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’80年代後半、レプリカ世代のものです。
’80年代のレプリカブームは、「バリ伝」「あいララ」「ふたり鷹」「ペリカンロード」といった漫画の影響と、γ、TZR、NSRやFZR、GSX-RといったRRバイクの規制緩和による出現、という理由だと思います。
もちろんバブル景気も多分に影響してると思います。

また、’80年代のバイクブームそのものは、’70年代後半のパッソル&パッソーラやロードパル(ラッタッタ)、1も2もなくラブ3(スリー)といった、それまでになかったタイプのミニバイク(=スクーター)が出現したことや、その後に続くHY戦争による市場の拡大によるものだと思っています。

ただ、その空前のバイクブーム(HY戦争)と、レプリカブームの間。これがどうつながるのかが分かりません。

バイク雑誌では
「'80年代の訪れと共に、RZ250が出てクオータースポーツ人気が一気に高まった。
それに続き、VTが出て中型バイク市場全体が拡大した。
それを追う形でGSX-Rやγが出て、それがそのまま'80年代後半のRRブームにつながった。」と解説してあるのですが、そうではなく。

たとえば、「バリ伝」ではグンやヒデヨシがCBや刀で峠バトルするのですが、これは実際に少数の好き者が走り屋の真似事をしてたから漫画になったんだと思うんですよ。
CBや刀やVTが「ハングオン」という、それまでになかった走法で、都会の高速道路ではなく「山奥の峠道」で街道レーサーごっこをして遊ぶのですが、それがどこからやってきたのか?と。
その当時の好きもの達がバイクを乗り回しているうち、なんとなく「今はコレがカッコイイんだぜ?」「この遊びがナウいんだぜ?」的に始まったのか?と。
「バリ伝」や「あいララ」により、漫画を真似した街道レーサーやハングオン走法が爆発的に増えたのは事実でしょうが、そもそもの始まりはなんだったのかを知りたいのです。ロードパルやラブ3ユーザーがいくら増えても走り屋は増えないでしょうし、目立つのが目的なら山奥の峠ではなく都会の街中に行くでしょうし。


たとえば、これが’90年代のドリフト族の興隆ならわかります。

「’80年代のRRバイクブームの後、バイクの走り屋ブームも沈静化し、バイクに代わり車で走る峠のドリフト族が現れた。
そのようなドリフト族を題材にした「頭文字D」という走り屋漫画が大ヒットし、漫画をマネた連中もドリフトを始め、その数は増える一方となった。
地域住民による騒音や苦情などにより、取り締まりや規制が強化され、次第に走る場所が限定され、またドリフト自体も飽きられ始めブームに陰りが見え始めた。
リーマン・ショックにより経済が完全に冷え込み、またガソリン代高騰の影響もあり、ドリフト遊びは完全に下火に。
車は荷物がたくさん積めるミニバンや燃費のいい軽自動車が人気となり、乗り心地が悪く燃費も悪いスポーツカーはオタクの乗り物、ドリフト遊びは資源を無駄使いするだけの自己中DQNのカッコ悪い遊びというイメージが広がり、一部のコアなファンを除いてドリフトブームは終焉を迎えた。」
とまあ、長くなりましたが、こんな感じでしょう。


私見でも構わないので、ラッタッタやHY戦争からバリ伝までにつながる流れ、こんな感じでどなたか説明して頂けますか?

質問者からの補足コメント

  • すいません。
    ちょっと前置きが長くなり過ぎてわかりにくい質問になってしまいましたが、簡単にいえば

    「バリ伝のモチーフになった”バイクの峠の走り”という遊びは、いつ頃、どんな感じで始まったの?」

    という質問です。

      補足日時:2015/07/19 21:52

A 回答 (2件)

№1の方の回答と同じです。


 ハングオン(ハングオフ)を完成させたケニーロバーツやバリ伝でお馴染みのCB750Fで活躍したスペンサー(900F)がレースで優勝したのが80年代前半です。
その後ローソンやガードナー(どっちもレーサー名です)が出てきてバイクレースが日本でも認知されるようになりました。

鈴鹿サーキットで8時間耐久レースが始まったのもその頃(もう少し前)です。
バイクブームのきっかけは8耐開催の影響が一番大きいと思っています。
世界的に有名なレーサーが日本で走るようになったのですから。

その少し前にRZ250、続いてVT250.NS.NSR.TZR.等々が馬力競争で販売されました。

車検がなく当時の中型免許で乗れる250ccクラスに魅力的なバイクが増えたのと、バイクレースの情報誌がたくさん出版されて、猫も杓子もバイクに関心を持つようになりました。

なによりも日本がバブル期に入ってた時期と重なり、バイク=カッコいい、おしゃれアイテムとなってしまいました。
高出力なバイクの方がエライ、売れるという図式が成立し、そんなオートバイを購入できる、支払ができるだけの収入見込みがある環境があり、日本が元気でした。

バイク雑誌も馬力競争を煽ったり、読者の走行写真(特にハングオン)を載せるコーナーを作ったりでバイク(レーサーレプリカ)ブームが広がりました。
なのでRZ250の出現が一番のきっかけではあると思います。

今ほどサーキットで走るという環境がなかったので、自然と峠や人里離れた山道で走ることが多くなりました。
※質問に対する回答はここだけですね。長くてすみません。

サーキットも今のように一般に開放的な時代ではなかったです。

バリ伝はその後ですよね。出てきたのは。。。
CBはRRではないですし、バリ伝の頃にはすでに絶版車になってましたし......。

峠の走り屋がレーサーになり活躍するというアメリカンドリームではないですが、誰もが羨むサクセスストーリーでした。※もちろん私も全巻所有しています(笑)
好きなバイクも今でもCB750Fです。(3台乗り継ぎました、バイクブーム前から現在もバイク(違うCB)に乗ってます)

以上、バイクブームを経験した者の私見です。参考にどうぞ。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

・ケニーロバーツやフレディー・スペンサーがハングオン(ハングオフ)という新しい走法を確立させ、バイクレースへの注目度が上がった。
・鈴鹿8耐レースが始まり、バイクレースそのものが身近になり、関心も強くなった。
・RZ250、350というオーパーツじみたスポーツバイクが発売になった。
・サーキットを走りたがった当時の走り屋が、サーキット代わりに峠を走るようになった。

まとめるとこのような要素が’80年代前半までに集中し、のちのレプリカブームへと続くことになったわけですね?
なるほど、理解できました。
鈴鹿8耐がこの頃始まったとは知りませんでした。もっと前からやってたものと思ってました。


私がバイクに乗り始めたのは’87年で、ちょうどレプリカブームが絶頂期に突入し始めた時でした。
そのちょっと前までの、「バリ伝」がブームになりバリ伝ゴッコが大流行しただの、「バリマシ」に写真送っても送ってもちっとも採用されね~だの、そういったことや、そのあとの流れはわかってたのですが、
それ以前の、そもそもなんで「バリ伝」ブームは起こったの?というのが謎のままでした。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/20 13:11

…世代か?



>バイク雑誌では
>「'80年代の訪れと共に、RZ250が出てクオータースポーツ人気が一気に高まった。
>それに続き、VTが出て中型バイク市場全体が拡大した。
>それを追う形でGSX-Rやγが出て、それがそのまま'80年代後半のRRブームにつながった。」と解説してあるのですが、そうではなく。

 概ねこの流れで合ってると思いますが。

 RZ250(RZ250R、ではない)だって、1980年当時には市販レーサーTZレプリカって言われていた(エンジンのボア×ストロークが同じくらいで350と同フレームだったにもかかわらず)くらいなので、それまでの重い350~400cc車を上回る動力性能のRZ250がこのクラスの人気に火を着けたといっても過言ではないでしょう。

 この時期いわゆるHY戦争の最盛期ですからHONDAとしてはRZを4ストで上回れっていう事でVT250F(初代)がリリース、HY戦争終結した頃の1983年にRG250Γリリースにより「レプリカ」の定義がおおよそ定着…というのが車両側の流れ。レーサーに付いている装備の付いているバイクが偉い、って時代でしたから。

>CBや刀やVTが「ハングオン」という、それまでになかった走法で、都会の高速道路ではなく「山奥の峠道」で街道レーサーごっこをして遊ぶのですが、それがどこからやってきたのか?と。

 当時のバイク雑誌にはハングオン写真のコンテストみたいなのもありましたからね。ちょっと腕自慢同士ならどっちが速いかやり合うのは、フツーとまでは言いませんがそんなに珍しい話ではなかったかと。また、多くの有名バイクマンガが1981年以降に連載開始されているところから考えても、何らかの作品がきっかけでバイクブームにつながったのではなく現実側の盛り上がりに乗る形でまんがが多数世に出たと見る方が自然でしょう。

 バイク雑誌にレース記事が普通に載っていた時代でもあり、異論も多いもののハングオンを完成させたと言われるケニー・ロバーツ辺りが活躍していた時期が80年代直前である事から、真似のお手本とそれをやってみるに足るバイクが揃ってきた1980年過ぎにブームが盛り上がったという流れで矛盾はないでしょう。

>目立つのが目的なら山奥の峠ではなく都会の街中に行くでしょうし。

 だから腕自慢するなら峠な訳ですね。まっすぐな道でハングオンしても間抜けですから。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

>当時のバイク雑誌にはハングオン写真のコンテストみたいなのもありましたからね。ちょっと腕自慢同士ならどっちが速いかやり合うのは、フツーとまでは言いませんがそんなに珍しい話ではなかったかと。

なるほどなるほど。
つまり、どこの誰が始めたのかはわからないけど、
当時の初期の走り屋が公道でなんとなく腕自慢(レース)を始め、それが交差点や信号機がある町中の道ではなく、峠道ステージを好んで走った。
そしてその遊びがだんだんと広がっていった。
(そしてそれを題材にした漫画「バリ伝」で一気に広がった。)

と、こういう認識でいいんですかね?

お礼日時:2015/07/19 21:40

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