許せない心理テスト

これまで何度か葬式に参列し、疑問に思ったことがあります。
通夜や葬式後に親戚等集まって会食がありますが、そこで交わされる会話は
故人を偲ぶものとばかり思っていましたが、実際はまるで関係のない話題ばかり。
故人のことは忘れたかのような、まるでただの宴会のようです。
故人の家族も、少しは悲む様子を見せればいいものを、それも全くありません。

これはいったいどういうことでしょうか? 故人の家族は身内が亡くなって悲しくないのでしょうか?
それとも、悲しさを紛らすために、意図的に楽しい宴会をしているのでしょうか?
小さな子供が亡くなったときも同様なのでしょうか?

それとも、この現象は、当方の親戚だけなのでしょうか?

A 回答 (8件)

こんにちは。

50代既婚女性です。
子どもの時から数えきれないぐらい、通夜葬儀に出た経験があります。
故人が順当な年齢で亡くなった場合は、
年の順であり、自然なことですので、
故人をしのぶというのは、飲み会の口実で、
親戚が一堂集まって、結束を確かめ合ったり
いつもと同じパターンの喧嘩をする、お決まりの場でありました。

また、故人を看取った人に対する、「お疲れ様会」のような感じもありました。
故人の思い出を語るのは当然ありましたが、
それに付随して他の話に広がっていくのは、普通であると思います。

そしてそういう場には必ず、当の故人もいるのです。
魂として一緒にその場にいるのです。

血縁が濃い場合は、その気配をより強く感じますね。

「故人の家族は身内が亡くなって悲しくないのでしょうか?」
これは場合によると思います。
高齢でいつお迎えが来てもおかしくない人で、
それが何度も危篤だ危篤だと、大騒ぎ
そのたびに不死鳥のようによみがえる。
周りの方が疲労困憊。
看病している人間の方が先に倒れそうになる。

労力はもちろん、時間もお金もどんどんかさんでいく。
このままでは生きている人間が、飲まず食わずしないと、病院代も払えない。

手の施しようがないとわかっていたら、
いつ来るかわからない日を待ち続ける大変さ、それがないだけで、
生きている人間は一息つけます。
無事に仕事を終えた気持ちになると思います。

身内は亡くなったけれど、
この世にいないだけで、自分があの世に行ったらまた会えるのです。
しばしの別れですから、寂しくありません。

それが順番が狂って、若い人や子どもが亡くなった時は、
嘆き悲しむでしょうね。
長寿で人生を全うした人と、
人生半ばで終わった人とは、送り出す側の満足感が全く違います。

私のいとこが、事故で19歳で亡くなった時は、
誰一人として笑ったりするものはいません。
皆地にひれ伏して嘆き悲しんでおりました。
あのようなことはあってはなりません。
今思い出すだけで、悲しくてたまりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
やはり葬儀というのは口実の、ただの飲み会なのですね。
私はそれが何だか解せなくて質問致しました。
順当に亡くなった高齢の親でも、悲しんでいる人は当然いると思うので、
そういった人への配慮というのは当然必要かと思います。
会席で故人と全く関係の無い話題”だけ”で盛り上がっているのを見て、
「なんだかなあ」という気持ちでいっぱいです。

お礼日時:2014/12/14 22:24

私の祖母が亡くなった時は、ひどいものでした。


祖母が倒れてから、母は昼間は仕事、(父の会社の経理担当でした。)その合間に祖母の様子を見、夜は祖母の横に休みました。祖母は脳梗塞だったらしく日々壊れてゆきました。夜中に歩き回ったり、トイレがわからなくなったり、私の手助けなど知れたものです。見かねた主治医が小さな病院でしたが、入院させてくださいました。
それでも、夜中に病気が進むことがあり、夜中に起こされることもたびたびでした。発病から10日後祖母はなくなりました。母はもう心身共にガタガタになっていました。

しかし、涙を流している余裕はありませんでした。その4年前に祖父を亡くしたとき、葬儀のやり方が気に入らないと暴れたものがいたからです。

父と母は、一生懸命葬儀を薦めました。2人の体力はもう限界でした。

しかし、通夜の席での親戚の態度はひどいものでした。母のイトコ達は笑いながら、お酒を飲み、お料理を堪能していました。夜、11時になっても帰ってくれません。翌日の葬儀も手をぬけません。

葬儀の席で笑いながら,酒食を堪能している人たちは、悲しんでなぞいないのです。宴会のチャンスを楽しんでいるのです。

今のように斎場などなかった昭和の時代の話です。

父も母も、お通夜や、葬儀後のお浄めにはよほどのことがなければ出席しません。父も母も、家族葬を望んでいます。

出席者の人間性が問われる場です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
それだけひどいものだと論外という感じでしょうか。
私が疑問に感じている、「関係の無い話題で盛り上がる」というのは
まだまだ可愛いものですね。

お礼日時:2014/12/14 22:31

式後の会食は何事もない親族なら、和気あいあいとなりますね。


何らかのわだかまりがあったりすると、重い空気になって、和気あいあいとは行かなくなります。
仏も穏やかで、遺族にも何もなかったのだと思います。
そうでないと、飲むほどに絡んできたり、一人で馬鹿飲みするようになります。

わたしらのところでは「おとき」と言いますが、「精進落とし」という言い方もあります、仏事はここまでにして、ここからは平時に戻る、会食とまでしか言いませんが、宴会で良いのかと思います。

わたし、坊主が会食に欠席しなければならないときなど、献盃の発声を頼まれることが多いですが、笑いをとるというか、受けをねらう小咄を挟み込むときが多いです。
笑うに笑えない状態でやるのですから、気にくわないことがあるから、ブラックジョークです。

会食の時に笑い声が広がると言うより、天寿を全うした高齢まで生きた仏の場合などは、準備段階から笑顔がほころんでいます。
私の葬式の時は、目をつり上げて準備、葬儀を行う「さっさと終わそう」位のテンションでおわして欲しいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
当地でも精進落としと言います。
平時に戻るための場と捉えれば確かに納得できますね。
皆がそのように考えてのことであればいいんですが・・・

お礼日時:2014/12/14 22:53

多くの場合老衰による死亡の場合でそんな雰囲気になりますよ。


親戚同士は普段あまり顔を合わせないですから、
同窓会みたいなものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
故人の家族のことを思えば、それは配慮が足りないだろう、という気持ちがあったわけです。

お礼日時:2014/12/14 22:59

小さい子が亡くなった、とかなら密葬が多いと思います食事の席とかはまず無い



「ああ、とうとう逝ってしまったな」からの段取りを何回か経験してます
葬儀屋に連絡し坊さんに連絡し親戚縁者に連絡し、故人の通帳や名義のものなど
取り揃えてほうぼうに確認、報告など済ませつつ市役所に行って書類を書き込み
火葬の予約入れて会席の場を確保しながら親族代表の挨拶文作ったり作法憶えたり
当事者はまじでてんてこまいです、で僅かな空き時間に何回も泣いたりする
そうゆうことの経験がある人は会席の場とかでは泣く事はない、だいたいは。

>それとも、この現象は、当方の親戚だけなのでしょうか?
どこの家族も似たようなものだと思いますよ、変にテンション高かったりします
>これまで何度か葬式に参列し
そんな程度の経験しかないからミソもクソも同じに見えるのかも知れないですね
とはいえほんとに空気の読めない馬鹿みたいな身内はよく居ますし気持ちは判る
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結局のところ、これでいいのか良くないのか、どうなんでしょうね。
親戚に年寄りがまだ何人もいるので、今後も葬式に出かける機会も多いと思います。
そのたび、どう振舞っていいのか迷うことになりそうです。

お礼日時:2014/12/07 22:36

不幸自慢ではないことはご理解ください。


当時まだ未成年者であり、義務教育中でした。
実害があったわけではないので…。
曾祖母が亡くなった時は幼く何も考えてませんでしたが、葬式の後大きな宴会がありました。
その傍らだったか、皆さんが帰った後だったか、遺産で揉めていたのを覚えています。
祖父母が亡くなった時は家族葬でした。
正直なところ曾祖母の(表向き)華やかな葬儀を想像していたところ、もろに金銭的な揉め事を目の当たりにしたわけです。
昔あった曾祖母の葬儀の後のように宴会騒ぎがあったならそちらに目を向けていたかったです。

他にも葬儀に参列しましたが、宴会騒ぎみたいなのはありましたよ。

喪主のカモフラージュか、参列者にわざわざ来てもらったための配慮だと思ってます。
参考になればと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり気を紛らすための意味があるのかもしれませんね。
でもそういった意図を持っているのは少数派のような気もしますが・・。

お礼日時:2014/12/07 21:16

人が多くなればそういう人ばかりになりますね。


そんな人たちを見ているから、最近は家族葬などが人気なのでしょう。
本当に故人を惜しむ人だけでやる方がいいお葬式になると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり同様に疑問に思う人もおられることでしょう。
ただ、故人の家族があのような状態だったりします。

お礼日時:2014/12/07 21:02

身内をなくした当家は何もせずにいると悲しみに打ちひしがれてうつ状態になります。



通夜や葬式、告別式、と用事を作ることで悲しみを感じることを抑えるのが目的という説があります。

あと、食事は「供養のために」食べるものであるという説もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
供養のために皆で食べて、故人を偲んで、と思うのですが、
実際はただの宴会です。ただの飲み会という感じなのです。
これも悲しみを感じるのを抑えるのが目的で意図的にそうしているのでしょうか・・・。

お礼日時:2014/12/07 20:50

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