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- 回答日時:
以下↓コピペです。
佛教用語に
「因分可説」と「果分不可説」
というものがあります。
これは
因分、つまり原因となるものは説くことができるが、
果分、結果としてのものは説くことができない、という意味です。
佛教における究極的な目的は悟りをひらくことです。
悟りは結果ですから果分不可説により説くことはできません。
この回答へのお礼
お礼日時:2021/06/03 15:26
早速の御回答ありがとうございます。
質問なのですが、
説く云々の対象は、悟りに限定しているのですか?
あるいは、仏教の宗教行為の全般なのですか?
あるいは、宗教行為ではない広く日常の行為なのですか?
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