プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

【宗教・ブッダ時代の仏教における蓮子(はす)の持つ意味はなんだったんでしょうか?】

日本に伝来したときには仏像には蓮子を持ってないですよね?

日本には蓮子がなかったのでイメージが湧きにくいから排除したのだろうか?

で、仏像のあの変な手の構え方は蓮子を持っていた仏像から一方的に蓮子を取ったので意味不明なポーズとなって、日本の高僧は国民に「高僧。あの手のポーズは何ですか?」と聞かれて、さすがに知らないと答えるわけにもいかず「あのポーズには意味がある尊いポーズなのです」って言ってしまってあの変なポーズには意味があるんだと日本人は思うようになった。

けど実際のあのポーズは蓮子の一輪の花を茎で持って喜んでいるブッダの姿だったりする。

当時の日本の技術ではまだ蓮子を再現出来る技術がなかったので蓮子は取り払われた。

で蓮子を空想で持っているポーズがあれである。

違いますか?

あの変な手の形は蓮子を持っていたら成立するし、ブッダの微笑む顔が仏様の穏やかな表情に繋がっている。

要するに仏像はブッダが生前に蓮子を持って微笑んだ姿を表しているので仏像が無愛想な瞑想している顔になったのは目を書くのが難しいから目を閉じさせたとかそういう技術的な問題であのぶっきらぼうな顔にされたのだと思う。

1番最初の原型の仏像は蓮子を持った微笑んだブッダの姿をしていたはず。

そう考えると全ての辻褄が合うのではないでしょうか。

あとブッダは天然パーマで髪が伸びるとアフロヘアみたいになったからあんな仏像はクリクリくせ毛がイメージ強すぎて一個ずつカールして巻いてったらあんなパンチパーマみたいな仏像になってしまった。

途中から面倒くさくなって頭に冠を乗っけたり坊主頭にして蓮子、目の次に髪の毛も技術的な問題でカットされて今の仏像に至る。

A 回答 (1件)

質問者さんの言う通りです。


仏教では、人が死んで極楽に行くと、蓮子のうてなに乗ると、表現しました。
うてなは、手のひらの意味です。
徳を積んだ人が死んで、極楽に登ると、仏陀が、はすの葉を手の平になぞらえ、遇して下さると言う御仏の慈愛を説いたものです。
頭の〇〇は、修行する釈迦の頭は、もじゃもじゃになり纏まらないし、石像や、その他で髪の毛を表現し難いため、その様な表現になったものと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

ハスの花ですね

お礼日時:2017/03/26 22:28

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す