出産前後の痔にはご注意!

山月記の中の月の役割を教えて下さい!
主題にもかかわっているらしいのですが、全く解らなくて。
ところどころにでてきて微妙に変化している月の意味?を教えて下さい。
6月15、6日ごろまでにお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

旧友との再会の場面は、「残月」つまり明け方近く、月が日の光に見えなくなってしまうまでの、ほんのわずかな間の物語です。


出立時にはまだ暗く残月とはいえはっきりと見える。これは意識の大部分を占めつつある虎の野生を日の光とするなら、それがない間だけ人の心がわずかな光を放てるということを表現していると思います。それも現れるのが暗い闇の中でだけというのが、人の心のある時間彼をとりまいている絶望と対応しています。
最後の「白く光を失った月」が何を表しているかは説明はいりませんよね?
さらには、旧友と話している間、主人公は決して姿を見せようとしません。これも、太陽の前に姿を表せない月にかけての表現だと思います。旧友との立場の違いを主人公がどう感じているかがわかりますね。
    • good
    • 16
この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても役に立ちました。

お礼日時:2001/06/14 23:13

確かに月は、狂気あるいは欲しくても手に入らない憧れの象徴と


して物語に描かれることが多いですね。

でも、インド~中国では、月は妖しさだけでなくて、清らかさ・
涼やかさを示す場合もあるようです。最近まで、太陽でなくて
月の暦(太陰暦)を使っていた地域です。
仏教の中でも、十二神将に月天(ウサギを抱いている)が数え
られていますね。

欠けていてもまた時が経て、円満になっていくという、曖昧な期待が
込められていないでしょうか。現代的には、欠けたように見えても、
その実は円満であろうということ。
換言すると、虎に身も心も変えてしまっていくようでありながら、
その存在自体を全否定しない、最後のやさしさのように捉えることも
できると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても役に立ちました。

お礼日時:2001/06/14 23:12

月に吠え猛る虎の図は、水墨画でもテーマになりますね。


月というのは狂気を誘うものとして昔から言われているようです。
事実、満月や新月の時ほど犯罪が多いというのを随分前にテレビで観たことがあります。(同時に、新生児の出産も満月と新月に片寄っているという話も観ました)
lunaticなんて単語もそうで、古代からヨーロッパにもそのような考え方があります。もちろん中国でもそうです。
昔は夜というのは真っ暗で、明かりといえば月しかなかったわけですから、その真っ暗な中の1つの明かりに吸い込まれるようになって狂気をもよおすということはよくあるわけです。

この作品の中でも月の役割は(いちいち箇所を挙げて説明しませんが)狂気に引き込まれていく有り様を示しています。人間らしい理性が月と同じように欠けていくのを想像して下さい。

これでよろしいでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても役に立ちました。

お礼日時:2001/06/14 23:12

月は満ち欠けしますね。

それによって、虎に変身してしまい、ときどき人間に戻っている人間の姿を象徴しているのではないでしょうか? もうひとつは、昼間には決して明るい姿を見せることのない哀しみを表しているのかもしれませんね。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても役に立ちました。

お礼日時:2001/06/14 23:11

李徴と袁サンのめぐりあいから永遠の別れまでの時間の経過を秋の「月」の光の変化で表して効果を上げている。



…らしいです。
ガイドにそんなことが書いてありました。
学校で習ったんですが、あまり覚えていません (^_^;)
    • good
    • 3
この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても役に立ちました。

お礼日時:2001/06/14 23:10

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q山月記

学校で山月記を学んでいます。
なぜ中島敦は、山月記と題したのでしょうか?
月が大切なようですが・・・。
教えてください。

Aベストアンサー

「山・月」の語は、小説中の詩に「此夕渓山対明月」とあるところからのイメージかと思われます。
 「月」は作品全体に度々情景描写として描かれます。最後に「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、」とあり、人間としての理性・知性の喪失と同期するように描かれ、月はこの主人公の人間性と読むことも可能ではないでしょうか。

Q山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。

山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。
子どもから質問受けましたが読めません。
そのまま「ほせられる」ではダメなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

辞書によれば、

ほ・する【補する】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99%E3%82%8B&stype=0&dtype=0

ふ・す【▽補す】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99&stype=0&dtype=0
(なお、手元の漢和辞典によれば、「輔す(ふす)」の書き換え字とのこと。「補」に「フ」の読みはないようです)

ということで、一応、どちらの読みも可能だと思います。

ちなみに、こちらで聴ける朗読の読みはどちらも「ほせられる」となっています。

http://www.voiceblog.jp/kotoba/3120.html
http://www.papy.co.jp/act/books/1-118779/
(こちらは冒頭のみのサンプル。なおメールアドレス欄は空欄でも可です)

Q山月記

袁さんが、「どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがある」といっていますが、欠けるところというのは率直に言うとどこなのでしょう?
色々調べてみたのですが、あまり良く分からなくて困っています。
分かる方がいましたら、解答お願いします。

Aベストアンサー

ものすごく簡単に言えば、天才と秀才の違いです。

李徴は秀才だったけど天才ではなかった。
天才と秀才の差は袁サンのような凡人には僅かな差にしか見えない(だから袁サンは「何処か(非常に微妙な点において)欠けるところがある」としか表現できなかった)、しかし李徴当人はこの差は絶望的なものに見えます。

それゆえ、

  凡人に比べれば才に恵まれている→尊大で傍若無人に振舞う
  天才とは決定的に差があるとの自覚がある→猛烈な劣等感にさいなまされる

ということになります。


この辺の事情がわかりにくければ、「アマデウス」という映画をお勧めします。
古い映画ですが名作ですし未見でしたら一度ご覧あれ。

「アマデウス」の主人公サリエリ氏は自他共に認める大作曲家でしたが、モーツァルトに接して初めて、モーツァルトこそ真の天才であり自分はたんなる秀才に過ぎないと気が付きます。
しかしこの差をはっきり認識しているのは当のサリエリだけで(モーツァルトは最初からサリエリなど眼中にないので気にも止めていない!)、周囲は気がつきません。

サリエリは今までどおり大作曲家として振舞いながらも、モーツァルトに対する嫉妬と劣等感に苦しめられ、とうとう…。

この映画のサリエリ氏の最期を中国伝記小説風に表現すると、「虎になった」になるのでしょう。


さて、ではこの天才と秀才の差、袁サンが「何処か欠ける」と表現したものは何なのか?

これを言葉で説明するのはやはり難しいです。
でも確実に存在するのですよ。

文学でも音楽でも美術でも何でも、それなりに真剣に取り組んだことのある人間には明確に把握できます。
そしてそれを把握できた人間の大多数は「ああ、自分はどんなに頑張ってもこの域には達することができない。つまり自分は天才ではないな」とはっきり認識することになります。

若いころ、この苦い思いを味わったことのある人間にとっては、「山月記」は非常に分かりやすい、そして身につまされる小説なのです(苦笑。

ものすごく簡単に言えば、天才と秀才の違いです。

李徴は秀才だったけど天才ではなかった。
天才と秀才の差は袁サンのような凡人には僅かな差にしか見えない(だから袁サンは「何処か(非常に微妙な点において)欠けるところがある」としか表現できなかった)、しかし李徴当人はこの差は絶望的なものに見えます。

それゆえ、

  凡人に比べれば才に恵まれている→尊大で傍若無人に振舞う
  天才とは決定的に差があるとの自覚がある→猛烈な劣等感にさいなまされる

ということになります。


こ...続きを読む

Q現代文B、山月記の問題で、語句の意味を調べ説明しなさい。一つの文になるように。という問題がでて、変じ

現代文B、山月記の問題で、語句の意味を調べ説明しなさい。一つの文になるように。という問題がでて、変じゃないか、これで大丈夫か、丸もらえるか、教えてもらえると嬉しいです。また、間違っているところは、丁寧にわかりやすく教えてもらえると、とても嬉しいです。よろしくお願いします。

博学才穎
(広く学問に通じていて、才知が非常に優れていること)

若くして名を虎榜に連ね
(年、若いうちに科挙の進士科に合格した)

ついで江南尉に補せられたが
(それから、長江以南の地域で役人の職務担当を命じられたが)

性、狷介
(性格は、頑固に自分の意志を通し妥協しないさま)

自ら恃むところすこぶる厚く
(自分の力や才能にたいして過剰なまでの自信を持っている)

賤吏に甘んずるを潔しとしなかった
(下級の役人でいることに満足できず、平気でいられなかった)

Aベストアンサー

基本的に花○ですね。

>一つの文になるように。

広く学問に通じ才知が非常に優れ、年若いうちに科挙の進士科に合格したが、直ちに長江以南の地域で役人の職務担当を命じられたが

性格は、頑固に自分の意志を通し妥協せず、自分の力や才能に過剰なまでの自信を持っていたため、下級の役人でいることに満足できず、平気でいられなかった

#飛び級で東大を卒業し、公務員試験も抜群だったのに、凡人なら羨むはずの地方の警察署長を命じられた超エリートの無念さ。直ぐにも日銀総裁をやる自信はあったのに。

Q初めての投稿です。 宿題に山月記の読書感想文があります。文字数は1201字以上です。誰か助けてくださ

初めての投稿です。
宿題に山月記の読書感想文があります。文字数は1201字以上です。誰か助けてください!

Aベストアンサー

1600字くらいあります。
助けになるかどうかは分かりかねます。


山月記の中で虎に変化した李徴は自分の事を卑下し自分は尊大な羞恥心などの良くない心根によって自分の外形が内心にふさわしいものに変えてしまったと嘆きましたが実際の所彼が詩人として名を成した結果したかった生活というものは正に彼が虎に変化した結果としてするようになった生活なのだと思います。
この話の中において一貫して李徴が虎に変化したできごとは不幸として扱われていますが私はそうは思いません 彼は生活のため地方の小役人に就職して屈辱を感じつつ生活を送っているとある日山に消え虎に変身し、この結果彼は何か後悔している様子で虎の姿で旧友の前に現れたわけですが実際の所虎になって何より強い存在として獣や人を無意識に食らいつつ生きる暮らしは彼がかつて望んだ詩人としての気ままな暮らしと本質として類似したものだと思えます。それどころか実際には彼は詩人になりたかったわけですらなく本当は何より強い存在として獣や人を食らいつつ生きるような放埓な生き方がしたいという本音が詩人になりたいという歪められた形で心に浮かんでいただけで実際には虎になって常人では一生叶えられない望みを完全に達成したのではないでしょうか。
また この話の中においてさりげなく実現されている発狂したあげく人間から虎へ変身すると言う現代のみならず恐らくこの話が書かれた当時であってもあまりに荒唐無稽すぎて到底何かの比喩としてしか捉えられない表現は、実はこの文章を読んだ読者に人間が変身し別の生物になりうるという奇跡が現実に起こりうるというできごとを現実として潜在意識に認識させ、そのような奇跡的で劇的な変質が読者の人生に起こりうるように読者の潜在意識を改良しようとするもくろみがあったのではないでしょうか? 不可能だと潜在意識が信じていると例え実際には可能であってもできなくなり、一見不可能であっても可能だと潜在意識が信じると実際に可能になったりする原理からして、この山月記の中に記された描写を読んだ後読者の中で生活に不満を持つものはいくばくかこの李徴のようにー例え肉体までは変質しなくともー生活に変化が生じ自分が本当に望んでいた生活を送るような変化が起きるようになる可能性があるように感じます。この文章には発狂という本来理性持つ人間にとっては死と同義の意味合いを持つできごとが実は本質的な、理性が自分にとって正気であると判断できる程度の状態のままでは達成できない程の大きな変容の開始になりうるという深い洞察が込められているようにも感じられます。この文章を読んだ後精神状態が不安定になったり生活に不安が出てきたりという人生での失敗の結果起きる不幸に見舞われた人間はこの話を思い出しいくばくか自分もその虎のようになるのかも知れないという漠然とした不安にとらわれる可能性があります。と、ここで願望の実現と起きて
欲しくないできごとが逆転するのです 本来いかなる方法をもてしても常人には達成できない変身という大業をたかだか自身一人の不幸や発狂程度が原因で成し遂げられてしまうかも知れないという奇怪な不安をしかしここでこの文章を読んだ人間は持つ事に成功するのです。不安に感じるできごとが頭の中で何度も再生され自分はそうなってしまうのではないかとつい思うーここに本質的な希望、「人間が変身できる」という希望ーそしてここで本来人間社会においては決して考える事を許されない考えー「森の中で仕事等の苦悩から逃れ最強の獣として悠々と生きる」といった風に実際に自分がなるというできごとが自分の人生の上にも本当に起きるかも知れないという考えが浮かぶ事が許されそうならないように自分は努力しようという社会的に見ると謙虚な努力が生じるようになるーこれらから考えてこの話は巧妙に組み上げられた、この話を見て反省するものにとっては社会的に容認される方向の努力を促進される警鐘としての意味を持ち反省できなかったり反省してもそれでも努力できず生活への不満を捨てられなかったり精神が不安定になってしまった人間にとっては自身の肉体的変質という奇跡か自由な生活への劇的な変化いずれかが促進されるどのような人間にとってもどのような状態の人間にとっても有用な文章だと考えられるのです。

1600字くらいあります。
助けになるかどうかは分かりかねます。


山月記の中で虎に変化した李徴は自分の事を卑下し自分は尊大な羞恥心などの良くない心根によって自分の外形が内心にふさわしいものに変えてしまったと嘆きましたが実際の所彼が詩人として名を成した結果したかった生活というものは正に彼が虎に変化した結果としてするようになった生活なのだと思います。
この話の中において一貫して李徴が虎に変化したできごとは不幸として扱われていますが私はそうは思いません 彼は生活のため地方の小役人に就...続きを読む

Q叢中の意味!

山月記で 叢中 というのが出てきたのですが、国語辞書でもyahoo辞書でも意味が出てきません!叢中の意味わかるかた教えてください!

Aベストアンサー

先ほど、誤字があったのに間違えて投稿してしまったので、、、

もう答えは出ていますが、、、
例えば、「叢中」でしたら文章の流れで「中」の意味はわかりますよね?普通に考えても、なか(中)です。
そのときは、国語辞書で「叢中」で引いて意味を調べるのではありません。漢和辞典(新字源がお勧め)で「叢」を調べます。そうすると「叢」=くさむらの意味が書いてあります。そうすると、「叢中」は{くさむらのなか}という意味になります。
漢文を勉強するときは、漢字を勉強するようなものです。
勉強の仕方を変えないと、この先も行き詰りますよ。
(因みに大学が漢文学科卒業で、予備校で漢文教えていました)

Q『ホンモノのおカネの作り方』

「ホンモノのおカネの作り方 岩井克人」についての質問なのですが、
第1段落の『どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい』とありますが、なぜ
『これ以上詮索してもしようが』ないのでしょうか?

Aベストアンサー

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
 そして第三段落で「ホンモノのおカネに似せるものではなく、ホンモノのおカネに変わってしまうこと―それがホンモノのおカネを作る極意なのである」との結論を導き出すことになっています。
 問題にある「これ以上」の「これ」は「モノとしてのおカネを作るための方法について」を受けるものではなく、「似せカネが示す意味」のことであって、それに関してこれからお話ししますよとの意味で使われている指示代名詞です。
 国語の試験でこの文章が出されたならば、「内容の是非について貴方はどう考えますか」との趣旨ではなく、この文とその前後にある文および文章の関係を説明して下さいとの意味ですから、そこは切り離して考えてみてください。
 この小文が本全体の中で示している内容は「なぜニセガネを作る必要があるのかとの形而上学的な(哲学的な)問い掛けか経済活動の中で示されるホンモノのおカネの作り方(おカネが持つ意味やそれによって示される実質的なメリットやデメリットなどの問題)」について冷静に考えねばならないとの視点の提示につながっていくこととなります。

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
 そして第三段落で「ホンモ...続きを読む

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む

Q公務員に向いている学部は?

現在高校3年の女子です。今まで将来の事をあまり考えずに
興味が湧いたからというだけで慶應と早稲田の文学部を志望してたのですが、
改めて将来のことを考えると、結婚する気がなく、できれば生涯働きたいと思っているので
公務員を目指してみようかなという気持ちが出てきました。
そこで公務員試験について調べたら、経済や法律からの出題が多いようなので、
志望学部を変えようかなと思い始めました。
こういった観点から考えると、経済学部と法学部だったらどちらの方がよいのでしょうか?
親に相談したら、「お前はやりたくないことに向けて努力できる性格じゃないから興味のある学部にした方がいい」と言われてしまいましたが…
この時期に学部に迷ってるというのはあまりいい事ではないと思うので、
なにかいいアドバイスがあったらお願いします。

Aベストアンサー

 「公務員」というのは役所に勤める行政職ですよね?
でしたら、よく有利と言われるのは、仰るとおり、法学部と経済学部です。が、この2学部において公務員試験受験に当たってどちらが有利かといえば、どちらも大差ないです。ただ、経済学部は数学を使う場合があるのでその点は考慮する必要があるでしょう。意外に見落としがちなのですが。(また、以前こちらで見かけた回答では「法学部」の方を薦めている方もいらっしゃいました。一つの考えということでご紹介しておきます。その方は、民法の勉強が大変だったそうです)法律か経済か、興味のあるほうでよいでしょう。邪道ですが、単に公務員を目指すのならば、入試段階で入りやすいほうの学部でも良いのかもしれません。

 それから、ひとつ注意点を。
 お調べになったとおり、行政職の公務員採用試験、特に「専門試験」と言われる物は法学や経済学、政治学といった分野からの出題が圧倒的です。なので、「とっかかりやすさ」で言えば、法学部や経済学部の方が有利なわけです。しかし、「とっかかりやすさ」はあるにしても、大学の講義がそのまま採用試験に結びつくか、というと必ずしもそうではないそうです。公務員試験の受験者は公務員試験用の予備校に通う場合が多いです。

 なので、もし文学部の方に興味があるのならば、文学部へ進学した方が良いでしょう。文学部から公務員になる人も多いです。No1の回答者の方のお話の通り、4年間も勉強するわけですから、自分がより興味のある方を選択するのが良いと思います。

 以上です。何か疑問点あれば補足してください。

 「公務員」というのは役所に勤める行政職ですよね?
でしたら、よく有利と言われるのは、仰るとおり、法学部と経済学部です。が、この2学部において公務員試験受験に当たってどちらが有利かといえば、どちらも大差ないです。ただ、経済学部は数学を使う場合があるのでその点は考慮する必要があるでしょう。意外に見落としがちなのですが。(また、以前こちらで見かけた回答では「法学部」の方を薦めている方もいらっしゃいました。一つの考えということでご紹介しておきます。その方は、民法の勉強が大変だっ...続きを読む

Q(数研出版、数ii)教科書の章末問題の解答解説がのっているサイトはありますか? 教科書は、解答しか載

(数研出版、数ii)教科書の章末問題の解答解説がのっているサイトはありますか?
教科書は、解答しか載っていないので、少し難しい問題があって困っています。

Aベストアンサー

教科書ガイドによって違います。買う予定であれば、とりあえず本屋さんに行って教科書ガイドを手に取って中を見るべきです。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A