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九州馬って歴史的に貧弱だったのでしょうか?現在の競馬でも駄馬扱いされてますし、歴史を遡れば九州馬は身体が小さいうえに馬の生産量が他の地域に比べて圧倒的に少ないために島津家のように歩兵戦闘が中心になったといわれてますし、源平時代の強弓使い「源為朝」は九州にいた為に騎馬戦が下手だったといわれてます。九州って馬との相性が最悪の地域として歴史を歩んできたんでしょうか?

A 回答 (2件)

そもそも現在の競馬において、九州産馬が弱いのは、日本の馬産の9割以上が北海道に集中しているからです。


9割以上の馬が北海道で生産されるため、有望な繁殖馬はすべて北海道に揃ってしまい、結果、ロクな血統の馬が他の地域にはいません。九州以外、東北、関東などでも馬産は行われていますが、殆ど活躍馬はいません。
むしろ、競走馬の世界では、テイエムの冠で知られる竹園正継氏、コウエイの冠で知られる伊東政清氏、カシノの冠で知られる柏木務氏など、それなりの規模を持ったオーナーブリーダーが生産・育成をしているため、北海道産馬には適わないにしろ、他の地域の馬よりも活躍馬は多いくらいです。
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源平時代まで遡るんですか?(^_^;



元々、日本には馬は生存していませんでした、古墳時代に蒙古から運ばれたのを九州で繁殖させたと言う事になっています

元々が牧羊としての農耕馬ですから、走るスピードはあまり重きを置いていません、源平時代も江戸時代も重量物を運ぶのが目的の馬です。

本来の目的が農耕馬ですから騎馬戦に用いる事はなく、下手と言っても運用はできませんでした、運用に長けた武将もいませんでしたし
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