アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

僕にとって家族というのは、以下の通りです。

◇1.ゴミの垂れ流し合いをする場所→99.9%
◇2.ときには自分や配偶者や親や子どもを活かす場所→0.05%
◇3.ごくまれに感動や喜びを共有できる場所→0.03%
◇4.ごくまれに自分を解放し安心させ休ませ充電することができる場所→0.02%


ですからいつも僕は家族という形を、【不要な物】として、粉々に砕いてゴミ箱に捨ててしまいたいと望んでいます。友人や職場の仲間に対する感謝の気持ちは持ってゐますし伝えています。

僕のこの認識から、できるだけ多くの間違いを探し出し、指摘し、できる限り具体的に、しかしご自由に発言してください。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    サイコロさんとだだじゃさん。ご回答ありがとうございます。明日は留守にします。お礼が少しかたくさんか分かりませんが遅れます。

      補足日時:2016/10/29 20:36
  • うれしい

    ちゃおぽるぽさんへ。
    お礼欄に字数制限があるようなので、
    こちらでお礼の続きを話します。


    >、”お母さんが、苦しくないように、良くなるように、心安らかにいられるように。”祈るような気持ちでおられるのではないでしょうか。
    :はい。中学校3年生の娘は吹奏楽に、小学校6年生の息子はサッカーに夢中で、全ての努力を受け入れ実行し力を出し切って喜び楽しんでいます。たぶん僕を恨むヒマはないと思います。僕はそんな彼らを、普通のお母さんがそうしているように間近で眺め応援できないことを残念に思ってゐたのですが、僕が彼らを求めるほど彼らは僕を求めていないのかもしれませんね。彼らにとって僕は、生きていてくれればそれでよい、のかもしれない。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/31 17:40
  • うれしい

    ちゃおぽるぽさんへ。何度もすみません。お礼の続きです。

    >私たちは、小さな希望がある限り、生きてゆける生き物です。
    :はい、うなずきます。希望の欠片に関しては、選別した結果、不要な物は切り捨て、必要なものは大切にします。

    精神科には定期的に通っています。薬は1日15錠、医師の指示通りに服用しています。電話やメールで愚痴を聴いてくれる友達がいます。友達には本当に感謝しています。そんな貴重な友達が困っているとき、僕ごときが役立つのなら、可能な範囲で何でもすることにしています。

    ありがとうございました。

      補足日時:2016/10/31 17:41
  • たくさんのご回答をいただきありがとうございます。う~ん。扶養控除だとか年金とか保険とか税金とか相続とか、銭や制度や法律の話をする方が誰もいないことに微妙に驚いています。いえ誰にともなく。

      補足日時:2016/10/31 20:00
  • つらい・・・

    あふぉなさんからいただいた【おもねる】という言葉を咀嚼しているうちにあれやこれやと思い出しました。僕が思い出したことをそのまんま記録しておきます。僕は【阿吽の呼吸】【つうかあの仲】【以心伝心】など全て苦手です。要求されても不可能です。読めと言われても読めません。できなさいと言われても、たいていできませんでした。ただし、明確に頼まれれば僕は何だってするし、明確に叱責されれば僕は真剣に反省するし今後どうしたらよいか考えるしできるだけ速やかに僕と相手の生活のために反映する努力をしまし、僕の要求はできるだけ相手に分かりやすいやうに話します。ときどき僕が聴くのも話すのも下手くそであることを残念に思います。

      補足日時:2016/10/31 20:12
  • うれしい

    11番のねこりんさんへ。不覚にも貴重なお礼欄を使ってしまいました。
    「人権感覚の低さ」ですか。僕の感覚では家族という組織の中に当たり前に階級があり役割があり利害関係があり支配や服従もあり、また他人には当然のように使う建前や遠慮が家族間では免除され、言わなくても分かってくれ慮ってくれと求めたり求められ相手の顔色を窺わなくてはならないという特殊な(?)不思議な(?)空間が家族です。「人権感覚の低さ」→「自分権利を守り、自分を律するという発想の低さ」とも言えそうです。いや僕も言語外で支配したり八つ当たりしたりしてきたと思います。
    以下サラッと。僕はダンナ様と離れたくないのではなく、子どもと絶縁したくないだけです。あ、あと「自分にとって良い自分でありたい」というのは言葉よろしくないですね。「自分にとって【適当】【さじ加減の良い】、そんな自分でありたい」ということでした。ありがとうございます。

      補足日時:2016/11/01 15:14
  • へこむわー

    12番のblueさんへ。

    >我儘を言うなら、もう少し分かりやすい甘え方をしてくれよ。
    →それなら僕も分かりやすく甘えなくちゃいけないね。

      補足日時:2016/11/01 23:09
  • うれしい

    (承前)
    >両者とも、これまで持っていた家族像・友人像を、いったん壊した方がいいのかもしれないとも思います。
    :はい。同意します。

    >文章から強い緊張感としゃっちょこだった印象を受けます。
    :正直な感想をありがとう。僕は質問者になるとたいていこんな感じです。ちなみに謙遜ではなく僕にはパトスはあるけれど【知】はありません。よく回答者様からお叱りを受けます。
    でも少し残念に思います。【人を威圧しないこと】というのは僕が大切にしている○○だからです。すみません、○○に入れる適切な言葉が出ません。

    >みっともなくていいのが唯一、家族じゃないかな?
    :みっともなくていいのが唯一、友達じゃないかな?

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/02 17:15
  • うれしい

    (承前)

    >ふざけるなと怒ってください。
    :はい?僕が何に怒るのですか?いやあ無駄にやかましいから数秒怒りましたが数秒後から普通に笑いました。小林克也さんはJwaveやZipFMなどでよく知っていますが、スネークマンショーは知りませんでした。新鮮です。そういえば見かけなくなりましたね、チリ紙交換車・チャルメラ・ロバパン・豆腐売り・石焼芋売り・移動図書館など。相変わらず残っているのは選挙カーと、この季節から始まる移動灯油売りぐらいかな。

    あまりお礼になっていないような気もしますが、僕とは別の角度からモノを眺めた人の意見を聴けるのはありがたいことです。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/02 17:17

A 回答 (14件中1~10件)

>家族というのは誰にとって誰に対していつどこで何が何故どのように大切ですか



家族というのは、本人にとって、家族に対して、縁が切れるまで、どこであっても、相互に助け合うことが、社会を形成する基盤となるので大切。ってことでしょう。

一番基本的なのが、親と子供の関係。子供の喜びは親の喜び。
いずれ、子供は親の無条件の愛への感謝に目覚めて家族の核が形成されるってこと。

他に、夫婦、兄弟とかあるけど、どこかに亀裂が入ると崩れてゆくのも家族。
しかし、根源的な部分から再生されていくのもまた家族。
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この回答へのお礼

はじめまして、だだじゃさん。
ラディカルなご回答ありがとうございます。

>相互に助け合うこと
:はい。確かに【扶養】という字は、たすける、やしなうと書いてある。

>社会を形成する基盤となるので大切。
:すみません、上の文とこの文の間に、もう1行説明を入れてもらえませんか。

>一番基本的なのが、親と子供の関係。
:はい。僕もそう思うのですが、外国人から「そうではなく夫と妻の関係こそ大切である」と言われたこともあります。

>子供の喜びは親の喜び。
:はい。同意します。子どもや子どもの友達には感謝しています。ここでも、「夫の喜びは妻のよろこび、妻の喜びは夫の喜び」という声も聞こえてきそうです。

>子供は親の無条件の愛への感謝に目覚めて家族の核が形成されるってこと。
:ああなるほど。僕に欠如しているのはここなのかもしれませんね。僕がこんな年まで生きてゐるのは、僕が赤ん坊のころから大人になるまで両親がメシを食わせてくれたから、というのは間違いなくて、僕は間違いなく愛を受け取ってきたのだから、感謝するべきところですね。
そうか、これが、社会に向かうから社会が形成される基盤になる、ということで合ってゐますか?

>根源的な部分から再生されていくのもまた家族。
:おお。【再生】とは素敵な言葉ですね。リサイクルとかリユースとかぢゃなく。

ところどころ理解できていないかもしれません。ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 15:08

>もう1行説明を入れてもらえませんか。



個人と家族の結びつきが希薄か濃厚かによって、また、その個人が周辺の家族の結びつきをどのようにイメージしているか、つまり、どの程度大切なものとして考えるかによって、家族、地域社会、市町村、県、国のそれぞれのレベルで常識、道徳、倫理、法律が大きく変化していくということです。
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この回答へのお礼

ありがとう

こんばんは、だだじゃさん。
直接お話しするのは今回が初めてですが、あなたのご回答がいつもあまりに中立公正なので地味に感心しておりました。

僕の補足要求に分かりやすく答えてくださりありがとうございます。僕の正直な感想は、小学校6年生用の社会科の教科書を与えられた気分です。いえ決してそのことに文句を言いたいのではなく、僕はそのあたりから勉強する必要があるらしく、そのあたりを勉強できるところを手当たり次第探したいという気持ちはあるのですよ。

だだじゃさんのご意見は【家庭は己が生きる基盤を養うところである】ということでよろしいのでせうか。その、家庭で養われた基盤があるからこそ、たとえば幼稚園や保育園や小学校で友達の主張を聴くことができ自分の意見を主張することができ、【社会】において適切な関係を保つことができる、ということで合っていますか。

すみません。あなたからのご回答を批判するものではありません。しかし、【基盤】が【家族でなくてはならない】という明確な理由はあるのでせうか。もっと僕を論破してください。

お礼日時:2016/11/02 17:55

「家族」でも「友達」でも、こういうもんだよ、なんて無責任に言えませんね。

だから繰り返し、わたしの意見はあくまでわたし個人の意見であって、そういうものだというつもりはありませんということを強調しています(苦笑)

>家族には【責任】が発生するし協力義務があるし

うーん、「責任」とか「義務」といったものなんだろうか?うまくいえないけど、「責任」や「義務」とは違うような気がします。だって責任や義務であれば「情」はどこにあるの?家族の繋がりって、情緒面での繋がりじゃないだろうか?

わたしは今「友達」のあるべき姿ということで、みんなの意見を聞いています。この質問とどこか似ていて、
自分の中には漠然と「あるべき家族像」とか「理想の友人像」とうのがあるんだけど、でもそれが正しいとう確信は持てない。

瀬里香さんは今ある家族との関係についてなにかを模索している、わたしは嘗てあって、この先あるかどうかわからない友人についてあれこれと考えている。わたしの印象では、両者とも、これまで持っていた家族像・友人像を、いったん壊した方がいいのかもしれないとも思います。

わたしがいうのは滑稽だけれど、瀬里香さんは、その高い知と激しい情とのバランスが取れずにかなり揺らいでいるように見える。文章から強い緊張感としゃっちょこだった印象を受けます。

省みて他を言うといった感じですが、自己肯定感の低さが却って、達成の困難な状態を設定させているのかなという感じもあります。

エラそうに言ってごめんねと先に言っておくけど、

>僕はみっともない人間なのは、なまなましく実感していますが、そのことを【家族】が許すことは今後あるのかなあ。

みっともなくていいのが唯一、家族じゃないかな?

それから先の回答のお礼で、壊れていても構いませんで思い出したので、昔高校時代に流行ったスネークマンショーのビデオを貼っておきます。

ふざけるなと怒ってください。

またお邪魔いたします。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんにちは、blueさん。
家族のなんたるかを追求しようと思っていたのに結局僕は公共の場でゴミを垂れ流しているようです。そんな僕に辛抱強く付き合ってくれてありがとう。

>わたしの意見はあくまでわたし個人の意見であって
:はい。承知しています。好きなことを書いてください、それ以外のルールはありません(O・ヘンリー)。こちらも上手く包めなくても思ったことを話します。

>責任や義務であれば「情」はどこにあるの?
:う~ん。僕は家族というのは【情】が2割と【テクニック】が8割で成立するのだと真剣に思ってゐました。友達なら7:3ぐらい、恋人なら9:1ぐらいかな。いえ僕がそう思うというだけです。

>「あるべき家族像」とか「理想の友人像」
:うん。僕は家族の構成員に理想を求めすぎなのかもしれないね。昨日ね、友人に訊いてみたんですよ。僕の現在の状況を最もよく知っているのが彼だったので。
Q:年老いた僕の両親は今も毎日介護の仕事をしています。そこに本来ここに居てはいけない無職の娘がいます。働くべきなのは稼働年齢層である僕であり、世話をされるべきなのは年老いた僕の両親です。この場合、僕の両親は無条件に僕に八つ当たりすることが許されますか。
A:キミの親父さんの気持ちよく分かるなあ。
→へえ、そうなんだ。でも飼育してやってるって言われるの僕キライ。飼育してもらってるのが事実でも【してやってる】って言われるのキライ。

【食わせてやってる】。これはダンナからも言われてたんだけどね。今までは、そんなこと言うんなら僕が稼いでくるよ、僕にだって働く権利はあるだろう?子どもは毎朝毎夕保育園に送るしメシも作るし洗濯も掃除もするから働かせてちょうだい、お願いします!と言ってそうしてきた。
今僕を飼育している両親に、無職居候の僕からお願いしたいのは、自分たちが仕事をしている間に洗濯をして布団を干して掃除をして庭の野菜に水をやり雑草を抜いて買い物に行ってメシを作っておけ、みたいな明確な指示を出してもらうことかな。求めすぎでせうか。でも【してやってる】としか言われないよりは、この方が両親に対して【お疲れ様】【ありがとう】という言葉が自然に出てくるような気がするんですよ。というのは僕が勝手に作り上げた理想像なのかもしれないし僕の我儘なのかもしれなくて、受理する人と却下する人がいるのかもしれない。続。

お礼日時:2016/11/02 17:13

再び登場です。



わたしは誰かの大切さを、その人が属している集団で測ることはしません。それが「家族」であるか「学校」であるか、あるいは「会社」なのか?
大事なのはその人が自分にとって大切な、かけがえのない存在であるかどうかで、その人がどこに所属しているかはどうでもいいことです。

とはいえ、「家族」というものは普通共同の生活をしているので、綺麗事だけでは済まされないのですね。
家族の「汚れ」や「見苦しさ」や「なんでこうなの!?」というやりきれなさまで引き受けなければ家族は成り立たない。そういう意味では家族って、人間て当たり前に穢れや汚れを持つもので、みっともなく、やりきれない存在であるという目を養う場かも知れませんね。そして何処へ行ったって、そういうものに背を向けていたら、自分が孤立してしまう。
家族の汚れを高みから見下ろしていることはできない。そうすると自然に「偉そうなこと言えたオレか!」という、自分もまたみっともない人間のひとりなんだという視点を持つことが出来るのではないかと思います。なんて、口先ばっかりだけどね・・・

他人の中だと「自分を棚に上げて」ものをいうことが出来るけれど、家族って棚から引きずり降ろされてしまう迫力がありませんか?少なくとも自分が恥ずかしく思えるよね。そういう意味でも貴重な場だとは思います。

またすべての親がそうだとは言えないけれど、自分を犠牲にしてまで子供の生・存在を護ろうとするのも母親だし、存在自体を無条件で愛してくれる人って家族の他に見つけるのはなかなか難しい。

そんなことを切れ切れに考えていました。

「愛され方」についてはまた後日。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんにちは、Blueさん。
あなたはときどきあまりに正しすぎることをサラっと言ってくれるのでグサッと来るけど助かります。あなたとは何度も喧嘩してきたのに、こうして意見を聴かせてくれるのだから本当に感謝しています。

>綺麗事だけでは済まされないのですね。
:はい。友達同士には【責任】は発生しないけれど、家族には【責任】が発生するし協力義務があるし、引き受けなくてはならないことも多く、綺麗ではない。

>家族の「汚れ」や「見苦しさ」や「なんでこうなの!?」
:はい。学校でいじめられたら家で泣きわめいてくれなくちゃいけない。もし、まるで愚痴も垂らさず怒ることもなく泣くこともない親に育てられたら?と思うとゾッとします。息子は低学年のころは泣きわめいてくれたし、今は上手に愚痴を垂れて甘えます。娘もたまに学校で○○がウザくてムカついたとか話すし、出来の悪い母ちゃんに文句を言ってくれます。ダンナと父と母も、僕に甘えてよいのだし、たぶん僕も家族に甘えてよいのだけれど、僕は受け取るのも投げるのも下手くそなのでした。我儘を言うなら、もう少し分かりやすい甘え方をしてくれよ。

>そして何処へ行ったって、そういうものに背を向けていたら、自分が孤立してしまう。
:そうか。僕は逃亡者か。このまま明後日の方向に逃亡し続けたら本当に帰るところがなくなるかもしれないね。それは困る、かもしれない。

>自分もまたみっともない人間のひとりなんだという視点を持つことが出来る
:はい。僕はみっともない人間なのは、なまなましく実感していますが、そのことを【家族】が許すことは今後あるのかなあ。

>存在自体を無条件で愛してくれる人って家族の他に見つけるのはなかなか難しい。
:はい。確かに。無条件で僕を信頼してくれたのは子どもぐらいです。

以下余談。
職場の人には営業スマイルで挨拶をし、何か手伝うことはありませんかと言い、お疲れ様ですと声をかけ、ありがとうございますと言い、お願いしますと言い、すみませんと言い、摩擦が生じないように振る舞うのに、どうして家族にはそれらをあまりしないのでしょう。


PS.友達の質問は、僕は答えることができないので、読込専用です。
お礼がいちいち愚痴っぽくてすみません。

お礼日時:2016/11/01 16:01

随分以前に、あるアメリカ人に「日本人の一番悪いことろはなんでしょう?」


と尋ねたところ、「人権感覚の低さだ!」と断言されたことがあります。
当時はまだ私も若く、ピンとこなかったのですが、今はよく分かります。
夫が妻の人権を、妻が夫の人権を、また親が子の人権を認められず、横暴な
行為をしてしまう、あるいは「ゴミの垂れ流し合い」をしてしまうということは
日本人の家族の中で大なり小なりあることだと思います。

日本人が日本人の人権感覚が低いなどと言うことはタブー的ですよね?そういう
意味です。

そういう文化が基盤となっている日本の家庭の中では、「わがまま」が横行して
しまいがちです。
例えば、夫の暴力が妻に向っていたとすれば、妻がそれを受け続けてしまえば、
間違いなく慢性化します。
この問題の一番の解決方法は「離婚」です。「避難」というのは問題の更なる慢
性化をもたらすだろうと思います。
最悪の方法は、「あたしも悪いところがあるから」などと暴力を少し容認したり、
「応戦」したりすることだと思います。

あなたはご主人と「別れたくない」との意思がおありのように感じます。そうな
らば、ご両親も含めて、家族の中でどういう「横暴」まかり通っているのかを考
え、それに対してどう毅然とした態度で対応するか、ということを考えたらいい
と思います。ご自身が何らかの横暴をしているかもしれませんし。
「良き自分でありたい」ということは、相手の横暴を容認することになりかねな
いので、あなたの場合は、よくない発想であると思います。

また、医師,カウンセラーの変更、そこまで行かずともよりレベルの高い知識を
求めることも大事だと思います。(ピンキリの幅が大きい分野だと思いますから)
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この回答へのお礼

ねこりんさん。確かに拝読しました。ご回答ありがとうございます。
すみません、お礼を書いている途中で虫が入って全部消えちゃいました。申し訳ないのですが、今日は書き直す体力が無く、明日と明後日はまた用事があるので、反応は文化の日以降になります。しかも今日のファーストインプレッションを忘れてしまうかもしれません。ご了承くださいませ。
正確に記録しただけの日記ですけれど。息子を1歳から保育園に預けたころから10年以上、僕がしゃべりたいようにしゃべるために設置した安全地帯です。ゴミとか感動とか、分別せずにそのまんま綴っています。

http://serika1756.blog44.fc2.com/

ごめんなさい明日も用事があるからもう寝ます。

お礼日時:2016/10/31 19:55

こんばんは。



>いつも僕は家族という形を、【不要な物】として、粉々に砕いてゴミ箱に捨ててしまいたいと望んでいます。友人や職場の仲間に対する感謝の気持ちは持ってゐますし伝えています。

という疑問に対して、

>僕のこの認識から、できるだけ多くの間違いを探し出し、指摘し、できる限り具体的に、しかしご自由に発言してください。

うーん。「間違い」って見つけられませんけれど。

わたしはいつも自分個人の意見しか述べることはできません。
瀬里香さんは「家族の他に」信頼できる人間関係を持っていると言われている。

わたしは(あくまで「わたしの話」です)ひとりでは生きてはいけません。身近に愛情を注ぐことの出来る人、わたしに愛情を注いでくれる人を必要とします。でもそれが必ずしも「家族」である必要はありません。

わたしは動物を飼ったことがないのですが、愛情を交換する対象は必ずしも人間である必要すらないのかもしれない。

わたしの回答は

>家族というのは誰にとって誰に対していつどこで何が何故どのように大切ですか?

家族という人間の集団形態を大切であると信じている人にとってのみ、大切に思える

のではないでしょうか?
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この回答へのお礼

いらっしゃいませ、blueさん。
あなたのご来店をこころよりお待ちしておりました。
すがすがしいご回答をありがとうございます。あなたのこのご回答のおかげで、ずいぶん視界が広がりました。たいてい起きているときは【縦】になっていますが、たまには芝生の上で【横】になるのもいいですよ、と言われた気分です。


>という疑問に対して、
:いえ。これは僕の現状であり、僕の気分です。あくまで疑問は【家族=大切】と認識できるのは何故なのかということです。

>わたしはいつも自分個人の意見しか述べることはできません。
:はい。僕は人それぞれの意見を求めてゐます。むしろ直感で話してもらえる方が助かります。正しくなくても構いません。壊れていても構いません(…ってチリ紙交換車やリサイクルショップの買取人みたいだな、笑)。いや真面目にそう思います。

>ひとりでは生きてはいけません。
:はい。僕もそうですよ。今も僕が生きてゐるのは人に支えられたからだし、これからも【誰か・何か】を愛したい。たとえば娘とか息子とか。ただ、僕が人を愛することができるのは、相手が僕を求めた場合に限って、なんですね。つまり相手からキミは要らないどころか邪魔である、と言われた場合、僕が相手を愛することはできないわけだ。
逆さまから話すと、僕はあなたを必要としています、と言わない限り、僕は愛されないということになる...というと言い過ぎかもしれないので少し訂正します。僕はあなたからの愛を受け取る用意ができており拒否する理由はありません、と態度や仕草や言葉によって、開示・表明しない限り、愛情のやりとりはできないんです。こういうのは犬や猫が得意ですね。犬の場合は主との利害関係もありそうだけど猫とは自律した者同士の関係を築くことができそうですね。


>信じている人にとってのみ、大切に思える
:限りなく開放的なご回答をありがとうございました。感激しました。

お礼日時:2016/10/31 18:17

母を恨んでいるかどうか、お尋ねでしたので、再回答したいと思います。



正直なところ、母が、次から次へと奇想天外なことをやらかすので、恨む、というよりも、祈るような気持でした。”どうか、母が平穏な暮らしをしていますように、人並みの、地道な生活に満足しますように。” 基本的には、自分が、誰からも後ろ指をさされないように、生活をしてゆくのに、神経をすり減らしていました。親戚中から、母のようになるんではないか、と心配されていたんですね。あのころに比べたら、今の生活は、らくちんです。余裕があるように見えるのは、そのせいだと思います。

みっともない話ですが、昔は、”みなしごハッチ”(母を探すミツバチの話)を見て、あまりの悲しさに、押し入れの中で、声を殺して泣いたものです。

Neutralingさんは、ご病気なのですから、ご家族。。。特にお子さんたちは、やはり、”お母さんが、苦しくないように、良くなるように、心安らかにいられるように。”祈るような気持ちでおられるのではないでしょうか。

人生は長いです。現在、四十歳でいらっしゃるとしたら、常識的に見て、寿命は、あと三十年から四十年あるわけです。その間、家族は家族のまま、一緒に年を取ってゆくんですよね。今は離れ離れでも、いつ、どう事情が変わって、また、近しく行き来ができるようになるか。あと十年もすれば、お嬢さんは立派な大人です。現在とは違った、大人同士の付き合いが始まると思います。私たちは、小さな希望がある限り、生きてゆける生き物です。

どこかで、子供は親を選んで生まれてくる、と聞いたことがあります。定説(子供は親を選べない)とは逆です。弱い親には、強靭な精神を持った子供が生まれてくるそうです。

処方されているお薬があるのなら、きちんとおとりになり、カウンセリングの機会があったら、受けて、お友達に愚痴をこぼし、ご両親、弟さんとは、適当に調子を合わせ、ご自分の健康を、まず、第一に考えられますよう。

子供たちは、希望がある限り、我慢強く待てるものなのです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんにちは、ちゃおぽるぽさん。
日本ではずいぶん日没が早くなり、現在「こんにちは」と「こんばんは」の間ぐらいです。再度のご回答ありがとうございます。つらい話をさせてしまいすみません。

なるほどそうですか。自分にとって良い道を自分が選択し続けてきた結果、素敵な轍ができたということですね。ご自身の歴史を愛おしんでいる様子が伝わります。つい最近あるセミナーで聴いた言葉を思い出しました。「過去と事実と他人は決して変えられない。変えることができるのは今と未来と自分である」。
僕の失敗やその結果も含めて、過去は塗り直すことができないんですね。だから「もしあのときこうしていたら」などと後悔したり嘆いたりするのは無駄ですね。「だからこれからはこうしよう」という思いを整理して実践して行かないと。
僕はやっぱり「自分の人生に責任を取ってきた」という自信や余裕、いや達成感や満足感を、ちゃおぽるぽさんから感じます。

はい。祈るような気持ちですか。【怒り】からは、なにかが生まれることがありますが、【恨み】が【しあわせ】に繋がることは決してありませんね。僕は【怒り】が積もって腐敗して悪臭を放つものが【恨み】だと思っています。僕に関しては【恨み】が発生する前に川で洗い流して清めることにします。娘息子に関しては、彼らが僕を恨んでも仕方がないと思っていたのですが、でも訂正します。人を恨むヒマがあったら彼ら自身にとって生産的に時間を使ってくれるよう祈ります。あなたのおかげで今まで以上に子どもを信じられるようになりました。また、彼らが力強く生きられるようにと必死で育てさせてもらった僕に、お疲れ様と言ってやってもよいかな、などと思いました。

お礼日時:2016/10/31 17:37

支えがないと生きていけないと人は言う。

だけれど私は、人というのは一個一個が自立しているものであって、それぞれが縁を結んで様々な関係(例えば家族関係)を現出させているのだと思う。縁がなければ、即ち他の人がいなければこの世に生まれる意味もないけれど、情に絡め取られてしまえばその縁を正しい関係に導くことが出来ない。かと言って冷淡では、縁を成就することも叶わない。

抜けるような青空のもと
人に阿ず 彼が誰であってもその出会いを忌避すること無く
自分らしく振る舞う中で 本当は自分はこう在りたかったのだという在り様を示すことができたら
屋根がなくても 一度きりの家族でいられる 
距離の近しい人にほど新鮮に付き合い 距離の遠い人にほど昔からの馴染みであるかのように接する

世の束縛を受けているようで他の人を解放し 
世の束縛を受けていないのに人々の間に存している

虚仮の家族を成就して人々を満足させ
しかも真の家族にさえ属さない

私の考える家族は、こんな感じ。

追伸
あまりに具体的でないと感じるかもしれないので、少し具体的なことを。
例えば私が病気になれば、家族は看てくれる。
家族が病気になれば、私もそれを看るだろう。
出来る限りのことはするだろう。
だけれども、病気は看ても、彼らの背負う心の重荷(悩み)はおろしてやれないかもしれない。
もしそのような目に見えない病を看てやることができれば、それは家族を超えた本当のやさしさに近しいものだと思う。
人は誰しも、彼の属する集団によっては解決できない自己の問題を大小に抱えていると思う。だからこそ、属する集団や人間関係(家族、友人、恋人、同僚、親戚、国家或いは人類社会など)に阿ず、既にある関係性を超えた何かを差し伸べてあげれるならそうする方が良いと私は考える。もちろん、その集団をないがしろにしないことは前提だけれど。

こんな感じでしょうか。これが最後の回答になるのかな^^
ニュートラルさんの質問に答えるのって、なんかとても稀有な気がする。
いつも答えていただいてばかりだったので、このタイミングで答えることが出来て良かったです。
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この回答へのお礼

こんにちは、あほなさん。
最後のご回答をありがとうございます。間に合うかな。


僕はいつも、人はみんな宇宙のみなしごであり、だからときどき手を繋ぐのだと何度も口癖のように言ってきたのですが、あほなさんのおっしゃっていることとだいたい同じですか。つまり「基本的にそこそこ満たされた孤独な自分」が単独であちこちに存在していて、縁があったときに手を繋いで、関係を現出させるということですか。僕には現出というよりは発生するというほうがしっくりきます。

>縁がなければ、即ち他の人がいなければこの世に生まれる意味もない
:同意します。いくら僕の目的は僕の生をまっとうさせることだと言っても、僕が関係の中で生きているのは間違いありません。

>情に絡め取られてしまえばその縁を正しい関係に導くことが出来ない。かと言って冷淡では、縁を成就することも叶わない。
:あはは。いや失礼。適温が分からないことが多い僕自身に笑ったのです。

>距離の近しい人にほど新鮮に付き合い 距離の遠い人にほど昔からの馴染みであるかのように接する
:おお。これは意識的に実行できることですね。
昔聴いた、「恋愛中は両目をしっかり開いておけ。結婚したら片目をつぶれ。」という言葉に通じるところがありそうです。



>世の束縛を受けているようで他の人を解放し 
>世の束縛を受けていないのに人々の間に存している
>虚仮の家族を成就して人々を満足させ
>しかも真の家族にさえ属さない
:すみません、僕には理解できませんでした。あほなさんはもう退会するそうなので、どなたか解説してもらえませんか。

以下、キーワードは「自立・自律」に基づく、枠を超えた思い遣り、しかし集団における規律を守ることは当然の前提、ということで納得しました。間違いがあれば直してください。間に合うかな。


あほなさん。たしかに僕はあまり質問を立てませんが、OKwaveで2度、あなたからご回答をいただいていますよ。楽しかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 15:49

ニュートラルさん、こんにちは。



>家族の教科書的な本もずいぶん読んだのですが、結局、家族というのはどうやってやるのか分からないのです。

私はNo4の回答者なのですが、他の方(No5)のお礼欄を読んで、様相が具体的に分かりました……。私は以前、ブログを拝見したことがあったと思います。幸せそうなご家族のイメージでした。最近もサイクリングに興じておられたとのことでした。なので、何が起きたのか、分かりませんでした。

>母ちゃんはわたしたちに充分な愛情をそそがなかった(No5お礼欄)

ブログを思い出して言うだけなので、見当違いかもしれませんが、私はこういうことはないと思うんです。
ご自分に厳しすぎるのではないでしょうか。

今までのご投稿を振り返って思うのですが、私の中でニュートラルさんのイメージは、(どこかで身体を故障したとおっしゃっていたと思いますが)スポーツ万能、多様な発想力、自分を曝け出すことに一切躊躇いがない、という感じです。正直、スーパーマンみたいな感じがします。しかし、もうちょっとパワーを抑えてもいいのではないか、と私には思われました。(見当違いかもしれませんが)そんな全力でやったら、自分も傷つきますし、一般に、ついてこられない人も多いかもしれないと思ったのでした。

>友人や職場の人たちとはそれなりに良好な関係を保つことができるのですが

仕事は別かもしれません。力がある人が重宝がられます。全力に近い状態を出しても、適所適材なら、うまく行くでしょう。

>今は、自分にとって、良い自分であろうとしています。

何か道が開けますように。
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この回答へのお礼

こんにちは、さいころさん。
再度のご回答ありがとうございます。

いやあ褒められすぎてくすぐったい。僕は幸せそうなフリをするのとスーパーマンのフリをするのが得意になってしまっただけです。ときに、物分かりのよいフリもします。どんどん猫を被っている間に体中が猫だらけになってしまいました。一匹ずつお別れしていかないといけませんね。

>ご自分に厳しすぎるのではないでしょうか。
:こんなことを言うとまた自虐し過ぎだと言われそうですが、僕は自分に厳しいのではなく、自分に冷たいのだと思います。もう少し(甘くではなく)優しくしたいと思ってはいるんですが。

>もうちょっとパワーを抑えてもいいのではないか
:娘にも似たようなことを言われました。僕が【濃い】から周りの人間が【淡く】なる!のだそうです。また、先月、◎さんのブログで「Nさん、空気圧が高い…」と○さんからも言われたばかりなのですよ。苦笑。そうだ、plap0t1さんからも「相手に合った球を投げたほうがよいですよ」と言われたことがある。
相変わらず不器用です。

>何か道が開けますように。
:ありがとうございます。こんな歳になって正社員になるべく、就職活動をしています。親の世話にならないため、また離婚するためです。


PS.
さいころさんのお言葉は、いつも柔らかくて優しいので人を傷つけることがありません。以下完全に余談です。僕はよほど明確に指示や叱責をしてもらわないと何を言われたのか分からないことがあります。空気を読むのが苦手です。KYです。周りの人には、できるだけ具体的に言語化か視覚化してくださいとお願いしています。また、気を付けてはいるのですが、場違いな言動を取ることもあるので、その場で注意してくださる方には感謝しています。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 14:51

人生を振り返って、辛く悲しい経験は、すべて、実母の行為から出ているように感じます。

被害妄想かもしれませんが。。。

母が離婚してから、母方の祖父母の養女となり、おかげさまで、穏やかな暮らしができました。実父とはあったこともありません。波乱万丈の一生を送った母は、私と暮らすのが夢だといい、母が現れて、”今度こそは一緒に暮らそう”というたびに、私は、頭を抱えて苦悩しました。小学生低学年の時から、二・三年ごとに、そんな交渉が繰り返されました。母と一緒に暮らしていたら、質問者さんのおっしゃる悲しい家族の、その通りになっていたでしょう。そういう、どうしようもない宿命を持った家族も、確かに存在しますね。

母が仏故してから、もう十年が経とうとしていますが、彼女は、難病指定のある病で逝ったので、孫ができても、心から喜ぶことができません。母の病が遺伝する可能性があるからです。どうしようもなく、業の深い、母子であると思います。

愛情に満ちた母娘の関係を持っていたら、私は絶対に海外に嫁ぐことはなかったでしょう。私は、後も見ずに、サッサと、逃げ出しました。
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この回答へのお礼

こんにちは、ちゃおぽるぽさん。ご回答ありがとうございます。
先日はblueさんのスレッドで失礼な発言をしてしまい申し訳ありませんでした。また丁寧なご返信をいただきありがとうございました。


生後間もないころにご両親が離婚されたのですね。おばあさまとおじいさまと、穏やかな暮らしができたということ、しかも【おかげさま】という言葉が自然に出てくるところが素晴らしい。

僕は2年前に精神科の閉鎖病棟に入院して退院してから夫や子どもたちとは別居しています。当時、娘が13歳、息子は11歳でした。僕としては13年間子どもを育てさせてもらい、おかげで母親になることができ、宝物のような時間を過ごさせてもらったと思っているのですが、子どもたちに言わせれば、母ちゃんはわたしたちを捨てて逃げたのだ、母ちゃんはわたしたちに充分な愛情をそそがなかった、ということになると思います。
ずいぶん子どもたちを悲しませました。子どもたちの目の前で夫と殴り合いの喧嘩をするものだから、子どもたちは怖がって泣いていました。
それなら僕と夫は一緒に暮らさない方がよいと思ったのですよ。僕も顔に痣ができるのはイヤでしたし。

ちゃおぽるぽさんからは、ご自身の選択に後悔がないという自信と余裕(言葉が不適切だったら澄みません)を感じます。お母さまを恨んだことは無いのですか?

僕の場合、難病指定の病ではありませんが、僕も弟も精神障害者2級です。子どもに遺伝しないか、あるいは僕の生活態度を見て世代連鎖しないか、いつも不安でしたが、今のところ娘も息子も元気に育っています。ありがたいことです。

僕の両親は、今も2人とも介護の仕事をしています。母が家族の支配者で父は服従し、僕と弟は飼い犬のような感じです。僕は失業中なので(給付金は受け取っていますが)、年老いた両親が僕に食料まで恵んでくれているのに、彼らに感謝できない僕は、どこがおかしいのかと考え、勢いで質問したのでした。
子どもたち・友人には感謝しています。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/29 11:27

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