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なぜ毎年、1月17日が近付くと記念行事が行われたり
震災関連のテレビ番組が組まれたりと嫌な記憶を
呼び起こします。

あんな大きな地震は生きているうちには2度と出合う
ことはないのになぜ忘れさせてもらえないのでしょうか?

もう忘れてしまうのが前向きな人生の歩みでは
ないのでしょうか?

A 回答 (5件)

立場によりけりだと思います。



関東大震災をちなんで防災の日が制定されて、毎年この日には避難や救助の訓練が行われています。そのことを考えたら、阪神大震災はまだ20年しか経っていません。亡くした家族や友人・知人を偲ぶ大切な日であることは変わりません。

「いつまで悲しんでいるのか」という気持ちもある意味では正しいと思います。生き延びた人が悲しみにくれることを、亡くなった人が望んでいるとは思えません。また、被災しなかった人にとっては、もう過ぎたことかも知れません。しかし、立ち止まって振り返るのも人間の側面でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。防災訓練は大事ですね。
でもメソメソ番組は要りません。

お礼日時:2015/01/12 07:46

どうぞお忘れください。

そして何も成長しない毎日を送ってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。嫌なことは忘れ、
新しい気持ちで未来に生きてゆくことが
成長ということですね。

お礼日時:2015/01/12 07:47

質問者の年齢が非公開なのですが、


生きているうちに2度とないとは言えないのです。
大きな地震はけっこうありますし、それが都会か地方かの違いだけです。
それを知らないか地方無視なのかはわからないのですが、
地震や自然災害があったとき、どういう被災があって、どういう行動があったのか、
その後の人々の行動は次の災害には生かされる貴重な経験です。
忘れるのが前向きなのではなく、
経験を次に生かすのが前向きなのです。
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この回答へのお礼

経験で役に立つことが一つでもありますか?
あるならマニュアル化して後世に残すべきじゃないのですか?
いつまでも語り部のようなことして楽しいですか?

ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/12 07:48

はじめまして。



 >あんな大きな地震は生きているうちには2度と出合うことはないのに
 >なぜ忘れさせてもらえないのでしょうか?
忘れてしまうと、また同じ過ちを繰り返すからです。
震災に限ったことではありません。
戦争、大地震、大津波、大事故・・・
こうした悲劇自体を起こさない対策、
起こってしまった時に、被害を最小限にとどめる対策、
こうした日頃から事前の対策を取ることが
重要なことになります。

ですので、記念碑をたてたり、毎年記念行事などを行うことで
風化するのを防いでいます。
「嫌な記憶」=「忘れていい記憶」とはなりません。
嫌な記憶の中には、忘れてはならない必要な記憶があるのです。
被害を受けた個人にとっては
辛い思い出なので、忘れた方がいいかもしれません。
しかし、記憶を風化させてしまって、未来の世代がその辛い思いを
繰り返すのは防ぐべきでしょう。
被害者の方の中には、辛い思いを噛み締めながら
体験談を講演会で伝えることを
ライフワークにされている方もいらっしゃいます。

私たちは、辛い思い出に耐えながら
同じ悲劇が繰り返されないことを祈り
行動していくのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

日本人は隣国と異なり忘れることが美徳なのです。
同じ過ちも世代が変わると繰り返すのです。
それが日本人というものです。
その美徳がなくなれば、日本人ではないと言えます。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/11 10:04

明日にでも死ぬというのであれば、大きな地震はないと言っても良いでしょうけど、これから10年、20年と生き続けていくなら、いつどこで大地震が起きるか分かりません。


嫌なことだからといって、忘れてしまうのでは決して前向きではないですし、全く成長しないことになります。
一つの経験として、これから先の災害時に活かしてこそ、前向きな人生の歩みになります。
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この回答へのお礼

何をどう生かすというのでしょうか?
抽象的な概念では意味がありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/11 10:05

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