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家庭のオーディオって、録音されたものを再生するのが今では主流だと思うのです。
私が生まれる前は、生録や録音コンサートがたくさんあったみたいですが・・・。

録音会場の音をそのまま再生することはむりだと思うのです。
それでも、生々しさを感じることはあると思います。

その生々しさも、感じる基準は人それぞれだけ思います。

超低音、音の余韻、ホールの残響音、楽器そのもの音色、
目の前にそびえたつボーカル・・・。色々あると思います。

どんな再生ができたときに生々しさを感じるでしょうか。

A 回答 (9件)

こんにちは。



『その生々しさも、感じる基準は人それぞれだけ思います。』
その通りです。

思っている回答と違うかもしれませんが。
「生」と「生々しい」に違いがあります。
「生」はリアルタイムにしか存在しません。
一方「生々しい」は過去の体験の喚起による追体験です。今起きている現実の体験には使いません、それは生そのものですから。
過去に体験(学習ですね)してないもの(初体験)に対しては「好ましい」とか「嫌な」とかに係わらず「生々しい」という感覚は起こりません。
これは、追体験を拠り所とする芸術作品全てに共通です。

従って、生録会の再生は少々音が悪かろうがモロに体験を呼び起こしますので、それを録音した当事者には生々しいのです。

オーディオ装置で市販音源を聴く人にとっても、その人の経験によりホールの響き方とか楽器の奏法や演奏雑音とか各人それぞれの箇所で「そうなんだよね」という共感を呼べば、「俺の思いとは違う」箇所が多く有っても、「生々しい」音なのです。
以前の質問『音響のプロや演奏家はオーディオに凝らない?』の続回答にもなりますが、音響のプロや演奏家は体験を収めた引き出しが格段に多い、それ故チープと思われるオーディオ装置でも必要な追体験ができてしまうのです。
『一を聞いて十を知る』という故事がありますが、これも『打てば響く』豊富な体験知識の所有者を褒めた言葉ではないでしょうか。(この故事は、ついでに『一を聞いて以て二を知る』と謙遜に見せかけた自己アピールであることも面白いのですが・・・。)
生々しいとは、一を聞いて十を知る状態を指すのでしょう。

従って、
『どんな再生ができたときに生々しさを感じるでしょうか。 』
自分を追体験させてくれる再生ができた時。が回答です。

そのためには、生を多く体験しておかなければ、追体験可能な材料が少ないということになるでしょう。
体験は生演奏でなくても、どこかのジャズ喫茶で聴いたとかでも、「あのジャズ喫茶で鳴ってたな」という生々しい記憶を蘇らせる事は可能でしょう。
あるいは、自宅だけで聴いてたとしても、久しぶりに聴いていて始めてその音源を聴いた時の感動『あの時この音に感動したんだ』が生々しく蘇るかもしれません。
それがあなたにとって好ましい『生々しさ』かどうかは別ですが・・・。

生々しさは過去体験とそれをどう喚起してどれだけ追体験に活用できるかという事に掛かるのでしょうね。生々しいのは今鳴っている音ではなく、蘇り展開する記憶です。
 

この回答への補足

no.1様の一番最後の文章にも通じている内容だと思いました。
その場にいることが「生」でそれを再生するときに「生々しい」っと思いますよね。

私も学校祭とかで演奏したテープを聴いたとき、ひどい音なのに「生々しい」っというか感動がよみがえりましたね。

(前のIDですが・・・)以前の「プロはオーディオに凝らない」は、プロの方はつねに生に接しているので、同じ装置を聴いたとしても、私には想像できないくらい色んなことがわかるんですね。

確かに、聴いたことがない楽器で再生音の調整はしないですよね・・・。
生演奏にあまり接していない私は、引き出しが相当狭いと思います。
引き出しは大切ですよね。

一を聴いて十を知るのが「生々しい」ですか。

まったく予想外の回答でした・・・。

補足日時:2014/09/27 17:22
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 17:22

このところ写真を例に引いてしまう事が多いのですが(笑)、写真も見た目の写実性よりも記憶に残る心象を更に深めてくれるものに感動するものです。



記憶に残る心象というのは決して写実的な画像とは限らないもので、心象を深めてくれるものは写真でなくとも、例えば Gogh (Vincent van Gogh) や Monet (Claude Monet) みたいな Touch の絵でも構いません。

Audio の場合は極めて Noise や歪みのない Wide Range の再生音でなくとも、小さな Radio からの音のようなものでも、過去の体験を呼び起こして更に深い感動を得させてくれるものです。

A No.5 John_Papa さんの言葉……『追体験』と『一を聞いて十を知る』が Key Word ですね。

どのような体験でも良いのですが、A という Concert の CD を聴いた時、過去に体験した B という Concert の様子が目に浮かんで「あの時、あの Hall の、あの位置で演奏されているみたいな……で、この演奏家はこんな感じで……」といったように過去の自分の体験に重ね合わせて今聴いている曲の Image を再構成する……その Image を追っていく中で 1 つ 1 つの音をより深く、細かく感じ取って新たな音を見い出す……Image は『追体験』ですが、新たな音を見い出すという点で 1 が 2 にも 3 にも進化します。

生録の場合は録音に失敗しないように神経を尖らせ、音そのものも演奏家の音源や録音機の Level Meter を見つめながら必死に Monitor していたりしますから、Original の体験値が非常に豊富なものになっているのですが、その再生時にはそうした豊富な体験が蘇りますので生々しさもひとしおです。

でも、そこから『追体験』を 1 から 2 へ、2 から 3 へ増やして行くのは生録であろうと他の録音 Media であろうとあまり違いはありません。……特に 3 度目、4 度目の再聴ともなると新しい音を見い出せる量は市販 CD Media と大差ないですね(汗)。

Audio 機器の再生音はどれほど変更しても CD などの Original Source は何時でも変わりなく、そこにあるのですから、元の音に戻せます。

そのため Audio 機器の再生音は様々に変化させることができ、生々しさを感じる音も『追体験』の元となる体験数が多ければ多いほど、様々に変化させた音から生々しさを感じられる音に出遭う確率も増えてきます。

極端な例を挙げれば、単一の楽器音をもっと聴き込みたいために Tone Controller で他の音域を Cut したり、Super Woofer を外して敢えて帯域の狭い Full Range Speaker Unit のみにしたりすると、そうしなかった時には気付かなかった音に気付いたりすることがあるもので、そこで気付いた音を記憶にとどめてから Tone Controller や Speaker の組み合わせを元に戻した状態で聴き直した時にはそれまでとは違った生々しさを感じられるものでしょう。

室温、湿度、体調は常に異なるものなのに常に同じ System 環境で聴き続けるよりも、その時に聴いてみたい部分を敢えて強調して聴いてみたり、音調を変えて聴いてみた方が新たな音を発見し易いものですし、過去の別の体験が蘇って『追体験』に結びつくことも多くなるものですよ。

たまには System の状態を変えてみる……これも新たな生々しさを体験できる早道です。

ちなみに私が体験した中で一番「1 から 2 へ、2 から 3 へ」と新たな発見が次々と出てきた生録は、高校生の時に友人と共に近くの寺に行って SONY ECM2021 Microphone を付けた NAKAMICHI 550 というデンスケで除夜の鐘を録音した Tape でしたね。

参拝する人に鐘突きを解放していた寺で、鐘を突くために並んでいる人々のざわめき、御神酒で良い気分になっている人の声、寒さで歯をカチカチ言わせていた友人の吐息……安価な Electret Microphone を付けた Cassette デンスケでの録音ですので鐘の音自体は大した音色に録れているものではないのですが、雑音に埋もれながらも意外に細かい音まで収録されており、聴き直す度に鐘の音以外の様々な情景が見えてきて面白かったですね。……勿論、そんな細かい音を聴くためには Tone Controller をいじり、Tape Equalizer を変え、Noise Reduction も外して、 Audio 的には敢えて Balane を崩した音にしなければならないのですが、そうやって見つけ出した新しい音を Image しながら再度 Balance を戻して聴いてみるといったことを何度も繰り返した Tape でした。

素敵な Audio Life を(^_^)/

この回答への補足

john-papa様の回答に、HALTWO様の考えが入った内容に感じました。

その新たな発見をするために、その時々で音源の効き方をかえた方がいい場合もある。っということでしょうか・・・。

引き出しを増やすことがやはり重要なんですね。

しかし、その「引き出し」がない場合は、
自分の感性やこんな音だろうっという予想で音を聴いて、
生々しいと思えるようにするのでしょうか・・・。

私は生で聴いたことがない楽器でも違和感を感じずに音楽を楽しんでおります。
例えば、私はソプラノサックスの音を生で聴いたことはありません。
しかし、私の好きなミュージシャンはたまにソプラノサックスを弾いておりました。
そのLPを聴くと、生々しいっというか、いい音だなぁ良い曲だなっと思って聴いております。
引き出しがない場合は、周りの楽器が不自然のないようになっていれば、
聴いたことがない楽器でも大体の予想をつけることは可能っとうことになるのでしょうか。

john-papa様とHALTWO様の言っていることは、間違いなくそのとおりだと思っています。
うちの母親は、テレビもラジオを視聴しないです。

なのに、ヘビィメタル、しかもベースソロがある曲が大好きです。
73歳になったいまでも、車の中でヘビィメタルをガンガンにならしております。
それは、私が毎日ガンガンヘビィメタルをかけながら、ベースを弾いていたので母親が好きになってしまったんだと思います。

補足日時:2014/09/28 11:42
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/28 11:42

はじめまして♪



「生々しさ」に関しては、ヘタな録音でも、手を加えすぎず、素直に録音した音源は、やはり生々しい、と言いますか、音の鮮度は良い、と思いますねぇ。
(あくまで、個人的感想に過ぎません。)

プロが仕上げたパッケージメディア等の音源、これらのか中には、本当の生演奏では聴く事が出来ない、生よりも生々しい、リアル感が含まれている音源も少なく有りません。


るまり、本物の生演奏、リアルサウンドと、再生音は全く別もの、と考えていますよ。

生演奏を自宅で楽しむ、というのもオーディオ的な一つの目標では有るのでしょうけれど、現実は演奏会場とリスニングルーム、空間のエアボリュームが違い過ぎますから、シンプルに録音し、それを再生しますと、音の鮮度は非常に良いのですが、なかなか納得出来る音源は得られにくい、、というのが事実ですね。
このため、プロのレコーディング、編集、マスタリングなど、多くの専門技術者が高度な機器類も使いこなして、再生時により好ましい音が得られるように心血を注いだ音源は、「生演奏」とは別な「再生」の為に仕上げた音、と考えて良いでしょう。


古いオーディオ評論家で「菅野氏」がユニークな発想を残してくれています。
実在するものを写真撮影する専門家が「写真家」ならば、実際の演奏を録音する専門家は「レコード製作家」で、それを高度に再生する人は「レコード演奏家」という概念です。

私も、オーディオに関しては子供の頃から興味を持って、長く楽しんでいますが、やはり、一時期は「生々しい音」や「生と思える音」はどういう音なんだろう、、、と「音/サウンド」に対しての興味が先行していた時期が有ります。今は耳に聞こえる「音/サウンド」ダケじゃなく、「音楽」という、音を利用した感情表現を主体に考えるように成って、やっと、「音だけ聴いて、音楽を聴かない、オーディオバカ」から、ちょっとだけ進歩したんじゃないかぁ?? って 思っています(笑)


考えてみれば、物理的な「音」が、生々しいとか、感情を動かすんじゃなく、音楽全体の中で、音が関わってこそ、生々しいとか、擬似的だなぁ、って、聞いた人の感情が判断しますものねぇ。
(これに気がつくまで、私は10数年かかった、、 かな?)

この回答への補足

元上司から、生録会で録った「北村英治さん」のフルートを聴かせてもらったことがあります。
非常に素直な音だと思いました

おっしゃるように、生では聴こえない。っという録音のCDも沢山あると思います。
ヴィーナスっというジャズレーベルはまさにそのような音だと思っております。

「レコード演奏家」ってありましたね!
高級なオーディオ機器をみれる。っという意味ではとても楽しみな記事でした。

私は今まさに、オーディオの迷路のまっただ中です・・・。
なので、今日も2千5百円でARっというメーカーのスピーカーに搭載されていた、っというツィーターをみつけて購入してしまいました。どこにもARっという文字がないですし、ARのスピーカーを検索しても、こんなツィーターはないです。しかし、音のつながりはいいです。
・・・なんてことを言っている時点で私はまだまだなんだと思います(泣)

私はオーディオに興味を持って20年ですが、ここ2年くらいで色んなことを学んでいます・・・。
初心者の気持ちでおります。

補足日時:2014/09/27 20:15
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 20:16

各音の明瞭度ではないでしょうか?


例えばボーカルが空間にくっきりと浮かび上がってるような状態だと
おおっ!て思ったりもします。

あと各楽器の前後感がよくわかるように定位してるのも生々しく感じます。


関係無いのですが、AMラジオで流れてくるアナウンサーの声はやや膨らんだ音になります
実際(マイクを通してではなく)喋ってるのを目の前で聴くと、その膨らみが無いんですよね
ホントのリアルの生声なので

オーデイオ的な味付けの中での生っぽさは各音の明瞭度だと自分は思ってます
あくまでもバーチャル的な生っぽさと解釈しているので

この回答への補足

バーチャル的な生っぽさ。
オーディオを割り切って考えるとそうかもしれません・・・。
回答が色々なので、とても楽しいし勉強になります。

楽器の距離感がわかるような音ですか。
no.2様の回答と少し似ているようにも感じます。

空間で、ボーカルが浮かび上がり、楽器が後ろに鎮座しているような感じでしょうか。

音が明瞭で、ちゃんと録音されていなければ、えられない感覚ですね。

補足日時:2014/09/27 17:35
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 17:35

>どんな再生ができたときに生々しさを感じるでしょうか。



まず劇場やライブハウスで聞く音は、たいていの場合
生の直接音とマイクで拾ったPA音が合成されて
聞こえます。
各楽器やボーカルの集音はマイクまでの距離が1Cm
から1mと極端に近いので、ワンポイント録音でもない限り、
距離感がありません。
それをミキサーがエコーなどの処理で音の広がりや
距離感、会場の多きさなどを作り出しています。

生々しさを感じ取る被験者が音楽をどういう設定の
元で試聴をしたかで、まったくその再生方法が
変わってしまいます。

また、CDなどへの録音はその方法次第で
好き嫌いが大きく左右されてしまいます。

たとえば映画の録音で、現場でのダイレクト録音と
アフレコではその雰囲気がまるっきり違うように
音楽録音でもその手法次第で再生機器を選んでしまうといった
お粗末な結果にもなります。

やはり生々しさを肌で感じるのは卓越したミキシングとレコーディング
で録音されたDATAを味付けのない再生装置でダイレクトに
聴いたときですね。
よいミキシングはマイクの存在を忘れさせますし、
よい再生装置はスピーカーの存在を忘れさせてくれます。

この回答への補足

録音は確かに・・・あまり聴きたくないものもたまにあります。

私は、1950年代のジャズ、それとアコースティックとは程遠い
ハードロック、ヘビィメタルを聴いております。
聴く音楽、CDの録音環境によっても、
再生システムが変わってきてしまいますよね。

現代じゃなくても、1970年代になれば、
LPの音も飛躍的に良い音が増えている気がします。

よいミキシングはマイクの存在を忘れさせて、
よい再生装置はスピーカーの存在をわすれさせてくれる。
なるほどです・・・。

私はどうしても古い録音を聴いているせいか、
スピーカーの存在を消すっというよりも、
いままでは個性的に鳴らしてしまっていました。

もう少し個性を抑えた方が好ましいのではないかっと
最近になって思うようになりました。

補足日時:2014/09/27 18:05
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 18:05

各楽器の音、ボーカルどれもが目の前にあるようなスピーカーから出ているとは思えないような自然な感じですね。


そして、肌で感じる音の振動・・・
これも無いとダメですね。

それでも、目の前でバスドラムなどを叩く音(音圧)を100%再現するのは無理に近いでしょうけどね。

この回答への補足

非常にわかります。
ドラムの音圧を家庭で再生するのは難しいですよね。

そして、ただ大音量なだけではなくて、
自然な音でありながら、
肌で振動を感じるような音ですか・・・。

私もそのような音を出したいです。
最高の喜びが得られる気がします。

補足日時:2014/09/27 16:50
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 16:51

>私が生まれる前は、生録や録音コンサートがたくさんあったみたいですが・・・。



今でもジャズやクラシックは生録、コンサート録音がほとんどです。ポップスのような加工音は少ないです。録音以外の再生が出来るオーディオは、昔も今もありません。録音技術が進んだ今の方が生々しい録音再生が出来ます。原音忠実再生と言います。昔は技術が劣っていたので出来ませんでした。例えば今は常識のステレオ録音再生も出来ませんでした。生々しさは低音や残響音ではなく、演奏会場の空気感でしょう。目をつむって聴いたら、目の前にステージやコンサートホールが広がっている感じです。低音や残響はいくらでも加工できます。無理にやると生々しさが損なわれます。人工音、機械音になってしまいます。ロックなどほとんどそれです。生々しさには原音忠実再生が出来なければなりません。より高価な再生装置を使えば、よりそれに近くなります。安物では駄目です。哀しいながらオーディオは金がものを言う趣味です。

この回答への補足

質問が紛らわしかったです。申し訳ありません。
「生録会」や「録音機を持ち込んでの小さなコンサート」っという意味で書きました。

「加工音」だとしても、私は16歳から10年間ロックバンドをくんでおりました。
高校生の趣味レベルですが、ギターアンプやベースアンプからでているような音が、スピーカーから再現されれば生々しく感じることがあります。

しかし、おっしゃるようにあまりにも、人工的な音がすぎると、生々しさは失われると思います。

コンサートホールにいるような、演奏会場にいるような空気感が生々しいっということですね。
それはまさにその通りだと思います。
生の演奏会をあまり聴きにいかない私には非常に耳が痛い回答でございます。

年に数回、素人のオーケストラやジャズライブを見る程度です。
下手したら、年末だけ。なんてこともあります。
そして私は、プロの交響楽団の演奏を大きなホールで聴いたことがありません。
一回大きな会場で、本格的な演奏に触れれば、私のオーディオ感も変わるかもしれません。

補足日時:2014/09/27 16:27
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 21:21

音が見えるという表現法をします。

この回答への補足

弾いている人の配置までわかるような音が再生できたとき。
っということでしょうか。

補足日時:2014/09/27 08:59
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 08:59

>音会場の音をそのまま再生することはむりだと思うのです。


なぜでしょうか?人間の耳は二つしかなく、聴覚範囲も狭い。これに対して同じ感覚を与えることは割と簡単ですよ。
バーチャル空間を作る技術は今では確率しています。今週のゲームショーでも発表されていましたね。視覚を含めた360度のバーチャル空間を再現する機械が。
自然界の音をそのまま再現するのは今ではほぼ完ぺきなのです。でも問題はスタジオ得音されたものと、電子楽器なのです。スタジオ録音には元から空間がありません。これに対して疑似空間をデジタル的に与えているわけですが、楽器が多くなるとミキシングがエンジニアの技量に任されます。これをうまく再生するというのは、元が無いものを再生するのでリアルに聞こえない場合があります。
というかほとんどのCDはそうなのです。マルチマイク、マルチチャンネル、多重録音。
これにリアルを求めるとオーディオマニア的にのめりこむことになるでしょう。答えのないものに答えを求める。だから人それぞれになるのです。
コンサートホールなどの空間に少ない高性能マイクで録音されたものはものすごくリアルに再現できるのです。ただ再現したとしてもその場にいなければ再現できたかどうか判断できませんよね。

この回答への補足

録音会場をそのまま家に持ってくることは今の技術では可能なんですね。

失礼いたしました。

私は、全く技術的なことや知識はわからないので、
そのような深い考えで質問しておりませんでした。

私のような限られた部屋とオーディオ装置で、
どのような再生音で生々しく感じるのか?
っという単純な質問でした。

無知なばかりに不快にさせてしまい、申し訳ありませんでした。

補足日時:2014/09/27 08:56
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/27 08:57

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