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今どうなのかは詳しく知りませんが、昔の貨車の一部には側面に「大」とか「北」とかいった漢字一文字が大書きされているものがありました。
おそらく管理局の名前を記したものだと思うのですが、どういう理由やルールでそれを書く車両を決めていたのでしょうか。
書かれている貨車の種類は有蓋車、無蓋車、タンク車、車掌車など特に種別を問わなかったと思います。

またあの書体はかなり妙なデザインで、特に「名」など何と書いてあるのか長い間分からなかったほどですが、そのような書体にした理由は特に存在するのでしょうか。

A 回答 (3件)

多分、鉄道管理局だと思います。


「名」だけは象形文字、他は丸ゴジック体だったと思います。
ただ、管理局名がある車両、無い車両様々。タンク車や特殊貨車は、石油会社名や化学会社名。
私鉄の貨車は、鉄道会社名と社章だったと思います。

ご存じのとおり、国鉄時代の貨物輸送は、拠点間輸送とヤード方式の二本立て。
ヤード方式では、貨車の運用は定めず、空き車両を適宜運用。
故に、管理局名の入った貨車や私鉄の一般貨車は、荷を運び終えたら、回送で元の所属に返す意味だと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/08/04 06:35

国鉄時代の貨車は、スーパーのカートと同じで必要な時に使って


そうでないときはそのまま放置・・・という方法で使われてました。
検査の時期が来たものは、近隣の工場に回送して検査してたん
です(なので、農産物の集荷時には「貨車が足りない」と言う悲鳴
が全国で飛び交っていたんです)。

ですが、特殊な用途の貨車(タンク車とか)は、使いっぱなしだと
出荷側で貨車が足りなくなるので、そういう貨車は車体に○○駅
常備と書かれており、そういう貨車はヤードで遊んでいたら、元の
常備駅に返す手配をしてたんです。

同じように、汎用の貨車でも「特殊な用途に使っているもの」で、
管理局外に持って行かれると困るもの(セメント袋を専用に運んで
いた名古屋局のワムとか)は、所属区も大書していたものと思い
ます。

何にせよ貨車は「所属を明記しておかないと、その時の状況で
使い終わった場所の荷主が勝手に使っちゃう」のが常態化してた
という状況を了解して、色々な記号を理解すると良いと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
お礼が遅れまして申し訳ございませんでした。

貨車はそういう運用をしていたのですか。
ただそれだと走行距離とかの記録は貨車自体に持たせなければ把握できなくなりそうな気がしますが、そんなものをぶら下げているとは聞いたこともありませんしどうしてたんでしょうね。

またそういうことだとすれば、この措置はある地域に貨車が集中しすぎて留置場所が無くなるような事態を避け、各管理局に分散させるという意味もあったのではないかという気もしました。

お礼日時:2014/08/07 21:03

>それだと走行距離とかの記録は貨車自体に持たせなければ


>把握できなくなりそうな気がしますが、

そのころの貨車の検査は、走行距離でなく、単純に期日だけ
(確か1年1回)で管理していたので、走行記録は不要なんです。
検査期日は台枠にペンキで書かれていましたから、操車場に
いるときに目視でわかったんです。

でも、地域間急行(もう、そういう種別は無くなったけど、要は
一気に長距離を走る貨物=今の貨物の多くがそうです)の運転
が始まって、期日だけの検査じゃね・・・ということになって、
貨物列車として編成された状態で、運用前に一通りの検査を
しつつ、車掌業務も行う「列車掛」という職種が生まれたんです。

ちなみに検査期日は今の貨車にも書いてありますから、目にした
時に探してみて下さい。

>この措置はある地域に貨車が集中しすぎて留置場所が無くなる

実際そういうこともあったそうで、「隅田川が満杯なので新鶴見
に回送」なんてことは結構あったとか。割と「行き当たりばったり」
でやっていたんですね、昔の貨車運用って。

だから「返せよ~」と言う意味で、所属管理局を大書したのかも、
という考え方は意外に当たってるかもしれません。何せ「名古屋」
は大幹線の中間ですから、一度持って行かれると九州と首都圏を
往復しちゃって全然帰ってこない・・・なんてありそうですし。
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この回答へのお礼

>そのころの貨車の検査は、走行距離でなく、単純に期日だけ
>(確か1年1回)で管理していたので、走行記録は不要なんです。
>検査期日は台枠にペンキで書かれていましたから、操車場に
>いるときに目視でわかったんです。

なるほど、そうだったんですか。
まあ確かにその方が合理的であるという気もしますね。

>実際そういうこともあったそうで、「隅田川が満杯なので新鶴見
>に回送」なんてことは結構あったとか。割と「行き当たりばったり」
>でやっていたんですね、昔の貨車運用って。

こういう事をやっていたのでは貨車が一体何両必要なのかどころか、現時点でどれだけ存在するのかどうかすら把握できていなかったのではないかと疑いたくなります。

まあ無駄の多かった国鉄ですが、それでも私としてはEF65やEH10の牽く長大貨物列車が次々通り過ぎた時代がやはり好きですね。

お礼日時:2014/08/13 19:24

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