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お世話様です。数年前JR大阪駅から「ワイドビューしなの」に乗りました。今になってその列車の通った地図を見てみると、関ケ原から大垣まで、本線(?)の北側を走る別線(?)があるのがわかりました。私の乗った列車は確か、垂井という駅を通過したように記憶しています。当時本線と別線の運用はどのようになっていたのでしょうか?お分かりになる方ご教授下さい。

A 回答 (3件)

南側の線路は複線(関ケ原~垂井は3線)。


北側の線路は単線で遠回り。

では、何故こんな遠回りの線路が敷設されたのか?
それは、大垣から関ケ原まで1000分の25(25‰)と言う長い上り勾配(関ケ原越え)が連続するので、貨物列車の荷を制限せざるを得ず、輸送力の隘路になっていたのです。
そこで、戦中輸送力増強の必要性から、勾配緩和線(勾配10‰)の建設に取り掛かり、昭和19年10月11日に下り線を別線(新垂井線)に移したのです。

車じゃ25‰も10‰も大した勾配じゃないよと思いますが、重い荷を引く機関車にとっては大変な勾配。勾配を緩和する事で、同じ出力の機関車なら2倍以上の貨物が牽引できるようになったのです。

ちなみに、迂回する北側線路にも新垂井駅がありましたが、こちらは、昭和61年11月1日を以て廃止。
現在は、下りの貨物列車と特急列車のみ使用しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%9E%82 …

西村京太郎の推理小説にも新垂井を舞台に扱った作品があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9 …
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この回答へのお礼

詳細なるご回答ありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2017/03/01 10:15

当時ではなく、今でも現役で(旧)新垂井の迂回ルートは存在します。


詳しい説明は#2さんの通りで、名古屋方面からの登り急勾配の
緩和措置のための迂回ルートです。
現在このルートを走る列車は名古屋から大阪方面の下り列車の、
特急、貨物列車のみです。

大阪方面からですと下り勾配となるため、わざわざこのルートを
使って迂回することなく、全ての列車が垂井駅経由のルートで走ります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。別線はいまでも電車が走っているわけですね。

お礼日時:2017/03/01 10:16

上り線が垂井経由、下り線が北側の別線です。


元々は上下線ともに垂井経由でしたが急勾配緩和のため昭和19年10月11日に下り線を北側を迂回する別線(新垂井線)に変更しています。
そのため垂井経由の下り線も残っていて(通称垂井線)各駅停車の下り電車はこちらを通り特急と貨物は新垂井線経由で運転しています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2017/03/01 10:14

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