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このような質問は多分ネットで腐る程されてもう飽き飽きされているかもしれませんがよければお付き合いください…。

昔から自分について少々おかしいのではないかという疑問があり、サイコパスという言葉が流行りだしてからは自分がその該当者な気がしてなりません。第三者からしたら、私はいわゆる一般人なのかそうでないのかがなんとなく気になり投稿しました。

普通に一般人として暮らしておりますので特に悩んでいませんが、申し訳ありませんがふざけてもいませんので真面目に答えてくださる方にのみ返信させてください。

長くなるので、自分で変ではないかと思われる部分をなるべくまとめて箇条書きで書きます。

25歳女です。

・小さい頃4〜6年間、兄から性的虐待を受けていました。簡単に言うと性奴隷のような扱いを夜な夜な受けていました。長くなるので割愛しますが内容としてはかなりきつめのものだったと思います。

→嫌だった思いも背徳感も怒りもされたこともすべて記憶として残っていますが実感がないです。世でよく話されているような被性的虐待児にみる心的外傷、その後の人生が狂った、男性恐怖症になった、等の、いわゆる傷跡のようなものが全くなく、年を取りされたことが異常だったと知れば知るほど腑に落ちないものを感じています。


・本当に自分でもよくわからないくらい嘘をつきます。

・動物を拾ってきては世話をしていたのですが、かならず利己的な理由で放置し死なせてしまっていました。虐待行為は一切していませんがたとえば傷ついて弱っていた雛鳥を拾ったときに死ぬとわかっていましたが友だちと遊びたくて放置というような行為を繰り返していました。


・罪の意識と責任感が皆無と言っていいほどありません。自分に不利益になるので社会を逸脱する行為をする気は毛頭ありませんし今までもしたことはありませんが、少年期から青年期にかけての軽犯罪が多く、このくらいなら見つかっても子供だから大丈夫といつも考えて動いていました。二度捕まりましたが礼儀正しく憔悴しきり心を病んでいる自分を演じ母親の責任を体で主張し母に責任をなすりつけていました。(親子関係は良好です。)

・自分以外の人間の出来事や心情に感情移入することがあまりできません。よって他人のことで泣けたことがありません。ですが、他人がどこを悲しんでてどうしたいのか、なにをしてほしいのかを理解するのは得意なので、相手がしてほしいことをしてあげることはできます。

・孤独感をあまり感じれません…。自分のしてほしいときにしてほしいことをしてくれる人がいればいいと思っていますしそうしてもらうために人間関係を整える癖があります。

このようにあげていけばきりがありませんが、要約すると、何事にも一線を引いて他人事のように扱うすごく冷たく乾燥した内面性があり他人や世論と比較してすこし外れているのではないかと疑問に思っています。

ただ、重篤な犯罪者とか奇人変人というわけでもなく、こういう性格なので逆にうまく立ち回れるところもたくさんあり損はしていないので、今すぐどうこう治したいというものでもないのですが、周りの人の感想を聞ければと思っております。

よろしくお願いします。

A 回答 (13件中11~13件)

このご質問には2つの要素が含まれているように、わたしは思いました。



1.まず、一つ目。
タイトルどおりのサイコパスについて私見を述べます。
これは精神病質と日本語訳されますが、オクスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンによると、誰しもが、こうしたサイコパス的気質を持つとされ、明確な線引きはできない、というのが実際のところだと私も思いますし、また、そのように考えるのが科学的でしょう。
因みに、彼の調査によると、サイコパスが就いている上位10は、以下のとおりです。

会社経営者
弁護士
TVやラジオのジャーナリスト
小売業者
外科医
新聞記者
警察官
聖職者
コック
軍人

このリストで特に着目していただきたいのは、1位が会社経営者であるのに対して、人を殺すのが職業である軍人は10位だという点です。
行なった行為自体ではなく、行為を為す動機付けの違いによってサイコパスの度合いが左右される、ということになるのでしょう。
ご質問文の内容を拝見した限り、こうした動機付けという観点からして、サイコパスとは言えないように思います。
ケヴィン・ダットンが挙げるサイコパスの特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義です。
ただ、『誰しもが持っているサイコパス的気質』ということもあり、要するに程度の問題になるかと思います。
先日、このケヴィン・ダットンが E テレの白熱教室で講義していたのですが、そのとき挙げていた例をご紹介しましょう。

線路の上を汽車が、こちらに向かって走ってきます。
それを見ているあなたの少し手前で、線路は2つに分岐しています。
片側の線路の上には、動けなくなった人が3人横たわっています。
一方の線路の上には、同じように動けない人が1人だけ横たわっています。
汽車がこのまま進むと、3人が横たわっている線路に進入し、その3人は確実に死にます。
あなたの近くにはポイントの切替器があり、あなたは汽車の進行方向を変えることができる状態です。
この状態で、サイコパスは「なんのためらいもなく」ポイントを切り替え、一人を犠牲にすることによって3人を救うことができる、というのです。
こうした心理に対して「極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義」という評価が為されるわけです。
むろん、救うのは3人か1人かと言われれば答えは明らかなわけですが、そうした合理性が存在する場合、なんのためらいもなく1人を犠牲にできる、という点が通常人の心理とは異なる、ということなのでしょう。
この能力(と言って良いでしょう)を良いほうに活かして、社会的に大きな成功を収めている人も多い、というわけです。

【利己的な理由で放置し死なせてしまっていました。】
子供のみならず、飼いきれなくてペットなどえお死なせてしまうという状況は、それほど珍しいことではないと思います(良し悪しは別問題)。
まして、子供というものは残酷にできているものです。昔を思い出して唖然とする方は多いはず。

【軽犯罪】というのは、万引きなどを指すのかもしれませんが、「罪の意識と責任感が皆無」ということとは少し違うように思います。
他の要因があると考えるのが自然ですが、これについては後述いたします。

【自分以外の人間の出来事や心情に感情移入することがあまりできません。】
ご本人が、そうおっしゃるのであれば特に否定する根拠はわたしにはありませんが、しかし、そうした冷静さを持っている人、多少のことでは動じない人、というのは、割合多く見聞しますし、それが即ちサイコパスということにはならないような気もしますね。

【孤独感をあまり感じれません…】
この点は、わたしと同じですね。

【何事にも一線を引いて他人事のように扱うすごく冷たく乾燥した内面性があり他人や世論と比較してすこし外れているのではないか】
このように感じていらっしゃる方は、実は、案外多いように思いますが、「すごく冷たく乾燥した内面性」は、視点を変えれば「極めて冷静で客観的な思考ができる性質」とも言える。
犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは、サイコパスを以下のように定義しています。
良心が異常に欠如している
他者に冷淡で共感しない
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が皆無
自尊心が過大で自己中心的
口が達者で表面は魅力的
など。
しかし、これも、たとえば、
「良心が異常に欠如している」だからサイコパス。
「他者に冷淡で共感しない」だからサイコパス。
という意味ではないと思います。そうではなくて、
サイコパスは「良心が異常に欠如している」。
サイコパスは「他者に冷淡で共感しない」。
ということでしょう。
つまり、「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」からといってサイコパスとは限らない。
しかも、「良心」「異常」「欠如」「冷淡」「共感」というものは、あくまで相対的価値観であって、ある程度主観的な判断でもあるわけです。
つまり、単に「程度の問題」であり、「決定的な問題」というわけではない、という状況が多いのではないだろうか、ということです。

2.二つ目は、いわゆる「トラウマ」です。
兄弟による性的虐待は、心的外傷(トラウマ)を発生させる要因となる外傷体験として十分な条件を備えているでしょう。(こうした事例は、水面下でかなりの確率で発生しているはずです)
ただ、質問者さんの場合、トラウマをうまく制御してPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ることを自ら防いでいるのだと思います。

【(二度捕まりましたが)母に責任をなすりつけていました。】
という記述もありますが、そのことを防いでくれなかった責任を母親に取らせたい無意識があったように思います。
「親子関係は良好です」ともおっしゃっていますので、そのときの「軽犯罪」は、質問者さんにとって必要な行為であったのであり、しかも、それが上手に機能した結果になったのではないか、と感じます。

【本当に自分でもよくわからないくらい嘘をつきます。】
これは、そのトラウマが何らかの影響を及ぼしているような気がします。
昔のあのことは「隠しておかなければならない」という無意識が(当然のこととして)存在すると思います。
この場合、隠すことは悪いことのはずがありませんから、ご本人にしてみれば、「嘘をつく=事実を隠す」ことに対しても、特に悪いことだという認識を持つのが難しい状態にある、という可能性はあるかもしれません。
具体的にどうすべきか、というのを安易に述べてしまうのは避けますが、基本的な考え方として、
「そもそも、あのことは、わたしの責任では決してない。隠す必要があるのは、あくまで兄であって、この私ではない」
「あのことはすでに終わったことだ。今後、同じようなことが繰り返されることは決してないのだ。」という合理的なことを、事実として強く認識できるようになると、おそらく、嘘をつく必要性も次第に薄れていくような気がします。

最終的に申し上げたいことは、次のようなことです。
多少、他人とは違っている部分はあるかもしれない。しかし、違うことをそれほど悩んだり苦にしたりする必要もない。なぜなら他者のために生きているわけではないし、違うことで迷惑をかけているわけでもないのだから。(仮に、それが迷惑だと言う人がいるとすれば、違っているという点では、その人も同様なのですから、自己矛盾になります)
文面を拝見するかぎり、ご自分で十分に制御されていらっしゃるようですので、こうしたことをわざわざ申し上げる必要もないのかもしれませんが、流れとして、一応、述べさせていただきました。
色々、勝手な推測まじりの見解を申し述べることになってしまい、お気に触るような点があるやもしれません。
その際には、ご寛恕のほどをお願い申し上げます。
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サイコパスは、それ程珍しい人格障害ではありません。

100人に一人程度はいます。
また、サイコパス=犯罪者でもありませんし、犯罪者になる確率が比較的に高い訳でもありません。凶悪犯罪者の殆どは、極普通の人達ですよ。人格障害者の犯罪は、その形として特異的な傾向を示すので、報道の的になりますから、人の目につき易いだけです。
つまりはサイコパスの人も、それは特異的な形であるにしろ、好む好まざるとによらず、その殆どは社会的な責任を果たしながら社会生活を営みます。出来ないなら、社会的に淘汰されます。
あなたが、サイコパスかどうかは分かりません。この質問内容だけを見る限りは要件に足りないと思えますが、サイコパスであったとしても、それは何ら問題の無い事です。サイコパスも、極普通の人と同じように、社会的責任を引き受けますし、犯罪者になれば裁かれます。
何にしろ、あなたが自分と他人との違いに気付いたならば、それを尊重して生活しなければならない。あなたとは、違う人達の事にも関心を向けて理解を示さなくてはならないし、その人達の役割りを尊重しなくてはならない。あなたが、そういう態度であれば、あなたの特異性も尊重されます。
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キッパリ言うと貴女はサイコパスではありません。


サイコパスとは「精神異常者」のことを示します。

例:自分は特別な存在だと信じ、自分が裁かねばならないと考え、自分が悪だと判断した人間を殺す。

人を殺した、しかし逃げずにしばらく現場に残った。理由は死体を観賞する為。

など、このような人をサイコパスと呼びます。

貴女はただコミュニケーションや感情や生活を使うことが下手なだけでありサイコパスではありません。
サイコパスは基本、殺人をする様な人です。

仮に貴女がサイコパスなら、私の方が遥かに上です。むしろ世の中のほとんどがサイコパスです。
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