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日ロ戦争の後に満州を日本が統治します。しかし、世界的に不況があったようですが、中国への侵略をしてゆきますが、経済的な効果を期待して戦争へ進んだのでしょうか。天皇を上にいただき陸軍、海軍、内閣、国会、司法が並立して並び、シビリアンコントロールをする権限が内閣にはなかったようですが、関東軍を中心にした陸軍が、冷徹な計画の元に侵略というリスクをかけて経済的な活路を開こうとした形跡を歴史的な観点から言う人がいません。
 日本の右派と公文書は、過去のこの戦争の都合の悪い部分を隠蔽したり、曖昧にしたりしています。 人間に存在する他者への攻撃性は時によると悪魔的な虐殺をしてしまいます。この攻撃性はどの民族にも過去を遡ると実在しています。
 『悲劇の民』と言われたユダヤ人でも、選ばれし民として、パレスチナの地で、ユダヤ的なもの以外の人達を虐殺してきたといわれています。どの民族も知られたくない歴史を持っています。
 日本軍の精神のコントロールが効かずに進めた中国への侵略だったのでしょうか。それとも綿密な計画性があったのでしょうか。戦後の総括がされていないので、確りした歴史が認識されていません。

 よろしく、お願いします。

A 回答 (2件)

当時の世界情勢として、北に共産化したソ連の脅威を控え、中国が急速に赤化していく状況にあったことを忘れてはいけないと思います。



また、満州事変が起きた当時の中国は軍閥政治の延長線上にあり、蒋介石が北伐を進める中にあったとは言え、軍閥政治家同士の度重なる戦闘行為、済南、南京における日本や欧米の民間人に対する虐殺や強姦、死体損壊など言葉にすることすら憚られるほどの残虐な事件がたびたび発生する状況にありました。

満州を放置しておけば、満州地域の赤化を許し、朝鮮、日本へとその脅威が南下してくることは容易に想像できましたし、何より現地にすむ日本人(及び鮮人)の身の安全を確保するためには満州地域を日本人による統治能力が及ぶ状況にしておく、という選択肢があったことは何ら不自然なことではありません。

ですから、関東軍で満州事変を主導したとされる石原莞爾は日中戦争勃発のきっかけとなった上海事変では、最後の最期まで中国に対する開戦を渋り続けましたし、上海事変において先に日本人租界地域を3万の兵力で包囲し、銃撃を行ってきたのは蒋介石軍です。

日本が日中開戦の決断を行ったのは、このような経過を受けてのことです。
開戦状態に至ったときの兵力は中国軍20万に対して日本軍5千という、非常に不利な状況にありましたし、このような不利な状況で、なぜ日本が開戦に踏み切ったのか。このことに思いをはせるべきではないでしょうか。

日米開戦のきっかけを作ったのも、この時蒋介石軍が上海の日欧米共同租界、およびフランス租界地域に空爆を行い、この様子を自ら撮影し、「これは日本軍によって行われたものだ、日本はこんなにひどい国だ」として国際連盟に対して提出し、これを真に受けたアメリカや欧州の国々が日本に対する非難決議を採択。その後日本に対する経済制裁を各国が行うことに対して、「妥当である」とのお墨付きを与えたことが原因です。

日本軍の中に一部、そのような「暴走」行為があったことは否定できませんが、だからと言ってそれが「日本軍の精神のコントロールが効かずに進めた中国への侵略だ」ということにはならないと思います。

特に中国に対する日本の戦闘行為に関して言えば、現地邦人の身の安全を確保し、民間人が現地で安心して経済活動をおこなえる状況を作るためには、当時の中国にいた共産勢力を放逐(むしろ駆逐)し、残虐な、非人道的な行為を行う中国人を排除した上で、それ以外現地中国人に対しては日本人と平等な教育を施し、日本人と同等の価値観を育成しなければとても実現できなかった筈です。

日本軍が仏印に監視団を派遣し、北部・南部進駐を行った後の経緯については私自身まだ勉強中ですが、少なくともそれ以前に日本軍が北華を統治下に納め、ここに中華民国臨時政府を築くまでの経緯についてこれを「侵略」ととらえたり、経済的な効果を期待して行われたものだと考えるのは必ずしも正しくないように思います。

まあ、「経済的な効果」については当然にして期待されたものでしょうけどね(中国が安定すれば日本国も安定します)。
その後、「大東亜共栄圏」を築く構想に基づいて仏印進駐が行われるわけですが、これらの地域は元々欧州列強が武力によって支配し、統治していた地域です。

ここを日本軍が攻略し、なおかつ現地人との間に「信頼関係」が築けていたのだとすれば、これは日本軍が「侵略」したことになるのでしょうか? このあたりはもう少し調べてみたい部分ではあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。戦争行為とは、科学的思考が原点にないと敗北します。日ロ戦争から兵器の進歩に資金も人材も宛ててこなかったので、大砲や重火器などは、人馬で移動するという姿が写真に残っています。海軍は数学的な思考が必要なために、航空母艦がアメリカと日本しかなかったように、結構進んではいたようです。日本の戦争や外交の姿には、科学的思考の戦略が欠けていたように思います。『遅れた銃器+5x』5x=大和魂、で世界の一等国の仲間入りの意識でったようにおもいます。戦争の指導者は、科学的、数学的な冷徹な思考が必要です。それでなくては勝利はありません。日本の国の酷い貧乏状態や資源の無さ、当時の原油はアメリカに頼っていました。白人主義の苛烈な世界で、イエローモンキーと揶揄されていた日本人がいくら背伸びをしても一等国には慣れない現状がありました。ナルシズムに酔いしれる陸軍や一般大衆を指導する当時の為政者が、判断を間違えてしまったとしか言いようがありません。中国への侵攻で何が得られたのか、勿論外交的にもです。当時のイギリスやフランスなど、したたかな外交に日本は勝てなかったと思います。日本はゼロ戦という戦闘機でアメリカを一時的に恐れられます。しかし、プロペラ機の猿人は、当然ながら空気が欠かせません。高度が高くなると空気が薄くなりエンジンが動かなくなります。そこで、過給機を取り付けて高高度飛行ができますが、当時の日本の技術では、過給機が作れませんでした。車で使う所謂ターボ機能です。ですから、アメリカのその後の高高度飛行する機種にはかなわなくなります。B29の1万メートルまでは、日本の戦闘機は到達できなかったのです。何か断言をしてしまいましたが、自国民への愛着や、個人的な自己愛の靄にかすむ世界観では、外交で失敗することになるのではないでしょうか。正直に言って、私は詳しい歴史を勉強していません。今日、中国の拡大主義は、中国の国内事情がであると思います。習近平氏の権力維持や軍部への調整など共産党内の勢力争いであるとおもいます。そして、アジアは中国の支配権内である。日本わどけ! 日本の高速鉄道の契約を潰す意味でのダンピング契約で潰されはしましたが、中国の高速鉄道の工事が進んでいる状態ではありません。ベトナムの原発も、良いか悪かは別にして、契約を潰すことが目的化している状態です。

お礼日時:2016/12/24 06:13

満州国成立後日本の軍事中枢大本営を無視して石原莞爾が暴走日中戦争開戦

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