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No.4ベストアンサー
- 回答日時:
「禅味」とは、参考URLの用例から考えると、禅の三昧(サマーディ:瞑想の極地)の状態にあって修行者が見出す「境地」のことのようだと言えます。従って、どういう境地か、単に禅を修行しているだけではなく、サマーディを経験しないと分からないとも言えます。
禅には、野狐禅という、他人の瞑想の悟りを卑しめる言い方があり、かねてからわたしは、いい加減な話だと思っていたことがあります。正しい師匠につき、正しい方法で正しい禅の修業をするのではなく、独り善がりな修行で、悟ったとか超能力を得たなどというのを、野狐禅(やこぜん)というのですが、正しい師匠について禅の修業をしたと自己で誇る者が、他人に、おまえのは野狐禅だというのを聞いたことがありますが、そういう当人こそ、驕りのなかで、悟りとか、無我の境地などと無縁ではないかと思ったということです。
参考URL2に、俳味はすなわち茶味、茶味はすなわち禅味、故に、俳味はすなわち禅味という幸田露伴の言葉がありますが、これで見ると、花の盛りや月の満ちた趣をうたうのが俳諧ではなく、万物をそのありのままにうたうのが俳諧の道、俳味だとも読めます。
茶味とは、豪華な茶室で、もったいぶって喫するものではなく、粗末な茶室であろうと、茶を喫することは、すなわち禅であり、主客の区別を越えて、あるものがあることを、静謐な心で味わうことが茶道の茶味であるとも解釈できます。
ハイデッガーの現存在の考えが、禅味、また茶味、また俳味に通じるとも言っていますが、これはどういうことなのでしょうか。「現存在」は、存在物の存在が立ち昇る場であり、存在了解が行われる場であるのです。
>ハイデッガーは日本の留学生から「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」の芭蕉の俳句を聞いて驚いたという。
「私が花を見る」のではなく、主客を越えた位置で、「花がその存在を立ち昇らせている」。これが俳諧の精髄であり、原思索だということで、茶道の目指す究極の境地も、わび・さびというのは、茶を喫する行為が、それとして、主観の装飾なく、そこに「ただある・現成している」ということで、茶の道は、すなわち禅である。
禅のザーマイの味わいとは、言葉にならないものであるが、その精髄は、万物の流転、万物の生成のさなかで、主体なき、主観意識による判別のない、存在了解の深遠でもあれば、素朴でもある、「あるものがそのようにある」という境地でしょう。
対照文脈として、茶味、俳味との関係で出てくる「禅味」なら、茶の道の究極の境地、俳諧の道の究極の境地、これらと同じものと考えられる、禅の究極のサマーディの境地となるでしょう。禅単独では、三昧の境地とは何か言葉にできないのでしょうが、「その味わい」は、すなわち、茶道の究極の精髄と等しく、俳諧の究極の精髄と等しいと把握して、「禅味」の味わいの意味が、了解されるのでしょう。
しかし、どういう文脈で出てくる言葉か分からないと、解釈も難しいでしょう。茶道や俳諧の芸術性・精神性との関係で出て来るのなら、以上のようなことで、それは語る人によって、意味が違っている可能性が高いです。
簡単にと言っていますので、茶道の精髄にある、茶を喫すること、ただそれがそれである、という静謐な心の境地、俳諧にあって、なにげない風景をうたい、しかし、それが存在の現成を示し、ものがそこにあるのが、すなわち永遠だというような境地へと通じる、心の静謐なありようを暗示しているのでしょう。
>参考1:茶道日記本文
>http://www.ne.jp/asahi/after/hours/zengo2.htm
>参考2:幸田 露伴論
>http://homepage3.nifty.com/rohan/ronbun/ronbun-1 …
参考URL:http://www.ne.jp/asahi/after/hours/zengo2.htm,http://homepage3.nifty.com/rohan/ronbun/ronbun-1 …
No.3
- 回答日時:
そうですね。
これでは何のことか分からないかもしれませんね。つまりこれは知らない人が書いているんじゃないでしょうか。禅味なんて言葉は禅僧が使うのかどうか分かりませんが、単に禅らしいって言ってるだけだと思いますよ。禅そのものは仏教の中でも最もシンプルなものであまり複雑な教義がなく、ただひたすら座禅を組むことで悟りを得ると言うイメージがあります。こんな言葉にこだわるよりは、鈴木大拙の著作をお読みになることをお勧めします。この方は世界的に有名な禅僧です。文庫などに入ってます。日本の誉れです。
No.2
- 回答日時:
味わいというのは、たとえばどこそこのお店のラーメンの味を、文字や言葉であらわそうとしても、ちょっとむつかしいですが、とにかく食べてみれば一発でわかってしまう、というようなものでしょうね。
禅の持つ味わいも同じようなものだと思います。引用された辞書の解説文の中の「超俗的」というのがキーワードのような気がします。
「俗」世間というのがあって、そこでは富とか名声とか健康とか平穏とかに価値があり、それらを得るために人々は日夜奮闘努力しているわけですね。ところが禅ではそのような俗世間の価値観を否定することに価値を見いだしているようです。そしてそれが一つの文化になって、建築から料理から日常の立ち居振る舞いまで、俗世界には無い独特の、それこそ味わいを持っている、というのを禅味というのか知れません。
わたしは禅の修行などしたことがない、俗臭ぷんぷんの中年男ですので、ほんものの禅僧が読まれたら叱られそうなことを書いたかも知れませんので、自信は全然無し!です。
No.1
- 回答日時:
素人考えですが、
たぶん、文字では表しかねる微妙なモノなのではないでしょうか?
自己と対象との間の独特の境地みたいな…。
体験するのが一番なんでしょうが、多分これですよ、と言えるものでは無い気がしますし、たとえ言えても、自分に、何と言うか受け入れるものがないと、前衛美術を見るみたいな「はー」っといった感想しかでないモノのような気がします。
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