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死刑に反対する者達の多くは痛みを直視したくないがため それを毛嫌いするのだろう。
家に帰ってきたら妻は殺された後に犯され 幼児は床に叩きつけられて殺された後 ゴミのように押し入れに押し込まれていた。
娘が何人もの男たちに辱められ 暴力でゴミクズのようにされ 捨てられていた。
そんな目にでもあえば 自分の大事な者が奪われれば 180度気が変わるだろう。

無論 死より苦しむ刑があれば更に良い。
本当は死んで終わりなんて 納得出来るはずがないのだ。
大切な者がこれから生きるであろう時間だけ 奪った時間の間だけは苦しみ続けて欲しい。
それでやっと相応の報い 本来の因果応報だ。

本来は侍の国だ。
刀は人の命を奪うものであると共に 自分の命も載せている事を覚悟するのが侍だ。
「奪うなら奪われる覚悟をせよ」程度は アタリマエのことだと思う。

みなさんは いかがお考えですか?

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A 回答 (14件中1~10件)

死刑反対の意味は、現実は「誤ると取り返しが付かない」ということだと思います。



すこし調べてみると、和歌山カレー事件があります。 これも理屈にあわない事件となっています。
この事件では死刑が確定しており、無罪を求めて再審請求がでていますが、裁判所は決定を出していません。

すこしこの事件について書くと、一審では被告人は黙秘権を貫き、ひとことも発言しませんでした。
それで死刑判決がでて、高裁で初めて被告人が発言しましたが、再度死刑の判決。 最高裁も死刑で確定しました。

でも、この時カレーに盛られた「ヒ素」は、この死刑囚の自宅から出たものとされ、これが唯一の物的証拠でほかには何もありません。 しかし、後に弁護団が調べたところ、ヒ素をカレーに入れるのに使わたとされる、ごみ箱に捨てられた紙コップから検出されたヒ素の濃度は、死刑囚の台所から発見されたヒ素よりも、ヒ素の濃度が高く「被告人の家から発見されたヒ素よりも、紙コップのほうがヒ素の方が濃度が高いので、まさに魔法の紙コップ」とまで皮肉らられました。

また、この事件では、ヒ素は中国から輸入されたものが農薬として和歌山県に出回っており、検察が鑑定した人物にだしたものも「不純物の同異性の確認」として鑑定依頼され、それ以外の目的は告げられなかったそうです。 不純物の同異性の確認とは、おなじ中国からドラム缶で60トン輸入されたヒ素の不純物の確認で、とうぜん、和歌山県に流通していた同じヒ素は、全部が同じ不純物だったはずです。

それをもって、被告人の家から発見されたヒ素、そして、カレーにヒ素をいれたとされる紙コップのヒ素、ならびにカレーのヒ素を分析したところで、同じ不純物が出ても不自然ではありません。 これは、被告人が無罪の証明にはならないけど、また有罪の証明にもならないことになり「推定有罪」とされた事件だそうです。

この事件は1998年の事件ですから、かなり昔の事件です。 この当時、一般の過程にヒ素など存在しないという仮説のもとに、被告人が逮捕されました。 じつは、この被告人と夫は、保険金詐欺をしていて、夫がヒ素を少しだけ毎日とり、それで、救急車で搬送され、保険金をだまし取るという手口で、当時、この夫婦は8億円も詐欺した金がありました。 のちに、夫がヒ素で詐欺をするのは実はわたしが考えて実践したが、裁判では、この死刑囚が保険金詐欺で、ヒ素を夫にもったとされていると、夫本人がビデオで語っています。

この事件は、死刑囚は自白もしておらず、唯一物的証拠としてヒ素、そして、状況的に被告人しかヒ素を行れる立場にないとされていますが、ヒ素を入れるところを見たという目撃者も、あとで、検察もしくは警察のねつ造の目撃証拠ではないかといわれています。 それは、被告人が逮捕されたのは、事件後2ヶ月たってのことで、目撃者の家から樹木の葉が落ち、事件現場が見えたのですが、事件当時やまほど撮影された写真では、木々は葉が一杯で、どのように考えても目撃など不可能とのことです。

おしまいに、この死刑囚は死刑が確定しており、いつ死刑執行されてもおかしくありません。

真偽はわかりませんが、かりにこの死刑囚が「無罪」なら、国家の過ちで人の命を奪うことになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/07 14:51

死刑は非生産的で税金の無駄。

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わざわざ「アタリマエ」と書くのは如何なものかと考えます。

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お礼とお褒めいただき、ありがとうございます。



>随分、残酷ですね。
質問本文に「 死より苦しむ刑があれば更に良い。」と書いてあったので、厳罰主義の行き着く果てを書いただけです。
それに家族や親類縁者、子供を巻き込むのは程度の差はあっても、現実に日本で行われている行為です。それが公的機関が行うのか、一般人が行うのかの違いに過ぎません。

最初は本人を苦しめて殺すだけでしょう。けれど、それでも犯罪は減らないので、次は本人の家族で成人の者。次は本人の友人・恋人。次は本人の子供。次は本人の兄弟や親戚の子供。次は友人や恋人の血縁者で未成年者である者。と進み、最後は「事件が起こった町や村ごと」になります。
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何をおっしゃいたいのですか?


死刑と侍の国の下りが脈絡無さすぎて意味が分かりません。日本の死刑制度について貴方はどう思うか、といったところでしょうか?
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死より苦しむ刑罰というのは拷問系ではなくて、家族や友人、それらの勤め先の同僚、級友や担任、などを皆殺しにすることです。

かつて多くの国で謀反人や政敵に対して行われてきた「九族皆殺し」や「連座制」です。当然ながら、事件の近くにいた人々も犯行を止めなかったのですから責任があり処罰されます。

侍の国と言われるなら、江戸時代に行われていた連座制の復活を主張されないのが不思議です。連座制なので、幼児や赤子であっても腰斬刑や雲仙地獄は行われます。
絞首刑の代わりに雲仙地獄が面白いと思いますよ。熱湯を幼児にかけて、徐々に手足の肉が削げ落ち骨が露になりながら悶絶死。

私が家族を殺されたら、その光景を肴に何升でも酒が進むでしょう。勿論、大人ではなくて苦痛を我慢できない思春期前の子供が最適です。成人は苦痛を我慢するので面白くありません。犯人や子供の親は生き残らせます。我が子が悶絶しながら死に絶える姿は、肉体の苦痛よりも遥かに効果があります。加えて、子供なら人の情も加わるので、最良の刑罰だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

随分、残酷ですね。

お礼日時:2016/08/09 11:38

自分が死刑になれば180度気が変わるだろう。


「自分も死刑になりうるという覚悟を促すために、全国民から毎日1人ずつ無作為に選んで死刑にしよう」というくらいの哲学的な提案ができないのでしょうか?
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死刑は質問者の憂さ晴らしをする制度ではない


日本の法理念は贖罪と更正、被害者の心情は考慮されるが
それで規定された刑より重くなることはない
それが法治国家

どうしても納得できないなら来世で中国や韓国に
生まれることを願ってください
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/07 15:02

独断と偏見で。



私は「死刑制度」に賛成です。
「死刑制度」反対の方の理由が、理解できません。

「冤罪」の可能性、「人が人を裁いて良いのか?」とか、時に聞きますが、
やはり、意味が理解できません。

「冤罪」の可能性
  「冤罪の可能性」があるから、「死刑制度」には反対、と言うのは、
  理屈になっていません。
  「冤罪」は、確かに「有ってはならない」ですが、そのことと「死刑制度」そのもの
  とは関係が有りません。

  「事故の可能性があるから、車を禁止する。」「遭難の危険性が有るから、登山を禁止する。」
  と、理屈は同じでしょう。

  事故を防ぐために、安全運転をし、安全教育を充実させ、車の能力を向上させる。
  これが「進むべき道」であって、「車を禁止する。」は、本末転倒でしょう。

「人が人を裁いて良いのか?」
  当然だと思います。
  この場合は、逆に「誰が裁くのか?」と問いたい。
  
  人間は社会的な動物で、社会を保全するためのルール(規範)の中で
  生活しています。
  そのため、このルール内では、当然ながら、弱者も守護されています。

  「死刑制度」とは、人間社会の構成要素である「資格」を失うことを
  意味します。

  以前、「死刑」は「殺人」と同じだ、と言う論調を目にしましたが、全く異なります。
  
  法治国家では、「死刑判決」があって、その結果「死刑」となります。
  「死刑判決」とは、「貴方は、人間失格となりました。」と言う事です。
  結果、人間ではないので、「死刑」とは、「不良品の排除処置」でしかありません。
  (殺人とは、人を殺すことです。全く意味が違います。)

「感情的報復」
  ご質問者のように、「気が収まらない。」と言うのは自然な感情ですが、
  しかし、それでは「報復が報復を呼ぶ。」可能性も有り、現実的では有りません。

  この為、法治国家と言うのは、逆の意味で、犯罪者を守っている、とも 
  言えます。
  「刑」を確定して、被害者の個人的怨嗟から、加害者を守っている、とも
  言えます。

  そして、最高刑は「死刑」であり、「人間否定」だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「事故の可能性があるから、車を禁止する。」
この喩えは少し違うと思います。昔のスパイクタイヤは弊害があるから、廃止されたのに近いと思います。

お礼日時:2016/08/07 15:01

刑罰は、刑罰であってそれ以上もそれ以下でないと思います。



死刑はダメで、人生を何十年も拘束するのは良いのでしょうか。
それと、刑罰は決して遺族の報復のためでありません。

それならば10万円盗んだ場合。

aのケース
 10万円盗まれた事は痛いが、特に生活に支障がない家庭

bのケース
 10万円盗まれ、手形を落とせず会社を潰し、一家離散の家庭

同じ10万を盗まれた場合、a、bの犯人に違う刑罰をしますか。

人が人を裁くなら、感情を挟んでしまえば、際限がないと思います。
当然、身内があなたが記述したような事に巻き来れてたら
死刑では生ぬるいと思います。

が、どんな刑罰でも、自分だったら気は晴れません。
逆なんです。
死刑の有無を議論する人は、遺族を語ってはいけないんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/07 14:51

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