまうまでの、ほんのわずかな間の物語です。
出立時にはまだ暗く残月とはいえはっきりと見える。これは意識の大部分を占めつつある虎の野生を日の光とするなら、それがない間だけ人の心がわずかな光を放てるということを表現していると思います。それも現れるのが暗い闇の中でだけというのが、人の心のある時間彼をとりまいている絶望と対応しています。
最後の「白く光を失った月」が何を表しているかは説明はいりませんよね?
さらには、旧友と話している間、主人公は決して姿を見せようとしません。これも、太陽の前に姿を表せない月にかけての表現だと思います。旧友との立場の違いを主人公がどう感じているかがわかりますね。
No.4
- 回答日時:
確かに月は、狂気あるいは欲しくても手に入らない憧れの象徴と
して物語に描かれることが多いですね。
でも、インド~中国では、月は妖しさだけでなくて、清らかさ・
涼やかさを示す場合もあるようです。最近まで、太陽でなくて
月の暦(太陰暦)を使っていた地域です。
仏教の中でも、十二神将に月天(ウサギを抱いている)が数え
られていますね。
欠けていてもまた時が経て、円満になっていくという、曖昧な期待が
込められていないでしょうか。現代的には、欠けたように見えても、
その実は円満であろうということ。
換言すると、虎に身も心も変えてしまっていくようでありながら、
その存在自体を全否定しない、最後のやさしさのように捉えることも
できると思います。
No.3
- 回答日時:
月に吠え猛る虎の図は、水墨画でもテーマになりますね。
月というのは狂気を誘うものとして昔から言われているようです。
事実、満月や新月の時ほど犯罪が多いというのを随分前にテレビで観たことがあります。(同時に、新生児の出産も満月と新月に片寄っているという話も観ました)
lunaticなんて単語もそうで、古代からヨーロッパにもそのような考え方があります。もちろん中国でもそうです。
昔は夜というのは真っ暗で、明かりといえば月しかなかったわけですから、その真っ暗な中の1つの明かりに吸い込まれるようになって狂気をもよおすということはよくあるわけです。
この作品の中でも月の役割は(いちいち箇所を挙げて説明しませんが)狂気に引き込まれていく有り様を示しています。人間らしい理性が月と同じように欠けていくのを想像して下さい。
これでよろしいでしょうか。
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