人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

夏目漱石の"私の個人主義"という本で漱石は他人本位ではなくて、自己本位という考えを持つようになりました。しかし、私には自己本位とはどういうものかよく分かりませんでした。よろしければ、どういうものか分かる方がいらしたらどうか教えていただけませんでしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

まず『私の個人主義』の「他人本位」はこのように説明してあります。



「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。…たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです」(『私の個人主義』 講談社学術文庫)


この発言の背景としてあったのは、漱石の、日本人が英文学を学ぶことに対する疑問でした。
英語を母語としない日本人に、英文学が理解できるのか。
自分の判断とイギリス人の判断が異なった場合、自分の方が正しいと、一体何を根拠に主張することができるのか。

この場合、「他人本位」というのは、自分の頭で読み、理解し、味わうのではなく、他人の目を借り、解釈をしてもらい、わかったような気になることです。
イギリス人の解釈や評価を鵜呑みにし、それをそのまま日本に紹介することです。

さらに漱石のこの問題意識は、文学にとどまることなく、日本における西洋文化の移入についても通じていきます(江戸末期に生まれた文学者たちは、漱石も鴎外も、あるいは二葉亭四迷も、日本の将来について、非常に大きな責任を感じていたことが特徴です。このような問題意識は、数十年後に生まれた芥川龍之介や志賀直哉には無縁のものでした)。

漱石は開国して以降の日本の文化をこのようにとらえていました。

「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。…西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。…この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである」(『現代日本の開化』)

漱石は当時の日本の文化自体も、他人本位のものである、と考えていたのです。

漱石は「人の借着をして威張つてゐる内心の不安」(『私の個人主義』)を抱え、一部の人からはロンドン滞在中に“狂人になった”と噂されるほど悩んだ挙げ句にたどりついたのが、「自己本位」という考え方でした。

漱石は帰国して『文学評論』と題して、イギリスの18世紀文学史を発表します。

「言語こそ違へ、内容は文学である。文学といふ点に相違がない以上は、趣味を以て判断すべき以上は、自己の趣味の標準を捨てて人の説に服従するという法はない」(『文学評論』)

これは、文学に日本人である「自分の立脚地」を堅めた漱石のマニフェストとも言えるべきものです。
イギリス人による英文学の評価とはまた別個に、日本流の英文学の解釈にも意味がある、と漱石は考えたのです。

『私の個人主義』のなかで、漱石は「自己本位」とは、
「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」
ことであると述べます。

さらには、こうした「自己本位」に立つだけにとどまらず、他人の個性をも尊重すること。
社会の中で生きていくための倫理的修養を積むこと。
これが漱石の言う「個人主義」であると考えることができます。

一方、日本文化に関しては、漱石は、たとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑つてゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていました。
そのなかで個人が生きていくにはどうしたらよいのか。
それは「個人主義」に徹するほかはない、と考えたのです。

漱石の「他人本位」「自己本位」「個人主義」を簡単にまとめると、このように言えると思います。
    • good
    • 16
この回答へのお礼

ありがとうございました。
とても詳しくて、分かりやすかったです。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/07/04 22:38

私の個人主義とうい本は昔読んだことがあります。

自分は一人で生きているのではない。といった内容だったように思います。その中で出てくる自己本位。自己本位とは“自分自身に生きる”ことだとおもいます。自分勝手生きるのではなく。自分自身に生きるのです。それは生きていることが素晴らしいんだと思える自分に変わること。なかなか難しいかもしれないですけど“どんな状況に置かれても自分は自分が好きだ!”といえる自分になることではないでしょうか?腐った自分もがんばっている自分も何もない自分もすべて素晴らしい好きだ!といえるのです。自分が幼いころ学歴の何もない母が漏らしたことがあります。「人間はなぁ、どんなときでも一生懸命やるのが人間の本当の姿だよ。」自分はそれを自分自身に生きることだと思って日々すごしています。最後にこれを釈尊は『随自意』といいました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。
自分もこれから一生懸命やりたいと思います。

お礼日時:2004/07/04 22:36

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q夏目漱石について

夏目漱石の「現代日本の開花」という講演を読んだんですけど、なんだか言葉が難し過ぎてよく分からなかったんですが、漱石が定義した開化で発展した結果をどのように評価し、日本にはどういう影響を与えたのか教えてください。よろしくお願いします。
前半の開化の定義までは分かるんですけど、後半の日本の開化についてはよく分かりませんでした。

Aベストアンサー

後半のわからなくなった部分というのは、人間の意識にふれたあたりのことでしょうか。
この部分は、漱石が影響を受けたウィリアム・ジェイムズの心理学の紹介なんです。だから全体で見ると、少し違和感がありますね。

ウィリアム・ジェイムズは「意識の流れ」(意識は、塊のような要素が集まってできたものではなく、常に変化しつつある一連の流れであるという主張)を提唱し、やがて文学における技法として、さまざまな作品に用いられるようになるのですが、その最高峰といわれるのが、ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922)。
この講演が1910年のことですから、漱石は日本にあって、世界とほぼ同時的にジェイムズの心理学の著書を読んでいたことがわかります。

さて、その部分はちょっとおいておいて、全体を流れに沿って見てみましょう。

まず漱石は「文明開化」をこう定義します。
「開化は人間活力の発現の経路である」(『現代日本の開化』 講談社学術文庫『私の個人主義』所収)

漱石は文明開化というものは、人間の活力の表れであると考えていたわけです。
その人間の活力には消極的なものと積極的なものがある。

消極的なものは、外部から強いられることを果たすために活力を節約しようとするために働く。その結果として電信電話や自動車などが発明された。
積極的なものとは、強いられないものに対して、みずからすすんで取り組むことです。
こうやって、文学や科学、哲学などがおこってきた。
この二種類の活力が相まって、今日の文明に至ったと言うことができる。

そうやって文明開化が進んで、死ぬか生きるかのために争うことはなくなったけれども、こんどはAの状態として生きるか、Bの状態として生きるか、と生き方の質をめぐる争いになった。
結果、たとえ技術面では便利になったとしても、精神状態の苦しさはそれほど変わるものではない。
それが一般的な開化の現状だと言うのです。

日本の場合はどうか。
日本は外から迫られて、外発的な開化を余儀なくされた。
外国では二種類の活力の結果として、年月をかけて必然的な開化を行ってきたのに、日本はそれだけの年月をかけることなく、一足飛びに来てしまった。

そこで、問題の箇所に来るわけです。
人間の意識というのは、一箇所に留まるものではなく、波を描きながら移り変わっていくものである。 波動の高いところは意識の焦点が当たった部分で、低いところは焦点の当たらない無意識の部分です。高いところから低いところへ、そしてまた次の波へ、と意識は移り変わる。
こうした意識の波動は、個人の内のみならず、社会全体にも起こっている。

「かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません」

つまり、個人の意識が流れていくように、社会の意識も必然的に流れていく。
西洋の開化は、こうした社会の意識が成熟した結果、次の波へと至るように、必然性を持って移り変わったものである。
ところが日本は、その波の上っ面だけ、なんとか飛び移ろうとしているに過ぎない。

漱石はこれをダメだ、とは言っていないんです。
仕方がないことだ。
けれども、開き直るのではなしに、また「追いついた」と得意がるのでもなしに、

「こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません」と言うのです。

開化というものが、必ずしも人間の幸福を意味しないことは、先にも見た通りです。
加えて日本は、外から開化を余儀なくされ、上っ面を滑りつつ、また滑るまいと踏ん張り、大変な苦労を背負い込んだ状態になっている。

漱石は、これからの日本はどうすべきだ、とは言っていません。
ただ、そうした現実を見据えていくしかない、と言っているのです。

中村光夫は『明治文学史』(筑摩叢書)の中で、漱石の小説の主人公についてこのようにふれています。
主人公の多くは「高等遊民」である。
「日本対西洋の関係が駄目である以上、それに何も希望がみとめられない以上、なすべきことは何ひとつないと言い切り」
「彼等は何もしないことで同時代と社会の人々の生き方を批判している」

日本のとるべき方向性を一文学者である漱石は提示しえなかったけれども、漱石は生涯を通じてこの問題を考え、作品を通じてあきらかにしていったのだと思います。

後半のわからなくなった部分というのは、人間の意識にふれたあたりのことでしょうか。
この部分は、漱石が影響を受けたウィリアム・ジェイムズの心理学の紹介なんです。だから全体で見ると、少し違和感がありますね。

ウィリアム・ジェイムズは「意識の流れ」(意識は、塊のような要素が集まってできたものではなく、常に変化しつつある一連の流れであるという主張)を提唱し、やがて文学における技法として、さまざまな作品に用いられるようになるのですが、その最高峰といわれるのが、ジェームズ・ジョイス...続きを読む

Q夏目漱石の文明論

レポートの課題で漱石の文明論について調べていて、漱石文明論集を読んでみたんですが、よく分かりませんでした。漱石の文明観を分かりやすく教えてください。おねがいします。

Aベストアンサー

明治四十三年八月、修善寺で吐血し死線をさまよった漱石は、療養のためしばらく創作活動を休んでいました。
けれども翌年六月頃から体調も良くなったのか、いくつかの講演の要請に応えるようになり、八月には関西に招聘されて四つの連続講演をおこないます。

「道楽と職業」…8月13日
「現代日本の開化」…8月15日
「中味と形式」…8月17日
「文芸と道徳」…8月18日

この四つの講演は、漱石自身の手によって文章化され、さらに「文芸の哲学的基礎」と「創作家の態度」を加えて、後に『社会と自分』というタイトルで出版されます。
漱石の「文明観」を、小説ではなく評論という形式で見ていこうとするなら、こうした作品を読んでいくのが良いと思います。

まず「現代日本の開化」で、漱石は、総論的な立場から、近代化とはなにか、その問題点はなにか、とくに日本が抱える「外発的開化」の問題点を述べます。
これに関しては、以前ここで回答しているので、良かったら参考にしてください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=929665

近代化していく社会の中で、職業は次第に細分化され、その結果、個人は孤独を余儀なくされていく、という考察をおこなっているのが「道楽と職業」です。

同じく、急激に移り変わる社会を道徳の面から考察したのが「文芸と道徳」。文芸思潮上の概念、ロマンス主義と自然主義というふたつの潮流を道徳観に援用しつつ、自然主義の時代に、どのような道徳観を持つことができるのかが述べられます。

「中味と形式」は、社会的変化に対応して、政治形態も変わっていかなければならない、という内容のものです。

「一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです」

そのためには傍観者であってはならない、と言います。


非常に興味深いのは、漱石が人々の暮らしや文化、職業あるいは道徳といったものを、個々バラバラにとらえるのではなく、社会のありようとして全体的にとらえ、かつ、それぞれの要素が有機的に関連しあっていると考えていた点です。
おそらく漱石は、実際の社会を見る中から、こうした思想を培っていったのだと思います。

よく分からない、とのことですが、漱石はあくまでも作家であって、みずからの思想を表現する手段は、なによりもまず、小説においてでした。
したがって、いわゆる「文明論」集も、きわめて独創的な考察がなされていたり、現象が深く掘り下げられていたり、鮮明な指針が提示されていたりするわけではありません。それだけに、きわだって難解なものではなく、普通に読んでいきさえすれば、理解できるのではないかと思います。

『三四郎』で、あっさり「(日本は)滅びるね」と言ってのける広田先生や、あるいは「日本程、借金を拵えて貧乏震いしている国はありゃしない。……西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。……日本国中何所を見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ」という『それから』の代助の独白など、漱石の作品の登場人物たちは、きわめてペシミスティックに現実をとらえています。
けれども漱石は、社会の矛盾は矛盾としてとらえつつも、そこから離れて高等遊民として生きる代助や、「冷然たる傍観者」(「中味と形式」)の広田先生の生き方を肯定しているわけではない。

こうした文明論を読むことで、漱石が何を批判し、どういった方向性を模索しようとしていたのかがはっきりと見えてくる。そうして、作品が一層奥行きをもってとらえられるのではないかと思います。

あと、「私の個人主義」に関しては、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=885537
で概略を紹介していますので、こちらも参考になれば。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=929665

明治四十三年八月、修善寺で吐血し死線をさまよった漱石は、療養のためしばらく創作活動を休んでいました。
けれども翌年六月頃から体調も良くなったのか、いくつかの講演の要請に応えるようになり、八月には関西に招聘されて四つの連続講演をおこないます。

「道楽と職業」…8月13日
「現代日本の開化」…8月15日
「中味と形式」…8月17日
「文芸と道徳」…8月18日

この四つの講演は、漱石自身の手によって文章化され、さらに「文芸の哲学的基礎」と「創作家の態度」を加えて、後に『社会と自分』というタ...続きを読む

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む

Q夏目漱石の『クレイグ先生』について

こんにちは、皆さん。お元気ですか。
夏目漱石の『クレイグ先生』について文章を書いてみたんですが、ちょっと自然な日本語に直していただけないでしょうか。よろしくお願いします。

本文はこちら:http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html (最後にある小説)

 『クレイグ先生』とは、夏目漱石によって書かれた短編小説である。その作品は1909年、     『朝日新聞』に断続的に連載された『永日小品』の一つの短編小説である。
 その小説は、夏目漱石が文部科学省よりイギリスへ留学していたときに書かれた作品である。
 小説は一人称で書かれており、ナレーター―クレイグ先生の生徒―と夏目漱石は同じな人だと言うことができる。そして、クレイグ先生という人物は、実には、ロンドンで漱石が英文学の個人教授を受けていたウィリアム・ジェームズ・クレイグという教師である。
 夏目漱石は多くのユーモアを解する心がある作家であり、『クレイグ先生』にはさまざまなユーモアのあるところが出ている。登場人物の人相や性格を描写をするとき、いつもウイットとユーモアがきいている。たとえば、婆さん―クレイグ先生のメード―という人物は最初から最終まですっと「驚いている眼」をしている人であれば、クレイグ先生も「鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる」し、「消極的な手」のある人物である。そのとおりに、クレイグ先生の性格もユーモアな観点から描写されている。彼はいつも漱石から講師料を前払いを頼んでいたし、授業をぜんぜん計画せずに、頭に始めて出ることで漱石に教えていた人物であった。
 たぶん、明治時代に育った漱石は、イギリスへ留学する前に、西洋人をあまり見たことがなかったから、そんな主観的な描写が出てくるかもしれない。

こんにちは、皆さん。お元気ですか。
夏目漱石の『クレイグ先生』について文章を書いてみたんですが、ちょっと自然な日本語に直していただけないでしょうか。よろしくお願いします。

本文はこちら:http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html (最後にある小説)

 『クレイグ先生』とは、夏目漱石によって書かれた短編小説である。その作品は1909年、     『朝日新聞』に断続的に連載された『永日小品』の一つの短編小説である。
 その小説は、夏目漱石が文部科学省よりイギリスへ留学...続きを読む

Aベストアンサー

 『クレイグ先生』 は、夏目漱石によって書かれた短編小説で、1909年に 『朝日新聞』 に断続的に連載された 『永日小品』 という短編小説集の中の1篇である。
 『クレイグ先生』 は、夏目漱石が文部省から派遣されてイギリスへ留学していたときに書かれた。
 一人称で書かれており、語り手 -- クレイグ先生の生徒 ― は夏目漱石その人であると思われる。 クレイグ先生とは、ロンドンで漱石が実際に英文学の個人教授を受けていたウィリアム・ジェームズ・クレイグという教師のことである。
 夏目漱石はユーモアを解する作家であり、『クレイグ先生』 には随所にユーモラスな表現が出てくる。登場人物の人相や性格を描写をするとき、いつもウイットとユーモアをきかせている。たとえば、婆さん ― クレイグ先生のメイド ― は、最初から最終までずっと 「驚いている眼」 をしている人であり、クレイグ先生は 「鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる」 し、「消極的な手」 の持ち主である。そんなふうに、クレイグ先生の性格もユーモアを含んだ描写がされている。彼はいつも漱石に講師料の前払いを求めていたし、授業は無計画で、その時々に頭に浮かんだことを漱石に教えていた。
 たぶん、明治時代に育った漱石は、イギリスへ留学する前には、西洋人を見たことはあまりなかったので、そういう主観的な描写になったのかもしれない。

 『クレイグ先生』 は、夏目漱石によって書かれた短編小説で、1909年に 『朝日新聞』 に断続的に連載された 『永日小品』 という短編小説集の中の1篇である。
 『クレイグ先生』 は、夏目漱石が文部省から派遣されてイギリスへ留学していたときに書かれた。
 一人称で書かれており、語り手 -- クレイグ先生の生徒 ― は夏目漱石その人であると思われる。 クレイグ先生とは、ロンドンで漱石が実際に英文学の個人教授を受けていたウィリアム・ジェームズ・クレイグという教師のことである。
 夏目漱石はユーモア...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q明治・大正の個人主義思想

歴史学の中でも思想史を勉強している者です。
特に明治から昭和にかけての思想、または国体論などを勉強しています。大学で個人主義思想を夏目漱石の「私の個人主義」を題材に発表することになりました。文学史や個人主義に関する知識があまりないため困っています。とにかく戦前の個人主義に関する研究書を知りたいのですが、特に…

(1) 西欧においてどのように個人主義思想が発達したのか、それを日本が明治以降どのように導入したのかを解説している本・論文を教えてください。「私の個人主義」はとても有名ですが、個人主義の思想家としては誰が有名なんでしょうか…

(2) 昭和12年に発表された「国体の本義」の緒言では徹底的に個人主義を批判しているので、国体を強化していく上で弊害になったことは確実だと思うのですが、個人主義思想が日本にどのような影響を与えたのかを解説している本を教えてください。

(3)夏目漱石が与えた影響、できれば文学や作家としての影響ではなく、思想に与えた影響を知ることを出来る本や論文を教えてください。夏目漱石研究としては小森陽一さんが有名ですが、参考になるでしょうか?「ポストコロニアル」は興味深い内容でしたので、一度は読んでみたい学者ではあるのですが…

注文が多くてすみません。少しでもいいので知っていることがあれば教えてください!

歴史学の中でも思想史を勉強している者です。
特に明治から昭和にかけての思想、または国体論などを勉強しています。大学で個人主義思想を夏目漱石の「私の個人主義」を題材に発表することになりました。文学史や個人主義に関する知識があまりないため困っています。とにかく戦前の個人主義に関する研究書を知りたいのですが、特に…

(1) 西欧においてどのように個人主義思想が発達したのか、それを日本が明治以降どのように導入したのかを解説している本・論文を教えてください。「私の個人主義」はとても有...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。

 思想史、面白いけど、非常に難しい分野ですね。

 まず、「近代」というのがどういう時代だったか、について浚っておくと、

「強さをます体制側の国民国家への締め付けと、自我の覚醒・実現がせめぎあった時代」

 と捉えるのが、一応の共通認識であるようです。

 もちろん、単純な対立の構図ではありません。体制の中で自己の居場所を見つける形もありえたし、国粋で、体制外に身を置きつづけた人もいます。

 さて、そうすると、個人主義とは、このパラダイムの中にあって、自己を尊重し、自己の思うところを実現するのが本当だ、という思想、ということに、一応はなると、私は思いますが、「個人主義」ということばは、そういう思想があったのでしょうか、それとも、さまざまな思想のなかに、「個人主義的傾向」が含まれる、という形で存在していたのでしょうか。

 私は、キリスト教的個人主義、フェミニズム的個人主義、社会主義的個人主義という風に、それぞれの思想(もちろん、本質的に個人主義を含みえない思想もありますが)に、「個人主義的傾向」があったと考えたほうが妥当だと思います。

 つまり、今度の質問者さまの発表題目ですと「夏目漱石の思想における個人主義とは」ということになります。

 紹介できる資料や文献ですが、不勉強にして、ご質問にぴったりのものは挙げるることをえません。ただ、もう読んでおられるかもしれませんが、鹿野政直著『近代日本思想案内』(岩波文庫)に、日本の近代思想史がきれいにまとめられています。この種の本では白眉かな。

 この辺をバックにして、三好行雄編『漱石文明論集』(岩波文庫、『私の個人主義』も入ってます)収録の漱石の文章や、三好氏の解説、また、瀬沼茂樹解説『私の個人主義』(講談社学術文庫)の解説をご参考に、まとめていかれたらいかがかと思います。三好氏、瀬沼氏とも、近代文学研究の碩学であり、文化史的研究方法をとっています。
 『漱石文芸論集』(岩波文庫)の、磯田光一氏の解説も参考になるかと思います。
 あと、岩波、新潮、角川各文庫の漱石作品の解説も。このあたり、一冊になった研究書より纏まっていたりして、なかなかもってばかにできません。漱石の解説は、各文庫とも一流どころを持ってきますしね。それに、漱石の研究は、文化史・文明史的な傾向が一般なようです。いわゆるカルチュアル・スタディです。

 漱石は、先ほど挙げた近代の定義に、全身でぶつかっていった作家です。個人主義をテーマにするなら、全作品が資料といってもいいでしょう。

 漱石の影響は、いわゆる漱石山脈の人々がまずあがります。でもこちらは、私はわからない。他の方の回答を。

 今回の発表が一段落ついたら(なんてのんきなことを……すいません)前田愛氏の『近代読者の成立』(岩波ライブラリー)を、よければ、一読してみてください。こんな思想史への接近のしかたもあるんだと思わせてくれます。
 あと、鶴見俊輔著『戦時期日本の精神史』(岩波書店 文庫になっていたと思います)などは必読。

 以上、不完全な答えですいません。
 よき発表になりますよう。 

 こんにちは。

 思想史、面白いけど、非常に難しい分野ですね。

 まず、「近代」というのがどういう時代だったか、について浚っておくと、

「強さをます体制側の国民国家への締め付けと、自我の覚醒・実現がせめぎあった時代」

 と捉えるのが、一応の共通認識であるようです。

 もちろん、単純な対立の構図ではありません。体制の中で自己の居場所を見つける形もありえたし、国粋で、体制外に身を置きつづけた人もいます。

 さて、そうすると、個人主義とは、このパラダイムの中にあって...続きを読む

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q卒業検定に落ちた人!

卒業検定に落ちた人!
(ペーパー試験じゃなくて、実技の方)

どの理由で落ちたか教えてください。
あと10日程で、卒業検定です。
参考にさせてください。

Aベストアンサー

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返しで
抜けられるところ,未熟なため列から抜け出せず
全員が100点原点で不合格になった(実話ですよ)

ポイントは状況判断ミスと走行不能による検定中断になったため
一般的なことは皆様書かれているようなことで
おそらく,質問者様もある程度予測できていることも
あると思います
上のような,予測不可能な事態に巻き込まれたとき
如何に判断して抜け出せるかだと思います

運とか,こういう場面に出くわす確立とか
ありますが,平常,冷静を保つことが大事です!!

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返し...続きを読む

Q「今日も今日とて」の意味を教えて下さい

「今日も今日とて」の意味を教えて下さい。
前後の文章から、単純に「今日も」という事かなと思ったのですが、「今日とて」がひっかかります。
「今日」は「キョウ」でいいんですよね?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

同じ意味の重ね合わせで、強調してるのです。

「今日も」、今まで通りなんだ、
「今日とて」明日になれば変わるかも希望をもっていたとしても、「今日とて」変わらない。という事ですね。

音を踏んで、何も変わらない事を強調表現しているのです。


人気Q&Aランキング