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何かを求めることは良いことでしょうか?悪いことでしょうか?
 
 たとえば、何かがものすごく欲しくて、そのために努力するようになれば、その“欲しい”という感情は大きな原動力となっていますので良いものであると思います。
 しかし、“欲しい”という感情が強すぎて盲目的になってしまい、他人につけこまれたり、利用されたりして、逆に“欲しい”という感情が弱点になってしまう場合もあると思います。“欲しい”が故に最大限努力する、そこで他人の悪意にも我慢してしまったり。 難しいですが・・。

 “欲しい”という感情があると、それを手に入れるために四苦八苦したり、場合によっては絶対に手に入らないので絶望してしまうことがあります。しかし、ずっと求めてたものがやっと手に入ったとしたら大きな幸福になるでしょう。
 求めることをやめれば、始終穏やかに暮らせるかもしれませんが、味気ない気もします。

 何かを求めることは、良いことだと思いますか?悪いことだと思いますか?いろんな人の意見を聴きたいです。

A 回答 (3件)

 あなたの問いは、ほぼそのまんまシッダールタの悩みなので、仏門を叩くのがいいのかなとも思いますが…


 今の日本の仏教界は原始仏教とはかけ離れているとも思うので、そう簡単でもないですね。私自身、仏教徒でもないのでどこがいいとも言いづらいですし。

 欲しいという思いをシッダールタは執着(もちろん翻訳です)と呼び、それを生む心の構造をその後継者たちは研究しました。唯識学派という学派が、それを一番追求したものだと思います。
 シッダールタとしては、悟りを開ければ終始穏やかに暮らせると悟り、ブッダになったわけですが、どうすれば悟りを開けるのかというプロセス論についてはシッダールタは何も語ってくれなかったので、後継者たちはそこに苦労し続けて、今に至っています。

 執着から脱しようとして、脱しようとすることに執着していたりしますから、求めるという心のメカニズムは一筋縄ではいきません。

 ちなみに、唯識学派の思想やアドラー心理学の思想を継いで、トランスパーソナル心理学という心理学の学派ができています。簡単な入門書として、参考 URL の本があります。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140840 …
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こんにちは



「求めること」自体は善悪の基準で計れるものではないでしょうねぇ。
本能的欲求に根ざしたもの、あるいはその変化したものです。
その欲求をかなえる為の手段や、求めることに対する心理的な対応が「良い」とか「悪い」という事ではないでしょうか?

犯罪を犯してもとか、地道に努力を積み重ねてとか
かなわないから絶望する、かなわなくとも憧れを抱き続けるとか、
同じ「何かを求める」という気持ちに対しての己のありようが
「善」であり「悪」なのですね。
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あなたの言うように良い面も悪い面もあるでしょう。


どちらかに決めることはないと思います。

生きていることは求めることだと思います。
例えば、誰しも食料を求めます。水を求めます。幸せを求めます。生きること=求めることと言ってもいいと思います。
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