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『座禅』をやっている方に質問です。
仏教の基本は『慈悲』だと聞きました。

自分の兄弟の1人が座禅をしているのですが、年下の僕に対してとにかく卑下した事しか言わないしネガティブな事しか言いません。
何か困った時は助けてもらったりしてはいても、実家を離れて1人で一生懸命生きている僕に対して何も知らず、『お前がいるだけで負担だとか、迷惑だとか何の根拠もないのに言います』

しかもそれは昔から変わりません。
心が少しは成長しているのかと思いましたがそれもないようです。

座禅をしていても心が成長しない人はどういう人なんでしょう?

質問者からの補足コメント

  • 座禅したことがない。
    仏教とは無縁な人は回答は要りません。
    わからない世界でしょうから。

      補足日時:2022/12/26 14:57

A 回答 (8件)

座禅など無意味です。



座禅していると、あるとき恍惚とした
状態になることがあります。

これを悟りだ、という人がいますが
科学者に言わせると
座禅のような単調作業を長くしていると
脳波の一つである「α波」が発生するからに
過ぎない。


考えてもみてください。

座禅して、どうして人格が向上
するんですか。

そのメカニズムはどうなっているんですか。
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座禅をして、悟りが開けるなら誰でもするでしょう。



そんな見かけ倒しな事では、本当の仏果は得られないでしょう。
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座禅は本質を知る手法の一つであって 決して正解が確約されたものではない。


人は多くの経験を積むことで 知識を知恵に高めようとするが 自分の経験以上には 未来も過去も知る事が出来ないがゆえに 誤解と曲解が山ほどある。

貴方を兄が傷つけるのは 兄も傷ついているからで 自分の中の愚かさを認めきれず 貴方に自分の弱さを投影しているから。
そしてまた 自分と同様の強さがあるはずと潜在的に思い込み 同様の痛みを与えて 痛みをわかり合おうとしている。
つまり 端的に言えば 「助けて」と言ってる。

座禅で自分の中に目を向けても そこには地獄しか広がってないのかもしれない。
確かな救いも助けもなく 虚ろな希望と願いにすがりつき 僅かな経験と知性を振り絞るしかない。
人間であれば それもまた仕方がない。
この世界はまだ 道の途中なのだ。
彼もまた 迷い傷付き 泣きべそかきながら 小さな灯りを手に 石だらけの道を歩む者の一人だ。
そして貴方も。

そういった者通しなのだから 「頑張れ そしていつか 善く在りますように」と 願うと良いだろう。
救いとは自らを救うのみならず 他者を救う事でもある。
慈悲という言葉が出たのであれば そういった心が 繋がるかもしれない。
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座禅をしているからといって全て人格者であるわけではありません。


それは題目や念仏を唱えている人が全て人格者でないのと同じことです。

なお禅の開祖はインドの大乗仏教の一派、ボーディダルマ(菩提達磨)といわれています。この人は9年間壁に向かって座禅したという伝説があります。でも事実かどうかははっきりしませんし、手足が腐る云々にいたっては、単なる誹謗中傷です。

なお、大乗仏教は釈迦没後数百年たって成立したもので、本来の釈迦の教えとは相当かわっています。
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仏教の基本は「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「空」であって、慈悲ではありません。


慈悲すら煩悩ですから、慈悲をなくすのが禅の極地です。
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慈悲ではないですよ。


坐禅は無心になること。勘違いしてただ座っていたらただの暇つぶし、禅と言う物からお勉強し直して下さい。
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禅の悟りは、一人よがりに過ぎないものです。


当然、そのような態度に出る傾向が強いのです

日本では古くから禅宗等で行われる座禅等の瞑想体験が
流行だそうですが・・・危険です

宗教も歴史も教義も何も知らない無智無学での実践は
エセ聖職者の都合の良い、猿回しのサルになります

菩提達磨[ぼだいだるま]が祖で
ダルマがその象徴です
九年間、座禅を行ったことによって
手足が腐ってしまったといいます・・これが模範ですよ
手足のない不気味な、は縁起の悪い置物ですが
エセ宗教は金儲けのためなら何でも利用します

他力本願を否定し、自力での成仏を目指すという事ですか
禅の悟りは、一人よがりに過ぎないものです。

禅は「不立文字」で、悟りの境地は言葉では表現できないとしています。
弟子が悟ったかどうかを決めるのは、師僧の主観です。客観性ゼロです。

つまり、師僧が悟りの境地を少しでも誤解していたなら、
間違った悟りが代々伝わっていくことになります。

そして、それを修正する方法は存在しないのです。

そもそも、禅の始祖は達磨とされますが、
達磨が正しい悟りを開いたことを、誰が証明できるのでしょうか?

達磨の悟りが偽りであれば、歴代禅師の悟りも、
全て偽りだったことになります。

あなたがまだ悟りを開いていないのであれば、
当然、達磨が悟っていたかどうかは判定できないはずです。

「私には悟りの境地がどのようなものかまだ分からない。
しかし達磨が悟っていたことはわかる」

…これは、完全な自己矛盾

あなたが悟りを開いていると思っていても、
それが正しい悟りなのか、偽りなのか、誰にも分らないのです。
したがってやはり、達磨が正しく悟ったかどうかを判定することはできません。

「私は正しい悟りを開いている。なぜなら達磨の弟子だからである。
だから達磨は正しく悟っている」
・・・・(笑)(笑)、
…こういう論法をトートロジーというのです

長くなるから今日は終わり~

あ、おっしょる通り
仏教の基本は『慈悲』です
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只の人格破綻者であり変質者ですわ。


けど、そう言う人に優しい眼差し、優しい気持ちで
接する事こそが慈悲と言うものなんですわ。
慈悲とは代償を求めぬアガペーの愛。それが何時か
相手の心に響いた時、貴男のお兄様も悟りを開いて
優しく気配りが出来る人となりますわ。
ホントですわ!!
「『座禅』をやっている方に質問です。 仏教」の回答画像1
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