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ニーチェの思想を理解している人に質問です

貴族道徳とは、
良いことは良い、悪いことは悪い、快は良い、強いは良いという風に捻りのない価値観で

奴隷道徳とは、
弱者の自己正当化のための詭弁で
良いことは悪い、悪いことは良い、快は悪い、強いは弱いという風に自分を正当化するために価値観を自分の都合良く変えたもの

超人とは
神のように自分で道徳や価値観を自分自身で創造するもの

大体この理解であってますでしょうか?

ここからが本題です。
自分は貴族道徳で生きていきたいのですが、周りの奴隷道徳を他人にも押し付けて自分を正当化したい弱者の詭弁に騙されてしまうことがあります。
物事によっては良し悪しが簡単にはわからないことがありますが、どうすれば貴族道徳と奴隷道徳を見分けることができるでしょうか?
貴族道徳と奴隷道徳を見分けるコツはありますか?

A 回答 (8件)

>ニーチェの思想を理解している人に質問です


そんな人居る訳無い、ニーチェの研究者でも無理。
だって彼は狂って居た、もちろん巨大な文献学的知識を有しており、著作も素晴しい。
だが梅毒による躁状態が次第に彼の思考を極端に持ち上げ「人生の正午」に到達したあと
全てが崩壊してしまった。
だから議論に「整合性」を求めるのは困難だ。
精神分析で有名なユングはニーチェを高く買いその思想を追って多くのものを吸収した。
だが、医師でもあるユングはニーチェの思想の一部、いや多くの部分に病気から来る
ものを見出していた、この辺は「無意識の心理」(旧名、人生の午後三時)人文書院
の前半に書かれている。
現在の社会を「貴族道徳」のみで生きる事は出来ない、こいつは有名な「善悪の彼岸」
に存在し、あなたの言う「道徳や価値観を自分自身で創造する」ことに基盤がある。
そんなこと実社会でやったら、良くても精神科の病院、悪いと「死刑囚」だろう。
>貴族道徳と奴隷道徳を見分けるコツはありますか?
こんなことを言っていたら、いつまでも「道徳や価値観を自分自身で創造する」
立場にはなれない。
「神は死んだ」だから規範は自分の中にしか無い。
「貴族道徳と奴隷道徳」に捕われる者は「善悪の彼岸」へは到達出来ない。
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この回答へのお礼

doc_somdayさん、回答ありがとうございます

ニーチェがそんな状態だったとは知りませんでした。

貴族道徳にそって生きることはできなくても貴族道徳を持つことはできると思うのですが

善悪の彼岸というのは善悪を超えたものという意味でしょうか?超人とは善悪など持たない存在なんでしょうか?

なぜそんなに見分けたいかと言いますと、自分が超人になって自分で価値観や道徳を創造しはじめた時に、自分の気持ちいい価値観を持ちたい、自分で自分を騙すような道徳は欲しくないと思ったからです。
そのさいに自分の作ったものが貴族道徳なら保持して奴隷道徳なら捨ててしまえるようにするには道徳を見分ける必要があると思うからなのです

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/10/05 02:05

>貴族道徳と奴隷道徳を見分けるコツはありますか?



発言者が自分を被害者の立場に置いた発言が多い場合、奴隷道徳になっている事が多いです。

発言者が自分を加害者と認識している場合、貴族道徳となっている事が多いです。


このことは生臭坊主であった親鸞聖人も見抜かれており、所謂悪人正機説に繋がるわけです。
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この回答へのお礼

Mokuzo100nennさん、回答ありがとうございます

なるほど、貴族道徳も奴隷道徳も結局のところ自己正当化しているという意味では一緒なのかもしれないですね。

ここて親鸞聖人の話が出てくるとは思いませんでした。
よければそこのところの話をもっと詳しくきかせてもらえませんか?

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/10/05 02:13

 


>超人とは
神のように自分で道徳や価値観を自分自身で創造するもの

その通りです。


>貴族道徳と奴隷道徳を見分けるコツはありますか?

見分ける必要などありません。
超人になればよい。
「汝超人になるべし」とニーチェは説いたのである。
 

 
 
 

 

この回答への補足

なぜ見分けるコツを聞いたかと言いますと、自分はもちろん超人になりたいと思うのですが
自分が超人になった時に価値観や道徳を自分で創造しはじめる段で、奴隷道徳のような自分で自分を騙すような道徳は作りたくないなと思ったのです。もっと自分に正直な気持ちのいい道徳や価値観を持ちたいと思ったのです。
そして自分の作った道徳が貴族道徳ならそれを持ち、もし奴隷道徳なら捨ててしまえるように、それらを見分けることができる物差しになる基準が欲しいと思ったのです。

補足日時:2014/10/05 01:44
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この回答へのお礼

hitonomichi33さん、回答ありがとうございます。

なぜ見分けるコツを聞いたかと言いますと、自分はもちろん超人になりたいと思うのですが
自分が超人になった時に価値観や道徳を自分で創造しはじめる段で、奴隷道徳のような自分で自分を騙すような道徳は作りたくないなと思ったのです。もっと自分に正直な気持ちのいい道徳や価値観を持ちたいと思ったのです。
そして自分の作った道徳が貴族道徳ならそれを持ち、もし奴隷道徳なら捨ててしまえるように、それらを見分けることができる物差しになる基準が欲しいと思ったのです。

回答ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2014/10/05 01:42

以下のとおりお答えします。



(1)貴族道徳("Herrenmoral"ですから、むしろ「君主道徳」というべきかも知れませんが)
>貴族道徳とは、良いことは良い、悪いことは悪い、快は良い、強いは良いという風に捻りのない価値観で
⇒これはかなり「おめでたい評価」だと思います。「勝利と残虐のあらゆる悦楽」「異民族に対しては、解き放たれた猛獣と変わらない」、「自分の気に入ったことが“善”なのだ」「殺人・放火・凌辱・拷問など身震いするような惨行三昧…」。これらが、貴族たちの「価値」としたことの実態です(『道徳系譜学』)。
このことから、貴族道徳の根幹は、「支配者が、正義の何たるかを決める」(トラシュマコス)にあったようです。

(2)奴隷道徳
奴隷道徳はどのようにして生まれたか。「大衆は貴族制のために、不完全な人間・奴隷・道具に貶められてよいのである」、「天才を生み出す補助機構として、大衆の奴隷的奉仕は必然不可避である」、「権力は、その基底においておよそ横領・簒奪・暴力的なものである…」。こうして、奴隷の存在が当然視されるに至ったのである(『悲劇の誕生』)。

(3)評価
上述により、貴族道徳では「弱肉強食」が賛美され、ヒットラーなどの利用するところともなったのは周知のことです。他方、奴隷道徳では、「愛・従順」の名目の基で搾取を画策し、内面にはルサンチマンの塊りが横溢する…。こういうことは、「どちらがよいか」などと、「2値的」に分けられるものでもないですが、私としては、どちらの道徳観にも与したくない感じです。

(4)超人
>超人とは神のように自分で道徳や価値観を自分自身で創造する
⇒なるほど。「神は死んだ」(実は、「殺された」)のですから、自分で道徳・価値観を創造するしかありませんよね。ただし、好き勝手に捏造すればよい、というわけではないでしょうね。

(5)道徳・価値観の創造
その際、最小限配慮すべきこととして次のようなことあると思います。
(i)つねに他者のそれと接合する姿勢(パースペクティヴィズム)が必要である。
(ii)「より上級の審理を求める」態度も維持すべきである。
(iii)プロセスが重要である。すなわち、道徳・価値観は、「ここまで来れば絶対である、などという領域はない」ということと、「それを探求する過程にこそ意味がある」と考えるべきである。

マハトマ・ガンジーは言ったそうです、「努力への報酬は、結果でなくむしろその努力そのものにある。全き努力は完全なる栄光である」、と。

以上、ご回答まで。
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この回答へのお礼

Nakay702さん、回答ありがとうございます

自分の君主道徳の解釈はどうやら間違っていたみたいです。
君主道徳や奴隷道徳っていうのは比喩ではなく本当に身分によるものなんですね。

5番目の道徳と価値観の創造のところをもっと詳しく教えてもらえないでしょうか?

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/10/05 02:21

道徳は、従うものではないと思います。


自身の中に持ち得るもの。

価値観と言うのでしたら、自身の価値観を見直し
自身の中に構築するものと言えましょう。

自身の持つものが奴隷道徳の範疇に入るものがあれば
貴族道徳に替えてたいなら替えれば、そうなるでしょう。

行き着くとことまで進んで行けば、超人となる。

自身で持てば、見分けるのはそれほど難しくはないでしょう。
それらしいものに従うなら、いつまでも見分けは難しいでしょう。

そう生きたいと信念があれば、時間をかけてでも手に入れればいいと思います。
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この回答へのお礼

kanto-iさん、回答ありがとうございます

自分の持っているものが奴隷道徳なのか貴族道徳なのか正直よくわからないのです。

価値観を持つのは一朝一夕でできあがりませんよね。
全てのことにおいて明確な価値観を持っているわけではないので、まだ価値観ができていない価値観の空白地帯みたいなところに奴隷道徳の詭弁に騙されてしまい、後で気づいて捨てるみたいなことになってしまっているので。最初から判別して奴隷道徳を受け入れないようにしたいと思いまして。

回答ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2014/10/05 02:37

☆物事によっては良し悪しが簡単にはわからないことがありますが、どうすれば貴族道徳と奴隷道徳を見分けることができるでしょうか?


◇この答えは、意外に簡単。
 貴族道徳を「持てる者の道徳」
 奴隷道徳を「持たざる者の道徳」
として考えればいい。

権力、財力・資本、優れた知力、優れた体力、優れた容姿etc.を持つ者を貴族、
これらを持っていない者を奴隷と考えればいい。

ですから、貴族と奴隷の道徳は必然的に異なったものとなる。


でだ、
ニーチェに関して言えば、優れた知力は持ち合わせていたかもしれないけれど、その他のものを持っていないので、貴族にはなれない。
ハッキリ言って、ニーチェは奴隷なんですよ。ニーチェ本人はルサンチマンの塊!!
で、
ニーチェほど愛情に飢えていた人間はいなかった、と言っていいほど、愛情に飢えていた人。
晩年、少しでも彼に好意を示す人に対しては、卑屈と言ってもいいほどへりくだった態度を示していた。

この回答への補足

 

補足日時:2014/10/05 09:06
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この回答へのお礼

お礼日時:2014/10/06 20:56

こんばんは。





・・・ニーチェは、
「・・・狂」、なんですね。






>「自分は貴族道徳で生きていきたいのですが」
(良いことは良い、悪いことは悪い、快は良い、強いは良いという風に捻りのない価値観で)

アブないですね。
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この回答へのお礼

kurinalさん、お久しぶりです。
いつも回答ありがとうございます。

なんだか考えさせられる回答ありがとうございました。もうちょっと説明してもらえたら嬉しかったです。

回答ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2014/10/05 09:14

No.5です。


お礼、ありがとうございます。


>自分の持っているものが奴隷道徳なのか貴族道徳なのか正直よくわからないのです。

と言うことは、自分をよく認識していないと言うことですので
自己認識が低いということをどうやって変えるかですよね。


他の回答からですが
>それらを見分けることができる物差しになる基準が欲しいと思ったのです。

他者の物差しで測ろうとすることは、それがどのような行為かよくよく考えたほうがいいですよ。
自分で自分の扱いをどうやっているかも、認識してなければ危ういです。

本来、貴族道徳や奴隷道徳・超人に固執するとき、超人にはなれません。
他者の理想を掲げるより、自分自身として生きていくことを目指すとき
自分が目指したい自分である方向へ向かうことになります。

自分が自分であり目指すとこを持ち、自分の足で歩くものだけが
自分で道徳を創造するものになれるでしょう。

今の自分を超えて、自身を確立すること。
そのためには、自分を深く理解することが必要になります。

私は、ニーチェもいいところはあると思います。
ただ、他の方も言われているように彼の価値観を
丸呑みしようとしてしまうと人間としての崩壊へ向かうと思います。

自分を確立して、彼の言い分を理解していけば
見えてくるものもあると思います。

哲学者の言うことを誰であろうと丸呑みしない。
自分として、相手の意見や主張を理解することが無ければ
自分が自分の足で立てないことをよく理解すること。

超人という理想を目指すなら、自分を徹底的に理解することです。
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この回答へのお礼

kanto-iさん、再度の回答ありがとうございます。

そうですね。自分で深く深く深く思慮してみます。
他人の意見を鵜呑みにしたら他人の言いなりになってしまいますね。
答えがないものなので難しいですが、間違っていても自分の思想で生きたいと思います。

回答ありがとうございました。またぜひ回答お願いします。

お礼日時:2014/10/05 09:48

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