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自我についてですが,30歳にして初めて【私にとって私だけが私である】事に気がついたのです。
本当に怖いです。
私はすでに30歳ですが自我の確立は出来ますか。

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A 回答 (6件)

kaitara1ですが、付けくわえてみます。

余裕がない人(人間以外の動物も)には自我というものは存在しないと思います。余裕というのはそれ自身は何の役にも立たないものです。余裕自身が自我ではないでしょうか。自我の確立というのは30になって余裕が生まれたということだと思います。ところがこの余裕というのはとらえどころがないものですから不安の源泉にもなります。等身大の生き方というような言葉が不安を消すヒントになるかもしれません。
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この回答へのお礼

素の私を大事にしたいです。
ありがとう御座います。

お礼日時:2012/02/24 23:14

これは議論ではありません。

追加的な回答です。
>怖い理由は【私の人生を私が負っているという重い責任に耐え切れないため】
たぶん、あなたは小泉政権下で行われた「格差による労働意欲の増強」という幻想にとりつかれている。経済的な成功者を宣伝し「そうなるべき」と人々に先入化させたのです。それは成果主義であり、アメリカ型の格差社会化、です。よって、日本従来の家族的な企業経営は崩壊し、個人主義的な「責任」が生まれました。こうした経緯が無ければ、あなたも「責任=失敗をつぐなう事」とやらにおびえる必要も無かったでしょう。
>自我の確立とは人格や性格の形成の意味でした。
自我の確立とは「自他の客観視」であり他人からの評価に依存せず自制ができることを意味します。
>社会生活を切り離して私を見つめた時,苦しみが生まれました。
私の場合は社会に組み込まれているので切り離して考えた事が無いに等しい。しかし、友人と高尾山に登って下界を見下ろすと、人間社会を客観的に見ているような不思議な気分になります。
>自我とは社会生活において【関係】のなかで形になるものなのでしょうか。
社会性の低い人間は「自我の目覚めが浅い」と言えます。たとえビジネスという争い(金の奪い合い)が意識の上にあったとしても、そのビジネスで結果としては助け合っているのが現状です。そうした争い(出世競争なども)だらけの現代において、事業に失敗した人間は家族を養えなくなり、日本の社会保障は薄いので頼れず、結果的に自責の念から「自殺」することが多いのですよ。
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この回答へのお礼

社会のなかでも【私は私】でいたいです。
自殺は避けたいものです。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/02/24 23:09

「自我の確立」とは、自他の客観視の事であり、


無意識から全宇宙の情報の処理(不可能)までの、
認識の連続的な深まりであって、どこかで突然
免許証が出るものじゃない。
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この回答へのお礼

自我は深まっていくもので,私は苦しみ続けていくのでしょうか。

お礼日時:2012/02/24 15:29

私の勝手な考えですが、自我というのは自分の頭の中の神経回路で現在何の役にも立たない部分ではないかということpです。

つまり暇な神経回路が仕方なく自我というものを作っているということではないでしょうか。何かをやっているとき、特に何か新しいことを始めようとするときには自我は全くなかったかのような状態になります。自我が洗われるのは何もやっていないときです。自我が表れwるのはまだまだ自分には新しいことが可能であるということを意味しています。だから自我が何か恐ろしいもののように思われるのは新しい回路を使わないうちに死んでしまうのが普通であるということに気がついたからではないでしょうか。私から見ると自我の確立というのは、実体がないもののように思います。自分は常に変わっていきます。それこそ自我が存在しない人だけが変わらないままでいるということです。自我は確立といっても不変のものではないはずです。
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この回答へのお礼

私は考えなくてよい事を考えてしまったのでしょうか。
そして,今まで感情や考えなど他人の操り人形であった私には自我が存在しない様に思います。

お礼日時:2012/02/24 15:22

その「怖い理由」は「孤独感」のような物でしょうか。


「自我の確立」とは何でしょうか。
「自我の目覚め」なら度合いがあり「目覚めの浅い人」~「はっきり目覚めている人(覚者)」まで、多様に混在しているようです。覚者とは、自己の生存を成立させている「助け合いの姿=社会生命性」を自覚している者の事です。身近な例では、コンビニで物を買う際、お金を「感謝のしるし」として店員に「ありがとう」と言う例である。お金の向こうで価値を生む「生産・物流・販売」等に助けられ、また同時に己も会社等で社会貢献という「他人への援助」を行っている、そうしたビジョンが常に見えている状態を「自我の目覚め」と表現すべき、と考えます。
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この回答へのお礼

怖い理由は【私の人生を私が負っているという重い責任に耐え切れないため】だと思います。自我の確立とは人格や性格の形成の意味でした。
社会生活を切り離して私を見つめた時,苦しみが生まれました。
ですが,自我とは社会生活において【関係】のなかで形になるものなのでしょうか。

お礼日時:2012/02/24 15:15

“確立できる”と思います。



年齢は関係ないと思います。かなりのご高齢になってから気づく方もいるのでは?また、もっと低年齢で気づく方もいると思います。
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この回答へのお礼

お答えいただいてありがとう御座います。

お礼日時:2012/02/24 15:00

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Q大人になってからの自我形成法はありますか?

こんにちは。40代の男性です。長文です。

幼少期、自分に対する自信を剥奪される環境で育ったためか、心のどこかに核となる自信が存在せず、もやもやとした気持ちの悪さをこの歳になるまでずっと引きずって来ております。

まずは生育環境についてご説明します。

物心がつく前に両親が離婚しました。私は母親に引き取られ、母一人子一人の環境で育てられました。母親は非常に極端な人間でした。学校の成績がよいことと、犬のチワワのように従順でおとなしいタイプの人間だけ「あの人は優しくてよくできた人だ」と肯定し、それと齟齬する価値観を徹底的に糾弾。その価値観をもって激しい過干渉を私に対して継続しました。

例えば小学校時代、学校の勉強よりもずっと先に進んだ宿題を母から毎日出され、母が勤務から戻ってくるまでにやっておくことが義務でした(やってないと激しい罵倒にあう)。友人と外で遊ぶ事もスポーツも禁止でした。母いわく「スポーツができるのはみな頭が悪い連中だ」と。

友達が遊びにくると、母がその場でつくった計算問題を私と友達の両方へ与え、母が採点します。私の方が成績がいいのをみて、友人を慰めながら、その実、自分の子供の方ができがいいのをみて満足げな表情を浮かべていました。

田舎でしたので、男子は小汚い格好で外を遊び回るのが当たりまえ。私も、仲間の一人として他の男子生徒と同じような格好をしたかったのですが、ひとりだけ浮いた格好をよく強要されました。何かの学校の催しだったと思いますが、周囲の男子は相変わらずの格好をしているなか、サスペンダーのついた半ズボンに白いタイツを履かされ、周囲の視線がとても痛かったのを憶えています。

私が小学校2年のときだったと思います。母から無理矢理スカートとハイヒールをはかされ、花をもって写真を撮られました。もちろん、私は嫌がって逃げましたが、母はしつこく追いかけ回し、「皆やってるからやりなさい」としつこく食い下がり、私は観念しました。

今でも、実家に戻ると、私の1歳時代の写真をA2程度に大きく延ばしたものが、数点ほど額縁に入れられて飾ってあります。私は心底気持ち悪く思うのですが、何か言うと激しく激昂し、反論にならない反論が返ってきますし、それに対してこちらが論理的返答を何度か重ねようものなら、今度は急に自分が悲劇のヒロインになって泣き出す・・・というパターンが見えるので黙って見過ごしております。

このような事例を数え上げればきりがありません。私は母の思い通りになる所有物、玩具、ペットでした。そして思い通りにならないと癇癪を起こし、無理矢理従わせる。

私からみると、母と世の中の価値観との間にはかなりのズレがあり、母はそのズレに関する認識が完全に欠落しているように見受けられます。認知の歪みといいますか…。他者の意見や価値観へ関する寛容性が極端に低く、自分の価値観にそぐわない人や事象へ関しては激しく罵倒します。そして反論をうけると急に被害者意識で一杯になって泣く。自分が加害者になっているという自覚はありません。また、自分の意見を主張する際、事実を歪曲して語るところが散見されます。

(医師からの診断を受けたわけではありませんが、ウェブ上であつめた情報から判断するに、母は自己愛型人格障害なのではないか、と。喋るときの声がいつも妙に大きく、他の人がいるところでもそれが落ちないところ等にも何か異常さを禁じ得ません)

上で触れた逸話のなかで、私のポイントを集約しているのが、母からスカートをはかされた時のことです。しかしそれは強要した母の思考回路に関してではありません。むしろ、最終的に母の命令に従いカメラにむかって微笑んでいる、自分自身の母の命令へ対する従順さに対してです…。

もちろん、私は母へ対してただ闇雲に従っていた訳では有りません。母の価値観に対する違和感、彼女の世間からの逸脱ぶりを常々素肌感覚で感じていました。が、いかんせん母一人子一人の密室状況。大人は母だけであり、金を稼いでくるのも母。母と私の価値観の相違に関しては、つねに母の意見が100%正しく、私が100%間違いとされ、私は謝罪と服従を強要され続けました。母へ対して反対意見を述べてくれる者、客観的立場から意見を述べてくれる者、私の意見を後ろから肯定してくれる者はいませんでした。気がつくと、母から命令をうけるとそれに従う条件反射回路が出来上がっていたように思います。

・・・ここで現在に話を戻しますと、冒頭で述べた通り、自分で自分のことを、心のなかが常にもやもやしていて、自信のない自分の不安定な性格であると認識しています。拠り所となる確固とした行動規範がない不安といいますか…。心のどこかに常に恐怖と焦りがあり、人や物事へ対し、安定して一貫した対応をすることができない(ひんしゅくを買い、後になって「どうしてあんな変なことを言ったんだろう?」と思うこと多し)。外部からの反対意見に対して軸がぐらつく。物事を決断する能力が極端に低く、いつまでもうなってるだけで平気で何週間も何ヶ月も時間を無駄に過ごしてしまう等。

大学からは家を出て一人暮らしをし、会社へ就職し、営業マンとして激務を務めましたが、根本的なところ(心の奥に居座り続ける違和感、恐怖、不安感)はまるで変わりません。不安定でぐらぐらしています。

幸せな家庭というものを信じることができません。テレビコマーシャルなどで、一家団欒のようなものが取り上げられると、まず私のなかにわき上がる印象は「嘘くさい」そして「気持ち悪い」です。また、子供という存在に対しても、「子供の人生は基本的に不幸である」という色眼鏡を取り除くのが難しく、子供を積極的に欲しがる人達の心境が想像できません。

鬱病になり、3~4年間程薬漬けになっていた経験もあります。

もちろん、そのすべてを母からの後天的影響のせいにするのは難しいでしょう。しかし少なくとも、自分のなかに深く埋め込まれたどす黒い恐怖と不安感や自分の危うい価値観などの一定割合は、適切な次期における自我形成がきちんとなされなかったことへ帰するのではないか、と実感として思うのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここでご質問させて頂きたい事があります。

ウェブをさまよって集めた情報によれば、人格形成、自我形成は幼少期~思春期までになされるとのこと。しかし、分析的な情報は数あれど、そうなってしまった場合の対策に関してはなかなかこれといったものを見つけられずにおります。

私のように、そのための健全な機会を得られなかった人間で、かつ自身の至らなさを自覚している人間が、大人になってから、自我、自信、自分自身の軸のようなものを形成する方法にはどのようなものがあるのでしょうか。

実はここ数年、臨床心理士にかかっております。こちらでの指導は、「瞑想によって自分のなかの危うい衝動へ対して反応しない心をつくれ」というもの。しかしこれは言い換えれば「自我がないことや不安定なことに関しては諦めよ」「それよりもその不安定な自分へ対して二次反応するのをやめなさい」ということのようなのです。自分としては、こちらへ関してどうも隔靴掻痒な印象を禁じ得ず、もっと積極的に軸を形成する訓練が果たしてこの世の中にはないものだろうか、、、と思い、こちらへご質問させて頂いた次第です。

知見をお持ちの方、どうか手を差し伸べて頂ければと思います。何とぞ宜しくお願い致します。

こんにちは。40代の男性です。長文です。

幼少期、自分に対する自信を剥奪される環境で育ったためか、心のどこかに核となる自信が存在せず、もやもやとした気持ちの悪さをこの歳になるまでずっと引きずって来ております。

まずは生育環境についてご説明します。

物心がつく前に両親が離婚しました。私は母親に引き取られ、母一人子一人の環境で育てられました。母親は非常に極端な人間でした。学校の成績がよいことと、犬のチワワのように従順でおとなしいタイプの人間だけ「あの人は優しくてよくできた人だ...続きを読む

Aベストアンサー

私も同じ問題をずっと考えていました。一応の結論は今ここでできることを丁寧にやっていくということでした。もちろんすべて自分で行うというのが前提です。大人になってはなかなか現実の場では難しいので趣味の中で行うということにしています。もちろん結果も自分で評価できなければだめですが、作品などを人に見せる必要はないと思います。言葉遊びのようですが自分で何かを企画してその成果を自分で判断できるという自信が自我そのものではないかと思っています。自我とは信じられる自分ということではないでしょうか。

Q「自我がない」人ってどんな人?

最近、よく感じますが、年齢に関わらず、モノゴトを考えないタイプの人が多いように思います。

目先の自己都合と、周囲の風向きだけで動く、“反応型”のような人です。

心理学(フロイト?)で、「本能的な自分(イド?)」=ホンネと、「倫理的なあるべき自分(超自我?)」=タテマエを統合するものとして、青年期に「自我」が形成される・・・と聞いた記憶がありますが、

どうも実際には、ホンネとタテマエだけで、自我が乏しい人が結構多いように感じています。

社会に適合するためには、ホンネ(本能)とタテマエ(倫理観)の間の尺度(「ここまではOK」)が必要ですが、その尺度が自分自身にはなく、周囲を見渡し“多数”を直感的に感知しているだけ・・・という人が多いように思います。

こういう自我の弱そうな人ってどんな人なんでしょうか?
仕事上で、こういう人も説得しないといけない場面があり、困っています。
アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー


私も何かでそういうことを聞いたことがありますが、超自我というのは必ずしも倫理的というわけではなく、本能的(アクセル)部分に対する抑制作用(ブレーキ)と解釈しています。
適度なアクセルの踏み具合(自我の確立)が難しいということでしょう。
踏み方を間違えるとおっしゃるように社会に適合しづらくなります。


「>周囲を見渡し“多数”を直感的に感知しているだけ」の人が多いのは昨今に限ったことではないでしょうが、結局それが一番「安全」だと判断するわけだろうと思います。
安全性の替わりに何か重大なものが犠牲にされているのは明らかなように個人的には思いますが・・・。
ともかく「>自我の弱そうな人」とは、いわゆる付和雷同型の人を指していると思われますが、こういう方は「安心させる」のが最も効果的です。
その安心・安全の基準が単に「他の大勢の人と同じようにしていれば大丈夫」ということですから、「そうではない」という理由を論理的に説明できる能力と1961augさんがそう言うなら信じよう、と思わせるだけの信頼感。
この両方が必要になってくると考えます。


私も何かでそういうことを聞いたことがありますが、超自我というのは必ずしも倫理的というわけではなく、本能的(アクセル)部分に対する抑制作用(ブレーキ)と解釈しています。
適度なアクセルの踏み具合(自我の確立)が難しいということでしょう。
踏み方を間違えるとおっしゃるように社会に適合しづらくなります。


「>周囲を見渡し“多数”を直感的に感知しているだけ」の人が多いのは昨今に限ったことではないでしょうが、結局それが一番「安全」だと判断するわけだろうと思います。
安全性の替...続きを読む

Q「自我の目覚め」の具体例を教えて

 「自我の目覚め」の具体例を教えて
 例えば、私は上司や会社の批判をして、事実上退職になりましたが、その批判とは「社会のため」を思ってのことで、人格を批判したりはしなく逆に面白い上司だったりします。ちなみにその上司はH自動車の請負のH梱包会社の所長です。私は、部長に「所長の解雇または降格」を具申しましたが、案の定、却下されました。
 私は、目覚めているといえますか?
(ちなみに、先日お伝えしたような私の口腔内の異常は「口腔セネストパチー」と正式に診断されました。今後も、大学病院で研究対象になる模様。また高機能自閉症の疑いを多くの人から受けております。)

Aベストアンサー

オタマさんこんばんは。

小っ恥ずかしい話ですが、

私は先天的な内分泌の障害を抱えていて、若い頃には親に向かって「てめぇがこんな体に産んだんだろうが」とか言って泣かしてたわけです。
三十になって、給料で両親を京都に連れて行きました。散策の折り、少し先行した私は、二人が追いつくのをのんびりと待ってました。
その時、
どういうわけか、思っちゃったんですね。
「オレ、この人たちのことが好きなんだ」
て。

これが私にとっての強烈な覚醒体験です。
遅いですか?
恥ずかしいなぁ。

そうそう
全く興味無いかもしれませんが、漫画の話をさせてもらって良いですか?
ジャンプ連載のハンター×ハンターでも、そうした覚醒の物語が描かれていて、今まさにそのクライマックスなのですが、こちらは恋による覚醒です。

オタマさんは、
大切なものを感じたことがありますか?

Q過保護・過干渉からの脱出方法を知りたい。

子供の頃から親に過保護、過干渉な育て方をされ大人になった人の場合
どうやったらその影響を克服し自立することができますか。

Aベストアンサー

かつて、親の過干渉が原因で家を出た者の立場から。

家を出ましょう。たとえどんなに引き止められても、親の体調が崩れても。
私は家を出て、4年ほどになります。いまは親に反対された夫と結婚しています。けれど、今も過干渉を受けた影響は消えません。
自分で好きなものを選ぶことができない(親がすべてを選んでいたため)おしゃれをすることができない(親はおしゃれをすることを罪悪かのようにいっていたためか)そして、親の声を聞くだけで体調を大きく崩す。(一種の強迫症らしいです)
長いリハビリです。生まれたときから一緒にいる親からの洗脳はなかなかとけません。最近やっと、自分で何かを選択することができるようになりました。

親を恨んではいません。ただ、自分の健康のために二度と会うことはないと思います。自分の今の状態も親だけのせいではない。成人しても数年してもなお親をはねつけることができなかった。突き放すこともしていなかった自分の弱さも原因です。
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Q言葉が頭に入ってこない、頭が働かなくて困っています

言葉が頭に入ってこなかったり、頭が働かず考えたくても考えられず、また考えがまとまらなくて困っています。
(投稿カテゴリーを間違えていたため、改めてこちらで質問させて頂きます)

精神的に万全ではなく、専門家にあたったわけではありませんが、一年ほど憂うつ状態が続いていました。今はだいぶ落ち着いてきたのですが、今でもまだ些細なことで泣きたくなったりなかなか頑張りが利かないこともあります。
この状態も関わっているのではないかと思っているのですが、

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このような状態に度々なってしまい、困っています。一日の予定も立てられないこともありますし、人の話が理解できないため相談をしたり聞いたりすることも難しいときがあります。
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何か少しでも改善できる方法はないでしょうか?

言葉が頭に入ってこなかったり、頭が働かず考えたくても考えられず、また考えがまとまらなくて困っています。
(投稿カテゴリーを間違えていたため、改めてこちらで質問させて頂きます)

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この状態も関わっているのではないかと思っているのですが、

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何かひどい出来事が起こってそれから立ち直れてない場合こういうことが起こります。

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それが何であるかわかれば、それにどういう風にすればいいか答えます。

でも何も思い浮かばないなら、無意識の作用かもしれません。卒業を心の底では嫌がっているので、考えたくないと言う思いを引き起こしているのです。

社会に出る恐怖心がそうさせているかもしれません。でも社会で何があろうとやっていけるものです。困ればまたここで相談すればいいだけですから、それを心の底から理解すれば解消できると思います。

しばらくこれをやってみてください。一人でやるのはなかなかでしょうからアドバイスをするカウンセラーを見つけてやってみてください。


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