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浄土教について、くわしく知らない者ですが、
「死後、極楽に行ける」と言う教えのあるということを聞きました。

「平安時代に広まった浄土教・・・」という流れで、その話を聞きました。

苦しい民衆たちは、「だれでも死後は救われる」といったような説法を聞いて、それを信じて、

「死んだら極楽だったらば、今の苦しい生活と さっさとお別れして天国に行きたいから、自殺しようか」・・・などといった風にならなかったのだろうか? と疑問に思いました。

いろいろな宗派があるとは思うのですが、
これらの宗教では ”自殺防止” のために 
・・・それを禁止する教えですとか、 そういったものはあったのでしょうか?

もしもわかれば、
浄土宗
浄土真宗
・・・など、宗教ごとの事情の違いもわかるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

 親鸞による浄土真宗(一向宗)に限定し、さらに私の個人的な解釈を多分に入れた回答になりますので、その点をご了解いただき、斟酌してくださると幸いです。



 親鸞の教えは「誰でも既に阿弥陀仏に救われているよ、だから何も心配ない。ときどき、阿弥陀仏に感謝して『南無阿弥陀仏』と唱えていれば充分だよ」というものです。ブッダの自分で真理を悟る自己救済から一転して、全てを阿弥陀仏に任せ、念仏は修行ですらなく、しかも死後は極楽浄土しかないのですから、大転換といえます。

 なぜそこまでしたのかということになりますが、当時の民衆の困窮によるものです。貧しい人々は、食うにも着るにも住むにも事欠き、文字はほとんど読めず、生活のためには仏教が禁じることもせねばなりません。生きていても辛い上、死んだ後も地獄行きだと思えば、絶望します。絶望はただでさえ短い寿命をさらに縮めますし、そもそも生きていても何も嬉しくない。

 それなら仏道を修行して、なんてことは無理なわけです。ひたすら念仏を唱えるというシンプルなものでも無理です。起きている間は生きていく糧を得るために働き詰めで、何とか晩ご飯を食べられたとしても疲れ切っています。睡眠時間を削って長々と念仏を唱えるなんて無理ですし、やれば翌日は充分に働けなくなります。

 そういう状況の人は絶望しています。そこで、「もう救われているんだよ。だって阿弥陀仏が全ての人を救う誓いを立てて、そうしているんだから」と教えたわけです。それが信じられれば、死後の地獄という無駄な重荷を下ろすことができ、少しは心に余裕が持てます。親鸞がやりたかったのは、そのことだけです。

 もちろん、それを捻じ曲げて解釈する者は現れます。実際に、極楽浄土へ早く送ってやる慈悲、と称した殺人がありました。親鸞はそのことを含め、「もう救われているのが確定なら、悪事はやり放題やっていいのか?」という問いに対し、「毒消しがあるからといって、毒を飲んでいいことにはならない」と答えています。

 他力救済、他力本願を教えたのは、それしかないからです。暮らしは苦しいのは何ともならぬが、死後のことまで心配しないで欲しい、そんなことで絶望しなくていい。そういう願いが込められているわけです。

 教えは千言万句を費やしても教え切れるものではありませんし、誰にでも分かるように平易に、簡単に教える必要があれば、要点だけしか伝えられません。揚げ足を取ろうとすれば、いくらでも取れます。

 ですので、「心配している死後についてはこうだよ、後は常識通りでやりましょう」という受け取り方をしなければなりません。悪いことはしないほうがいい、天寿を全うせずに死にたくはない、といった当たり前のことは守るというのが前提としてあるわけです。
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この回答へのお礼

まあ、たしかに…。
今回の質問も、揚げ足取り的疑問」を解消しようと思って 投稿したものでした。

一つには、親鸞の切り返しですね…。

まあ 「常識を持って判断せよ」というのが、一番の答えでしょうか…。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 15:48

仏教は、基本 輪廻転生を真理としていますから、死んだら極楽ではなく、死んだら、またその以前のカルマを引き受けるわけですから、自分を殺して極楽などは有り得ませんし、成仏できないのではないかと考えますが。

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この回答へのお礼

カルマという考えもありましたね…。
ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 15:45

ならば「さまよっておられます」という僧侶の言葉は口から出ないということになるけどね。

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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 15:45

死後の行き先は、極楽だけでなく地獄もあります。


善行を積んだ者、労苦に堪えた者が極楽に行ける
のであり、「死んで極楽に行った方が楽(人のために
役に立たずに)」という考えが、善行であろうはずが
ありません。
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この回答へのお礼

たしかに。
そういう考えですよね。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 15:49

私も浄土教には詳しくないです。



法然は善導が自殺したと考えていたようです。
史実だと違うらしいのですが、詳しいことは知りません。

なにはともあれ自殺の問題はあります。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 11:19

ちゃんと信仰して、生前やることやって死んだらの話ですよ?



「信じる者は救われる」=「信じなきゃ救わない」
で信仰を測るのは何か?それは「お布施」

地獄の沙汰も金次第。です。
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この回答へのお礼

「やることやって死んだらだよ」という 「条件」は、教えには 明記されていたのですかね・・・。

その辺のことを、知ることができたら、助かります。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2014/08/29 11:20

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