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質問させていただきます。


たとえば「納豆が糸を引いた」、「青森の実家からリンゴが送られて来た」、「七五三なので兄弟姉妹で記念写真をとった」などに類する表現は日本人はすんなり読めても、外国人には注釈が必要になると思います(以上は、あくまでも私が考えた例文です)。

ここで質問ですが、村上春樹の小説には「外国人にはスンナリは分かりにくい」という表現は少ないのでしょうか?たくさん注釈が必要な小説は、おそらく外国人にとっては読みやすくないと思います。そのあたり、どうなのでしょうか?村上春樹は、最初から、外国の読者にも理解しやすい書き方を意識しているのでしょうか?

私は村上春樹の小説はホンのわずかしか読んでいません。

A 回答 (2件)

村上春樹のエッセイのなかに、同じ疑問をもち自分でそれを検証するところがあります。



たしか「やがて哀しき外国語」の中だったとおもいますが、プリンストン大学の日本語学科で自分の著作などを題材にしながら英語で講義を行なっていたときに、日本語と英語で著作を読んだ学生から質問を受けたのがその発端であったと記憶しています。

彼はある作家の英訳と原書である日本語訳、そして学生たちに翻訳してもらったで英語訳の3種類を比較して、日本語の文体と英語に翻訳したときのイメージを比較しています。

ここで分るのは「日本語と英語ではあまりにも違いすぎて、そもそも最初のイメージが伝わらないこと」です。

同じ内容を書いているブログがあったので参考にしてください
http://happysimple.hatenadiary.com/entry/2016/07 …

霧と霞、ものすごく日本的な現象であり、日本に住んでいなければ想像すら難しいような違いがそこにあります。村上春樹は作品としてこのような違いを意識的に避けているような気もしますが、必ずしも外国語に翻訳することを念頭に置いたものではないでしょう。

そもそも村上春樹氏自体が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を翻訳しているような翻訳家としての一面もあり、英語での表現と日本語での表現では明らかに異なるし、伝わらない部分がたくさんあることも認識しているわけです。

 ですから、先ほどの文章で言えば霞と書こうが霧と書こうが、日本語で意図する意図は伝わらないときはまったく伝わらない、ということをよくご存知だとおもいます。

ですから、村上春樹氏が日本語で文章を書いたときに外国語になることを意識しているとはおもえません。ましてや彼の著作は30ヶ国語以上に翻訳されていますので、すべてを意識することなど到底無理です。それなら日本語として完成度の高い文章を書いて、各国の翻訳家に任せるほうがいいでしょう。

英語の世界は分りませんが、外国語の翻訳などについてはこういうものができることがあります
http://wikiwiki.jp/harrypotter/:ハリーポッターの翻訳の問題点指摘サイト
http://arda.saloon.jp/blog/toda/:映画「ロードオブザリング」誤訳の指摘サイト
などです。
調べてみれば、日本語や日本の事情に精通している各国人が村上春樹の訳の問題点を指摘しフォローしているサイトがあるかもしれません。いずれにしてもどのように配慮しても言語翻訳というフィルターを通せば別の作品になってしまいます。そこを踏まえて村上春樹が本を書いているなら、たぶん英語版ぐらいは英語で書く、という作業をしていてもおかしくないとおもいます。
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この回答へのお礼

貴重な情報ありがとうございます。感謝いたします。

お礼日時:2016/08/20 13:24

日本語を理解できる外国人ならば注釈は不要でしょう。


翻訳なら直訳して注釈を付けるか、意訳するかは翻訳者の問題。

>村上春樹は、最初から、外国の読者にも理解しやすい書き方を意識しているのでしょうか?
教科書でも児童書でも無いんだからそんな事誰も意識しない。するとすれば購読者の知的レベルでしょう。
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この回答へのお礼

ダンケ。

お礼日時:2016/08/20 13:25

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