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数学をやってからは頭の中で物事を考える時、以前より順序立てや頭の中だけで整理してクリアに考えられるようになったし、思考の深さもより深くまで考えられるようになったという方はいますか?
それともたいしてかわりはなかったでしょうか?

A 回答 (4件)

こんなこと、人に聞くなよ。

自分の感慨だけでおさめておくのが男というものだ。重要のこともつまらないことも区別すらつかないで、ペラペラ聞きまわっている奴がいるけど、うざいというよりも吐き気を覚えるね。たまには自分自身の声を聴いてみろよ。
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あんまり関係ない気がする。

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一般に習う数学では、考える力は身につかないと思いますよ。



思考するためには、頭の中で話すことが大事です。

頭の中で話すことが出来る人が、手段として数学記号を遣っているだけです。

こういう人が、絵を描いて台詞をつければ漫画。

文章でそのまま書けば小説家やライター。


携帯メールの絵文字を使えば、普通の人。

という感じですかね。


まずは原本となる日本語で長く思考できるように訓練すると、

先ほど挙げたすべてに対して、楽に習得できます。

ですので、数学を使うと思考力が身につくのではなく、

思考力を身につけた人が、数学記号で考えを表現しているだけです。


数学の証明などを解説している論文などでは、

非常に綺麗な日本語を正確につかっていますよ。

思考力=語学力と言うのは誰もが否定しない常識となっています。



知力というモノの基本は語学力ですが、

より高い思考能力を身につけるためには、母国語が一番効率が良いです。

なぜかと言うと、

外国人が、子供みたいな日本語を使っても、私たちは褒めますよね?

ただし、頭悪そうに感じます。

逆にすると、

私たちが使う外国語は、他国ではその程度の知力水準だということです。

これに精通しても、今の年齢の知力に相当するまで遠いでしょう。


このため、

各国の母国語の性能が重要になります。

先進国の母国語は、思考に必要な全ての概念機能をもっております。



ということで、

このサイトでも良くある質問、

何を勉強したら、今後役に立ちますか?

に対して、

日本語と答える人が多数います。


日本語の向上がもっとも知力のアップに繋がる。

これを知っている人は、恐らく大学院などを出ている方でしょう。



では、

どうして普段日本語を話しているのに、知力が変わらないのか?


と思いますよね。

実際は、変わっております。

以降は、ノウハウです。


私の場合ですが、

体調不良で頭が回らないときは、

知性の高い人の書いた人の文章を読みます。

これで瞬間的にブーストアップできますよ。

ひきづられて頭が良くなります。

つまりは、

人の知力は、見たもの、出した声、書いたものなどに引きづられて、

激変するのです。

これについて説明します。


どうも脳の構造上、人の人格は多重人格にできているらしいです。

これらが別人でなく、自分ひとりであると強く信じる機構があるようです。

この人格ごとに役割があります。

例えば、笑うことしか出来ない人格。

怒ることしかできない人格。

このくらい細かく、わかれているようです。

人の脳は、場所ごとにソフトウェアが違っているようです。

血液が集まった場所が活性化し、

ソフトが動き、同時にそこの人格が表に出てくるようです。


記憶もその周辺に記録されるようです。

ご飯を食べて笑っているときに体験したことは、

ご飯を食べて笑うと鮮明に思い出すという仕組みですね。

実際に、そうなっていませんか?


例えば、

本を読むときは、本を読むための人格が表に出てきます。

そのときは、この人格の限界の知力しか発揮できません。


ということは、

日常生活では色んなモノを見て、色々と作業をしますから、

この瞬間瞬間で人格が入れ替わり、

(ココがポイント)

知力もかわっているということです。



もっとも知力が低くなるのは、音楽に没頭しているときです。

しかし、逆に体調制御が活発になり、肉体の制御が上手くなります。


音楽と対極にある知力の源泉の力は、絵画のようです。

つまり、絵と音楽はともに芸術とされていますが、

前者は知性、後者は肉体制御に適しております。

文字を扱う人格は、これらの中間です。

(音として話す声と、図形としての意味を持つ文字の二つの特徴がある)

中庸であり、客観的な性格であり、中くらいの知性となります。



中間ですので、文字や文章を使って、

知力をあげるか、下げるかを制御できます。

人は普通の状態ですと、非常に低い知力レベルに整えられています。

一気に加速することが難しいため、

文章を書いたり、読んだり、または冒頭挙げましたように、

心の中で話すことで、徐々に誘うのです。


数学的な思考により、もっとも高い次元で発想する人は、

頭の中に映像が流れ、立体を6次元で回転させられるそうです。

つまり絵のほうですね。

この絵のほうで、正解を見てしまい、

これを正確に伝えるために、一度知力レベルを落とし、

数学記号を使って、メモとして書き取るわけです。

一瞬で、知性は低下しますから、

忘れないうちにメモを取るためには、

数学記号の様な簡易であり、間違い(誤解)が無い表現のほうが

便利と言う事です。


このメモを見ただけでは、何を言っているか分かりません。

普通は日本語により、補足されております。

(どんな学術論文でも、文章による補足が9割くらいです)

メモだけのこっており、意味が分からなくなったもので、有名なのが

フェルマーの大定理などがあります。


数学記号だけですと、意味を成さず、とっつきづらく、理解できないのが

当たり前なのですが、

これに耐え切れば、何かしら超回復のような恩恵があると信じてしまう人が

多いので誤解されています。

全くの無駄ですよ。


数式だけ解く練習をすると、知性は下降し、頭が悪くなります。

つまり記号だけを追いかけると、知性は下降し、

見たモノを文章で表現しようとすると、知性が上昇します。

記号を理解する(読み取る)のではなく、

記号で表現する(思いを記号化して吐き出す)行為が大事です。


絵を記号にすることが大事。

この逆をすると、知性が低下します。

つまり、文章として表現すべきことを、絵にして表現してしまう行為です。

日本語で書けば表現できるものでも、

あんまり知性が下がるときつくなります。

脳が弱っているわけですね。

体でいうところの、体力に相当する知力が下がっています。

こういう人は、日本語を書かずに、絵文字や顔文字を使ってしまいます。

これは相当あぶない行為です。


あんまりやると、

自分が何を感じて、何を言いたいのか、わからなくなり、

頭の中に硬い岩の様な鍵が掛かってしまいます。

サボらずに、ゆっくりで良いので、日本語だけで表現するほうが良いでしょう。


また話すときも、

意味ではなく、音のニュアンスばかりを追いかけると非常に危ないです。

言葉遊びで、音の響きなどが面白いと感じることがありますよね。

しかし、これは危ないですよ。

動物も音の響きで哀しさを表現したり、怒りを表現したりします。

動物と人間の違いは、

鳴き声で伝えるか、意味として伝えるかです。


一見して日本語に見えて、実は動物の泣き声に近い表現が沢山あります。

知力が弱ってくると、

コミュニケーションにこの鳴き声を使いたくなります。

動物化していると言う事です。

こういう方のボキャブラリは、音で構成されています。


そのために、

肉体としてはちゃんと大脳があるのに、

ボキャブラリのほうが、動物の人格(w)を誘ってしまい、

慢性的に知力が下がった状態になります。


これが続くと、

意味が連続する文章や、人の話は頭に入らなくなり、

頭がぼやけている感じが常にします。

無理に頭を使おうとすると(かなり激しい)頭痛がするようになります。

さすがにこの状態では、難しいことが出来ません。

このため、社会に出て適応障害になる場合が多いのです。


こうした方には、即効的な効果がある方法として、

自分の事を「僕」「俺」とか言わずに、

「「私」と表現しなさい」

と助言しています。


この主客を使うと、

本人相対比ですが、

本人の中でもっとも高い能力の人格が登場します。


さて冒頭に戻りますが、

数学を使って頭をよくすることはできません。

また、超回復のようなものもありませんから、特訓も意味がありません。

知力の場合は、瞬間的に変わるため、

切っ掛けとなる簡易なモノをノウハウにして、

これを持続するための作業をすることが大事です。



結果として一番楽なのは、

「私」を主格にし、これにソグワナイ語彙や表現を排除し、

「私」モードの語彙を増やし(調べたりして)、

この「私」的な言葉遣いで、文章を作ったり、表現すれば良いのです。


これを頭の中で継続すると、

これが出来ている間だけ、最高の知性が持続します。


そのため、頭が良いと言われている人は、「私」を主格として文章を

頭の中に作っています。

その人は、それをしている間だけ頭が良く、

それを辞めたときは、普通の人になります。


また、頭の良い人でも、

鳴き声に近い語彙である言葉を発した瞬間、

動物程度の知性に落ちます。



知力に自信がない人は、

切れ目無く、そうした(知力が下がる)言葉遣いを継続しているだけです。

動物に近い、低い知力を努力して維持していることになります。


また、この言葉遣いをする人格の傍に、

ズルをする、うそをつく、ねたむ、そねむ、

などなど悪意にちかい機能があります。


それが故に、この誘惑に耐えることが大変難しくなるのです。


逆に、

「私」という言葉遣いをして、悪意を抱くことのほうが難しくなります。


以上、ご参考に成れば。
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逆ですね。


 私の見てきた子供達、周囲の人を見て数学を勉強して「頭の中で物事を考える時、以前より順序立てや頭の中だけで整理してクリアに考えられるようになった」のではなく、漫画やアニメや映画ではない====たくさん色々な本を読んできた子が、理系科目を得意になるようです。
 文章や会話の中から、本質を選り出して、抽象的に考えるためには、まず読解力、理解力が必要ですね。
 それがある子だけが、数学などの抽象世界で考えることができるようになる。
 理系の子は、長い本を読んだり、長い話を聞くのをいとわないでしょ。

「数学をやってからは」
になる前段階で、「数学がやれる頭を作って」おかないとならないという事ですね。
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