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http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10128943 …

私の回答!

質問
悟りを開くとは何ですか?
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q12128919 …

自分自身を
偽りなく直視する事が出来 る事が
悟りであり、

全ての生き物が
自分の近親者の様に感じる事が
悟りであり、

自分自身が
幻想の世界(夢)に
生きている事を自覚するのが
悟りであり、

全ての物事の儚さと尊さに
気付く事が、
悟りであり、

悟りを開くと
過去(記憶)と未来(妄想)ではなく
現実の一瞬を生きれる様に成れる!

しかし
副作用として
悟ると言葉が必要無くなるので、
言葉を徐々に忘れていきます。


過去への執着心が無くなるので
物事を記憶しなくなります、、、
、、、、、、、、、、

全てを悩みを
解決出来る様には成るが、
身体から解放されない為に
全ての苦しみを超越出来る死を
恋い焦がれる様に成る!



悟った後の苦しみについて?
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11125327 …

教えて!goo グレード

A 回答 (11件中1~10件)

評価ではないですが。



悟りとは自分なんて居ないと知ること
らしいです。

じゃあこれ書いてるのはだれだ?
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悟り・・・それは無我、或いは滅私。



でも、言葉は悪いけど、未熟者が悟りに関心を
持つのは違う動機からだと思う。

手垢のついた超人願望。

未熟者ゆえの無知。

未熟者ゆえの浅薄。

未熟者ゆえの夢想。

本当の~とか、

究極の~とか、

兎に角日常を、普通であることを拒絶し、
見下し、自分が超越者になれる、という
夢想に浸るがための「悟り」は、何のために
それを求めるのか。

というと、現実を受け入れられないから、
なんですよね、殆どの場合。

見分け方は意外に簡単です。

人前で悟りについて持論を語るものは
その熱弁に反比例して悟りから遠ざかる。

悟り、というと超越的だけれども、つまりは

当たり前のことを当たり前に。

ありふれたことをあるがままに。

あなたが社会的には無意味で矮小な存在である、
ということを、ごく当たり前の事、誰しもがそうだと
肩ひじ張らずに納得し、ただ自らがすべきことを
平々凡々と成すだけの気持ち。

その更に先にある、自分というものを全く何とも
思っていない・・・やがて無視できる存在として
歯牙にも掛けなくなる、そうして、自分が自分で
あることさえ、何の関心も持たずに忘れてしまう。

例えば、そういうことだから。

自分が自分こそがという気持ちは、他人の存在を
つぶさに見る障害になります。

そして、無数の他者の存在をあるがままに観る
ことが出来ると言うのは、その障害になる自分と
言うものをどうでもいい矮小な無為なものとして
忘れてしまうことでもある。

その視点で、例えば宮沢賢治のでくのぼうが
北に、南に、東に、西に、どのようにありたいと
願ったかを思い出されると少しは判ると思います。

賢いは、愚か。

愚かは、賢い。

悟った後の苦しみ、なんて概念自体が無為です。

敢えて近いものを挙げるならば、例えば、
昔の有名な詩人の言葉に悟りではないが、
超越に憧れる若者の心を言い得て妙なものも
あります。

選ばれたる者の恍惚と不安、我にあり。

ここに書くこと自体が、あなたが仰る悟りから
遠ざかる行いであることが、判った処で人間は
何の役にも立ちません。

人は、誰かの役に立って初めて、その存在に
意味が生じるのです。

自分の恍惚のため、ではありません。

全く同じ言葉、同じ説明を、異なる動機を持つ者が
口にすることが出来るのです。

だから、言葉と言うものは本質的に嘘や誤りを
含むものです。

だから、言葉で真理を顕せる、と考えることは
実は、その本質から遠ざかる矛盾を内包するのです。

判りやすく言えば、悟りと真理を口にしながら、若い
信者の娘を性の奴隷にする欲望にまみれるという
凡そ正反対の矛盾が、言葉を媒介にすれば両立する。

どこにでもある、宗教家の悪徳は、同時にどこにでも
有るが故に、ありふれた人の姿を良く表している。

その教祖も、自らの悟りについて滔々と語るでしょう。
所詮、その程度のものでしかないんですもの。

私は、あなたを貶す意図ではなく、私は理解者だ、などと
言うつもりも無く、ただ、当たり前の、ありふれたことを
書いたに過ぎません。

その余りにもどこにでもある、ありふれたものが
あなたの目にちゃんと映れば良いのだけれど、と
想いながら書きました。

ご参考までに。

この回答への補足

 天地は不仁、
 万物を以って芻狗となす。

 聖人は不仁、
 百姓を以って芻狗となす。

 天地の間は、
 それタク籥の如きか。

 虚にして屈せず、
 動きていよいよ出ず。

 多言はしばしば窮す。

 中を守るに如かず。

補足日時:2014/05/13 22:22
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生と死を超越します、或は死も生も厭う事も厭わなくなる事でさえも超越すると言う意味があります。

生きて良し、死んでも良しという意味です。

絶対肯定と言う足場を、自分自身に築き上げる事が出来たという意味があります。それが『生死の問題が解決する』と言う意味です。

『永遠』の意味を自分の顕在意識(自我意識という場合での自我の”我”)は理解不能です。その理由を知る事が『悟りの効用です。』

人間は頭の中での理解なら、全てを知っているつもりになっています、ですが知っている事と、自分が出来る事には隔たりがあります。

自分のこの身は有限です、ですが『永遠への憧れも同時に抱いています。』ですが永遠の意味を『この身は知る事が不可能です。』此処のところを『体得する事が悟りの効用です。』

武士が禅の修行後に、いくら昔は泣き虫であったとしても、必要に応じて躊躇なく死地である戦場に何の憂いも抱かずに、赴く事が出来た理由です。

悟りを開くと言う意味は『自分の心の矛盾』が解消出来た姿と言う意味があります。自分の中には『永遠の意味を熟知している者』が存在しています。貴女にも経験があると思いますし、何処を見ても同じです。

赤ん坊が何処児からやってきたのか?或はこの世が何で出来ているのか?にも通じています。本当は『誰でもが知っています』只分からなくなっているだけです。

聖書でも仏典でも、人間の理想の姿は『幼子や嬰児』です。この意味は、心が一つの者として働いている姿と言えるからです。人間は『言葉を理解するようになってから、苦しみとか悩みとか疑問を抱くようになった事を』原因として、天国から追放されました。

科学的な根拠です。


脳の機能分化に関する化学的なデータです。

『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。


もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

URL:

この動画で語られている内容が『見性』と言う体験です。自分自身を知れとソクラテスが言っていた内容です。永遠に憧れを持っていたと言う意味は。『憧れをを持たせていた者の存在』があったからです。

こう云った心的な学習と言うか、教育と言うか、訓練と言うか、『心に付いての全人格的な教育システム』を禅は持っています。

インド発のこのシステムが、発達をして中国に渡り、そうして日本にも入ってきましたが、今の世界の中で、禅が残っている国は『日本だけになったようです。』インドでも中国でもとっくの昔に無くなったようです。今から60年も前に鈴木大拙博士が著書の中で語っています。

禅問答がその訓練のシステムを説明しています。禅問答は『左脳の意識=自我意識』では説く事が出来ません。何故なら、左脳の機能である『物事を分別する機能』では解く事が出来ない様に仕組まれているからです。

禅問答が解ける時、全人格的な心的革命が起きています。それが悟りの効用ですが、『心の矛盾が解消する』事を意味します。

悩みや苦しみや疑問とは『心の矛盾』を悩んでいる事を意味します。分かりやすい表現をするなら、『自我意識一辺倒の考え方に陥っている事を意味します。』

自我意識一辺倒の考え方をして人間が苦しんでいる現実の姿を説明して置きますが、分かる人意外は、如何に説明しても分からないかも知れません、せん無い事です。

自我意識一辺倒と言う意味は『意識地獄に入っている』と言う意味です、自意識過剰になっていると言う意味です。言葉を変えて書くなら『意識する自分一辺倒』と言う意味ですが、欠けているものは『自分の中の、”無意識の自分”』と言う意味です。

無意識の自分を置き去りにする、或は自分の無意識の意識を無視した生き方になっていると言う意味ですが、『無意識の自分の力を借りる事が出来なくなっている状態』を言っています。

解決する道筋がありますので少し書いて置きます。それは『人間の(自分の)意識性の問題をクリアーする事です。』

自我意識一辺倒になっている場合を挙げて置きます、一言で書くなら『ノイローゼの状態です。』頭の中が『否定したい事柄で一杯になっている状態です。』

こうなってしまうと、他の事を考える事や、他の方法に思いが行かなかったり、抜け道がなくなったという錯覚に入ってしまう事です。普通に考えるなら『如何言うやり方や、抜け道も在るにもかかわらず、否定感で一杯になってしまって、抜けられないと言う方法を選択する場合も多くなります。

具体的に上げるなら『行動の自由を奪われてしまった。』と錯覚をする場合です。本人を縛っている事柄など何処にもありませんが『本人が、自分で自分を縛ってしまう状態です。』この場合での障害となっている事柄が『症状に当たりますが』終わりに恐怖症と名前が付く場合が多いです。対人恐怖症や、社会不安障害などですが、手や足に震いが始まってしまって、抑えようとすればするほど、抑えられなく成る場合や、抑えようとする自分と、抑えないでいる自分が戦う場合もあるようです、詰まり強迫観念に悩む場合などです。

こうなった事を一括りにして『神経症』と言うようです。

又心に沸き上がる考えや感情に『自由度を失ってしまったと錯覚をする場合があります。』元々自由な心ですが、『心に自由を求めたり、心の健康を求める場合です。』人間の心は『元々自由自在なものですが』余りにも『健康な心を求める余り』健康な心のあり方そのものさえ失ってしまう場合です。この場合に『心を病む』と言うようです。

湧き上がる感情や考えをコントロールしてから健康体になれるといった錯覚をする場合です。湧き上がる感情や考えは『外界からの反応を、自我意識に伝えている性質が有る事を、忘れてしまう現象』ともいえます。

外界の変化を無視して、『頭の中の計らい』通りに『湧き上がる感情や考えをコントロールしようと、出来ない事を出来ると思い込みたいとする現象です。』

この場合では、受容れたくないと自分に湧き上がる感情を嫌う場合を感情障害と言っているようです。湧き上がる考えの場合では、『湧き上がる考えの』所有者さえ分からなくしたい、とする場合も在ります。自分が何者か?さえもです。

もう一つ在ります、身体の健康についてです。自分の健康面を『身体』の面から健康になりたいとする場合です。自分の身体の健康に疑いを持つ場合です。いくら精密検査をして、異常がないという検査結果を貰ったとしても、自分の身体に自信が持てなくなってしまう現象です。

今書いた事柄には共通点があります、自分が自分を疑っている事ですが、検査の上では異常無しと言う事です。こう云った事に悩む時『自意識花序になっている事から、漠然とした得体の知れない不安感に悩む様になっています。』

自意識過剰と言う意味は、自分の無意識を無視している事から、無意識からのアプローチを受けています。詰まり心の矛盾の産物としての『無意識からのアプローチです。』

行動も心も身体も『本当は無意識の指揮の下で自由が確保出来ています。その事を身体で体得する事を『悟る』と表現しています。自我意識が『意識していない時』人間の自由度は、一番高まっています。

今書いた障害を乗り越える事は、『人間の意識性の問題をクリアーする。』と言う意味があります。他の言葉で表現するなら『自分を忘れる事です。』

自分を忘れた時『自意識過剰』の反対になっています。つまり動画に在るような『『涅槃』の境涯です。自我意識がでしゃばっている事が、『生き難さ』の正体と言う意味です。

自分を忘れ果てた時、心は争う事がなくなります、或は『意識する自分と無意識の自分』が出番争いをする必要が無くなると言う意味ですので『心の中が、幼子や嬰児のように』平和で静まり返った状態になります。

心の矛盾が解消された姿を『涅槃』と形容しています。
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悟り≒ブラフマンが「全ての全て」であることを確信し切ること

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こんばんは。




>「全てを悩みを
解決出来る様には成るが、
身体から解放されない為に
全ての苦しみを超越出来る死を
恋い焦がれる様に成る!」

それは、どうかなあ。
それって、単なる「自殺願望」のような。

恋焦がれているんですか??
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想像も空想も、それはそれでいいと思います。



宇宙飛行士の気持ちは、宇宙飛行士になってみないと
分からないと思います。
そんな、同じような憧れでしょうかねぇ。

二次作用に眼が行き過ぎてるように感じます。
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悟っても言葉は必要だと思うよ。


だって悟った人だけの世界で生きてるわけじゃないもの。

執着しないのと記憶することも違うと思う。
全く意識してなかったのに、ちょっと見ただけ(ちゃんと読んでない)の一部の文章をなんでか分からんけど覚えちゃってるって事もあるし。本をパラ見して ん?となんだ今の とページ戻って見返したりね~。覚える気も無いのに記憶もします。

悟りを開いた後自殺したって話は聞いた事無いから、死を求めたりしないと思う。だってこれって強い執着でしょ?逆じゃん。


悟りがどんなもんなんだかはよく判んないけど、むしろいちいち気にならなくなるって事じゃないかな?
噂で悪く言われてる人が近づいて来たとき、避けるんじゃなくてちゃんと相手を見る(自分で判断する)ようなものなのかなぁ?
悪く言われてる。でもそれってなんなの?気にしなくちゃなんないの?的に
(特に家族に問題があって避けられてるような人とかね~、差別されてるところ出身とか差別されてるカテゴリに属してるとか…それってその人と会って話したりするのになんか関係あるの?人と人なだけなのに とか。想像だけど)

儚さと尊さだけじゃなくて、永続性と努力と何もしてないという人達の働きの尊さ(樹齢何百年って樹がたくさん並んでる道とかってそれを連綿と受け継いできて切らなかった人達がいたからこそだよね、ついでにケアをしてきてるよ)や世界の循環なども知る事じゃないかなぁ?
全く違う視点で世界を見てんのかも。
広く遠くまで見渡せるようなものなのかなぁ?
見て判断できるのに記憶がないなんてないよ。むしろ情報は多くね?

ねぇ?これって死にたくなるような事かなぁ?
人間である必要は無くなるかもしれないけど、あえて求めるもんじゃ無くね?すでに世界と一体になってるなら、死は 肉体の有る無しはもはや問題にすべきものじゃ無くね?そもそも精神が閉じ込められてないような気がする。うらやましいな。

すべての悩みが解消できるんなら、死は生物としてやがて来るんだからそれも気にしないんじゃないの?
求めるのでも恐れるのではなくニュートラルに、ただそれを生物としての定めと受け入れるだけ。
そこに悩みがあると思う?
私は無いと思うなぁ。
むしろ世界の長さに対し人生は短い。一瞬一瞬を大切にするようになるんじゃないかな?自分も出会いも周りを取り巻くすべても。

みな私の悟りに対するイメージからの想像だけどね。
あなたと全く違うものを想像しています。
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今が悟りの境地である事に気付く事

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肉体に付属した感覚器官による、肉体的自我の目覚め


から始まり、認識の深まりにおいて、宇宙全体の自覚化
に至る事。

言葉を忘れるという事は、その奥にある概念を失う事だし、
過去を忘れるという事は、その経験による予測としての
現在も不明になる事で、痴呆症ですね。
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少なくとも、哲学カテで毎日のように妄言を投稿しているような輩の言葉は悟りとは無関係でしょう。

質問文を読んだ限りでは、ただの中二病にしか見えませんが。死んで苦しみから逃避できると認識すればそれを実現すればいい。
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