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No.8ベストアンサー
- 回答日時:
西洋哲学では、アプリオリには自我が存在しないが、生まれた後に自我ができると考えます。
しかし、お釈迦様は、空観、仮観という考え方で、自我を否定しています。
ということで、自我は無くてもよい。無くても、幸せになれる。
自我を作っても別にかまわないと思いますけど、、、。
ありがとうございます。
西洋哲学では環境説を唱えているとのことでしょうか。
それを聞きかじった僕は混乱してしまったのでしょうね。
お礼にかなりのお時間をいただき申し訳ございませんでした。
ご回答をいただいだ皆様に取りましては分かり切った質問であったのかもしれません。
しかし僕に取りましてはとても大切な質問でして、ひとつひとつのご回答を何度も読み返しております。
>しかし、お釈迦様は、空観、仮観という考え方で、自我を否定しています。
京都のとある場所に、四角い迷いの窓と、丸い悟りの窓を設けた建物がございます。
そこから見える景色は同じ庭ではございますが、心に訴えてくるものは異なっておりますね。
自我など無いほうが幸せかもと思いましたが、その境地には達せそうもありません。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.13
- 回答日時:
今日は。
周りに影響されたとして、認識して選択している「それ」は何でしょうか?
そうしていると言うのは思い込みでも、思い込んでる「それ」は何でしょうか?
実体のない「それ」は何でしょう。
名前、付いてないですか?
付いてたらなんだと思いますか?
付いてないなら、何と付けた方がよさそうでしょうか?
心理学を学んで得することは、自分を観ることが
できるようになることだと思います。
自身を掘り下げ、拘りや執着を手放し自身と本質が観えてくるようになる。
知ってるだけならそうなりませんが、やってれば観えてくる。
やり続ければ理解できる。
自分の中に自分の答えがあるのを、心理を学んだ人は知っている。
でしょ?(^ ^)
この回答への補足
皆様へ
ご回答いただき、誠にありがとうございます。
お礼が遅くなっていること、また、お礼が前後することご容赦ねがいます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
「心理学」と申しましても、僕の場合は営業に役立てるため学んだ内容ですから自己に向けてのものではありません。
ふと思いましたことは、ビジネス学は哲学に近いものではないかと過ぎりました。
「それ」とは脳の錯覚だと思います。
そう考え質問に至りました。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
傀儡というより、具体的な個人として現じ、経験し知覚している自分ってその対象たる知覚や経験の内容や結果なのでしょうね。
心身のいろんな部所で受けた刺激や情報って、そこで知覚したり経験しているかのようですが、結局大脳の中の機能で知覚経験しているんじゃないでしょうか。
だから自己っていうのは傀儡ではなく、実はもっと別の存在からのものなのかな。
そしてこの個体で自己を経験知覚していると思っている。
ありがとうございます。
>心身のいろんな部所で受けた刺激や情報って、そこで知覚したり経験しているかのようですが、結局大脳の中の機能で知覚経験しているんじゃないでしょうか。
そうなんですよね。幻肢痛は失った四肢の部位に痛みを感じるというものです。
存在しない部分に痛みを感じる。
不思議なのは事故などで失った場合に限らず、生まれつき備えておらずとも幻肢痛は現れるそうです。
対処といたしましては、そこに自分の身体は存在していないと脳に理解させることが必要となります。
そうして考えますと「実はもっと別の存在」なるものに納得できました。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
> 多角的に考えたいと思いますのでそこをご理解願います。
> 心理学では自我というものの存在を否定してしまいますとその学問すら崩壊してしまいます。
> それで別視点を求めての質問でした。 宗教学では無我などもありますので、哲学ではどういった観点なのかと思いまして。
哲学といっても様々な考え方、立場がある。 「哲学では、自我に関しては一つの考えしかない」ということはないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91
http://books.google.co.jp/books?id=RsfPVurFGYIC& …
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bi …
欲望に関しても、周囲の影響、状況で内容も優先度、緊急性が変わるので、インプリンティングが関係しているといえるでしょう。
自分に関する意識でも、それまでの経験、周囲の影響、状況で内容も優先度、緊急性が変わるので、インプリンティングが関係しているといえるでしょう。
哲学も、他の学問も、宗教などでも、他の諸科学の成果や経済社会の状況に無関係ではいられないです。 脳科学、認識論、心理学、行動科学、医学、介護、社会学、政治学、宗教学あるいは購買消費流行の研究や実践で得た成果が、互いに影響するのではないでしょうか。
> 思考、思想を周囲から植え付けられたものであるとすれば自我など存在しないのではないでしょうか?
《思考、思想を周囲から植え付けられたものであるとすれば》、思考や思想は存在しないのでしょうか。好悪や敵意、敬意、愛情、憎悪、不安や恐怖、希望、志望、野望、欲望も存在しないのでしょうか。多くのヒトは、自分と他人とを別の存在と考えます。また自分と外界、衣服、所有物との境目が意識出来ないひとは少ないです。 自分の手足や顔、頭髪は自分の一部と考え・感じているのが普通ですが、切り離したり換えたり変色変貌したりしても、自分は自分として変わらぬ本質?が継続しているように考え感じていることも多いです。 自我って、おそらく、すっきいりと明確なものではなくて、外延と内包があいまいで状況次第で変わるものです。
自我の獲得、自我の確立、自我の発展、自我の崩壊という表現も可能なのは、そうした事情があるからでしょう。 老人ぼけしている私などは、自我が少しあいまいになっているかもしれないし、もっと進むと、自我を失ったかのような認識、思考状態になるのでしょう。 それでも、他人からは、あの人の自我がどうこうと評されるのかもしれません。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/seishin/
無私、絶対者との関係での自我、相対者との関係での自我、我なんじ関係での自我、
http://books.google.co.jp/books?id=Y8nOSW-8p34C& …
それらだけでは、自我を捉えきることは無理ではないでしょうか。
> 自我など存在しないのではないでしょうか?
自分は何か、自分はどうありたいか、他からの影響にたいしてどうありたいのかを考えようとしているのならば、《自我が存在しない》と考えるよりも、《自我は、現時点では存在するときもある》と考えた方が論理的に妥当だと思います。
胎児や新生児、大人になっても戦いなどに興奮しまくっているとき、気絶しているとき、精神障害を起こしているとき、疾病などで強い苦しみにのたうっているとき、重篤で意識を覚醒させていられないときには、《自我が存在している》とは確認しづらいでしょう。
ありがとうございます。
「自我は、現時点では存在するときもある」
とすれば、絶対的なものでは無いということですね。
なるほど。
>欲望に関しても、周囲の影響、状況で内容も優先度、緊急性が変わるので、インプリンティングが関係しているといえるでしょう。
自分に関する意識でも、それまでの経験、周囲の影響、状況で内容も優先度、緊急性が変わるので、インプリンティングが関係しているといえるでしょう。
やはりそうした面は否めませんね。
日本人にステレオタイプな人が多いことからも「周囲の影響」というものは見逃せないと思います。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
《自我に目覚める》という言い回しも すでに広く用いられていましたね。
回答No.7をおぎないます。
つまり この場合は 《押しがつよい》といったニュアンスを帯びる《自己の特別な重視としての自我》ではなく そうではなくごくふつうに《社会の中にあって〈わたしはわたしである〉と気がついた。さとった》と言っていると思われます。
けれどもこの場合でも けっきょくそのように《わたし》の問題です。
おそらく《わたし》という言葉は 日常において頻繁にごくふつうに用いるので 言わば自己が世の中に埋もれていたとしても言い慣れており聞き慣れた表現であるので 《自己の自覚や自己への到来》といった目覚めにかんしては 連想しにくいと思われたからかもしれません。したがって 自我なら自我という別の表現がつくられ用いられた。・・・
けれども それは 社会のナラハシが《わたし》をめぐって必ずしもそのひとりの人をとうとび合い慣れて来ていないというだけであって そのことに気がついたのなら やはり《わたし》でよいわけです。せいぜい《わたしなるもの das Ich 》という意味です。
押しが強い自我は 《わがまま》ですし 自我に目覚める自我は 《わたしがわたしであること・自己還帰》のことです。
その《わたし》とはどういう存在であるのか? これはまた別の問いです。
ありがとうございます。
「わたしはわたしである」と気づくのは、先に述べましたように赤ん坊の頃です。
母親とわたしの区別にはもう少し時間を要するものだとされています。
>その《わたし》とはどういう存在であるのか? これはまた別の問いです。
それで僕は分からなくなっているのですね。
「自己還帰」
とある歌を想起いたしました。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
こんにちは。
《自我 das Ich 》は 《わたし》のことです。
翻訳がまづいのです。
自我が所有するとか 自我が食べるとか 自我が眠るとか 自我が街をあるく・・・なんてことはありません。すべて《わたしが》です。
エゴーというのも イッヒや 英語の アイ と同じ《わたしが》の意味の言葉です。
こちらは いくらか次の《自我》の用法と似て 《わがまま・欲深いこと》を表わすようです。
つまりひとつだけ 《自我》という言葉で独自の意味を表わすことがあります。
あいつは自我がつよいから 協調性がないとか いや 現代社会を生き抜くにはそれくらいでなくてはならないとか言う場合です。《自己の思いや主張を人びとのあいだで 何とかしてさまざまな手段を使って押し通そうとする》といった意味で 特殊に自我という言葉を当てています。
★ 思考、思想を周囲から植え付けられたもの
☆ としては それらを自分の心のポケットにしまっておけばよろしい。必要なときに取り出して使えば何でもありません。というよりは あまり使い勝手がよくなく 使い出もないと思います。
すべては 《わたし》なる大海のおもてに現われるそれぞれのうごめきです。
ありがとうございます。
>すべては 《わたし》なる大海のおもてに現われるそれぞれのうごめきです。
なんと詩てきな言葉でしょう。
こうした表現には惹かれてしまいます。
「波」
彷彿したのはまさしく「波」でございます。
「翻訳のまずさ」というものはあらゆる面で見受けられますね。
僕は映画が好きなのですが、字幕で鑑賞する際にはそれを如実に感じております。
それにより感動が損なわれてしまうのには誠に残念であるとしか申せません。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
自我を何と定義するかにも因るでしょうが、私なりの意見を述べます。
意識其の物は其の都度に形を変えますが、消える事は無く存在し続けます。
人の表面に現れるモノを自我と呼ぶのであれば、其れは他との関わり(刺激)の中で出て来るもので、別の言い方をすると、我々に表面的に映るモノは、互いが触媒として反応しあっている化学反応の様な物だと言えます。
しかし此れはあくまでも現れ方であり、現し方は人其々に違います。
此の根本の己を己足らしめて居るものが、自我の出所です。
つまり自我は「インプリンティング=刷り込み」ではなく、「生存の為の反応」により「顕在化」したモノだと私は考えます。
まぁ、言葉の定義次第ですが。
ありがとうございます。
>人の表面に現れるモノを自我と呼ぶのであれば、其れは他との関わり(刺激)の中で出て来るもので、別の言い方をすると、我々に表面的に映るモノは、互いが触媒として反応しあっている化学反応の様な物だと言えます。
これなんです。
我々はスキーマを通して物事を見、判断していますが、それを形成したのは他者でしかない。と、するのであれば、そもそも「自分」というものは存在しない。
僕のイメージはこうです。
木の棒を骨格や筋肉などの肉体として、そこに他者が粘土をはりつけ人間を作っている。
しかし、ここで疑問が。
>つまり自我は「インプリンティング=刷り込み」ではなく、「生存の為の反応」により「顕在化」したモノだと私は考えます。
そう、「生存の為の反応」です。
これが西洋哲学でいわれているところの「欲」なのでしょうか。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
「自我は存在するか?」という疑問は、“自分の外”に
物質的な環境が先にあって、その反応の中で結果的に
自分(肉体)が生じた、といういわゆる素朴唯物論が
前提にある。
しかし、そうした「宇宙」は、脳の中の反応に過ぎず、
『そうした脳内の反応は、感覚器官を通じて環境を
正確に映したものだ』という予断に基づいている。
量子論的には、そうした有限的な存在性は観察される
事で派生するものであり、観察者を除外した独立した
存在性は存在しない(=不確定性原理において確率化
する事で無限発散(=無)する)。
即ち、存在性の依拠する時間軸と空間軸において、
「時間軸=時間の流れ=記憶=過去(超光速)=自我仮説」と
「空間軸=空間の広がり=予測=未来(光速下)=時空仮説」
は、「無(=不確定性無限)の潜在としての感受表面=量子
相互作用(光速)=認識可能性」からの対発生しており、
「自我(心としての宇宙)」と「環境(存在としての宇宙)」
は相補的であって、「自我は存在するか?」という問いは、
それ自体が錯覚に由来している。
![「自我は存在するのでしょうか?」の回答画像5](http://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/images/media/2/1225820_5497e3d6b57b3/M.jpg)
ありがとうございます。
>『そうした脳内の反応は、感覚器官を通じて環境を
正確に映したものだ』という予断に基づいている。
それが崩れたとしたらどうなります?
即ち、全ては与えられたものに過ぎず、錯覚・錯誤のみが個体の神髄たるものであれば?
カオス理論によって人は成形されているということでしょうか。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
No.4
- 回答日時:
仮に自我が存在しないとするなら、思考方法や思想を植え付けることは可能なんでしょうか?
私は自我と思考方法および思想は別々の存在であると思います
というのも思想にしろ思考方法にしろ、それらが存在するには、まずそれらを知る主体が必要だからです
そして知る思想や思考方法が自ら考え出したものだろうが植え付けられたものだろうが
主体が必要であることには変わりありません
また、そもそも、植え付けることは可能なんでしょうか?
というのも、思想も思考方法も主体が取り入れようという意志がなければ
植え付けることができないと思うからです
つまり植え付けられる側が協力しなければなりません
ならば「植え付ける」というニュアンスそのものが間違ってることになります
頭の中を強制的にいじくることができれば話は別でしょうが、それはSFの世界です
ありがとうございます。
確かに、サブリミナルもその効果は100%ではありません。
しかしスタンフォード監獄実験の成果は立証されています。
つまり、思考や思想は簡単に操作できると言えなくもないんです。
申し訳ございません。心理学から入ってしまった僕は哲学というものがまだ分かっておりませんので変なことを言っているかもしれません。
両者では少し見解が違っていたりもするのですが、似通った部分もあり混乱しています。
日本は西洋も東洋も混在しているのが混乱に拍車をかけているようにも思えます。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
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